2009/07/20

ようこそHIV+クラブへ、さよならセーフSEX


1981年というのは、後にAIDS(エイズ)と呼ばれる病気の存在が、アメリカで公表された年(HIVウィルス自体は1952年以降存在していたらしい)ということなので、自分がアメリカ生活をしていた約20年間というのは、ある意味エイズの歴史とパラレルだったような気がします。

1982年秋頃には、すでにニューヨークのゲイバーには「ゲイのあいだで広がっている新しい病気に気をつけよう」というような警告の張り紙があった記憶があります。
当時は「Gay Cancer/ゲイの癌」と呼ばれ、どのような病気なのかまったく分かっておらず、何故かゲイの間”だけ”で広がる奇病であり、それにかかると抵抗力がなくなりやせ細って死んでいく・・・という”都市伝説”のようなところがありました。

その後、HIVウィルスによるAIDS(エイズ)という病気が性交渉によっても感染することが判明し「セーフSEX」が感染の広がりを食い止める最も効果的な方法であることが、世界的に認識されていきました。
ただ、ニューヨークはアメリカで最も早く爆発的に感染が広がった都市であり、1990年頃には、自分のゲイの友人の数人はすでに亡くなっており、ゲイの友人の半分(50%)はHIV+(ポジティブ)のキャリアーというような状況でした。
ATZなどの効果的な薬の使用は一般的になっていたものの、他のタイプのHIVウィルスにさらに感染することで重度のエイズになりやすいという説がありました。ロシアンルーレットの弾に当りたくなければ「セーフSEX」をすることは、まだ”当然”という時代でした。
しかし、ある程度治療方法というものが確立し、エイズを発症して命を落とすことが稀になってきて、感染者同志の接触によって悪化することはないと分かってくると「セーフSEX」というコンセプト自体が、HIVキャリアー間には意味がなってしまったのです。

2001年(ちょうど自分が日本に帰国した年)あたりから、コンドームなしの乱交パーティーのようなイベントが行われるようになってきた記憶があります。またインターネットの広がりにより、「アン・セーフSEX」を前提にしたポジティブ同志の出会いの場がネットで広がってい
きました。こうなってくると、あまりモテないから”まだ”HIV ネガティブ"で「セーフSEX」を要求することが興醒めさせるのではないかというムードさえ感じるようになってきました。
確かに、ポジティブの友人に言わせると「相手に一応合わせるけど、出来ればコンドームなしの方が良い」「ネガティブの人とのセックスは、感染させる可能性があるので気を使う」「ポジティブであることをいちいち”告白”しなければならないのは面倒」というのが正直な気持ちだそうです。

現在のニューヨークのようにゲイ人口の殆ど(?)がポジティブである環境になると、ポジティブであることが、ある「クラブ」に属しているようになっているような気がします。
その「クラブ」に一度入れば、感染の不安もなくコンドームなしでセックスが出来るし、絶対数の多いポジティブの人達との出会うチャンスが増えるのです。
いつの間にか、1970年代後半の”やり放題”のセックスライフが、ニューヨークのゲイのあいだではインターネットというツールによってしっかりと復活しているのでした。
これが「意識の進化」なのか・・・「再びの過ち」なのかは・・・自分には分かりません。

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