ひと昔の”映画スター”というのは、役柄を演じるよりも、その映画スターのカリスマ的なイメージを演じているところがありました。そのため、どの作品を観ても似たような役柄(強いヒーローや純粋なヒロインなど)を演じることになったわけですが、それこそが”映画スター”らしさでもあったのです。勿論、演技派と呼ばれる役柄を演じることに長けたスター役者という存在もいなかったわけでわけでありませんが・・・。ジョーン・クロフォードは、そんな”映画スター”全盛の時代に、何度も何度もイメージの再生を繰り返すことで”映画スター”として君臨し続けたのです。
1950年代のジョーン・クロフォード作品は一般的には”駄作”ばかりといわれるのですが、ボクのとっては”腐りかけの円熟期”として、最も充実(?)した時代に思えます。その中でも一番の”怪作”(?)といわれるのが、本作「トーチ・ソング(原題)/Torch Song」です。
主人公のジェーン・スチュワートには、ジョーン・クロフォード本人が役柄のキャラクターに強く投影されています。まず、ジェーン・クロフォードはハリウッドのスターですが、ジェニー・スチュワートはブロードウェイのミュージカルスター・・・ワンマンショーがブロードウェイで公演されている人気のエンターテイナーという設定なのです。
ジェーン・クロフォード自身、フラッパー女優として最初人気となったこともあり、ミュージカルスター役というのは、ジェーン・クロフォードにとっては”原点”なのかもしれません。ただ、歌って踊っていたのは20数年前のこと・・・それに、フラッパーダンスというのは、やたらと手足をばたつかせている”だけ”だったりするので、そもそもダンサーとしての実力は「イカホド?」なのです。本作では、ダンスパートナーとバックダンサーによって、全体的なダンスの見栄えが良くなっているという印象ではあります。
1930年代のレビュー映画では、ジョーン・クロフォード自身が歌っていましたが・・・それは”映画スター”が歌うということで、集客力が見込めた時代の話。本作のためにジョーン・クロフォードのレコーディングテストは行なわれたようなのですが、結果的には満足できるレベルではないと判断されたようです。本編ではインディア・アダムスという歌手が全てのミュージカルナンバーを歌っていて、ジョーン・クロフォードは口パクをしていています。
主演のスターが歌わないミュージカル映画を「なんで、わざわざ?」とも思ってしまうのですが・・・当時、それほど珍しかったわけではありません。ただ、本作のミュージカルナンバーは、そもそもは他の作品のために、インディア・アダムスが歌っていながらも、本編ではカットされて”お蔵入り”していたなど、本作のために作られたナンバーはなく使い回しばかり・・・正直、寄せ集めの即席感は拭えません。
前年インディーズ系で製作された「突然の恐怖」でカムバックを果たしたジョーン・クロフォードは、本作でミョージカルという新境地を開拓するつもりだったとも言われていますが・・・古巣でもある”MGM”に解雇されて以来の復帰、そして自身の初のテクニカラー作品ということで、ジョーン・クロフォードの気合が入っていたことは想像できます。
”MGM”側も、かつてのスタジオを支えた往年のスターの一人ですから・・・主演女優用の楽屋3人分を改築して、最大級の”おもてなし”でジョーン・クロフォードを向かい入れています。しかし、本作は見るからにして低予算だし、脇を固める出演者達もA級スターはいません。テクニカラー作品ではあるものの、MGMのようなメジャースタジオの作品としては明らかにB級扱い・・・ある意味、本作はジョーン・クロフォードの”スター・パワー”に依存しているジョーン・クロフォードによるジョーン・クロフォードのためのジョーン・クロフォード映画なのです。
主人公のジェニー・スチュワートのキャラクターは設定だけでなく、キャラクターもジョーン・クロフォードをモデルにしているとしか思えないほど”シンクロ”しています。「ファンのためには努力を惜しまず」「すべてのことをチェックして自分流にしようとし」「ダメなモノは容赦なくき罵倒して切り捨てる」は、ジョーン・クロフォードをディフォルメしたような人間像・・・もはや”強い女性”というよりも”ドラァッグ・クィーン”そのもので、台詞の数々はドラァッグ・クィーンの決め台詞になるほどです。
「Evening with Jenny/イブニング・ウィズ・ジェニー」というブロードウェイ・レビューショーの公演を控えて・・・「You're All the World to Me」(「ロイヤル・ウエディング」で有名なナンバーの流用)のリハーサルに余念のないジェニー・スチュワード(ジョーン・クロフォード)は、ダンスパートナーのアレックス(チャールス・ウォルターズ/本作の監督でもある)が、ジェニーの足につまずいて何度も転ぶことに苛立ち、激しく叱咤します。振り付け師が「少しだけ足を引っ込めたら・・・」と提案すると、
「And, spoil that line?/で、この(美しい足の)ラインをなくせって?」
と反論します。ジェニーが舞台監督よりも振り付け師よりも誰よりも現場では力を持っていて、周辺を威圧する姿は、語り継がれているジョーン・クロフォーの姿そのものです。
ファンとして痛切に胸が痛むのは・・・ジェニーがアシスタント(メイディー・ノーマン)相手に台本読みをした後、ひとりベットに寝そべってつぶやく「I'm NOT afraid of being alone. I've NEVER been lonely.(一人なんて怖くない。決して淋しくない」という(グレタ・ガルボが言いそうな)台詞・・・次第に感極まってジェニーは泣き始めてしまいます。ジェーン・クロフォード本人が、自宅のベットで一人で泣いていたかは知る由はありませんが・・・もしかすると、こんな夜もあったのかもしれないと思えてしまうシーンです。
ジェニーには、若いツバメ(?)らしきクリフ(ギグ・ヤング)というボーイフレンドが常に側いるのですが、二人の関係は上手くいっているような感じではなくて、なんでジェニーが彼と付き合っているのか分かりません。このギグ・ヤングという男優は、1940年代から70年代まで脇役(ちょい役?)で活躍された方なのですが、どこかしら「枯葉」(1956年)で共演したクリフ・ロバートソンに似ていて・・・これって、ジョーン・クロフォードの好みのタイプなのかしら?と思ってしまうほど。当然のことながら、物語が進むにつれて、いつの間にかクリフの存在は消えてしまうのは言うまでもありません。
ジャニーの横暴っぷりに愛想を尽かして、リハーサルのピアニストが辞めてしまったために、新しく雇われたのが目が見えないタイ・グラハム(マイケル・ワイルディング)というピアニストであります。当初は、楽譜を見ることができないなんてと、タイ・グラハムを解雇しようとするジェニー・・・しかし、周りのスタッフや人間はジェニーの”いいなり”なのですが、このタイ・グラハムはジェニーの辛辣な態度に辛口で反論しながらも、優しく受け止めるくれるのです。次第にジェニーはタイ・グラハムを意識するようになります。
「目が見えないってどういうことなのかしら?」と考えたジェニーが、時計の針を手で触って時間を確かめようとしてみたり、手探りでライターで煙草に火をつけようとして火傷しそうになったり・・・というのは、なんとも天然っぽい(?)一面でもあります。また、タイ・グラハムと音楽仲間が演奏パーティーを楽しんでいる自宅へ、いきなり訪問するという空気の読めなさも、人との付き合い方が不器用な人なのね・・・と愛らしく思えたりもします。
音楽仲間でもある美人のマーサ(ドロシー・パトリック)は、タイ・グラハムを深く愛していて、ことあるごとに積極的に彼に迫っているのですが・・・タイ・グラハムは彼女のアプローチを頑に拒否します。さまざまな言葉でマーサの美貌を説明されても、見たことはないから分からないと言い張って、決してマーサを受け入れないのです。しかし、何故か、ジェニーの美しさにはついては、彼は確信を持っているようなのであります。
実は、第二次世界大戦で視力を失ってしまう前、タイ・グラハムはブロードウェイの評論家で、デビューしたばかりで無名のジェニーの美しさと才能を、いち早く認めていたのです。彼の深い愛情を確信したジェニーはタイ・グラハムの自宅に忍び込み、マーサを追い出してしまいます。ジェニーが何をマーサに伝えたのかは描かれませんが・・・マーサを絶望させるような厳しい言葉であったのでしょう。
目が不自由になったことでジェニーの愛を勝ち取ることは出来ないと諦めて、逆にジェニーに対して厳しく接することしか出来なかったタイ・グラハムの心を、ジェニーは問い詰めることで無理矢理に開きます。そうして、やっと素直にお互いを必要としていることを認められるようになったジェニーとタイ・グラハムは、しっかりと抱き合い、キスをして、映画は終わるのです。
ブロードウェイのスターであるジェニーが、彼女の姿を見ることができない目の不自由なピアニストと結ばれる・・・というのは、何とも痛々しい”オチ”に感じてしまいます。役柄のジェニー・スチュワートも、演じるジョーン・クロフォードも、40代後半となって、多少の美貌の陰りが見え始めた頃。もう二度と自分を見ることのできない男は、若くて美しかった過去の自分の姿を脳裏に焼き付けているわけで・・・その姿は、永遠に年を取ることはないのです。過去の美に執着する女にとって、これほど都合のいい男はいないわけで、この二人が結ばれることはハッピーエンドではあるのですが・・・あまりにも切な過ぎます。
本作を「おキャンプ映画」の中でも、一番の怪作と言われる由縁は、本編の終盤で演じられる「Two-Faced Woman」というミュージカルナンバーがあるからです。このナンバーは、元々は「バンド・ワゴン」というミュージカルのために作られたもの・・・ただ「トーチ・ソング」では、ジェニー(とバックダンサーたちも)が黒塗りで黒人に扮するという”トンデモナイ”アレンジがされているのです。南部では白人と黒人の隔離政策が続いていて、黒人の人権運動が始める前ではありますが、本作が製作された1953年当時であっても、白人の俳優が顔を黒く塗って黒人を演じるというのは、かなり前時代的なこと・・・それもジョーン・クロフォードという大御所が、真面目に(?)やっているのですから、違和感が半端ありません。
公開当時、すでにズレまくりだった本作は、批評家から酷評され、興行的にも失敗・・・ジョーン・クロフォードは、二度と”MGM”で映画を撮ることななく、当然のことながら、ミュージカル映画の出演も本作っきりとなったのです。しかし、年月が経つにつれて、ジョーン・クロフォードと主人公のキャラクターが痛々しくシンクロする皮肉な本作が、「おキャンプ映画」として熱烈に支持される作品となったことは、ジョーン・クロフォードの表も裏も、美も醜も、ファンが愛してやまないことの証なのかもしれません。
「トーチ・ソング(原題)」
原題/Touch Song
1953年/アメリカ
監督 : チャールス・ウォルターズ
出演 : ジョーン・クロフォード、マイケル・ワイルディング、マージョリー・ランボー、メイディー・ノーマン、チャールス・ウォルターズ、ギグ・ヤング、ハリー・モーガン、ドロシー・パトリック
日本劇場未公開
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