2014/11/14

二匹目のドジョウならぬ三匹目のドジョウを目指す!?・・・日本市場では成功しているとはいえないフィギュア”課金ゲーム”「ディズニー・インフィニティ」「スカイランダーズ」を任天堂「amiibo/アミーボ」は超えられるか?


2014年12月6日・・・任天堂から近距離無線通信(NFC)を使用してゲームと連動させるフィギュア「アミーボ/amiibo」が発売されます。(このブログを書いている時点では未発売)「アミーボ」は、WiiUのゲームパッドや新型の3DSにかざすと、キャラクターがゲーム内に出現するというユーザーにとっては「夢」のような仕組みであり、メーカー側にすれば巨大なドル箱市場を構築できる可能性を秘めた「課金ゲーム」の仕組みのひとつです。

追加要素を別に販売する「課金ゲーム」というのは、ゲーム創成期からいろいろとありますが・・・最近流行っているのは「妖怪メダル」でしょうか?妖怪ウォッチに装着したり、妖怪メダルランドのサイトで使ったり、妖怪おみくじ神社でバトルしたりと、さまざまな遊び方はあるようですが・・・3DS版「妖怪ウォッチ」にQRコードを読み込ませることでゲー内のガチャを回せたりもします。ただ「妖怪メダル」はプラスチック製のメダルにシールを貼付けた”だけ”もの・・・”モノ”としての価値はないに等しい代物と言っても良いかもしれません。カプコンの3DS版「ガイストクラッシャー」も、属性のあるギア、ミッション、経験値などが追加できる「QRコード」が別売りという「課金ゲーム」・・・ただし、こちらは爆死レベルの売り上げ。ゲーム自体の評価は高いものの、まったく売れていないようで、在庫が投げ売りされています。

フィギュアという付加価値もつけた「課金ゲーム」の先駆者としては・・・読み取り機器を付属させてクロスプラットフォーム(海外ではWii, Wii U, 3DS, PS3, PS4, Xbox360, Xbox One,、日本ではWii, Wii U, 3DS, PS3)で展開しているアクティビジョンの「スカイランダーズ」シリーズ、バンダイの「ディズニー・インフィニティ」(海外ではWii, WiiU, 3DS, PS3, PS4, Xbox360、日本ではWiiU, 3DS)が、既にあります。


アクティビジョンの「スカイランダーズ/Skylanders」シリーズは、第1作の「スパイロの大冒険/Spyro's Adventure」(アメリカでは2011年に発売)が、スクエアエニックスがローカライズ、トイザらスの専売という形で、昨年(2013年)7月に日本でもWii版、Wii U版、3DS版が発売されましたが・・・日本市場で人気があるとは言い難いようです。

「スカイランダーズ」のキャラクターは「スパイロ・ザ・ドラゴン」というプレイステーション用ゲームから派生したオリジナル・・アメリカのアニメっぽいキャラクターデザインは、好き嫌いが分かれそうな気がします。子供向けということもあってかゲームの難易度は低めなのですが・・・カワイイだけでない、ちょっとクレイジーなキャラクターはマニア受けももしそうです。


「スカイランダーズ」を遊ぶために、そこその金額を投資しなければならない要因のひとつは、フィギュアに属性があるという仕様かもしれません。ゲームを進行するためには8種類の属性(火、水、風、土、まほう、ライフ、マシン、アンデッド)を持つフィギュア(ノーマル版で全32種類)が、最低でも1体づつは必要(スターターパックに含まれない属性のフィギュア5種類ある)・・・スターターパックだけでは、ゲームの一部しか遊べません。別売りのアドベンチャーパックを購入しないと行けないエリアやフィギュア(バラ売りなし)があるのです。

しかし、日本ではアドベンチャーパックやフィギュアトリプルパックの出荷がそもそも少なく、販売もほぼ終了・・・「本気で売る気あったの?」であります。日本では「アミーボ」発売を控えて、トイザらスの店頭やネットストアでは、スターターパック、シングルフィギュア、トリプルパック3種、アドベンチャーパック1種の在庫を半額セール中(2014年11月現在)・・・今後、スカイランダーズシリーズの日本向けのローカライズ開発は”しない”ということなので、購入を考えているなら「今でしょ!」です。

「スカイランダーズ」は、アメリカやヨーロッパでは大変人気(主に小学生の男の子に?)らしく・・・2012年には「ジャイアンツ/Giants」(大きくなって戦う)、2013年「スワップ・フォース/SWAP Force」(上半身と下半身を組み合わせる)、2014年「トラップ・チーム/Trap Team」(敵モンスターをキャプチャーして戦わせる)と、毎年新しいシステムをもった新作が発売されています。そのたびに新しい仕様のフィギュアが加わっていくという・・・なんとも”親泣かせ”なシステムなのです。

ゲームの追加や記録機能は、ネットゲームならばデータのアップロード/ダウンロードで済むことなので、今どきフィギュアというアナログな装置である必然性はないのですが、物理的に存在するフィギュアであるからこそ、”コレクター魂”を揺さぶるのでしょうか?特に「スカイランダーズ」シリーズは「レア・フィギュア」の数があまりにも多く・・・コンプリートするのは非常に困難です。


トイザらス専売、ゲーム機本体にのみ同梱、トイフェアにて配布、懸賞でプレゼントなど・・・希少価値を高めてしまう要因はあるのですが、同じキャラクターのフィギュアでも世代があったり、シルバー、ゴールド、グロー・イン・ザ・ダーク、クリスタル、メタリック、レジェンダリー、ダークなど、さまざまな仕様の「レア・フィギュア」が存在します。そのため「ebay」で、トンデモナイ価格(1体数万円とか)で取引されているモノもあったりするのです。シリーズの下位互換性はあるので、手持ちのフィギュアは無駄にはならないようですが・・・全4シリーズの(レアを含めた)コンプリートを目指そうものならば、軽〜く100万円以上の投資は必要かもしれません。

「スカイランダーズ」シリーズが欧米で売れたのには、フィギュアを介してリアルな生活圏をネットワーク化させたというがあるかもしれません。「スカイランダーズ」を持っている友人と、自分が育てたキャラクターで”協力プレイ”を可能にするというのは、インターネット上の見知らぬ誰かと繋がるよりも(特に対象としている小学生には)安全とは言えるのですから・・・。また近年、子供に大金を投じることが親のステイタスのようになってきているアメリカでは、多額の投資を必要とするフィギュアの「課金ゲーム」は、親の豊かな財力の”証”になっているのかもしれません。


「スカイランダース」によって本格的に開拓されたフィギュアによる「課金ゲーム」市場に、二匹目のドジョウを狙って参入したのが、2013年7月アメリカで発売された「ディズニー・インフィニティ/Disney Infinity」であります。なんたって・・・豊富なキャラクターの宝庫であるディズニーなのですから、爆発的に売れて当然です。(と日本でも思われていた?)

ボクのような”おじさん世代”に馴染みのあるクラシックのディズニーキャラクターよりも、比較的、最近制作されたピクサー作品からのキャラクターが多く・・・「MR.インクレラブル」「モンスターズインク」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「トイストーリー」「ローン・レンジャー」「カーズ」「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」「シュガーラッシュ」「塔の上のラプンツェル」「アナと雪の女王」「フィニアスとファーブ(ディズニーチャンネルのアニメ)」というラインナップ。唯一クラシックなキャッラクトートしては「ファンタジア」の魔法使いの弟子からミッキーマウスがあります。


すでに、アメリカでは今年(2014年)9月に「ディズニー・インフィニティ 2.0」が発売されていて、ディズニー社が買収したマーベルコミックスからのキャラクターが大量導入されています。ドナルドダックやティンカーベルの往年のディズニーキャラクターも登場するようですし・・・将来的には、制作権利を買収した「スター・ウォーズ」シリーズのキャラクターも登場するかもしれないので、これまでのどちらかというと”お子様向け”から脱却して、ますます裾野は広がりそうです。

ボクは”3DS版”「ディズニーインフィニティ」購入後、ひとつふたつとフィギュアを買い足していたのですが、しばらくして”WiiU版”も購入してからハマり・・・フィギュアとプレイセットを買い揃えました。しかし「ディズニー・インフィニティ」には、フィギュアだけでなく(!)キャラクターをパワーアップさせたり、ゲーム内でのアイテムを追加したりする”パワーディスク”というオプションが用意されており・・・さらなる課金への罠が待っています。

パワーディスクはランダムな”くじ”の2枚単位での販売(各500円くらい)という”姑息な”パッケージング・・・袋を開けてみるまでは何が入っているか分かりません。いくつか”レア”もあるのでコンプリートするためには、重複覚悟で購入することになります。シリーズ1に20種、シリーズ2に20種、シリーズ3に17種、”トイザらス”専売の10種の計67枚が存在しているようです。パワーディスクのコンプリートセットが、ebayなどではプレミア価格で取引されていることは言うまでもありません。


2000円以下で投げ売りされている”3DS版”は、すごろく形式のミニゲーム集という”ガッカリ”仕様なので、どちらかの「ディズニーインフィニティ」を購入するならば、アクションアドベンチャーゲームの「プレイセットモード」と箱庭的バーチャルワールドを作れる「トイ・ボックスモード」を備えた”WiiU版”の方がオススメです。

追加でフィギュア、プレイセット、パワーディスクを購入しなくても、スターターパック(WiiU版8000円くらい)だけも、そこそこ楽しめることはできますが・・・「MR.インクレラブル」「モンスターズインク」「パイレーツ・オブ・カリビアン」からのキャラクターのフィギュア”だけ”は全部持っていると(その作品に登場するキャラクターのみでプレイ可能)、スターターパックに含まれている「プレイセットモード」を、より楽しめると思います。

さらに、別売りのプレイセット(各3500円くらい)「トイストーイー」「カーズ」「ローン・レンジャー」を買うのであれば、それらのフィギュアも揃えて購入した方が良いでしょう。こうして・・・次々とフィギュアを買い足すようになっているのが、まさにマーケティングの罠であります。「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」「シュガーラッシュ」「塔の上のラプンツェル」「アナと雪の女王」「フィニアスとファーブ」からのキャラクターと「ファンタジア」のミッキーマウスは「トイ・ボックスモード」でのプレイを前提としているので、それらのキャラクターを操作したいのであれば購入すれば良いでしょう。

「ディズニーインフィニティ」は「スカイランダーズ」ほどの”惨敗”ではないようですが・・・日本市場で大ヒットしている様子はありません。そもそも店頭販売しているお店が少なく、日本国内での流通量が少ないのか、入荷時期によっては定価より高く取引されているフィギュアやパワーディスクがあったりします。

「ディズニー・インフィニティ」のレア・フィギュアは、トイザらス専売のクリスタル仕様ぐらい(全7種のうち日本では1種のみ販売)ですし、レア・パワーディスクが存在するものの種類は少なめ。トイザらス専売のゴールドシリーズは、中にどのレア・ディスクが入っているか分かるようになって販売するという優しい仕組みだし、ディズニーシリーズでもレア・ディスクは4種類ほどだけ(シリーズ1に3種類、シリーズ3に1種類)しかありません。それなりの投資は必要ですが・・・フィギュアやディスクのコンプリートも、まぁ非現実的ではないです。


また、フィギュア、パワーディスク、プレイキットは、輸入版と日本版はまったく同じモノなので互換性があり、輸入版を購入しても問題なし。ゲーム内の言語はスターターパックに依存しているらしく、輸入版のフィギュアをスキャンしても、キャラクターは日本語でしゃべります。ただ、これって考えてみると・・・ゲームのシステム内部にキャラクターのボイスが、すでに収録されているってことなのでしょうか?・・・だとするとフィギュアは新しい要素を追加するというよりも、ロックされているデータを解除する「鍵」なのかもしれません。

ゲームの進行や成績によって追加要素が増えてもいくのですが・・・フィギュア、パワーディスク、プレイセットなどを追加購入しないと、手に入れなられない要素が結構あるので、なんだかんだで親泣かせです。小出しに分けての切り売りや、運ませな”くじ”販売というのは、ちょっと前に社会問題になったネットゲームの”ガチャ”の課金地獄のビジネスモデルと、潜在的には似ているような気がしてきて・・・ゲームの奥深さより”あざとさ”を感じてしまいます。


「ディズニーインフィニティ」よりも前の去年4月(2013年)・・・実は、任天堂/株式会社ポケモンからも「フィギュア課金ゲーム」として「ポケモンスクランブル U」(ダウンロード専用)が発売されていました。ゲームを遊ぶのにフィギュアが絶対に必要というわけではなく・・・”お助けポケモン”がゲーム内に、フィギュアを読み取らせることで出現すると言う仕組みで、ゲーム進行を優位にできるという”おまけ”的な存在です。


ポケモンセンターのカプセル玩具販売機(くじガシャポン)で、200円で入手できた「ポケモンスクランブル U」専用のフィギュアの販売は、既に終了。カプセル玩具販売機にはお馴染みのレア・フィギュアも存在していましたが、転売屋の大人が商材にしていたという感じで・・・正直、「課金ゲーム」用のフィギュアビジネスとしては成功したとは言い難い結果です。「ポケモンスクランブル U」は、ある意味「アミーボ」の試験的な運用だったのかもしれません。


満を持して(?)任天堂から発売される「アミーボ」・・・フィギュア1体の販売価格が約1200円というのは「課金ゲーム」用のフィギュアとしては平均的。可動するアクションフィギュアなどと比較すると確かに安いのですが・・・ゲームとのデータ記録装置としての付加価値がなければ、サイズや質感からいうと半額ぐらいが妥当な気もします。・・・とは言っても(「ポケモンスクランブル U」用のフィギュアは論外として)現在1000円ほど(販売開始当初は1200円ほど)で販売されている「スカイランダーズ」シリーズのフィギュアよりは、しっかりとは作られているような印象です。

ピーチ、マルス、ゼルダなどの人物キャラクターは細かいディテールまで作り込んでいる一方・・・ピカチュウ、ヨッシー、カービィなどのマンガっぽいキャラクターは結構シンプルな作りになっています。販売価格は同じでも、キャラクターによって生産コストには大きな差がありそうです。ただ、コストがかかってるという理由でフィギュアを選んでも、思い入れがないのでは本末転倒。自分のお気に入りのキャラクターのフィギュアを育成/成長させて楽しむというのが「アミーボ」の王道の遊び方のような気がします。

しかし、製品版の「アミーボ」の品質は、紹介映像で使われているプロトタイプよりも落ちるという噂も、すでに囁かれています。プロトタイプでは透明のフィギュアを支える支柱が色付きになっていたり、色合いがくすんでいたり、ペイントのように見えた柄がシールになっていたり、顔つきが雑な仕上げになっていたり、細かなディテールが省かれているというのです。まぁ、こういうことは高価なフィギュアでもあることではありますが・・・同価格帯の「ディズニー・インフィニティ」用のフィギュア程度のクオリティでないと、子供騙しのギミック玩具としてユーザーに飽きられてしまうかもしれません。


「アミーボ」と先発の「スカイランダーズ」「ディズニー・インフィニティ」との違いのひとつは・・・複数のフィギュアと追加パックを購入しないと、満足にゲームを進められない「スカイランダーズ」「ディズニー・インフィニティ」に対して、「アミーボ」は自分のお気に入りのフィギュア(とりあえずはスマブラ用に3体くらい?)を成長させて遊ぶことを、推奨しているような仕組みなところではないでしょうか?キャラクターによって独自のアイテムがゲーム内で入手できるようではありますが・・・コンプリートを目指すコレクターだけでなく「ちょっと試しに・・・」というライトユーザーでも十分楽しめそうな仕様は「任天堂らしい」気がします。

専用ゲームや読み取り機器を必要せずに(Wii UとNew Nintendo 3Dの場合)、今後さまざまな任天堂ゲームで「アミーボ」が使えるところも柔軟性を感じさせます。ただし・・・かきこみできるゲームデータは、ひとつのフィギュアにひとつのゲームだけ。ひとつのフィギュアをかきこみで複数のゲームで使い回しはできない仕様らしいのです。例えば、スマブラで育てたマリオを、他のデータのかきこみを必要とするゲームで使いたい場合、スマブラのゲームデータを消去するか、もうひとつマリオのフィギュアが必要となるということです。

発売時の「アミーボ」対応ゲームはWii U 版の「大乱闘スマッシュブラザーズ」(すべてのフィギュアがよみこみ/かきこみ対応)のみですが・・・Wii U版「マリオカート8」(マリオ、ピーチ、ヨッシー、ドンキーコング、リンク、フォックス、サムス、カービィ、ルイージ、キャプテン・ファルコン、トゥーンリンクが対応)「ゼルダ無双」(リンク、トゥーンチンク、ゼルダ、シークが対応)「進め!キノピオ隊長」「タッチ!カービィ スーパーレインボー」「マリオパーティ10」、3DS版「大乱闘スマッシュブラザーズ」「エースコンバット3D クロスランブル プラス」に対応する予定。よみこみ”のみ”対応の場合は、ゲーム内のアイテムやスキンを入手できるという、アンロックの鍵のような仕様ということのようです。ボク個人的には「どうぶつの森」に「アミーボ」が対応したら遊び方が広がるのではないかと、期待しています。

先月末(2014年10月30日)に行なわれた株主向けの質疑応答では、将来的に「アミーボ」はフィギュアだけでなく(!)さまざまな形(小さくて安いフィギュアなど)で展開する計画を発表・・・「どうぶつの森」には、購入しやすい”カードにアミーボ機能を移行させるという構想があるようです。単価が安い(2枚組で200円ぐらい?)のカードであれば、子供のお小遣いでも買うことができますので、ゲームボーイアドバンスのカードeリーダーのようなシステムが復活というところでしょうか?”カード”型「アミーボ」は、おそらくよみこみ専用・・・ゲーム内のアイテムを入手するために、あれやこれや「アミーボカード」を買わされる課金の底なし沼にもなりそうです。

余談ですが・・・任天堂から「アミーボ」が発売される2日前(2014年12月4日)に、バンダイナムコゲーム社から”フィギュア”や”チップ”を付属のリーダーで読み込ませて遊ぶ「仮面ライダー サモンライド」(Wii U版、PS3版)が発売されるようです。フィギュア(計16体?)の追加購入でゲームに平成仮面ライダーを登場(召還)させることができるというフィギュア「課金ゲーム」の典型的なシステム・・・読み取りリーダーのデザインから分かるように「スカイランダーズ」と似た仕組みを採用(パクリ?)しているようです。食玩(フィギュア付きのラムネ菓子全5種)や、ガシャポン(チップ全10種)との連動など、仮面ライダーブランドらしいドメスティックなマーケティング展開される模様・・・ただ、何故よりにもよって「アミーボ」発売直前のタイミングなのでしょうか?


「アミーボ」のフィギュアは、日本では発売開始時に18体、来年(2015年)1月22日に8体、2月に3体と・・・今のところ29体の発売が決まっています。スマブラで使えるキャラクター全てが発売されるのかは不明ですが・・・それほど需要があるとは思えないようなキャラクター(WII Fitトレーナーとか?)もあったり、対応するゲームがスマブラ以外考えられないキャラクターもあったりするので、売れるモノと売れないモノの格差がでてくることは明らかです。半年後にはバーゲンコーナーで投げ売りされているキャラクターもあるかもしれません。今現在のアマゾンでの売り上げランキングをみると、日本では「リンク」「マリオ」「カービィ」あたりが売れているようです。

商品の性質上、フィギュアのバリエーションは数多く必要・・・生産数が需要よりも少ないと売り時を逃すことになるし、逆に在庫を抱え過ぎて投げ売りになると、購買意欲は失われてしまうものであります。前出の「ガイストクラッシャー」「スカイランダーズ」に於いては、ゲームソフトの販売数が伸びない→追加フィギュアが売れない→商品が市場に出回らない→転売屋によって価格が高騰する→ますますソフトもフィギュアも売れなくなる→在庫整理で残ったスターターパックや追加フィギュアが投げ売りされる・・・という悪循環に落ち入ってしまったようです。一時的に在庫切れしても、多少の飢餓状態を生む方が、任天堂にとってはプラスのように思えるので、過剰な在庫を抱えるリスクを回避するためにも、バリエーションは増やしても生産数は抑え気味という可能性があります。

そもそも、現世代の家庭用ゲーム機に於いて、後発の「PS4」と「Xbox One」に出荷台数ではとっくに抜かれてしまっている「Wii U」・・・「アミーボ」によるゲーム機本体の販売促進の方が、任天堂の本当の狙いなのかもしれません。実際、ボク自身も「ドラクエ10」を休止してからは、殆どWii Uを起動することもありませんでしたが、最近になって以前購入していたゲームを再び遊び始めていたりしていますから・・・。「アミーボ」がビジネス的に成功するか否かに関わらず、手に入りにくくなるフィギュアもあるかと思われるので「このキャラクターだけは欲しい!」というのがあれば、発売日前に予約しておくのが無難でしょう。


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2014/10/04

ずっとリー・カンション(李康生)”だけ”を見つめ続けたいツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督・・・”心”や”身体”は支配できないから一途な思いが募るばかりなの!~「青春神話 」から「郊遊 ピクニック」& 来日イベント@渋谷イメージフォーラム ~



ツァイ・ミンリャン(蔡明亮)監督が長編10作目となる「効遊 ピクニック」を最後に、監督引退を表明しました。とは言っても、映像制作の現場を退くわけではなく・・・興業を目的とした”商業”映画から退くということで、今後も美術館での上映を前提にした”芸術”としての映像作品の製作を続けるそうではありますが。

主演のリー・カンション(李康生)は、1992年のツァイ・ミンリャン監督の1作目「青春神話」以来”すべての作品”に主演・・・世界的にみても映画史上かつてない映画監督と主演男優の”パートナーシップ”といえるでしょう。ツァイ・ミンリャンとリー・カンションを、アントワーヌ・ドワネルの冒険シリーズ(大人は判ってくれない、アントワーヌとコレット/二十歳の恋、夜霧の恋人たち、家庭、逃げ去る恋)でのフランソワ・トリュフォー監督とジャン=ピエール・レオの関係との類似もありますが(ツァイ・ミンリャン監督自身も意識している?)・・・どちらかというと、ルキノ・ヴィスコンティとヘルムート・バーガー(華やかな魔女たち、地獄に堕ちた勇者ども、ルートヴィヒ、家族の肖像)または、ジャン・コクトーとジャン・マレー(美女と野獣、双頭の鷹、ルイ・ブラス、恐るべき親達、オルフェ)のような「寵愛関係」のような印象があります。

二人の出会いは、ツァイ・ミンリャン監督の映画デビュー前に監督したテレビドラマ「小孩」(1991年)で、主人公の小学生を脅す不良になりきれない孤独な少年役に、当時予備校生だったリー・カンションを台北の西門町界隈で見かけて抜擢したことから。俳優を目指してオーディションを受けたわけでもなく、ツァイ・ミンリャン監督がリー・カンションに一方的に”一目惚れ”したと言っても過言でない”きっかけ”だったのです。「小孩」というドラマでの役名は分かりませんが・・・その後、すべてのツァイ・ミンリャン監督の映画作品に「シャオカン」という役名で主演することとなります。シャオカン=小康とはリー・カンション本名の李康生のニックネーム「カンちゃん」ということ・・・如何に、特別な存在であることが伺えます。ツァイ・ミンリャン監督の映画は、そもそも”リー・カンション”なしでは成り立たたないと言えるほど、”リー・カンション”がいて”こそ”の映画をつくっているような気がするほどです。

各作品のネタバレを含むことあります。


二人の映画デビュー作「青春神話」は、台北で暮らす若者数人の物語・・・少ない台詞、音楽なし、長回しなど、ツァイ・ミンリャン監督のシグニチャーといえるスタイルが垣間みれます。リー・カンション演じる”シャオカン”は、「小孩」と同じように、どこかしら孤独感と不満を抱えて、行き先の分からない若者・・・どこにでもいそうな普通の風貌、ゆっくりな動きと台詞回しから、映画のために見つけてきた”素人”みたい。ただ、この”素人”っぽさこそが、リー・カンションの特別な持ち味であり、”シャオカン”というキャラクターの存在を生々しく感じさせるのかもしれません。

第2作「愛情萬歳 」は、無関係な3人の男女が空き家の部屋に出入りすることで関わりを持っていく物語が並行的に描かれるのですが・・・リー・カンション演じる”シャオカン”は、もうひとりの男性キャラクターに惹かれているというホモ・エロティックな欲望を抑圧しています。リー・カンション(実生活ではストレート)へのツァイ・ミンリャン監督自身の”思い”を代弁しているかのようで・・・痛々しさを感じてしまうのです。

第3作「河 」では、リー・カンション演じる”シャオカン”が明らかな主人公となり、映画そのものを支えていきます。エキストラのアルバイトで汚染された川で死体役をやったことで首が曲がらない奇病にかかってしまうという、不気味で寓話的なストーリーなのですが・・・ゲイサウナで父親と息子が遭遇して、お互いと分からずにエッチをしてしまうという衝撃的な展開です。


第4作、1998年の「Hole-洞」は、ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(妄想シーンがミュージカル)を先取りしたようなスタイル・・・1950~60年代の歌手グレース・チャンの曲を使用するなど、ゲイっぽいテイストを炸裂(?)させています。ウィルスが蔓延している近未来(2000年)を舞台に、雨漏りで開けられた穴がアパートの上下階の男女を結ぶというツァイ・ミンリャン監督好み(?)の設定で、台詞はますます省かれており、時々挿入されるミュージカルシーンが暗い物語に、色を加えている感じです。

フランスで高い評価を受けてきたツァイ・ミンリャン監督の、第5作「ふたつの時、ふたりの時間 」はフランス合作・・・ジャン=ピエール・レオがカメオ出演という豪華さ。リー・カンション演じる”シャオカン”は、腕時計を販売する露天商・・・父親が亡くなって以来、母親は喪失感で精神のバランスを崩して、実家はまるで使者を向かいいれるための空間と化しています。シャオカンから腕時計を飼った女性はパリに行き、そこで言葉や文化の違いから孤独となっていき、親切にしてもらった香港女性とレズ的関係を結びます。台詞はさらに少なくなり、サウンドトラック音楽は皆無・・・さらにツァイ・ミンリャン監督のスタイルを追求した印象です。

第6作の「楽日」になると、台詞が少ないというレベルの話じゃなく、殆どなし・・・・というのも、閉館直前の映画館(キン・フー監督の作品を上映)を舞台に、観客たちや従業員を淡々と描くのですから。この作品を映画館で観る観客は、映画の中でひとりでスクリーンを観る人々を観るということになるわけです。勿論、映画を上映しているわけですから、観客同士の会話があるわけでもありません。ゲイのツァイ・ミンリャン監督らしく、ゲイのハッテン場であることも描いているのですが・・・断られる日本人男性客のリアクションは、日本人からすると謎ではあります。台詞を排除というスタイルに於いて、行き着く所まで言った作品だと思うのです。


第7作の「西瓜 」は「ふたつの時、ふたりの時間」の続編 ではあるのですが・・・そもそも、ツァイ・ミンリャン監督の作品でリー・カンション演じる登場人物は常に”シャオカン”という名前で、多少の設定の違いはあるものの、ある意味、同一人物のようなところあったりします。「ふたつの時、ふたりの時間」では、台北とパリに離れていた二人が、何年後かに台北の古びたアパートビルの中で再会し、惹かれ合うことになるのです。露天商だった”シャオカン”はAV男優となっており、同じビルの中でビデオ撮影に励んでいる様子が、非常にエロチックでありながら滑稽に描かれているのですが、毎度のことながら台詞は殆どなし。ただ「Hole-洞」のようにミュージカルシーンが挿入されていて、単調な流れのアクセントになっています。まさに(!)”シャオカン”の思いを受け止めるかのような口内射精のドアップ長回しのエンディングに呆然。この作品は、公開された年には台湾映画して台湾では興行成績1番だったということで・・・「ツァイ・ミンリャン監督の作品は商業的ではない」という汚名返上となったのかもしれません。

台湾で映画製作を続けてきたツァイ・ミンリャン監督ですが、初めて故郷のマレーシアを舞台したのが第8作の「黒い瞳のオペラ」です。リー・カンションは、チンピラに殴られて怪我をした”シャオカン”と寝たきりの青年の二役を演じています。”シャオカン”にホモエロテックな感情を抱きながら介抱する労働者、”シャオカン”に惹かれる寝たきりの息子を介護している母親・・・何も話さないストレートの「男」と外国から来た「ゲイ」と「女」の三角関係が、台詞なしで淡々と描かれていくのです。「女」と”シャオカン”の関係に嫉妬する「ゲイ」の切ない思い・・・最後は廃墟の水たまりに浮かぶマットレスの上で”シャオカン”を真ん中にして両側に横たわる「女」と「ゲイ」。”シャオカン”は二人”とも”受け入れたようです。まるでツァイ・ミンリャン監督自身のリー・カンションへの一途な思いを訴えているかのようなエンンディングに涙してしまいます。

第9作となる「ヴィザージュ」は、ジャン=ピエール・レオ、ジャンヌ.モロー、ファニー・アルダンらが出演のヌーベルヴァーグ50周年を記念してルーブル美術館から依頼されて製作した一作です。「サロメ」をモチーフにした映画の製作にパリを訪れている台湾の映画監督をリー・カンション演じているわけですが、ストーリーを語るというよりも、幻想的ミュージカルシーンを交えながら、オマージュのようなイメージを積み重ねていくのですが・・・ツァイ・ミンリャン監督の映画スタイルとリー・カンションの存在感は、フランス映画俳優たちのオーソドックスな演技との違和感を感じさせます。「ヴィザージュ」は、フランスでは一般公開されたものの、ルーブル美術館でループ上映されたアートフィルム・・・もはや、一般的な映画という視点では語れない作品なのかもしれません。


ツァイ・ミンリャン監督は、第10作「郊遊 ピクニック」を最後に商業映画からの引退を宣言・・・今後は美術館などで上映されることを前提とした「映像作品」を製作していくそうです。ある意味、「英断」とも言えるのかもしれませんが、商業主義を否定することで自己満足にも落ち入りがち・・・アート映像作品に於いて「固定カメラの長回し」というのは、数多くの作家がやり尽くした方法で、決して珍しい手法ではありません。ここ数年、ツァイ・ミンリャン監督が熱心に製作しているのは、リー・カンションがゆっくりと歩く姿を撮影した「行者/Walker」シリーズです。パフォーマー(?)としてのリー・カンションを記録した映像作品というような印象・・・リー・カンションをカメラで収めたいというツァイ・ミンリャン監督の一途な思いをヒシヒシと感じさせるのです。

「郊遊 ピクニック」の前半は、初期からのツァイ・ミンリャン監督作品にみられた「台詞なし」「音楽なし」のミニマルなスタイルで、リー・カンション演じる父親”シャオカン”と二人の子供たち(ツァイ・ミンリャン監督の甥っ子と姪っ子だそうだ)の貧しい生活を淡々と撮影するというもの・・・しかし、後半は近年みられるアブストラクトな表現となり、物語として語るのは難しくなっていきます。特にエンディングの15分にもおよぶ長回しは、観客の生理的限界を超えるほど・・・ここまでとなると、ツァイ・ミンリャン監督からの挑戦状というか、監督自身が自らのスタイルに縛られて、行き着く所まで行ってしまった(?)感さえ感じさせます。

スクリーン上で流れている時間と実際に撮影された時間が同じとなる「長回し」・・・この時間の扱いに於いて、ツァイ・ミンリャン監督はシャンタル・アケルマン監督との類似点があるように思うのです。以前、このブログで書いたことがあるのですが(めのおかしブログ参照)・・・シャンタル・アケルマン監督の代表作である「ジャンヌ・デュエルマン」では、じゃがいもの皮を剥く作業を始めから終わりまでを固定カメラで延々と捉えています。映画的な編集によって省略されている時間の流れではなく、スクリーン上で同じ長さの時間が流れることで観客も実感するのです。ただ、ツァイ・ミンリャン監督の長回しは、まるで時間が止まっているかのようで・・・観客は虚無感だけを感じるしかありません。


日本での「郊遊 ピクニック」公開を記念して、2014年6月17日にツァイ・ミンリャン監督とリー・カンション来日イベントが、渋谷シアター・イメージフォーラムにて行われました。新作が公開するたびに来日して、意欲的に宣伝活動をされてきた二人ですので、来日は珍しくはありません。ボクは言葉が分からないので理解できないところがあるのですが・・・「郊遊 ピクニック」での金馬奨最優秀主演男優賞の受賞を報道する台湾メディアで、ツァイ・ミンリャン監督のリー・カンションへの寵愛っぷりを茶化しているような印象があります。今まで、いろいろと噂されてきた二人を、ボクは自分の目で確かめたかったのです。

まず、トークイベントの冒頭で語られたのが・・・「郊遊 ピクニック」が引退作品となるかは、まだ分からないということ。ツァイ・ミンリャン監督とリー・カンション共に、健康的な問題(リー・カンションはイベントの一ヶ月半ほど前に軽い脳梗塞を患っている)もあってのことらしいのです。しかし、ファンからの強い要望と興行的に可能であれば、再び商業的な映画を製作するかもしれません。まぁ、なんだかんだで・・・興行成績に縛られる映画製作に疲れてしまったようなのです。台湾では「50回限定」で上映して、8000席があっという間に売り切れたそうで、明らかにツァイ・ミンリャン監督の熱狂的なファンは存在するのですから、ぜひ商業映画を制作し続けて欲しいと思います。

台詞が殆どないスタイルを一貫して追求してきたツァイ・ミンリャン監督ですが、トークイベントでは非常に饒舌・・・ソフトな”おねえ口調”で延々とひとり話し続けます。リー・カンションは、映画の中で演じている”シャオカン”と同様に非常に寡黙・・・当日は体調があまり良くないということもあったようですが、それを考慮しても無愛想で話をするのも億劫そう。無理をしてまでイベントに出席してもらったことに、観客として申し訳なく感じてしまうほどだったのです。脳梗塞の後遺症で、まだ体の半分が不自由なのでイベント後のサイン会には参加できないと、主催者側から伝えられたものの「わざわざ来てくれたお客さまだから」と気遣い・・・「郊遊 ピクニック」の前売り券を購入した方に限り、無理がない限りサインしますと宣言。ファンとしては非常に有り難いことではあるのですが、・・・こう言われて前売り券を買わずに帰るなんて、さらに申し訳ない気持ちにさせられてしまいます。本当に純粋に誠意ある行動だったとは思うのですが、周りの人間はリー・カンションのために、自分ができるだけのことをしたくなってしまう・・・リー・カンションという人が天性で持っている「魔性」が垣間みれた気がしたのです。

トークイベントでは「シャオカン、シャオカン、シャオカン」と、とにかく「シャオカン」を讃えるツァイ・ミンリャン監督と、極端に寡黙なリー・カンション・・・二人の温度差があり過ぎて、その場にいるボクの方が恥ずかしくなるぐらいでした。この二人に「肉体関係があるの?」という下世話な真偽は、本人たちのみ知ることではありますが・・・リー・カンションに対するツァイ・ミンリャン監督の一方的な思いは、ボクが想像していたよりも、ずっとずっと強いと感じさせられました。


もしも(勝手なボクの邪推と妄想です)・・・リー・カンション「も」ゲイで、ツァイ・ミンリャン監督の愛を”肉体的”にも受け止めていたとしたら、二人のコラボレーションがこれほど長く続いたかは疑問に思います。リー・カンションは他の映画監督の作品の出演や、彼自身が映画監督をつとめた作品(「迷子」「ヘルプ・ミー・エロス/Help Me Eros」もあるのですが・・・どの作品も、ツァイ・ミンリャン監督の影響下から脱しているとは言えません。

リー・カンションの人生(俳優としてのキャリア)は、ツァイ・ミンリャン監督によって生み出されて、輝きを保っていると言っても過言ではないのです。ただし・・・ツァイ・ミンリャン監督がリー・カンションの人生/俳優生命を支配(?)しているとしても、男性としての”心”や”身体”までは征服することはできません。”貢ぎモノ”は受け取ったとしても、ストレートの男性の肉体や心までは手に入れることはできないというのは、ゲイの男性の”運命”。だからこそ・・・ツァイ・ミンリャン監督の思いは永久的に一途であり、投資した年月とともに強くなるばかりなのかもしれないと思うのです。

以前、リー・カンションが婚約したというニュースをインターネットで読んだ覚えがあるのですが・・・その後、実際に結婚したとういう報道の記憶はありません。(ボクが知らないだけ?)伴侶として”女性”を選ぶのは、ストレートのリー・カンションにすれば当然のこと・・・いつかは子供のいる家庭を築きたいと思うのは極々自然であります。ただ、ツァイ・ミンリャン監督の存在を、リー・カンションの人生から排除することは絶対的に不可能・・・それを理解する女性でなければ、リー・カンションの妻にはなれないことは明らかです。

自分の才能のすべてを捧げるほどの相手に出会うことは、何かをクリエイトする者にとっては、幸運なことなのかもしれません。商業映画監督か芸術映像作家になってもツァイ・ミンリャン監督は、ずっとリー・カンション”だけ”を見つめ続ける・・・とうとう「二人だけの世界」に入り込んでしまうようにも思えてしまうのです。

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ツァイ・ミンリャン(蔡明亮/Ming-Liang Tsai)監督の主なフィルモグラフィー


1992 青春神話 青少年哪吒
1994 愛情萬歳 愛情萬歳
1997 河 河流
1998 Hole-洞(
2001 ふたつの時、ふたりの時間 你那邊幾點
2003 楽日 不散
2005 西瓜 天邊一朶雲
2006 黒い瞳のオペラ 黒眼圏
2009 ヴィザージュ(
2013 効遊 ピクニック(郊遊

「郊遊 ピクニック 」
原題/郊遊 
2013年/台湾、フランス
監督 : ツァイ・ミンリャン
出演 : リー・カンション、ヤン・クイメイ、ルー・イーチン、チャン・シャンチー、
2013年12月1日第14回東京フィルメックスにて上映
2014年8月29日より渋谷シアター・イメージフォーラムにて劇場公開

ツァイ・ミンリャン監督引退作「効遊 」公開記念「河」特別上映
蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)&李康生(リー・カンション)来日イベント
2014年6月17日@渋谷シアター・イメージフォーラム



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2014/09/17

過激なゲイ活動家ラリー・クレイマーの自伝的戯曲をマーク・ラファロ、ジュリ ア・ロバーツ、マット・ボマー出演で映像化!・・・30年を隔て「 AIDSクライシス」と「エイズ抗議活動」の検証〜「ノーマル・ハー ト/The Normal Heart」〜



1981年7月3日のニューヨークタイムス紙で「AIDS/後天性免疫不全症候群」は、初めて報道されました。その年の9月15日、18歳のボクはニューヨークへ移住したのですが・・・”AIDSクライシス”の中心へ飛び込んだことは、当時は知る由もなかったのです。

ゲイ活動家ラリー・クレイマー氏は、ケン・ラッセル監督の「恋する女たち」の脚本家として知られていますが・・・後に「AIDS」と呼ばれることになる「Gay Cancer/同性愛者の癌」には、かなり早い時期から警鐘を鳴らしていたバリバリのゲイ/エイズ活動家であります。創立者のひとりであったGMHC(Gay Men's Health Crisis/ゲイ・メンズ・ヘルス・クライシス)から追放された後、1985年に発表したのが「ノーマル・ハート/The Normal Heart」という戯曲・・・オフ・ブロードウェイの初公演で主役を演じていたのは、あのブラッド・デイヴィス(「ミッドナイト・エキスプレス」などで知られる俳優で41歳のときAIDSで亡くなる)で、当時まだまだ進行中の”AIDSクライシス”の中で、作品は賛否両論だったという記憶がボクにはあります。


ニューヨークタイムス紙の報道から約30年となる2011年・・・「ノーマル・ハート/The Normal Heart」は、再びオフ・ブロードウェイで公演され、2014年「グリー」で知られるライアン・マーフィー監督によって、HBO(ケーブルチャンネル)のテレビ映画として遂に映像化・・・そして、先日(2014年8月25日)発表された第66回エミー賞で「TV映画作品賞」を受賞したのです!(ちなみに、シリーズ/TV映画助演男優賞には「ノーマル・ハート」から4名もノミネートされていた!)

”AIDSクライシス”についての映像作品はいくつもありますが・・・真っ正面から”AIDS”と”ゲイ・コミュニティー”を描いた一番最初の映画は1990年に製作された「ロングタイム・コンパニオン」だったと思います。劇場公開時にボクも観に行ったのですが・・・当時としては赤裸々な内容という印象で、ストレートの俳優たちがゲイ男性役を演じることさえも勇気のある行動と称されてしまう時代でした。ただ、今の感覚では微妙に差別的な描写もあり、妙にセンチメンタルでドラマティックに演出された作品としてゲイ・コミュニティーの評価はイマイチ・・・アメリカではDVD廃盤で観ることの難しくなっている作品でもあります。


1993年にHBOのテレビ映画として製作された「And the Band Played On/アンド・ザ・バンド・プレイド・オン」は、”AIDS”の発端や感染ルートを検証した意欲的な作品・・・現在では、事実とされている事実と食い違っている部分はあるものの、当時のアメリカ政府の対応責任を追及した初めての映画かもしれません。マシュー・モディーン、リチャード・ギア、スティーヴ・マーティン、マンジェリカ・ヒューストン、リリー・トムリン、アラン・アルダ、フィル・コリンズなど、多くのスターが出演していましたが、日本では何故か劇場公開はされず(多くのテレビ映画は日本などの海外では劇場公開されることがある)VHSビデオ販売とレンタルのみ・・・日本語版のDVD発売もされていません。また、日本語タイトルが「運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した」という酷さ(1991年に発刊された原作の翻訳タイトルに準じているようですが)・・・当時の日本でのエイズの捉え方というのが、分かるような気がします。

トム・ハンクスがアカデミー主演男優賞を獲得したジョナサン・デミ監督による1993年の「フィラデルフィア」、アル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソンなどがスター俳優が多数出演した1980年代、エイズ、ユダヤ系、同性愛というテーマを紡いだ壮大なテレビ映画2003年の「エンジェルズ・イン・アメリカ」と・・・普遍的な観点で”AIDSクライシス”を描いた優秀な作品もあります。去年、マシュー・マコノヒーがアカデミー主演男優賞に輝いた「ダラス・バイヤーズ・クラブ」は、アメリカ政府のエイズの治療薬の臨床試験の遅さを痛烈に指摘した作品・・・約30年前という時を隔てたからこそ、改めて”AIDSクライシス”を時代的に検証しようというムードが高まっている思いがします。

本編のネタバレありです。


ノーマル・ハート/The Normal Heart」は、ラリー・クレイマー氏の1981年から1984年の体験を元にした自伝的な内容・・・ただ、主人公をはじめ登場人物らは実名ではありません。ネッド・ウィークス(マーク・ラファロ)は、ニューヨークに住むオープンリー・ゲイのライター・・・1981年の夏、ゲイの集まる避暑地のファイアーアイランドのバインで、友人らと過ごしているのですが、友人の一人が急にビーチで倒れ込みます。これが後にエイズと呼ばれることになる感染症なのですが・・・当時は、ニューヨークタイムス紙で「謎の同性愛者の癌」と報道されていたぐらいで、まだ誰もウィルスの存在さえも分かっていなかったのです。ニューヨーク市内の病院で数々のゲイ男性の患者を診察していたエマ・ブレークナー医師(ジュリア・ロバーツ)は、GRID(ゲイ・リレーテッド・アミューン・ディジーズ/同性愛男性関連の免疫疾患)であると認識をして、ネッドと共にゲイ・コミュニティーの集まりで”性感染症”であると警告をします。

1980年代初期のニューヨークのゲイ・コミュニティーの雰囲気というのは、1969年に起こったストンウォール事件を発端として広がりをみせたゲイ人権活動が実を結んだ時代・・・1970年代のフリーセックスの空気も相まって、良くも悪くも”ゲイ理想郷”(セックスやりまくり!)となっていたのです。「AIDS」は、長年の戦いの末に勝ち取った自由、誇り、権利を脅かすものでしかなく・・・性行為の罪悪感や自粛を生みかねない”性感染症”である警告をいち早くゲイ・コミュニティーへ訴えたラリー・クレイマー氏は、当初はゲイ・コミュニティー存続の根底を揺るがす者として”厄介者”扱いを受けていたのです。それでもネッドは屈することなく、出来るだけ大きなメディアに扱ってもらおうと、ニューヨークタイムズ紙の記者であったフィリックス・ターナー(マット・ボマー)とコンタクト取ります。その後、ネッドとフィリックスは恋に落ちるのです。


ネッドは、他のゲイ活動家たちブルース・ナイルス(テイラー・キッシュ)、ミッキー・マーカス(ジョー・マンテロ)、トミー・ボートライト(ジム・パーソンズ)らとGMHC(Gay Men's Health Crisis/ゲイ・メンズ・ヘルス・クライシス)を設立・・・患者の生活サポートから政治的な活動まで、幅広い運動を行なっていくことなります。確かに「住んでいるアパートを追い出された」「家族に見捨てられた」「死体を埋葬できない」など、当時のエイズに対する差別は、感染方法も治療方法も分からなかったために酷いものだったことを、ボク自身も身近な出来事として記憶しています。エイズ患者に居場所を与えたり、食事を用意してくれたり、治療を受けられる病院を教えてくれるGMHCの存在は非常に貴重で、万が一感染したら「まずGMHCに行け!」という感じだったのです。というか・・・GMHCぐらいしか、エイズ患者を助けてくれる組織はありませんでした。その後、感染が麻薬使用者や女性にも広がって行く中、GMHCはゲイ男性患者に限らず、エイズ患者ならばどんな人でも救っていく組織になっていったのです。

ネッドとフィリックスは幸せな同棲生活を過ごしていたのですが、フィリックスがエイズ発症・・・政府や行政の対応の悪さと戦いながら、ネッドは恋人フィリックスがエイズによって徐々に衰えていく姿を目のあたりにしなければなりません。また、ホモフォビアで弁護士として成功しているネッドの兄(アルフレッド・モリーナ)との確執もあります。ニューヨーク市行政の対応の悪さを訴えるために、当時の市長であったエド・コーチ氏を名指しで告発・・・結婚経歴がなかったコーチ市長を同性愛者であると暴露する(後にコーチ市長は同性愛者であることをカミングアウト)など、ネッドの政治活動は人権的な問題もあり、徐々に組織内で孤立をしていきます。


また、ネッドの性感染症であるという警告は、自由なゲイのライフスタイルを獲得するために命をかけてきたミッキーのようなゲイ活動家にとっては、今まで戦ってきたことを否定されるようなもので、強い拒否感を持たれていたこともあったのです。2011年のオフ・ブロードウェイでのリバイバル公演では、ネッド役を演じていたジョー・マンテロが、ミッキー役を本作では演じているのですが(ややこしい?)・・・彼の訴える当時のゲイ活動家としてのジレンマは(結果的にはネッド正しかったのですが)、当時の世相を考慮すると理解できないわけではありません。そうして最終的にはネッドは、自らが創立に関わったGMHCから追い出されていまうのです。


主人公であるネッド・ウィークスが、ラリー・クレイマー氏をモデルとしていることは明らかではありますが・・・1980年代に各メディアに露出していたラリー・クレイマー氏は、本作で描かれている以上に強烈に攻撃的な印象でした。エマ・ブレークナー医師は、実際に車椅子利用者であったリンダ・ルーベンステイン(Linda Laubenstein)氏、また(ラリー・クレイマー氏は公には認めていませんが)フィリックスのモデルとなっているのは、当時ニューヨークタイムズ紙のファッション部門の記者であったジョン・ドューカ(John Duka)氏であるというのが定説となっています。このように、実物の人物がモデルとなっている作品なので・・・30年という年月が隔たったことで、俯瞰的に表現できるというのはあるのかもしれません。

ネッドを演じるマーク・ラファロは、良い感じに年齢を重ねている男優(46歳)で・・・本作でも”いい味”を出しています。徐々に熱くなる熱演には、心が震えさせられました。テレビシーズ「ホワイトカラー」で知られるマット・ボマーは、同性婚をカミングアウトしているアメリカの芸能界ではまだ珍しい(?)オープンリーゲイの男優・・・あまりにも二枚目過ぎるのでラリー・クレイマー氏からフィリックス役には適さないといわれたものの、役への熱意を訴えてフィリックス役を得たそうです。30ポンド(約18キロ)の減量は「ダラス・バイヤーズ・クラブ」でアカデミー主演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒー(40ポンド減量!)にも負けず劣らずの”凄まじさ”であります!輝くようなハンサムっぷりから衰弱しきった姿は、エイズで亡くなっていった多くのゲイの友人達の最後の姿と重なって、ボクは正視できないほどでした。本作に於いて、一番のサプライズ(?)は、ジュリア・ロバーツの圧倒的な存在感・・・出演シーンは決して多くないのですが入魂の演技には感動しました。


死の淵のベットで、ネッドとフィリックスはエマ・ブレークナー医師により”夫婦の誓い”をします。今では同性婚が認められているニューヨーク州ですが、当時(1984年)は誰も想像することのできなかったことかもしれません。ホモフォビアの人は、そもそも本作を観ないとは思いますが・・・この作品を観て「男同士でキスなんてキモい!」なんて感じるなんて人として”アリエナイ”と思えるほどです!ネッドのような経験をしたのであれば、亡くなった恋人のために「どんなことをしてでもエイズと戦わなければならない!」という執念が生まれたのも理解できるような気がします。ラリー・クレイマー氏は、自身もHIVに感染しながらも治療を続けていて、現在、御年72歳でご健在・・・まさに激動のゲイ運動の歴史の生き証人というような方です。

ひとつだけ、この作品に注文をつけるとしたら・・・時代の風俗的な詰めの甘さでしょうか?冒頭のファイヤーアイランドのパーティーシーンでは、当時のディスコミュージックを流して雰囲気を出そうとしているのですが・・・登場人物たちの服装、髪型など風俗的な時代考証がしっかりしておらず、1970年代後半から現在までが”まぜこぜ”のスタイルなのです。ある特定の”時代”を描きながらも、普遍的な物語として語るために時代的な風俗に縛られたくないという制作者側の意図があるのかもしれませんが(かなり好意的に解釈)・・・いつの時代の出来事なのかが分からなくなったところもあるような気がします。(特に実際に時代を生きたボクの世代にとっては)

ラリー・クレイマー氏は「ノーマル・ハート/The Normal Heart」の主人公ネッドがエイズの実験的な治療を受けながら、ユダヤ系の家庭に育った少年期から青年期を振り返る「ザ・デスティニー・オブ・ミー/The Destiny of Me」という戯曲を1992年に発表していますが・・・本業の作家としてよりもゲイ活動家としての存在感が際立っています。1987年「沈黙=死」をスローガンにした、攻撃的で過激な抗議活動を行う「ACT UP」(AIDS Coalition to Unleash Power/力を解放するエイズ連合)を設立・・・当時の「ACT UP」の怒りの抗議を身近で目撃して”恐怖”さえ感じることもあったボク自身は、自分のセクシャリティと政治に一定の距離をもつ生き方を選んだところはあります。ただ、30年が隔ててみると・・・目前で起こっていた”あの時代”を、自分自身の中で改めて検証したい気持ちを抑えられなくなってくるのです。


「ノーマル・ハート」
原題/The Normal Heart
2014年/アメリカ(HBO)
監督 : ライアン・マーフィー
脚本 : ラリー・クライマー
出演 : マーク・ラファロ、ジュリア・ロバーツ、マット・ボマー、テイラー・キッシュ、ジョー・マンテロ、ジム・パターソン、アルフレッド・モリーナ、B・D・ウォン、ジョナサン・グロフ、ステファン・スピネーラ
「スターチャンネル/STAR1」にて放映(スターチャンネル番組案内参照)
2014年11月29日午後9時、11月30日午前9時半、12月5日午後10時半、12月21日午前9時半、12月27日午前3時半

「ロングタイム・コンパニオン」
原題/Longtime Companion
1990年/アメリカ
監督 : ノーマン・レネ
脚本 : クレイグ・ルーカス
出演 : キャンベル・スコット、ブルース・デビットソン、ダーモット・マローニー、メアリー=ルイーズ・パーカー、パトリック・キャシディ、マーク・ラモス、スティーヴン・キャフリー
1992年6月13日より日本劇場公開

「運命の瞬間/そしてエイズは蔓延した」
原題/And the Band Played On
1993年/アメリカ(HBO)
監督 : ロジャー・スポティスウッド、
脚本 : アーノルド・シュルマン
出演 : マシュー・モディーン、リチャード・ギア、スティーヴ・マーティン、マンジェリカ・ヒューストン、リリー・トムリン、アラン・アルダ、フィル・コリンズ、イアン・マッケラン、ナタリー・ベイ、B・D・ウォン
日本劇場未公開(VHS&レザーディスク販売/VHSレンタルあり)




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2014/08/21

ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブル・・・1930年代ハリウッド黄金期のゴールデンコンビ~「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」「笑ふ罪人/Laughing Sinners」「蜃気楼の女/Possessed」「ダンシング・レディ/Dancing Lady」「私のダイナ/Chained」「結婚十分前/Forsaking All Others」「空駆ける恋/Love on the Run」「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」~



クラーク・ゲーブルが共演した女優たち

「風と共に去りぬ」のレッド・バトラー役で映画史に永遠に名を残すクラーク・ゲーブルは、亡くなる年まで「キング」と呼ばれてハリウッドのスターでありました。男性観客向けの映画出演も多いのですが・・・スター女優との共演作も数知れません。 その中でも最も多い8度の共演をしているのが1930年代MGMのスター女優であったジョーン・クロフォード(マイヤ・ロイ7作品、ジーン・ハロウ6作品)・・・ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルは1930年代ハリウッド黄金期において、まさにドル箱スターの「ゴールデンコンビ」だったのです。


しかし、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作品が語られることは、日本ではそれほど多くはありません。それは、これらの作品が大衆向けのスター映画として当時は興行成績は良かったものの・・・その後映画作家と呼ばれるような映画監督による作品でもなく、映画評論家から高く評価されるような作品でもなく、誰もが知っている原作からの文芸作品でもなく、また映画論に記述されるような際立ったスタイルで撮影された作品でもなかったので、映画史を振り返る時、繰り返し語り継がれることがなかったからなのかもしれません。

どの作品も”洋画の名作”と呼ばれているわけでもなく、職人監督によって”ソツ”なく作られた1930年代に量産された平均的な作品ばかり・・・ただ、ヘイズコード以前の倫理観や、当時の風俗や流行を知る上で、貴重な作品ではあります。また、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルのスクリーン上での抜群の相性の良さは、制作されてから80年(!)経った今でも、色褪せることはないのです。

「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」


二人が初めての共演をした1931年当時・・・ジョーン・クロフォードはすでにMGMの「スター女優」で、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア(父親はサイレント映画時代にキング・オブ・ハリウッドと呼ばれていた)の妻。一方、すでに30歳となっていたクラーク・ゲーブルは、MGMと契約したばかりの遅咲きの「新人男優」・・・共演1作目となる「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」は、ジョーン・クロフォード主演のスター映画で、クラーク・ゲーブルはジョーン・クロフォード直々の指名により、脇役のひとりとして出演することになったと言われています。

金持ちのわがまま娘のボニー(ジョーン・クロフォード)と気の弱い弟のロドニー(ウィリアム・ベイクウェル)は、社交界の友人たちや男友達のボブ(レスター・ヴェイル)と遊びほうける生活をしていましたが、恐慌のショックで父親が急死、その上”一文無し”になっていまいます。ボブのプロポーズを断り、自立して働くことを決心して新聞社で働き始めるボニー・・・同僚の記者スクラントン(クリフ・エドワーズ)が、暗黒街のボス・ジェイクの調査中に殺され、ボニーはジェイクの経営するナイトクラブにダンサーとして調査することになるのです。

サイレント映画時代”フラッパー女優”が代名詞だったジョーン・クロフォードですから・・・ダンサーのフリをして潜入調査するという役柄は”十八番”と言えるのかもしれません。ただ、当時のフラッパーダンスというのは手足をバタバタさせるだけ・・・ダンサーとしてのジョーン・クロフォードは、正直”微妙”です。

本格的な映画出演として、ほぼ第1作目(撮影時期は分かりませんが、公開されたのは最初)となる本作で、クラーク・ゲーブルは悪役の暗黒街のボスを演じているのですが・・・その後の渋いプレイボーイっぷりを予感させる”いかにもゲーブルらしい”役柄であります。スター女優であるジョーン・クロフォードと共にスクリーンに収まっても、存在感に引けを取らないどころか、スクリーンでの二人の相性は抜群・・・その後、共演作品が毎年のように作られたのは、当然のことのように思えるのです。


ボニーの弟ロドニーは暗黒街のボス・ジェイク(クラーク・ゲーブル)の手下となっていて、ナイトクラブに取材にきたスクラントンに、ロドニーはうっかりと口を滑らしてしまうのです。そして、その失態の責任を取るために、ロドニーはスクラントンを拳銃で撃たなければならなかったのでした。

一方、潜入調査中のボニーは、ナイトクラブに遊びに来ていたボブに、見つかってしまいます。しかし、調査を続けるためにも、ボニーはボブを冷たくあしらってしまうのです。思惑どおり、ボニーはジェイクを誘惑することに成功し、ガールフレンドとなってジェイクの部屋に潜入するのですが、そこでロドニーがスクラントンの殺人犯であることや、その経緯を知ることになってしまいます。

しかし、その時すでに、ジェイクはボニーの正体を見破っていて、ボニーを問い詰めるのです。そこにロドニーが突如現れて、激しい銃撃戦となり、ジェイクとロドニーは相撃ちして亡くなってしまいます。弟を救うことはできませんでしたが、事件現場から涙ながらに新聞社へ事件の経緯を報告したボニーの記事は、大スクープとなるのです。記者として認められたボニーですが、事件のショックから新聞社の仕事は辞めることになります。そんなボニーの目の前に現れたのは、誰あろうボブ・・・すべての経緯を知った彼は、再びボニーにプロポーズして「めでたしめでたし」となるのです。

「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」を男友達のボブの視点で観てみると・・・惚れていた社交界のわがまま娘が一文無しになったのでプロポーズしたところ断られ、その後未練タラタラで彼女が潜入調査をしている現場に行ってみたら思いの外冷たくあしらわれ、弟を亡くして傷心状態の彼女に再びプロポーズしたら受け入れてもらえたという物語なのであります。

「笑ふ罪人/Laughing Sinners」


クラーク・ゲーブルとジョーン・クロフォードの共演2作目は、同年(1931年)に公開された「笑ふ罪人/Laughing Sinners」・・・この作品ではクラーク・ゲーブルは、前作よりは大きな役で、二人いるヒロインの相手役のうちの”ひとり”を演じています。本作のような心の優しい男性像は、レット・バトラーにも通じるところもあり・・・クラーク・ケーブルの”男臭さ”だけではなく、優しく包み込む器が大きいイメージさえも、すでに漂わせているのです。

キャバレーの踊り子のアイビー(ジョーン・クロフォード)は、恋仲でもあるプロモーターのハワード(ニール・ハミルトン)と、贅沢で自由な生活を送っています。本作の冒頭では、ダンスホールで踊り、歌まで披露するジョーン・クロフォード・・・贔屓目にみてもミュージカルスターではないことを証明してしまっているような”出来”ですが・・・謳って踊って演じるというのが、当時のジョーン・クロフォードの”売り”ではあったことは確かなようです。

ある晩、ハワードは突然アイビーの前から姿を消してしまい・・・彼が金持ちの娘と結婚することを知ったアイビーは、橋の上から飛び降りて自殺しようとします。そんなアイビーを救ったのは、救世軍のカール(クラーク・ゲーブル)だったのです。救世軍(サーベンション・アーミー)は、楽器を演奏して歌いながら、鍋の中に寄付を募っている支援団体・・・踊り子などナイトクラブに関わる人々が”ふしだら”と世間に思われるのと対照的に、救世軍というのは善良な市民の典型として描かれているところがあります。


献身的に救世軍として活動するカールに心動かされて、その後、アイビーは救世軍に加入します。そして1年後・・・カールと救世軍の同志として共に各地を転々としながら活動を続けるアイビーの前に、ハワードが再び現れます。地味な服装で質素な生活をする救世軍の暮らしはアイビーには似合わない・・・以前のような贅沢な生活をさせてやると誘惑するハワードに、再び踊り子として復帰したいとアイビーは思ってしまうのです。しかし、そんなアイビーの揺らぐ心をを受け止めて、優しく説得するカールに、アイビーは再び目が覚めて・・・ハワードの誘惑を断固として断わります。そして、再び救世軍の一員として、カールと共に過ごしていくことを決心するのです。

笑ふ罪人/Laughing Sinners」は、ジョーン・クロフォード映画の典型的なパターンのひとつである「男ふたり女ひとりの三角関係」を描いていて・・・ハワードは「踊り子としての堕落した姿」、カールは「救世軍の一員として献身的に活動する正しい姿」という両極端な対比となっていて、最終的には「正しい」方を選択するという”オチ”により、少々説教臭い物語なのであります。

「蜃気楼の女/Possessed」


前2作と同じ1931年に公開された共演3作目の「蜃気楼の女/Possessed」となると、クラーク・ゲーブルの名前は、主役であるジョーン・クロフォードの次に大きく表記されるようになります。この作品の撮影中、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルは肉体関係を持ったという噂があるのですが・・・当時、ジョーン・クロフォードはダグラス・フェアバンクス・ジュニアと結婚中、クラーク・ゲーブルはハリウッドデビューを手助けしたと言われる14歳年上の最初の奥さんと別れて二番目の奥さんと結婚したばかり・・・スキャンダルを恐れたMGM創始者ルイス・B・メイヤーの勧告により、二人は関係を解消させられたそうです。

都会に憧れるマリアン(ジョーン・クロフォード)は、田舎の箱工場の同僚のアル(ウォーレス・フォード)とは恋仲・・・ある晩、ニューヨーク行きの豪華列車の乗客ウォーリー(スキーツ・ギャラガー)に知り合い、ニューヨークに来ることがあったら訪ねておいでと言われるのです。ゆっくりと動く列車の車窓の中が、まるで絵画のように、マリアンの夢見る都会の生活を表しているようで、とても映画的な表現がされています。ウォーリーの冗談半分の言葉を鵜呑みにしたマリアンは、アルと喧嘩になってしまい・・・ひとりニューヨークへ旅立ちます。

ニューヨークのパークアベニューにあるウォーリーを訪ねると・・・「若い娘が都会で欲しいものを手に入れには、金持ちの男を見つけること。ただ、自分の知り合いなんかは紹介はしないけどね」と冷たい態度で、マリアンは追い出されてしまいます。しかし、ウォーリーを訪ねてきた弁護士のマーク(クラーク・ゲーブル)と強引に知り合いになったマリアンは、すっかりマークに気に入られるのです。

当初は田舎娘だったマリアンでしたが・・・マークと恋人関係になって、さまざまな教養を身につけて、3年後には社交界の花形となって、マークの友人たちには公認の仲となっていきます。ただ、独身主義者のマークはマリアンとの結婚などは全く考えていないようで・・・便宜上で、マリアンをモアランド夫人と名乗らせたりしていたのです。


ある日、実業家となったアルが、ニューヨークにマリアンを訪ねてきます。マークとマリアンが知り合いだと知ると、仕事の仲介を求めてくるアル・・・ビジネスで成功して、マリアンと結婚したいと思っているのです。一方、マリアンはマークとの結婚を望んでいるのですが、相変わらずマークには結婚の意志は無し・・・州知事として立候補することになったマークの”足手まとい”になるという気持ちから、マークにはアルと結婚するつもりだと告げてしまいます。

党大会で候補者のマークが演説中、反対派が「モアランド夫人とは何者だ?」という中傷ビラを巻いて、場内を混乱させようとします。会場にいたマリアンは、自らがモアランド夫人であることを名乗り、マークを弁護するのです。涙ながらに会場を後にするマリアンを追ってきたマークは、選挙の結果などは関係ない・・・と、マリアンを抱きしめます。その後、二人が結婚するのかは分かりませんが・・・とりあえずハッピーエンドと言えるでしょう。

「蜃気楼の女/Possessed」は、ジョーン・クロフォード映画の、もうひとつの典型的なパターンである「Rags to Riches」=「貧乏から金持ちになる」の”成り上がり”の物語で、当時の女性は自らの力で成功するのではなく、金持ちの男性と結ばれることが成功への近道であるかのようです。実際、ジョーン・クロフォード自身、貧しい家庭の出身でドサ回りの踊り子から、ハリウッドのスター女優にまでになったのですから・・・その”成り上がり”っぷりこそが、大衆からの人気を集めたのかもしれません。

「ダンシング・レディ/Dancing Lady」


前3作の公開後、ジョーン・クロフォードはオールスターキャストの1人として「グランド・ホテル」に出演・・・主演映画の興行成績も制作費も上昇して、名実共に「MGMの看板スター」となります。クラーク・ゲーブルもスター男優としての地位を着実に確立していて、共演4作目の「ダンシング・レディ/Dancing Lady」では、ジョーン・クロフォードと共にスターとしてクレジットされるまでになりったのです。ただし、トップに表記されているのは、ジョーン・クロフォードではありますが・・・。

バーレスクでストリッパーまがいの踊り子(またかよ!)のジェニー(ジョーン・クロフォード)は、警察の検挙で逮捕されるものの、彼女を見初めた青年大富豪トッド(フランチョット・トーン)に保釈金を支払ってもらった上に、生活のサポートも申し出されますが・・・自分は商売女ではなく純粋なダンサーだと断ります。ジャニーはブロドウェイの舞台に立ちたいと、舞台監督のギャラガー(クラーク・ゲーブル)を追い回しますが、一切相手にしてもらえません。そこで、ギャラガーの上司と知り合いであるトッドのコネを使って、ジャニーはギャラガーにオーディションまで漕ぎ着けるのです。稀にみるダンスの才能があるということで、ジョニーは即採用となるわけですが・・・そもそもジョーン・クロフォードのダンス自体がソコソコのレベルなので、説得力もへったくれもありません。


さて・・・本作もお馴染みのジョーン・クロフォード映画のパターンである「Rags to Riches」=「貧乏から金持ちになる」の物語であると同時に「男ふたり女ひとりの三角関係」のお話でもあります。その条件が、もしもジェニーがダンサーとして大成しなければトッドと結婚しなければならないというものだったのです。一方、ギャラガーとジェニーは喧嘩しながらも、お互いに惹かれていきます。あある日、突然、ジェニーは新作レビュー「ダンシング・レディ」の主役の座を射止めることになるのですが・・・ジェニーがダンサーとしての成功が約束されたことを悟ったトッドは、興行主を買収して公演を中止させてしまうのです。約束通りトッドとの結婚を決意したジェニーでしたが・・・トッドの策略を知ったジェニーはトッドに別れを告げ、自主公演をすることになったギャラガーの元へ戻り、再び「ダンシング・レディ」の主役の座をあっさり取り戻します。

本作は、ジョーン・クロフォードとクラーク・ケーブルの共演作品では、唯一日本でDVD化されているのですが・・・その理由は、本作がフレッド・アステアが初めてスクリーンデビュー(ダンスシーンのジョーン・クロフォードの相手役としてゲスト出演)した映画だからでしょう。本作のクライマックスとなるレビューシーンでは、フレッド・アステアが華麗なステップを披露します。また「42番街」などで知られるバスビー・バークレー風の幾何学的なダンスの演出は「本家」に迫る迫力です。ただ、ブロドウェイの裏舞台モノというよりは、あくまでもジョーン・クロフォードがスターが前提の映画・・・当然、レビューは大成功。トッドも成功を喜んで、何故かとんちんかんなプロポーズをして、再びジェニーに振られるという始末。結局、ジェニーはダンサーとしての成功するだけでなく、ギャラガーの愛を得るというご都合主義なエンディングとなっています。

「ダンシング・レディ/Dancing Lady」は、当時流行していたレビュー映画という形式を取り入れながらも、その後のジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルのゴールデンコンビを決定づけた共演作品と言えるかもしれません。なお、本作で共演したフランチョット・トーンとジョーン・クロフォードは、その後(1935年)結婚することになるのですから、人生は分からないものです。

「私のダイナ/Chained」


ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作品で、ボクが一番好きなのが、共演5作目の「私のダイナ」であります。本作は「男ふたり女ひとりの三角関係」というジョーン・クロフォード映画では、何度も何度も繰り返し描かれるお馴染みの設定であるだけでなく・・・コメディ女優としては評価の低いジョーン・クロフォードには珍しく、コミカルな演技に冴えをみている稀な作品でもあるのです。

汽船会社の社長リチャード(オットー・クルーガー)の秘書であり、愛人でもあるダイナ(ジョーン・クロフォード)・・・リチャードは妻と別れて、仕事と私生活を支え続けてくれるダイナとの再婚することを約束します。しかし、リチャードの妻(マージョリー・ゲイキソン)は、離婚をあっさり拒否・・・妻の気持ちが変わるまで、ダイナを自分の会社の汽船での南米への旅行を奨めるのです。妻と愛人を鉢合わせさせて、離婚話を持ち出すというのは、なかなかエグいシチュエーションではあります。

その船内で、アルゼンチンで農場を経営する青年実業家マイク(クラーク・ゲーブル)マイクは、男友達のジョニー(スチュアート・アーウィン)をダシにして、ダイナと知り合うことには成功します。当初は、まったくマイクに気のないそぶりのダイナですが、ことあるごとにダイナにちょっかいをだしてくるマイクに、やがてダイナも心を許していくのです。客船内のプールや船のデッキで繰り広げられる恋の駆け引きは、相性のいいクラーク.ゲーブルならではです。


ブエノスアイレスに到着後も、マイクから通愛を受け続けて、牧場生活を経験したダイナは、マイクの気持ちを受け入れる決心をするのです。リチャードとの関係を清算するために、一旦ニューヨークに戻ったダイナを待ち構えていたのは、家族、子供を犠牲にしてまで妻と離婚をして結婚指輪を用意していたリチャード・・・マイクとの関係を打ち明けるチャンスを失い、ダイナはリチャードと結婚することになります。一方、ダイナを受け入れる準備をしているマイクの元には、ダイナからは船上での恋だったと別れの手紙が届くのです。

リチャードとの結婚生活も1年経ち、上流階級の夫人として多忙な生活を送るダイナですが、常に心は満たされていない様子・・・そんな時、銃ショップで偶然マイクと再会します。抑えきれない感情が燃え上がるダイナですが、自分のためにすべてを捨てたリチャードを裏切れないと、マイクには二度と会わないと伝えるのです。それにも関わらず、休暇中のリチャードとダイナの元を訪ねてきます。しかし、ダイナの友人だからと易しく対応するリチャード・・・その愛情の目の当たりにしてマイクは潔く身を引くことにするのです。ここで終われば、ダイナとマイクの悲恋物語となるのですが、マイクが立ち去った後、ダイナのマイクに対する思いに気付いたリチャードはあっさりと身を引いてしまいます。ダイナは、アルゼンチンのマイクの元へ嫁いでいってしまうのですから・・・なんとも無理矢理なハッピーエンドであります。

「私のダイナ/Chained」は、ご都合主義に貫かれたジョーン・クロフォード/クラーク・ゲーブル映画の典型的なパターンの作品・・・それ故に、会社社長のおじさまと青年実業家のあいだで揺れ動くという、当時、未曾有の経済不況の庶民にとっては無縁のハッピーエンドの物語、コミカルで洒落た恋の駆け引き、そして、ジョーン・クロフォードがとっかえひっかえする流行(?)のモードで着飾るという浮世離れしたお伽話として、純粋に楽しめるのです。

「結婚十分前/Forsaking All Others」


共演6作目となる「結婚十分前」は、ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブルに加えて、ロバート・モントゴメリーという三大スターの主演というだけでなく、チャールズ・バターワース、ビリー・パーク、ロザリンド・ラッセルなどの芸達者な役者が脇を固めた作品・・・ジョセフ・L・マンキーウィッツによる脚本は、伏線とシチュエーションが絡み合い、コミカルな長台詞で畳み掛けるノンストップのスラップスティック・ロマンチックコメディとなっています。

メリー(ジョーン・クロフォード)、ディル(ロバート・モントゴメリー)、ジェフ(クラーク・ゲーブル)の3人は幼馴染み・・・しばらくスペインで生活していたジェフは、メリーにプロポーズの決心をして、ニューヨークに戻ってきます。しかし、その翌日メリーとディルは結婚式を控えていることを知り、ジェフは、自分の気持ちは伝えずに、幼馴染み二人の結婚を祝福するのです。

ところが・・・結婚式前夜にも関わらず、ディルは元彼女のコニー(フランシス.ドレイク)からの求愛に、あっさりと応えて、ディルとコニーは姿をくらましてしまうのです。翌日、ウエディングドレスを着て教会での結婚式を待つメリーに届けられた知らせは、昨晩ディルがコニーと急に結婚してしまったということ・・・こんなアリエナイ状況で「男ふたり女ふたりの三角関係」が成立して、ロマンチック・コメディになりえるのかと思ってしまいます。傷心でメリーは田舎に引きこもるのですが・・・斧で薪割りしてストレス発散という場面が、本作で登場しているのが笑えます。まるで「血だらけの惨劇」や「愛と憎しみの伝説」の斧を振り上げているシーンを予見しているかのようです。


嫉妬深くて意地の悪いコニーは、メリーを自宅でのパーティーに招待するのですが、メリーはディルとの関係を断ち切れたことを証明するかのように、ジェフを連れ立ってパーティーに参加します。メリーとの再会に驚きながらも、すでに新妻コニーに心が冷めてしまったディルは、メリーとヨリを戻そうとするのです。ディルをまだ愛していることを自覚したメリーは、ジェフの助言も聞かず、ディルと再び付き合い始めます。

ディルとメリーが二人で田舎へドライブに行って、ディルの別荘に泊まることになるのですが・・・、車がポンコツで事故を起こすとか、着替えのないディルが女性モノのガウンを着るとか、火の不始末で火事が起こるとか、スラップスティックなコメディが展開されます。とは言っても、本作は”ヘイズコード”に従った作品・・・不倫の描写は御法度です。ただ・・・結婚式の前日にドタキャンした男と楽しくデートするというのは、倫理的にどうであるかよりも、感情的に理解に苦しみます。

ジェフのサポートのよりディルとコニーは離婚・・・メリーとディルが再び結婚することになるのです。不倫は倫理的に問題だけど、離婚することは問題なしということのようです。ディルとメリーの二回目の結婚式前日・・・メリーと二度と会わないことを決意してスペインに戻ることにしたジェフは、今まで語ることのなかった思いをメリーに伝えます。唐突に心を揺らぐメリー・・・今度はメリーがディルとの結婚式を翌日に控えて、ジェフの後を追ってスペイン行きの船に乗るのです。船を見送るしかないディルは、埠頭に置いてきぼりになって、ハッピーエンドとなります。

「結婚十分前/Forsaking All Others」は、ジョーン・クロフォードだけがスターという作品ではなく、クラーク・ゲーブルやロバート・モントゴメリーが同格で主演の作品です。また、当時始まったばかりの”ヘイズコード”の倫理観が物語を湾曲させていて、ある意味、この時代の映画作品ならではの”味”を醸し出していると言えるのかもしれません。

「空駆ける恋/Love on the Run」


「空駆ける恋」は、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作7作目・・・前年(1935年)にジョーン・クロフォードと結婚したフランチョット・トーンも出演しており「ダンシング・レディ」のトリオの復活といったところです。ただし、本作の主役はジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの二人・・・フランチョット・トーンはジョーン・クロフォードの相手役ではなく、クラーク・ゲーブルのライバルの新聞記者という少々損な役回りを演じています。

アメリカの富豪の娘・サリー(ジョーン・クロフォード)は、ロンドンで貴族の男性との結婚式を控えていたのですが・・・彼女の結納金目当てだと知り、結婚式直前になってウエディングドレス姿で教会から逃げ出します。サリーの結婚式を取材するために派遣されていた新聞記者のマイケル(クラーク・ゲーブル)は、自分の素性を隠して、サリーの逃避行を手伝わされる羽目なるのです。また、男爵夫妻の取材でロンドンに居合わせたマイケルのライバル新聞記者のバーニー(フランチョット・トーン)も加わり、ロンドンからフランスに舞台を移して、実はスパイだった男爵夫妻(レジナルド・オーウェン、モナ・バリー)のトラブルにも巻き込まれていきます。


その後、サリーとマイケルが男爵夫妻の小型飛行機を盗み出したり、フランスの農場に不時着したり、スパイに間違われたり、お屋敷に変装して忍び込んだりと、ドタバタの展開をしていく本作・・・バーニーは、部屋や車に閉じ込められたり、マイケルの身代わりになったりと散々な扱いを受けるという役回りです。スクリューボール・コメディらしく、早い展開と複雑に絡む伏線で、ずっとドタバタが続くのですが・・・最後はサリーとマイケルの恋が実り「めでたし、めでたし」なるわけです。

クラーク・ゲーブルは、得意のコミカルな演技を披露して、女性ファンを虜にする魅力を発揮しています。しかし、お金持ちのお嬢さま役としはて年齢的に厳しくなってきた上に、コメディとの相性が決して良いないジョーン・クロフォードにとっては、適した作品ではなかったようです。それでも、本作は当時大ヒットしたそうなので・・・如何にクラーク・ゲーブルの人気が絶大であったということかもしれません。

「空駆ける恋/Love on the Run」は、当時の流行りだったスクリューボール・コメディの典型的な作品です。ただ、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作品としては、ある意味、分岐点なのかもしれません。これまでは、ジョーン・クロフォードが主役スターであり、その魅力を発揮するための共演だったのですが・・・本作では、クラーク・ゲーブルの魅力を引き出すことに、制作側の意図が変わってきたような気がするのです。

「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」


1939年12月の真珠湾襲撃後、日本とアメリカの間で開戦となり、ハリウッド映画が日本では一切公開されなくなります。1940年に公開されたジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの最後の共演作であり8作目となる「ストレンジ・カーゴ(原題)」は、日本で劇場公開されることもなく、その後ビデオ化もされることもないまま(テレビ放映は不明)・・・日本で視聴することの難しい作品になってしまったのです。

本作は、これまでの共演作品のようなジョーン・クロフォード主演を主人公とした女性映画ではなく、クラーク・ゲーブル主演に相応しい”男臭い”作品となっています。前年(1939年)にアメリカで公開された「風と共に去りぬ」のレット・バトラー役で、ハリウッドの「キング」と呼ばれるようになったクラーク・ゲーブル・・・一方、1938年には「ボックス・オフィス・ポイズン」(出演料のわりに興行成績に貢献しないスター)のひとりとして名前を挙げられるなど、人気に陰りが見え始めていたジョーン・クロフォード。しかし、前年の「ザ・ウーメン(原題)/The Women」(日本未公開)で実力派女優として歩み始めたジョーン・クロフォードは、本作のような”汚れ役”を求めていたのかもしれません。

ジャングルに囲まれたフランスの流刑地ギアナに収監されている囚人のヴァーン(クラーク・ゲーブル)は、ある日、埠頭の労働中にナイトクラブの歌手ジュリー(ジョーン・クロフォード)と知り合います。脱走を試みたヴァーニーは、ジューリーの部屋に隠れるのですが・・・ジュリーに心を寄せるピッグ(ピーター・ローレ)に通報されて、ヴァーニーは刑務所に戻されて、ジュリーはナイトクラブを解雇されてしまいます。

刑務所ではモール(アルバート・デッカー)、キャンブルー(イアン・ハンター)、テレズ(エドワルド・チャンネッリ)、へシアー(ポール・ルーカス)、フロウバート(J・エドワード・ブルムバーグ)、デュファンド(ジョン・アリージ)らが脱獄を計画・・・ヴァーンはジュリーを連れて一緒に逃げるのです。ジャングルを抜けて、海岸から帆掛け船で大陸を目指して出航します。


ジャングルでのサバイバル、帆掛け船の密室劇という極限状態の中で、キリストのようなキャラクターであるキャンブルーが、聖書からの言葉が繰り返し引用されるなどクリスチャン的な思想が色濃く、囚人の脱走劇というよりも宗教観を問うようなディスカッションドラマとなっていくのです。

ヴァーン、ジュリー、キャンブルー、へシアーだけが生き残るのですが・・・ジュリーはヴァーンを逃がすために、ピッグと一緒について行くという取引をします。へシアーは裏切って姿をくらまし、キューバに逃げようとしていたヴァーンは、キャンブルーによって心を入れ替え、流刑地へ戻ることを決意します。コロニーにピッグと戻ったジュリーでしたが・・・ヴァーンが刑期を終えて出所するまで待っていることを誓うのです。

「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」は、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの最後の共演作品・・・宣伝や映画館のビルボードで、クラーク・ゲーブルの名前がジョーン・クロフォードよりも上に表記された唯一の共演作品でもあります。本作のジュリー役というのは、世慣れしていて気の強い自立した女性像という1940年代以降のジョーン・クロフォードの代名詞となるようなキャラクター・・・そんな女性像を受け止める相手役としても、クラーク・ゲーブルとの相性は抜群だったので、本作以降共演作品が作られなかったのは、残念でなりません。

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」


クラーク・ゲーブルが最も愛した女性と言われるのがキャロル・ロンバート・・・ふたりは1939年に結婚しました。1942年にキャロル・ランバートが不慮の飛行機事故で亡くなるまで、クラーク・ゲーブルの最も幸せな時期であったと言われています。事故後、クラーク・ゲーブルを真っ先に支えたのは、誰あろうジョーン・クロフォードでありました。

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」はキャロル・ランバートが得意とした洒落たスクリューボール・コメディ映画・・・しかし、キャロル・ランバードの急死によって、制作中止に追い込まれそうになってしまったのです。そこで、映画会社の壁を乗り越えて主役を引き受けたのが、誰あろうジョーン・クロフォードであります。そして、本作の出演料全額をキャロル・ランバートの名前で、アメリカの赤十字社に寄付もしています。

マーガレット(ジョーン・クロフォード)は父親からトラック会社を譲り受けて経営するバリバリのビジネスウーマン・・・妹のヴィヴィアン(ヘレン・パリッシュ)が行われている中、記者のマイク(メルヴィン・ダグラス)は屋敷に忍び込み、マーガレットに近づきます。男性と知り合う機会の少なかったマーガレットは、あっさりとマイクに惹かれてしまうのですが・・・恋すること自体が初めての彼女は、ときめくとぼーっとしてフラフラしちゃうという設定なのですから、なんとも滑稽だったりするのです。


しっかり者のようで実は天然なマーガレットと、チャーミングで洗練されたマイクの掛け合いは、キャロル・ランバートが演じていたら・・・と、想像せずにいられませんが、コメディと相性が悪いと言われるジョーン・クロフォードにしては、共演者(特にメルヴィン・ダグラス)の好演に助けられて、好演しています。ダンスコンテストでアクロバティックに踊ったり、酔っぱらってラブシーンを演じたりと、ジョーン・クロフォードにしては珍しく(?)軽快に弾けまくっているのです。

バリバリのビジネスウーマンでも恋をしてしまえば、普通の弱い女になってしまう・・・という展開が、まったくジョーン・クロフォードらしくありませんが、ジョーン・クロフォードのドレードマークとなるようなスタイルを確立し始めているような作品のような気がします。1940年代第二次世界大戦中の流行でもあったのですが・・・前髪にボリューウを持たせて後頭部にパーマをあてるというヘアスタイル(ちょっとサザエさんっぽい)と、首から肩がほぼ直線になるほどのカッチリしたショルダーパッドのドレスやジャケットは、その後のジョーン・クロフォードの典型的なルックスです。

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」は、キャロル・ランバートの不幸によって、ジョーン・クロフォードが代役を務めることになったわけですが・・・そもそも、クラーク・ゲーブルとの親しい関係があったからこそ実現したこと。当時、キャリア的に迷走していたジョーン・クロフォードにとっては、女優としての新たな可能性を見せる絶好の機会でもあったわけで、単なる”おひとよし”の人助けではない”したたかさ”をも窺わせます。ただ、本作以降、ジョーン・クロフォードはコメディ映画の出演はありません。

その後のジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブル


1940年の「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」以降、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルが共演することはありませんでしたが、二人の関係はハリウッドの関係者が推測していたよりも長く・・・クラーク・ゲーブルが亡くなる1960年まで続いていたとジョーン・クロフォードは晩年告白しています。

ハリウッドのスターになるためには枕営業なんてへっちゃら・・・共演者、監督は勿論、カメラマンや脚本家とも肉体関係を持ったと言われるジョーン・クロフォードは、男社会の中で「女」の武器を120%利用したと言っても良いでしょう。クラーク・ゲーブルもまた、俳優としてブレイクするまでは財力や権力のある年上女性と結婚していました。

ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルは、結婚することはありませんでしたが(ジョーン・クロフォードは生涯4回、クラーク・ゲーブルは5回結婚)・・・ジョーン・クロフォードは、後にクラーク・ゲーブルについて「私の出会った男性の中で、最も男性的な人だった」と語っています。「男性的」というのが、肉体的な相性を示唆しているのでは・・・と思うのは邪推かもしれませんが、ジョーン・クロフォードにとって、最も愛した男性はクラーク・ゲーブルでであったような気がしてならないのです。


「暗黒街に踊る」
原題/Dance, Fools, Dance
1931年/アメリカ
監督 : ハリー・ボーモント
出演 : ジョーン・クロフォード、クリフ・エドワーズ、レスター・ヴェイル、ウィリアム・ベイクウェル、クラーク・ゲーブル、アール・フォックス
1932年3月日本劇場公開

「笑ふ罪人」
原題/Laughing Sinners
1931年/アメリカ
監督 : ハリー・ボーモント
出演 : ジョーン・クロフォード、ニール・ハミルトン、クラーク・ゲーブル、マジョリー・ランボー、ガイ・キッピー、クリフ・エドワーズ
1933年10月日本劇場公開

「蜃気楼の女」
原題/Possessed
1931年/アメリカ
監督 : クラレンス・ブラウン
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、ウォーレス・フォード、スキーツ・ギャラガー、フランク・コンロイ、マージョリー・ホワイト
1933年1月日本劇場公開
TSUTAYA復刻ライブラリーにてDVDリリース

「ダンシング・レディ」
原題/Dancing Lady
 1933年/アメリカ
監督 : ロバート・Z・レオナード
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、フランチョット・トーン、フレッド・アステア、メイ・ロブソン、イヴ・アーデン、ゴードン・エリオット
1934年11月日本劇場公開

「私のダイナ」
原題/Chained
1934年/アメリカ
監督 : クラレンス・ブラウン
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、オットー・クルーガー、スチュアート・アーウィン、ウナ・オコナー、エイキム・タミロフ、ウォード・ボンド、マージョリー・ゲイキソン
1935年6月日本劇場公開

「結婚十分前」
原題/Forsaking All Others
1934年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァン・ダイク
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、ロバート・モントゴメリー、チャールズ・バターワース、フランシス.ドレイク、ビリー・パーク、ロザリンド・ラッセル
1935年10月日本劇場公開

「空駆ける恋」
原題/Love on the Run
1936年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァン・ダイク
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、フランチョット・トーン、レジナルド・オーウェン、モナ・バリー、イヴァン・レベデフ
1937年5月日本劇場公開

「ストレンジ・カーゴ(原題)」
原題/Strange Cargo
1940年/アメリカ
監督 : フランク・ボザージェ
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、ピーター・ローレ、イアン・ハンター、ポール・ルーカス、アルバート・デッカー、エドワルド・チャンネッリ、J・エドワード・ブルムバーグ、ジョン・アリージ
日本劇場未公開

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド(原題)」
原題/They All Kissed the Bride
1942年/アメリカ
監督 : アレキサンダー・ホール
出演 : ジョーン・クロフォード、メルヴィン・ダグラス、ローランド・ヤング、ビリー・バーク、アレン・ジェンキンズ、ヘレン・パリッシュ
日本劇場未公開



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