1981年7月3日のニューヨークタイムス紙で「AIDS/後天性免疫不全症候群」は、初めて報道されました。その年の9月15日、18歳のボクはニューヨークへ移住したのですが・・・”AIDSクライシス”の中心へ飛び込んだことは、当時は知る由もなかったのです。
ゲイ活動家ラリー・クレイマー氏は、ケン・ラッセル監督の「恋する女たち」の脚本家として知られていますが・・・後に「AIDS」と呼ばれることになる「Gay Cancer/同性愛者の癌」には、かなり早い時期から警鐘を鳴らしていたバリバリのゲイ/エイズ活動家であります。創立者のひとりであったGMHC(Gay Men's Health Crisis/ゲイ・メンズ・ヘルス・クライシス)から追放された後、1985年に発表したのが「ノーマル・ハート/The Normal Heart」という戯曲・・・オフ・ブロードウェイの初公演で主役を演じていたのは、あのブラッド・デイヴィス(「ミッドナイト・エキスプレス」などで知られる俳優で41歳のときAIDSで亡くなる)で、当時まだまだ進行中の”AIDSクライシス”の中で、作品は賛否両論だったという記憶がボクにはあります。
ニューヨークタイムス紙の報道から約30年となる2011年・・・「ノーマル・ハート/The Normal Heart」は、再びオフ・ブロードウェイで公演され、2014年「グリー」で知られるライアン・マーフィー監督によって、HBO(ケーブルチャンネル)のテレビ映画として遂に映像化・・・そして、先日(2014年8月25日)発表された第66回エミー賞で「TV映画作品賞」を受賞したのです!(ちなみに、シリーズ/TV映画助演男優賞には「ノーマル・ハート」から4名もノミネートされていた!)
”AIDSクライシス”についての映像作品はいくつもありますが・・・真っ正面から”AIDS”と”ゲイ・コミュニティー”を描いた一番最初の映画は1990年に製作された「ロングタイム・コンパニオン」だったと思います。劇場公開時にボクも観に行ったのですが・・・当時としては赤裸々な内容という印象で、ストレートの俳優たちがゲイ男性役を演じることさえも勇気のある行動と称されてしまう時代でした。ただ、今の感覚では微妙に差別的な描写もあり、妙にセンチメンタルでドラマティックに演出された作品としてゲイ・コミュニティーの評価はイマイチ・・・アメリカではDVD廃盤で観ることの難しくなっている作品でもあります。
1993年にHBOのテレビ映画として製作された「And the Band Played On/アンド・ザ・バンド・プレイド・オン」は、”AIDS”の発端や感染ルートを検証した意欲的な作品・・・現在では、事実とされている事実と食い違っている部分はあるものの、当時のアメリカ政府の対応責任を追及した初めての映画かもしれません。マシュー・モディーン、リチャード・ギア、スティーヴ・マーティン、マンジェリカ・ヒューストン、リリー・トムリン、アラン・アルダ、フィル・コリンズなど、多くのスターが出演していましたが、日本では何故か劇場公開はされず(多くのテレビ映画は日本などの海外では劇場公開されることがある)VHSビデオ販売とレンタルのみ・・・日本語版のDVD発売もされていません。また、日本語タイトルが「運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した」という酷さ(1991年に発刊された原作の翻訳タイトルに準じているようですが)・・・当時の日本でのエイズの捉え方というのが、分かるような気がします。
トム・ハンクスがアカデミー主演男優賞を獲得したジョナサン・デミ監督による1993年の「フィラデルフィア」、アル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソンなどがスター俳優が多数出演した1980年代、エイズ、ユダヤ系、同性愛というテーマを紡いだ壮大なテレビ映画2003年の「エンジェルズ・イン・アメリカ」と・・・普遍的な観点で”AIDSクライシス”を描いた優秀な作品もあります。去年、マシュー・マコノヒーがアカデミー主演男優賞に輝いた「ダラス・バイヤーズ・クラブ」は、アメリカ政府のエイズの治療薬の臨床試験の遅さを痛烈に指摘した作品・・・約30年前という時を隔てたからこそ、改めて”AIDSクライシス”を時代的に検証しようというムードが高まっている思いがします。
本編のネタバレありです。
本編のネタバレありです。
「ノーマル・ハート/The Normal Heart」は、ラリー・クレイマー氏の1981年から1984年の体験を元にした自伝的な内容・・・ただ、主人公をはじめ登場人物らは実名ではありません。ネッド・ウィークス(マーク・ラファロ)は、ニューヨークに住むオープンリー・ゲイのライター・・・1981年の夏、ゲイの集まる避暑地のファイアーアイランドのバインで、友人らと過ごしているのですが、友人の一人が急にビーチで倒れ込みます。これが後にエイズと呼ばれることになる感染症なのですが・・・当時は、ニューヨークタイムス紙で「謎の同性愛者の癌」と報道されていたぐらいで、まだ誰もウィルスの存在さえも分かっていなかったのです。ニューヨーク市内の病院で数々のゲイ男性の患者を診察していたエマ・ブレークナー医師(ジュリア・ロバーツ)は、GRID(ゲイ・リレーテッド・アミューン・ディジーズ/同性愛男性関連の免疫疾患)であると認識をして、ネッドと共にゲイ・コミュニティーの集まりで”性感染症”であると警告をします。
1980年代初期のニューヨークのゲイ・コミュニティーの雰囲気というのは、1969年に起こったストンウォール事件を発端として広がりをみせたゲイ人権活動が実を結んだ時代・・・1970年代のフリーセックスの空気も相まって、良くも悪くも”ゲイ理想郷”(セックスやりまくり!)となっていたのです。「AIDS」は、長年の戦いの末に勝ち取った自由、誇り、権利を脅かすものでしかなく・・・性行為の罪悪感や自粛を生みかねない”性感染症”である警告をいち早くゲイ・コミュニティーへ訴えたラリー・クレイマー氏は、当初はゲイ・コミュニティー存続の根底を揺るがす者として”厄介者”扱いを受けていたのです。それでもネッドは屈することなく、出来るだけ大きなメディアに扱ってもらおうと、ニューヨークタイムズ紙の記者であったフィリックス・ターナー(マット・ボマー)とコンタクト取ります。その後、ネッドとフィリックスは恋に落ちるのです。
ネッドは、他のゲイ活動家たちブルース・ナイルス(テイラー・キッシュ)、ミッキー・マーカス(ジョー・マンテロ)、トミー・ボートライト(ジム・パーソンズ)らとGMHC(Gay Men's Health Crisis/ゲイ・メンズ・ヘルス・クライシス)を設立・・・患者の生活サポートから政治的な活動まで、幅広い運動を行なっていくことなります。確かに「住んでいるアパートを追い出された」「家族に見捨てられた」「死体を埋葬できない」など、当時のエイズに対する差別は、感染方法も治療方法も分からなかったために酷いものだったことを、ボク自身も身近な出来事として記憶しています。エイズ患者に居場所を与えたり、食事を用意してくれたり、治療を受けられる病院を教えてくれるGMHCの存在は非常に貴重で、万が一感染したら「まずGMHCに行け!」という感じだったのです。というか・・・GMHCぐらいしか、エイズ患者を助けてくれる組織はありませんでした。その後、感染が麻薬使用者や女性にも広がって行く中、GMHCはゲイ男性患者に限らず、エイズ患者ならばどんな人でも救っていく組織になっていったのです。
ネッドとフィリックスは幸せな同棲生活を過ごしていたのですが、フィリックスがエイズ発症・・・政府や行政の対応の悪さと戦いながら、ネッドは恋人フィリックスがエイズによって徐々に衰えていく姿を目のあたりにしなければなりません。また、ホモフォビアで弁護士として成功しているネッドの兄(アルフレッド・モリーナ)との確執もあります。ニューヨーク市行政の対応の悪さを訴えるために、当時の市長であったエド・コーチ氏を名指しで告発・・・結婚経歴がなかったコーチ市長を同性愛者であると暴露する(後にコーチ市長は同性愛者であることをカミングアウト)など、ネッドの政治活動は人権的な問題もあり、徐々に組織内で孤立をしていきます。
また、ネッドの性感染症であるという警告は、自由なゲイのライフスタイルを獲得するために命をかけてきたミッキーのようなゲイ活動家にとっては、今まで戦ってきたことを否定されるようなもので、強い拒否感を持たれていたこともあったのです。2011年のオフ・ブロードウェイでのリバイバル公演では、ネッド役を演じていたジョー・マンテロが、ミッキー役を本作では演じているのですが(ややこしい?)・・・彼の訴える当時のゲイ活動家としてのジレンマは(結果的にはネッド正しかったのですが)、当時の世相を考慮すると理解できないわけではありません。そうして最終的にはネッドは、自らが創立に関わったGMHCから追い出されていまうのです。
主人公であるネッド・ウィークスが、ラリー・クレイマー氏をモデルとしていることは明らかではありますが・・・1980年代に各メディアに露出していたラリー・クレイマー氏は、本作で描かれている以上に強烈に攻撃的な印象でした。エマ・ブレークナー医師は、実際に車椅子利用者であったリンダ・ルーベンステイン(Linda Laubenstein)氏、また(ラリー・クレイマー氏は公には認めていませんが)フィリックスのモデルとなっているのは、当時ニューヨークタイムズ紙のファッション部門の記者であったジョン・ドューカ(John Duka)氏であるというのが定説となっています。このように、実物の人物がモデルとなっている作品なので・・・30年という年月が隔たったことで、俯瞰的に表現できるというのはあるのかもしれません。
ネッドを演じるマーク・ラファロは、良い感じに年齢を重ねている男優(46歳)で・・・本作でも”いい味”を出しています。徐々に熱くなる熱演には、心が震えさせられました。テレビシーズ「ホワイトカラー」で知られるマット・ボマーは、同性婚をカミングアウトしているアメリカの芸能界ではまだ珍しい(?)オープンリーゲイの男優・・・あまりにも二枚目過ぎるのでラリー・クレイマー氏からフィリックス役には適さないといわれたものの、役への熱意を訴えてフィリックス役を得たそうです。30ポンド(約18キロ)の減量は「ダラス・バイヤーズ・クラブ」でアカデミー主演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒー(40ポンド減量!)にも負けず劣らずの”凄まじさ”であります!輝くようなハンサムっぷりから衰弱しきった姿は、エイズで亡くなっていった多くのゲイの友人達の最後の姿と重なって、ボクは正視できないほどでした。本作に於いて、一番のサプライズ(?)は、ジュリア・ロバーツの圧倒的な存在感・・・出演シーンは決して多くないのですが入魂の演技には感動しました。
死の淵のベットで、ネッドとフィリックスはエマ・ブレークナー医師により”夫婦の誓い”をします。今では同性婚が認められているニューヨーク州ですが、当時(1984年)は誰も想像することのできなかったことかもしれません。ホモフォビアの人は、そもそも本作を観ないとは思いますが・・・この作品を観て「男同士でキスなんてキモい!」なんて感じるなんて人として”アリエナイ”と思えるほどです!ネッドのような経験をしたのであれば、亡くなった恋人のために「どんなことをしてでもエイズと戦わなければならない!」という執念が生まれたのも理解できるような気がします。ラリー・クレイマー氏は、自身もHIVに感染しながらも治療を続けていて、現在、御年72歳でご健在・・・まさに激動のゲイ運動の歴史の生き証人というような方です。
ひとつだけ、この作品に注文をつけるとしたら・・・時代の風俗的な詰めの甘さでしょうか?冒頭のファイヤーアイランドのパーティーシーンでは、当時のディスコミュージックを流して雰囲気を出そうとしているのですが・・・登場人物たちの服装、髪型など風俗的な時代考証がしっかりしておらず、1970年代後半から現在までが”まぜこぜ”のスタイルなのです。ある特定の”時代”を描きながらも、普遍的な物語として語るために時代的な風俗に縛られたくないという制作者側の意図があるのかもしれませんが(かなり好意的に解釈)・・・いつの時代の出来事なのかが分からなくなったところもあるような気がします。(特に実際に時代を生きたボクの世代にとっては)
ラリー・クレイマー氏は「ノーマル・ハート/The Normal Heart」の主人公ネッドがエイズの実験的な治療を受けながら、ユダヤ系の家庭に育った少年期から青年期を振り返る「ザ・デスティニー・オブ・ミー/The Destiny of Me」という戯曲を1992年に発表していますが・・・本業の作家としてよりもゲイ活動家としての存在感が際立っています。1987年「沈黙=死」をスローガンにした、攻撃的で過激な抗議活動を行う「ACT UP」(AIDS Coalition to Unleash Power/力を解放するエイズ連合)を設立・・・当時の「ACT UP」の怒りの抗議を身近で目撃して”恐怖”さえ感じることもあったボク自身は、自分のセクシャリティと政治に一定の距離をもつ生き方を選んだところはあります。ただ、30年が隔ててみると・・・目前で起こっていた”あの時代”を、自分自身の中で改めて検証したい気持ちを抑えられなくなってくるのです。
「ノーマル・ハート」
原題/The Normal Heart
2014年/アメリカ(HBO)
監督 : ライアン・マーフィー
脚本 : ラリー・クライマー
出演 : マーク・ラファロ、ジュリア・ロバーツ、マット・ボマー、テイラー・キッシュ、ジョー・マンテロ、ジム・パターソン、アルフレッド・モリーナ、B・D・ウォン、ジョナサン・グロフ、ステファン・スピネーラ
「スターチャンネル/STAR1」にて放映(スターチャンネル番組案内参照)
2014年11月29日午後9時、11月30日午前9時半、12月5日午後10時半、12月21日午前9時半、12月27日午前3時半
「スターチャンネル/STAR1」にて放映(スターチャンネル番組案内参照)
2014年11月29日午後9時、11月30日午前9時半、12月5日午後10時半、12月21日午前9時半、12月27日午前3時半
「ロングタイム・コンパニオン」
原題/Longtime Companion
1990年/アメリカ
監督 : ノーマン・レネ
脚本 : クレイグ・ルーカス
出演 : キャンベル・スコット、ブルース・デビットソン、ダーモット・マローニー、メアリー=ルイーズ・パーカー、パトリック・キャシディ、マーク・ラモス、スティーヴン・キャフリー
1992年6月13日より日本劇場公開
1992年6月13日より日本劇場公開
「運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した」
原題/And the Band Played On
1993年/アメリカ(HBO)
監督 : ロジャー・スポティスウッド、
脚本 : アーノルド・シュルマン
出演 : マシュー・モディーン、リチャード・ギア、スティーヴ・マーティン、マンジェリカ・ヒューストン、リリー・トムリン、アラン・アルダ、フィル・コリンズ、イアン・マッケラン、ナタリー・ベイ、B・D・ウォン
日本劇場未公開(VHS&レザーディスク販売/VHSレンタルあり)
日本劇場未公開(VHS&レザーディスク販売/VHSレンタルあり)
大変興味深く拝読いたしました。この作品は、遥か昔「Boys In The Band」を見たときの衝撃を思い出させてくれました。日本での放映まであと1日。やっとこの日を迎えられたと、感無量です。あ、それから、Matt Bomer、マット・ボマーです。ちょっと気になってしまいました。
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