2012/05/04

観賞後、口を閉ざしたくなるほどの”後味”の悪さ!・・・邪悪な息子から母親への最悪の嫌がらせ〜「少年は残酷な弓を射る/We Need To Talk About Kevin」~


これといってハッキリとした理由はないのに・・・”ソリ”が合わないというか、相性が悪い人というのはいるものです。日常の生活で接点がなければ、接触することを避けることもできるけど、普段関わりを持たないといけない人だからこそ・・・余計に”ソリ”の悪さが気になるものだったりします。人と人の「絆」というモノは大切だけど、その「絆」=『関係性」の濃さゆえに「憎悪」も「嫌悪」も深くなるものなのかもしれません。

「少年は残酷な弓を射る」(原題は”We Need To Talk About Kevin”/私たちはケヴィンのことを話す必要がある)は、意味もなく母親を嫌悪する息子によって、ある意味、人生を崩壊させられてしまった母親の物語・・・母親の視点と記憶から時間軸を分裂させて、ショットごとに物語を再構成しています。感覚的なイメージと、妙にシーンにマッチした呑気な(?)サウンドトラックを加えて、閉鎖的な不安感を回想していくホームドラマというか・・・ある種のホラー(?)なのであります。息子ケヴィン役のエズラ・ミラーの「美少年っぷり」を”売り”にしていますが、観賞後の”後味”の悪さは超弩級・・・腐女子的な萌えや、洒落た映像センスに惹かれて、気安く観てしまったら、後悔してしまいそうです・・・特に、育児に悩んで児童虐待をしてしまいそうになって不安な母親には、トラウマになること請け合いであります。

旅行本を執筆するライターのエヴァ(ティルダ・スウィントン)は、自由に生きてきた女性・・・しかし、フランクリン(ジョン・C・ライリー)と”できちゃった婚”すると、渋々キャリアを諦めて家庭に入ります。生まれてきた息子のケヴィンは父親のフランクリンが抱くと、すぐ泣き止むのにも関わらず・・・母親のエヴァには何故かなつきません。騒音の多いニューヨーク市内から郊外の静かな屋敷に引っ越すことで、”ソリ”の合わない母と息子は閉鎖的な空間で、ますます絆を失っていくのです。

成長しても言葉を話さない3歳ぐらいになったケヴィン(ロック・デュアー)は、ますます母親に対して”だけ”は反抗的な態度をとり続けています。母親のことを意味もなく嫌う”小さな子供”というのが、なんとも不気味・・・ただ、母親を演じるティルダ・スウィントンのルックスも”殺伐”としていて、どこかしら恐ろしく感じてしまいます。日常の生活感というのも殆ど感じらず・・・あくまでも、母親の視点による回想を映像化している、ということのようなのです。

小学校に入学するぐらいの年齢になったケヴィン(ジャスパー・ニューウェル)は、わざと”おむつ”にうんちをしたりと・・・母親に対する嫌がらせも、より悪意に満ちた行為になっていきます。遂に堪忍袋の緒が切れて、暴力的になってしまい、ケヴィンを怪我させてしまうエヴァ・・・自らの母親としての資質に苦悩します。さらなる追い打ちをかけるようにケヴィンの”嫌がらせ”はエスカレートするばかり・・・そんな息子との親密な関係を結べないエヴァは、二人目の子供の娘セリアを身ごもるのですが・・・ケヴィンにとっては妹さえも、母親に嫌がらせをするための存在なのかもしれません。

ティーンエイジャーとなった息子ケヴィン(エズラ・ミラー)は、細くて冷淡な目と持つ美少年に育ちます。父親を演じるジョン・C・ライリーと外見的に似ているところは、まったくなく・・・頬骨の独特の形や、どこかしら爬虫類的な外見は、まるで母親エヴァと瓜二つ。まるでクローンのようなところが気持ち悪いです。母親に見せつけるようにオナニーをしたり・・・と、ケヴィンの”嫌がらせ”は、異常なモノになっていきます。相変わらず父親とは親密な親子関係を築いているケヴィンは、本格的な弓の道具をプレゼントされます。不注意の事故なのか、意図的な嫌がらせなのか、分からないような状況で、妹セリア(アシュレー・ジェラシモヴィッチ)が片目を失明させてしまいます。罪悪感に苦しむかと思いきや・・・ケロッとしているケヴィンに、父親のフランクリンも彼の不気味さに気付き始めます。

ここからネタバレを含みます。

ケヴィンの心の闇は、母親エヴァだけでなく・・・遂に学校のスクールメイト達へとむかっていきます。ネタバレ気味の邦題の”少年は残酷な弓を射る”の通り、1999年のコロンバイン高校での銃乱射事件を彷彿させる惨劇となるのです。父親フランクリンや妹セリアだけでなく、スクールメイト達を弓矢で殺害したケヴィンにとって、社会的にも「凶悪な犯罪者」となることが母親エヴァへの「最悪の嫌がらせ」なのでしょうか?

事件後でも、エヴァは生きていかなければなりません。事件を知る者からは罵声を浴びせられ、いきなりビンタされたりします。元・旅行ライターというキャリアも生かすこともできずに、旅行会社での簡単な秘書として生計を立てるしかなく・・正体がばれると同僚の男性から侮辱的な扱いをされたりします。そこには「母親は強し!」というような、”母性”を讃えるわけでもなく、ただ「試練」を受け入れて生きていくしかない現実が淡々と描かれます。

事件から2年後・・・少年院のケヴィンを訪ねたエヴァは、遂に「何故、私を嫌うのか?」という疑問をケヴィンにぶつけます。しかし、ケヴィンの返答は、無関心で・・・答えさえなっていません。勿論、観客にとってもケヴィンの真意も謎のまま。凶悪な犯罪者の母親という試練を背負う母親エヴァに対して、ケヴィンが心開くことはなかったようなのです。最後の最後まで、何らかの心の救いも、理解し合う未来の希望も、親子の絆さえも感じさせません。

このような作品にありがちな、母親に対しての安っぽい”同情”や”共感”をする隙を与えないティルダ・スウィントンの存在感と静かでパワフルな演技が、独特の不快感さを生み出していて・・・観賞後、この映画について語りたいという気持ちにさせないのであります。



「少年は残酷な弓を射る」
原題/We Need To Talk About Kevin
2011年/イギリス、アメリカ
監督 : リム・ラムジー
原作 : ライオネル・シュライバー
出演 : ティルダ・スウィントン、ジョン・C・ライリー、エズラ・ミラー、ロック・デュアー、ジャスパー・ニューウェル、アシュレー・ジェラシモヴィッチ
2012年6月30日より日本劇場公開



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