2011/11/13

詩人・園子温監督による”概念としての女たち”への讃歌・・・「言葉」をおぼえて”地獄”へ堕ちた女は”明るい奈落”という「城」を目指すの!~「恋の罪」~



「愛のむきだし」以来、脂ののっている園子温監督・・・1993年に発生した埼玉愛犬家殺人事件をベースにした「冷たい熱帯魚」に続き、1997年に起こった東電OL殺人事件からインスパイアされた「恋の罪」は、再びトラウマ確実な園子温テイストの映画でありました。

東電OL殺人事件の発生当時、ボクは日本に住んでいなかったので、マスコミの報道については全く知らないのですが・・・その後に事件のこと読むたび、被害者となった東電OLに興味を持たずにいられませんでした。学歴にも恵まれ、女性総合職のエリート社員として昼は働きながら、夜は円山町で街娼をしていたという39歳(当時)の未婚女性に、ボクは強いシンパシーを感じてしまったのです。この事件をルポルタージュした佐野眞一著の「東電OL殺人事件」は勿論、事件からインスパイアされた桐野夏生著の「グロテスク」を読み、ボクは東電OLの堕ちていく姿を妄想しては、彼女の生き様に憧れてしまうところさえありました。そんなボクが大好物の題材を、あの園子温が映画にするというのですから、これは期待せずにはいられません。

「恋の罪」は、事件から想像を膨らましたフィクション・・・捜査する女刑事とベストセラー作家の妻の二人の架空の物語を加えて、事件の深層というよりも”園子温監督の思う女”の本質に迫っています。本作には、ボクが共感/同化していた”堕ちたエリートOL”なんて生易しい地獄ではなく・・・その先にある「明るい奈落」が描かれているのです。

物語はまず、敏腕女刑事/吉田和子(水野美紀)の大胆なセックスシーンとヘアヌードで始まります。不倫相手との激しい情事の直後、彼女は捜査のため円山町へ駆けつけるのですが・・・空き家のボロアパートの一室で、マネキン人形に接合された切断された遺体を目撃することになるのです。ひとつは赤いドレスを着せられた上半身だけの死体、もうひとつはセーラー服を着せられた下半身の膝までの死体、顔はマネキン人形頭、手、膝から下の部分は行方不明で、女性器からはクリトリスが切り取られているという猟奇的な殺人事件だったでした。

本作では、女刑事の不倫と殺人事件の捜査と同時に、事件に関与していた二人の女性、ベストセラー作家の妻/菊池いずみ(神楽坂恵)と昼は大学教授で夜は街娼をする女/尾沢美津子(冨樫真)の経緯を過去にさかのぼっていき、妄想なども入り込み、時間軸も現実と非現実がシャッフルされるという少々複雑な構造となっています。

まず語られるのは、ベストセラー作家の妻/菊池いずみの物語です。

「冷たい熱帯魚」では主人公の妻を演じていた神楽坂恵・・・台詞は棒読みっぽく、自信なさげで確かな自分がない感じ。でも、脱いだら巨乳で、妙に”男好き”のするエロさを醸し出している不思議な印象でした。本作では、園子温の演出のもと捨て身の怪演をしております。

作家の夫/菊池由起夫(津田寛治)を、毎日同じ時間に家から送り出し、玄関で迎える日々(執筆のために仕事場を構えている)・・・定位置にスリッパを準備し、帰宅のタイミングに合わせて紅茶を用意。夫の望むままの”完璧な家”を守る妻を演じていますが、夫との夜の営みはなく悶々とした夜を過ごしているいたのです。でも、夫の朗読会では妻という立場に優越感を感じたり、女友達を招待して豪華な自宅を見せびらかしていたりもします。

世の中には社会的な成功者の夫を持つ「貞淑な妻」という女性がいますが・・・彼女たちって、何を求めているのかと疑問に感じてしまいます。生活に困窮することはなく、世間的な体裁を保つ贅沢も許されています。夫の言いなりになることで、世間的には羨ましがられる生活を手にし、成功者の妻としての社会的地位さえも手にすることができるのですから・・・学生時代の友人はもとより、元同僚、女友達など世間に対して「してやったり」な優越感さえ感じることでしょう。彼女らは、意識的にしろ、無意識にしろ、したたかで野心家と言えるのかもしれません。

逆に「貞淑な妻」を求める成功者・・・というのは、どういう男性なのでしょう?実は経済的/社会的優位によって女性を縛ることでしか女の信用できない男なのかもしれません。金とセックスを交換することで安心することができるから、家の外では売春婦を買っていたりするもの・・・だからこそ、尚、妻には子孫を残す目的以外でセックスを求めないだろうし、妻の貞淑さというのを過剰に求めるのでしょう。浮気や不倫は勿論、性的に成熟することさえ許すはずはありません。

いずみは日記をつけ始めることで、退屈な生活の不満に気付いていきます。淡々とすべきことをしているだけであれば、ただ同じような日常が続いていただけかのかもしれません。日記を書くという行為で自分の思いを「言葉」にした途端、退屈さは堪え難きモノになっていくのです。夫に許され、いずみの得た仕事というのは・・・スーパーの試食コーナーでソーセージを売る仕事。ベストセラー作家の妻という肩書きをなくした場では、いずみは社会的にこの程度の女だということなのでしょう。

いずみの最初の転機は、撮影モデルのスカウトされたこと。言葉巧みに誘われて撮影所まで出向いてしまったいずみは、スタッフに褒めまくられて、気分を良くしてカメラの前に立ってしまうのです。最初はドレス姿で、次に水着にされ、最後には男性モデルとの絡みまでやらされてしまいます。撮影後にモデルの男に誘惑されホテルへ連れ込まれて・・・欲求不満だったいずみは、久しぶりのセックスで急に生命力を取り戻したかのように生き生きとしてくるのです。自宅の鏡の前で裸になってソーセージ販売の練習をするうちに、声もハキハキして表情も明るくなっていきます。自宅でも夫に対してより献身的になり、スーパーのバイトでも元気いっぱい、ヌードモデルの仕事も楽しくなってくるし・・・いずみは徐々に大胆になっていき、若い男を引っ掛けてトイレでセックスするような女になっていくのです。

次の転機は、尾沢美津子との出会いでした。胸の開いたセクシーなドレスを着て渋谷の街をふらついている時、カオル(小林竜樹)という若者に声をかけられて、円山町のラブホテルにしけこみます。カオルは白いトレンチコートに黒い帽子という園子温監督自身のスタイルを彷彿させるファションをしていることから、監督自身を投影させているのかもしれません。

一見すると今どきの若者のようなカオルですが、エッチが終わった後、危ない本性を現します。いずみの手を縛って、夫に電話で家に帰れなくなったことを言うように、サディスティックに脅すのです。この段階では、まだ家では貞淑な妻を演じていたいずみにとって、これほどの危機はありません。カオルの言いなりになり、四つん這いで犯されながら夫と電話で話す事で、やっと帰宅を許されることになります。いずみは、すっかり精神的にボロボロ・・・ホテルを出た後、円山町の道端で倒れ込んでしまいます。そこに現れて、いずみに手を差し伸べたのが、尾沢美津子なのでした。美津子は円山町で客を取る街娼・・・空き家になったボロアパート一室をラブホテル代わりに使って、安い金額で男達とセックスしていていたのです。

映画はここからは美津子の物語も加わって、いずみと美津子の二人を女を描いていきます。

この美津子こそ東電OLの被害者をモデルとした役柄で、年齢も同じ39歳。痩せぎすで肋骨が浮かび出るほど痩せているという肉体的な特徴も似ています。職業は、会社のエリート社員から大学助教授へと変更されているものの、彼女の父親も同じ大学の教授であったという設定は、東電OLの父親もまた東電幹部であったという事実に基づいているのでしょう。美津子は、ある詩をいずみに教えます。

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ボクはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

これは、田村隆一の「言葉のない世界」から「帰途」というタイトルの詩からの抜粋なのですが・・・「言葉」をおぼえたことにより、目から流れている水分のことを「涙」であると知ってしまった・・・だから、涙を流す気持ちまでも理解することができて、立ち去ることが出来なくなってしまたという意味なのだそうです。

美津子は、いずみはまだ「言葉」の本当の意味を知らないから、自分のことも分からず迷いがあるのだと説きます・・・「肉体をもった言葉」を理解すべきだと。考えてみれば、我々は「言葉」を介して、自分の感情さえも理解しているところがあります。「浮気」「不倫」という言葉を使えば、裏切られた気持ちにもなるものだけど・・・言葉なしで状況を表す言葉がなければ、どういう感情を持つべきかもハッキリとは分からないものだったりします。言葉の上澄みしか理解していない、いずみは「ベストセラー作家の貞淑な妻」という「言葉」に準じて、その役目を演じていただけだったのかもしれないのです。

重要な「言葉」として登場するのが「城」です。これはカオルの口からも発せられる言葉なのですが・・・美津子は、カフカの「城」を引用して・・・人は、あるかどうかも分からない「城」の周りをぐるぐると回って、まだ「城」の入り口さえも見たこともない、結局は「城」には辿り着けないと言うのです。

謎解きのように、美津子が口にする「城」という言葉の意味・・・そして「言葉なんかおぼえるんじゃなかった」と詩人である園子温の「言葉」の世界が広がっていきます。美津子はたいへん饒舌で、次から次へと「言葉」をいずみに浴びせます。

「愛が無ければお金を取らなきゃ!」(これは名言!)

美津子の言葉に従って・・・いずみいは誘ってくる男に、セックスするなら金をくれと迫るようになります。だって、いずみにセックスを求めてくる男たちに、いずみは「愛」はないのですか。いずみの「愛」は、夫のために取ってあるのです。お金をもらうAVモデルのお仕事には、ますます力が入ります。以前とは違い、自らが騎乗位で腰を振りまくる熱演ぶりにスタッフも目が点です。スーパーのバイトでは、細かく刻んだウインナーではなく、巨大ウインナー1本を嬉しそうに販売する姿は。滑稽ながら輝いてみえます。

自分を導いてくれるのは美津子だと信じて、いずみは彼女を「師匠」と仰ぎます。行動を共にして円山町で売春をするようなるのですが・・・いずみにとって汚いボロアパートで「売女」と罵られながら男たちに犯されるのには、抵抗があったりします。そんな弱腰のいずみを見て美津子は「わたしのとこまで堕ちてこい!」と一喝するのです。美津子を演じる冨樫真という女優さんは初めて観たのですが・・・壊れた女を見事に怪演しています。

徐々に・・・いずみと美津子の経緯が明らかになると同時に、捜査する和子がズルズルと続けている不倫の状況も描かれます。ゴミ出しのフリして家族の目を盗んで男の車の中で抱擁したり、犯行現場でテレフォンセックスに興じたり・・・というSMチックなプレイ。しかし、いずみと美津子のように何故彼女が不倫相手にのめり込むのか理由というのは釈然としません。
美人だけど、これといった特徴のない水野美紀が演じているのと相まって、殺人事件の真相を観客とともに見守る役目以外、和子にはあまり興味を持てなかったりします。

ここからはエンディングまでのネタバレ含みます。

美津子からある日突然、以前いずみを酷い目にあわせたカオルという男を紹介されます。彼はデリヘルの元締めのような仕事をしているようで、美津子は週数日は彼のやっている「魔女っ子クラブ」でデリヘル嬢をしていたのです。店にいく前に、何故か三人は美津子の自宅の古い屋敷を訪れることになります。そこで彼女達を迎えたのは、美津子の母(大方斐紗子)でした。ここで繰り広げられる母娘のバトルは、本作の最高のシーンのひとつ・・・トラウマ確実の場面が繰り広げられます。

美津子の父、すなわち、彼女の夫は身分が低く婿養子として尾沢家に入ったというのですが・・・下品な彼の血は、娘に引き継がれたのだと母親は訴えます。高校時代、美津子は”男性”として父親に近親相姦的な恋心を抱いていたのです。母親に毛嫌いされている似た者同士の父親と娘は、タジオに閉じこもるようになり、娘をヌードモデルにしてスケッチなどしていたようなのです。母親は、そんな父と娘の関係をおぞましく思っていたに違いありません。しかし実際は、父親は娘にカフカの「城」を手渡して、自分は「城」のような存在である(決して交わってはならない)と諭していたようなのです。美津子にとって、その「城」の概念が、どうしても手に入れることのできないトラウマの象徴として残ったのでした。

自分の血も半分引き継いでいるはずのなのに「下品な父親の血を引き継いだから、娘は頭が悪くて下品なんですよ・・・だから売春なんて下品なことしてますの~」と微笑む母親・・・。美津子が、堕ちてしまった理由は、この「上品」という言葉に囚われた母親が原因であったことが伺えます。

「死ね、ババァ!」と口答えする美津子に「あなたこそ、死ねば良いのにぃ~」と笑いながら、いずみとカオルに同意を求める母親の姿というのは・・・一対一では立ち向かうパワーのない年老いた母親は、第三者(いずみとカオル)が立ち合っている機会を見計らって、普段、娘に言いたくて仕方ない思いをぶつけているようです。母親が最も望まない生き方ことをすることこそが、美津子が自らを堕していった原動力ではなかったかと思えてしまいます。子供に対して高い期待を押し付ける親と、反抗心が大人になってもなくならない幼児性の高い子供によって、親を悲しませることが子の生き甲斐なってしまうのですから・・・こんな皮肉なことはありません。

さて・・・美津子の差し金によりデリヘル嬢として「魔女っ子クラブ」で働かされることになってしまったいずみ。若い子が働くこのデリヘルでは、美津子は実は「チェンジ要員」という名の厄介者・・・39歳の美津子を客の元へ行かせれば、多くの客は女の子のチェンジを求めてくるのです。そこで、客に料金の高い「VIPコース/若くて可愛い女の子が必ず来る」に案内するというのが、デリヘル店のビジネスの常套手段だったというのです。

美津子が出掛けた後、カオルはいずみを連れ立って「チェンジ」に備えて、出張先のホテルの部屋へ向かいます。客に跨がって強引にセックスをする美津子・・相手はいずみの夫/菊池由起夫だったのです!実は、ふたりが結婚する以前から由起夫は美津子の客でした・・・そして彼のお好みのプレイは騎乗位で跨がった美津子に首を絞められながら果てること。その快感によって彼はベストセラーを書き続ける意欲を掻き立てていたというのです。そして・・・いずみを街娼/デリヘル嬢にまで導いてきたのは、意図的であったことが明かされます。

ベストセラー作家の貞淑な妻に収まっている”いずみ”に対しての嫉妬や復讐心で、美津子がカオルを利用して出会い、デリヘル嬢に仕立てたのも夫と鉢合わせさせるためだとしたら・・・美津子にはガッカリです。

肉体をもった「言葉」の意味を求め、辿り着けない「城」を探すという大命題を持って、地獄に堕ちていったはずなのに・・・結局は、そんな凡人のような安っぽい感情によって動いていたとは!そんな最低な美津子には、無惨な死しかありません。それは、美津子の母親によって決着をつけられるのですが・・・カオルといずみの手を借りて行なわれた犯行であるはずです。映画では何故、マネキンに死体の胴体を接合したか、セーラー服と赤いドレスを着せたのか、などの詳しい説明はありませんし、どのような作業をしたのかは描かれません。ただ、カオルはその後、美津子の母親と屋敷に行って、首つり自殺をしていたとうこと。そして、殺害を告白した美津子の母親は、その上品な威厳を守るかのように、さっさと自害してしまうのです。

いずみは生き残り、街娼として田舎の港町にいます。ベストセラー作家の夫は、行方不明とした妻には何の未練もない様子です。小学生の男子の目の前でしゃがんで小便をして、股間を見せたりする頭のおかしな女に成り下がったいずみ・・・客が掴まらないなら安く売春して、他の街娼からブーイングされています。客に逆ギレして殴り掛かれば、強者を雇われて裏道でボコボコにされて鼻血出して倒れている・・・そんな堕ちても、いずみは、どこか幸せそう。地獄の先の行き着くところまで行ってしまったのです。

以前、めのおかしブログで書いたことがあるのですが・・・「うさぎとマツコの往復書簡」の中で、中村うさぎの言葉を思い出さずに入られません。

生き『地獄』を抜けたら『砂漠』だった・・・振り返った『地獄』の真ん中に『天国』はあったのだ。

中村うさぎの言葉を借りれば・・いずみは『地獄』の真ん中にある『天国』という「明るい奈落」へ昇天してしまったようです。ボクの共感を超えた未知の世界・・・それは、入り口さえ何処にあるか分からない「城」であるかもしれません。

映画は、和子の日常で終わります。ゴミ収集車を追って、円山町の事件現場のボロアパートの前まで来てしまった和子に、不倫相手の男(児嶋一哉)から電話がかかってきます。一度は立ち切ろうとしたのに、また電話に出てしまう・・・「どこにいる?」と尋ねられて「分からない」と答える和子は、再び不倫を続けてしまうのでしょうか?愚かな過ちを繰り返すのならば・・・和子にもガッカリです。

「恋の罪」に出てくる女性は、良くも悪くも園子温監督による概念としての女たちのように思います。それは監督にとっての女性とは何かと突き詰めた結果であり・・・”女”を語るというよりも、屈折した園子温監督自身を雄弁に語っているだけなのかもしれません。男のセックスに、支配や権力というパワーを、まだ必要とする”オジサン世代”の・・・。何故なら、彼女たちは、いつでもセックスに自ら応じる、男にとって”都合のいい女”でしかないからです。

いずみを演じた神楽坂恵と園子温監督は、本作製作後に婚約を発表しました。もしも、実生活でもいずみのような貞淑な妻と奈落の街娼を神楽坂恵に求めるならば・・・おそらく結婚は長くかないでしょう。平穏な結婚生活に甘んじて、生温い映画をつくる園子温監督なんて見たくもない!・・・というのが、ファンとしての本音です。あと1作か2作・・・神楽坂恵でドンデモナイ映画を作って、園子温監督には、再び女性不信に満ちた「曲者」に戻って欲しいと願ってしまうのであります。



「恋の罪」
2011年/日本
監督 : 園子温
脚本 : 園子温
出演 : 水野美紀、冨樫真、神楽坂恵、津田寛治、大方斐紗子、児嶋一哉(アンジャッシュ)、二階堂智、小林竜樹、五辻真吾、深水元基、岩松了、町田マリー



ブログランキング・にほんブログ村へ

0 件のコメント:

コメントを投稿