2011/03/31

極めて1980年代的?・・・「コンテンポラリーアート」としての「ファッションデザイン」~マウリツィオ・ガランテ~



3月は入院や震災で何かとバタバタしてしまって、イギリスのアマゾンに注文していた本が届いていたことを、すっかり忘れてしまっていました・・・。
部屋の隅に置かれた大きな箱に、退院後に帰宅して一週間ほど経って気付いたという次第であります。
日本の洋書屋でも買えるけど、送料を考えても個人輸入してしまった方が安いし早い・・・購入したのは、昨年、フランスのHC Edition社より出版されたイタリア人ファッションデザイナー「マウリツィオ・ガランテ/Maurizio Galante」のオートクチュールデザインと建築、インテリアを含むインスタレーションアートまでを網羅した作品を収録した本です。
このデザイナーは商業的なファッションとは無縁、またオートクチュールという一般的にそれほど注目されることもない世界で活動をしているので、こうやって本が出版されることさえボクには驚きでありました。

これほどマイナーなデザイナーに興味を惹かれたきっかけは、僅かながらニューヨークの高級百貨店で扱われていたから。
当時(1990年頃)パーソンズデザイン大学のファッション科を卒業したばかりのボクは、暇があれば百貨店の高級クチュールエリアをブラブラしていた青年であったのです。
日本のお店であれば、ガラスケースの中に入れてあるような数十万円、数百万円する服が、ニューヨークの高級店ではハンガーにつるされて売られていました。
クチュール系イブニングドレスの売り場に、マウリツィオ・ガランテの服は異彩を放っていたのです。
一時期、高島屋でライセンスを持っていたような記憶があるのですが、マイナーなデザイナーのファッションショーを取り上げる日本の雑誌にさえも、マリッツィオ・ガランテはそれほど掲載されることはありませんでした。

日本に住んでいると・・・「海外でも日本のファッションは人気で大変注目されている!」というニュースを鵜呑みにしがちではありますが、日本のファッション、または日本人デザイナーの知名度、人気、共にかなり局地的というか、ファッションのプロ/マニアック向けであることには違いありません。
インターネットを通じて、たしかに「カワイイ」「ギャル」文化は浸透している感はありますが・・・それも、現地ではかなりの変わり者のタイプに受けていると思っていた方が無難。
いわゆる「ジャパニーズファッション」として、日本以外で日本人デザイナーが注目されたのは(ボクの記憶が正しければ)「山本寛斎」が最初でした。
ただ、この時はエキゾチックな派手な歌舞伎っぽいジャパンテイストを打ち出したに過ぎず、ゲリラ的な注目の集め方であったという印象です。
「高田賢三」は、西欧的なスタイルの中に日本的なキモノカットを取り入れましたが、あくまでもフランス的なデザイナーでした。
表面的なジャパンテイストではなく、服に日本の思想そのものを表現したのは「一枚の布」をテーマにした「三宅一生」でした。
「立体裁断」という服作りの基本から離脱した造形をファッションデザインに持ち込んだのです。

「身体」と「まとう布」との新しい関係性は、服という枠組みを超えて「コンテンポラリーアート」の領域までファッションデザインを高めたのではないかと思います。
大雑把に言ってしまえば・・・立体裁断の考え方から自由になったことで、日本を代表する二大ファッションデザイナーとなった「コム・デ・ギャルソン」や「ヨージ・ヤマモト」が、世界のファッションデザイン界に衝撃を与えることができたと言っても過言ではないでしょう。
ただし、ファッションデザインの「コンテンポラリーアート」としての追求は、「三宅一生スタジオ」の出身者や「菱沼良樹」などの限られた日本人デザイナーに引き継がれたものの・・・1990年代以降は、ファッションという存在自体が、より商業的、よりリアルクローズを目指すようになり、そんなアプローチ自体が「1980年代」的で古臭い発想のように感じられるようになってしまいました。
そんな逆風(?)にも関わらず、1980年代後半から20年以上に渡って「コンテンポラリーアート」としての「ファッションデザイン」を続けているのが「マウリツィオ・ガランテ」なのです。

マウリツィオ・ガランテのデザインの特徴はというのは、重ねられた生地の圧倒的な存在感であります。
1960年代にパコ・ラバンヌ(Paco Rabannne)はメタルのピースを繋いでドレスを作りましたが、マウリツィオ・ガランテはシルク生地で長方形、正方形、三角、円形などをパネル状に裁断し、オーガニックに何重にも重ねて陰影の深い独特の効果を生んでいます。
それらをフリルのような装飾であると同時に、全体的には生地で作られた現代彫刻のようなな存在感もあるのです。
2000年代には、ヴィクター&ロルフ(Victor & Rolf)がフリルなどの装飾をディフォルメしたような作品を発表しましたが、あくまでも「モード」としての造形の遊びでした。
マウリツィオ・ガランテのコレクションも近年は、以前よりもモード的な要素も加えてファッションらしさも打ち出しているようですが、神髄は生地の幾何学的な造形であり、肉体をアブストラクトな彫刻へと変貌させるているアート性・・・・いわゆる「モード」とはかけ離れた存在感であります。
「一枚の布」の三宅一生とは、真逆のようなマウリツィオ・ガランテの「重ねられた生地」による造形は「ファッションデザイン」が模索した両極端なアプローチだと思えるのです。

我々が日常的に着ている「プロダクトデザイン」としての「ファッション」
お金持ちの記号として存在するブランド/モードとしての「ファッション」
メディアのなかで消費されるためだけにあるトレンド/流行としての「ファッション」
そして・・・今や消えてなくなってしまいそうな、コンテンポラリーアートの造形としての「ファッション」という存在も21世紀に残して欲しいと思ってしまうのは・・・ボク自身がファッションデザインと出会ったのが、1980年代という極めて豊かで実験的な時代であったことがあるのかもしれません。
数十年後、数百年後に「流行」という尺度でない目で、ファッションの歴史を振り返ったときに、評価されるべきモノはやはり創造性だと、ボクは思いたいのです。





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2011/03/20

「計画停電」開始から一週間経ちました・・・「低エネルギー生活」という、新しいライフスタイルを築くこと



23区内では現在のところは行なわれていない「計画停電」・・・停電による影響が多いからということで23区(一部足立区を覗く)を除外するのは理解出来るけど、近隣地域は「計画停電」によって、それなりに不自由な生活を強いられているのところもあるので、少々複雑な気持ちにもなります。
店舗は、停電する、しない、に関わらず、計画停電の時間帯の30分から1時間前後は閉店・・・商業ビルのエレベーターも止まってしまいます。
ボクが入院していた病院も、計画停電の時間帯の手術や検査はできませんでした。
実際、ボクは緊急性を伴わないとして、精密な検査と治療の可能なバルーン内視鏡検査が中止となり退院して、外来でのカプセル内視鏡検査になりました。
日常生活の様々な場面で、この「計画停電」に振り回されているという気はします。
・・・といっても、週末には結局実施されなかったし、第5グループに属する自宅は、まだ一度も停電していません。
不思議なのは僅か5日間の実施の間に、すでに二度も停電を経験している地域があるということ・・・どういう方法でどの地域が停電することが決まるのか、ボクにはさっぱり分かりませんが、漠然とした”不公平感”というのは感じるのは否めません。

テレビでの報道では「福島原発は東京電力の供給力の7%程度を担っていた」と言っていたような気がするのですが・・・去年の夏(7月21日0)最大電力が5918万キロワットに達した時、東京電力は「最大電力供給力6520万キロワットまで対応できる」と発表していました。
しかし、気温が低いために交通機関が大混乱した先週の木曜日の最大電力供給力は「3350万キロワット」とのこと。
大雑把に言ってしまえば・・・東京電力の最大供給能力は、現在、ほぼ半分程度になっているってことです。
これでは、単に家庭、会社、店舗だけで節電をしたところでは、とうてい無理。
家庭でも冷蔵庫、電話、最低限の照明など、ギリギリの生活するのに必要とする電力というのはあるわけなので、使用量を半分にするというのは並大抵のことではありません。
それ故に、電車とかの本数を減らしたり、工場を停止するしかないというのは、仕方ないことではあります。
ただ、これから暖かい気候となり、暖房なしに過ごしやすい時期は何とか乗り切れたとしても・・・夏が来て冷房が必要になったときに、どうなってしまうのでしょう?

福島の原子力発電所の復旧というのは、いつになるか分からないどころか、再び操業するのかさえも分かりません。
現在の必死の消火活動というのは、何が何でも原子炉を守って再建するためなのだと思いますが・・・原発の周辺住民からしたら「もう、首都圏のために犠牲になりたくない、原発なんて出てってくれ!」と言いたいのではないでしょうか?
いずれにしても、何ヶ月という単位ではなく、電力供給力の問題が解決するのには何年という年月が必要な気がしてしまいます。
そうなると・・・政府が少なくとも4月末まで実施するとしている「計画停電」は、恒久的に続くと考えなければいけないのかもしれません。




去年ほどの「猛暑」にならないとしても、本数の減った混雑した電車のなかで冷房を使えないとなると・・・凄まじい状態になるでしょう。
そういう事態になったら、23区内でも「計画停電」を実施する以外、大規模停電を回避する手段はないとは思います。
今までのような電力使い方というのは、今後、二度と出来ないと思って生活していった方が良いかもしれません。
「エコ」の理由だけでは、正直言ってなかなか本気で「節電」することが難しかったボクありますが、さすがに今回はかなり真剣に「節電」を心がけています。
これからは常に「節電」をする・・・いいえ、もはや「節電」という意識ではなく、それを当たり前とする生活をしなければならないのかもしれません。

「節電」=「自粛」というような経済活動までも”マイナス思考”ではなく、「低エネルギー生活」という”プラス思考”で、新しいライフスタイルを築いていきたいものです。

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2011/03/16

”炭水化物”を買いだめする日本人・・・「計画停電」というシステムに慣れるまで買い物するのも大変!


絶食が続いた直後だったので、正直体力的に厳しかったのですが(入退院の経緯は「けいたいおかし」をご覧下さい)・・・地震後初めて自宅周辺のお店などをリハビリを兼ねて廻ってみました。
母からタイミングが悪いと閉店している場合があるということだったので、ボクの住んでいるエリアが計画停電の時間帯に、あえて隣の区にある大型スーパーの「ダイエー」に行ってみることにしました。
途中通過したディスカウントスーパー「つるかめ」は、計画停電のため開店は1時間後・・・ところがすでに店舗前に列ができていたのにはビックリ!
近所のコンビニにも、パン類とカップ麺の棚だけは殆どからっぽ・・・まるで共産圏時代のソ連のお店みたいな光景に、ちょっと笑ってしまいそう。
ニュースやネットの画像で見たガラガラの商品棚というのを自分の目でしっかり拝められた事に満足、満足。
10分程度歩いて大型スーパーの「ダイエー」到着・・・特に混雑しているというわけでもなく、商品の数量は若干少なめな感じであるものの、野菜や生鮮食品が買えないというわけではありません。
ただ「米」「パン」「パスタ」「じゃがいも」「カップ麺」「レトルト食品」「納豆」「牛乳」「トイレットペーパー/ティッシュ」は売り切れ・・・何が不足しているのかが、明確に分かったのでした。


それにしても、売り切れている商品って”炭水化物”を含むモノ多し・・・日本人って本当に”炭水化物”が好きなんですね。
・・・というのも、ボクは(別に海外生活が長いからではないと思いますが・・・)それほど”炭水化物”が好きでないので、ないなら、ないで、全然オッケーというタチであります。
日本人は「主食」という考え方で、食事のなかに”炭水化物”が(殆どの場合メインで!)含まれていなければ食事じゃないと思っている人も多いようです。
欧米人には、そもそも「主食」という発想がないのではないでしょうか?
パン、米、パスタ、いも類は炭水化物の食品(carbohydrate、略してカーボ)という栄養素でしかないのです。
アメリカ人の友人のなかには、米(ライス)は「野菜」って考える人がいたのには、さすがに驚いたことはありますが・・・
今回の食料品の偏った品薄状態は、日本人的だとボクには思えてします。
「略奪」や「暴動」などの犯罪が起こらない規律のある日本人というのが、世界的には驚愕として受け止められているみたいだけど・・・「買いだめ」という地味~な集団心理だけは長けているみたいです。
漠然と不安から、とりあえず皆と同じように「買っておきたいの」という感覚なのかもしれませんが、それを連鎖的に多くの人がやってしまうから、いきなり売り切れ、品薄になってしまっているだけなんですよね~。

さて、キノコ類やイチゴなど安売りしていたモノをいくつかを「ダイエー」では購入して、バスに乗って最寄り駅の商店街へ移動することにしました。
「フジガーデン」というスーパーマーケットは開店まで1時間もあるというのに、すでに長蛇の列でビックリ・・・駅周辺の他のスーパーマーケットはすでに開店しているのを、並んでいるお客さん達は知らないのでしょうか?
途中で立ち寄った「やまや酒屋」にもパスタ類、米は一切なく・・・ワインや酒類の在庫はたっぷりとあるのに、アルコールを買っている客がいないというのが対照的でした。
今のところ・・・やけ酒でも飲んでやろうっていう流れはないみたいですね。


最後に訪れた「成城石井」は開店したばかり・・・「ダイエー」以上に商品は豊富で、米だって、パスタだって、スナック菓子だって、牛乳だって、ペットボトルのドリンク類だって、パン類だって買えます。
あるところにはあるというか・・・計画停電時間帯終了の開店直後というタイミングであれば、以前とまったく同じというほどでないとしても、そこそこ豊富な商品は購入できるようです。
若干、海鮮類の種類は少ない気はしましたが、野菜、くだもの、肉は普段どおり豊富に販売されており、食生活には不自由はしないという印象でした・・・ボクのように炭水化物なしで平気であれば!

(他の地域では、品薄状態が厳しかったり、もっと豊富に商品があることもあると思いますので・・・あくまでもボクの暮らすエリアでの話です)


何故か「品薄」というというと、真っ先に店頭からなくなるイメージがあるのが「トイレットペーパー」と「ティッシュペーパー」であります。
これは1970年代のオイルショック以来、日本人のDNAに刻まれている飢餓感なのでしょうか?
殆どの家庭がウォッシュレット装備されている日本で、それほどトイレットペーパーを消費するなんて思えないのですが・・・。
花粉症でティッシュペーパーは手放せないという人もいるかもしれませんが、鼻をかむんだったらハンカチでも良いんじゃないって思うのは・・・アメリカ人的過ぎますか?
「売り切れ状態だから、とりあえず欲しくなってしまう」だけのことで、十分な商品が行き渡った時には逆に在庫が過剰になってしまいそうであります。

エリアを5つに分けて指定の時間帯に停電する可能性がある「計画停電」でありますが・・・この仕組みに生活が慣れるまで大変なことにはなりそうです。
(ちなみに第5グループの我が家は、まだ一度も停電にはなっていません)
毎日違う時間帯が当てられるので、日々違う対応をしていかなければいけないというのが結構面倒であります。
買い物という日常生活に欠かせない単純なことをするにしても、いつお店が開店するのかが計画停電の時間帯によって毎日違ってくるわけです。
「主婦」のいる家庭であれば何とかなるけど、一人暮らしの人や共働きの家庭って、どうやって買い物するのだろうと疑問に思ってしまいます。
「仕事帰りに買い物しよう♡」な〜んて思っていても、お店が計画停電の時間帯だったら閉店、または、殆どの商品が売り切れなんてこともありそうです。
これが、少なくても4月下旬までは実施される予定というのだから・・・困ったもんであります。
最初に立ち寄った「ダイエー」では、職場から自宅待機になった(?)お父さんを連れて買い物をしている家族というのが結構いたりして・・・二人で制限数いっぱい(商品によってはひとりが購入できる数量が限られている)にカゴに積むなんていう強欲な行為を恥ずかしげもなくやっていました。

普通でない時だから、問われる「品性」・・・とりあえず、ボクはまだ保っております。

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2011/03/07

「Facebook/フェイスブック」の闇と切な過ぎる現実・・・「実名」と「ハンドルネーム」の狭間で”真の自分”になること~ドキュメンタリー映画「Catfish/キャットフィッシュ」~



今年、日本でもブレイクすると言われている「Facebook/フェイスブック」・・・徐々にボクの周りの人たちも登録し始めました。
ボク自身は数年前に、登録したものの”幽霊会員”のような状態で、ず~っと放置しておりました。
ただ、去年の暮れ辺りから「実名登録」が功を奏してか・・・アメリカ在住時代の友人、大学時代の同級生などから「フレンド登録」のコンタクトくるようになりました。
ボクのフルネームは日本人としても比較的珍しく同姓同名というのは全世界規模でもありえないということもあって、友人がボクのことを見つけやすということはあるかもしれません。
連絡を取ることは二度と出来ないだろうと諦めていた友人と再び連絡を取り合うことが出来るのは「Facebook/フェイスブック」様、様、であります。
ただ、しばらくは懐かしさで盛り上がってお互いの「あれからの人生」の報告をし合うものの、いつでも連絡が取り合うことができるという「安心感」からか、徐々にメールやり取りもなくなってしまいがちです。
それでも、生き死にさえ知る由もない友人の無事を確認出来る「だけ」でも大きなる意味があるように思います。

日本で普及したSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)では、営業目的でないプライベートで利用する場合には、実名でなく「ハンドルネーム」での登録が一般的というか・・・「常識」となってします。
アメリカにだって「セカンドライフ」のような仮想空間で「ハンドルネーム」と「アバター」を使って、まさに”セカンドライフ=第2の人生”をネット上で送って人もいることはいますが・・・この「アバター」は自分自身の延長上というより、仮想空間で生きる「別人格」という存在のようです。
日本のネットユーザー使う「ハンドルネーム」というのは「別人格」ということではなく・・・リアルの自分の延長上にある便宜上のネット上の名前であって、個人のアイデンティティーを完全に覆い隠すためではないような気がします。
ちょっと矛盾しているようですが、・・・実名は出さずに同じハンドルネームを使い続けて、ネット上で個なる存在になることで、日本のネットユーザーは”真の自分”なれるのかもしれません。
日本には「Facebook/フェイスブック」にフェイクの名前で登録する人(特にゲイ用のアカウント)という人もいるようですが・・・それならば、すでに日本で普及しているSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)と何も変わりなく、あえて登録する意味はないように思います。

今年に入ってからの「Facebook/フェイスブック」の日本での登録者増加に貢献したと思われるのが、映画「ソーシャルネットワーク」の影響力でしょう。
しかし、この映画を観て「Facebook/フェイスブック」というのが何であるかというのは、よく分かりません。
2008年に撮影された「Catfish/キャットフィッシュ」は、ある意味「Facebook/フェイスブック」の闇を知らしめましたドキュメンタリー映画です。
日本ではいまだに未公開、そして、今後日本で劇場公開されそうもありませんが・・・DVDオンリーでのリリース、もしくは「松嶋X町山 未公開映画を観るテレビ」で放映されるかもしれません。

映画は、マンハッタンに住む24歳のハンサムなカメラマンのニーヴ君と、ミシガン州に暮らす8歳の少女アビーちゃんとの交流を、ドキュメンタリーとして記録しようと提案するニブ君の兄とルームメイトの友人が、撮影にそれほど乗り気でないニブ君を説得するところから始まります。
ニーヴアビーちゃんが知り合ったきっかけというのは、新聞に掲載されたニブ君の写真を元にアビーちゃんが絵を描き、その画像をニブ君宛にメールしてきたことでした。
アビーちゃんの「Facebook/フェイスブック」のページには、たくさんの絵の画像やアビーちゃんが絵を描いている動画などがアップされていて、明るく幸せな彼女の日常生活を伺う知ることができます。
さらにニーヴは、アビーちゃんの母親のアンジェラ、父親のヴィンス、兄のアレックス、義理の姉のメーガンなどとも次第に仲良くなっていきます。
アビーちゃんの家族は皆、クールで美しく誠実な人たち・・・音楽を作ったり、ダンスをしたり、とてもアーティスティック。
また、ファミリーのフレンズである友人たちとも、ニーヴはリアルな人間関係を広げていきます。
アビーちゃんニーブが送る写真を次々と絵に描いているようで、母親のアンジェラとの電話の会話から、地元ではコレクターが数60万円ほどで購入するほど注目されている少女画家らしいということも分かってきます。
そのうち、ニーヴメーガンともメールのやり取りや電話での会話を繰り返すうちに親しくなっていき、徐々にお互いを男女として意識するようになっていきます。
ネットを通じての出会いに盛り上ってしまって、ニーヴメーガンにすっかり恋してしまうのであります。
そんな時・・・ニーヴ君は仕事でコロラド州まで車で行くことになり、その帰り道にミシガン州に立ち寄ろうと考えます。
「ぜひ、アビーちゃんファミリーに会いたい!」・・・でも本当の目的は、恋し始めてしまったメーガンと実際に会うことであることは言うまでもありません。

しかし・・・ファミリーに会いにいく道中、ある不信感がニーヴに生まれます。
アンジェラメーガンが、自分たちが作った曲だといって音楽ファイルをを送ってくるのですが・・・それと全く同じ歌、演奏、歌声で、別人の歌っている動画を「YOU TUBE」で見つけてしまうのです。
何故、アンジェラは他人が歌っている他人の曲を、自分たちが歌って演奏していると、ニーヴに嘘をついたのでしょう?
疑惑を深めたニーヴは、今まで伝えられてきたアビーちゃんファミリーにまつわる様々な事の裏付けをしていきます。
するとアビーちゃんが絵を売ったという地元のギャラリーというのは実際には存在せず、ギャラリーがあるはずのビルは4年間ずっと空き家であることも判明します。
メーガンが住んでいるはずの農場を訪ねてみても、誰も住んでいる様子はなく・・・しかも、ニーヴがニューヨーク送ったポストカードは郵便受けに放置されていたりするのです。
ニーヴアビーちゃんファミリーの存在自体を怪しみ始めます。
彼が「Facebook/フェイスブック」で知り合ったアビーちゃんファミリーは存在するのでしょうか?
今までメールのやり取りをしたり、幾度となく電話で話したり、たくさんの絵を送ってきたのは一体何者なのか・・・事実を知るために、ニーヴアビーちゃんファミリーの住んでいるミシガン州の街へ向かうのであります。

ここから100%のネタバレを含みます。

登録されている住所に住んでいたのは・・・「Facebook/フェイスブック」の登録画像とは似ても似つかぬ母親のアンジェラと、父親のヴィンスの二人・・・お世辞にも美しいとは言えない中年太りした田舎者の夫婦。
確かにアビーちゃんという8歳の娘は存在していましたが・・・絵はすべて、アンジェラによって描かれていたのでした。
また、ニーヴが恋してしまったメーガンは実在はするものの、画像とはまったくの別人で家族とは疎遠になってしまっていたのです。
さらに重い現実として・・・アンジェラは、夫の連れ子で、いきなり奇声をあげて自虐的になったりするという厄介な精神障害のある双子を息子の面倒を見なければならないということでした。
この家庭で毎日過ごしながら・・・明日への希望を失ってしまいそうなほど、アンジェラの日常というのは酷いものだったのです。
「Facebook/フェイスブック」に存在していたアビーちゃん以外の家族、そして、彼らと交流している友人たちを含めた計15人は、すべてアンジェラが捏造していた架空の人物でありました。
膨大な数の画像はネットから調達したという実在する人物ではあったのですが、アンジェラとは縁もない人々だったのです。
決して意図的にニーヴを騙そうということではなかったようですが、彼は見事に妄想ファミリーの世界へ紛れ込んでしまったということだったのです。
ただ、嘘で固めたアンジェラの物語にも真実はありました・・・それは絵を描いていたこと、そしてメーガンとしてニブ君に恋していたアンジェラの気持ち。
大人が描く絵としては、正直うまいとは言えないナイーブな絵でありますが・・・アンジェラにとって障害者の双子を抱えて生きていくという、厳し過ぎる人生の選択で諦めるしかなかった「希望」に近づく唯一の手段であったようです。
タイトルになった「Catfish/キャットフィッシュ」というのはナマズのこと説明されます。ナマズ一匹をたくさんのタラと一緒にしておくだけでタラが美味しい状態を保てるということから、ナマズのように世の中にひとり存在するだけで、周りの全てを生き生きとさせる存在という意味・・・ただ、これも作り話なのですが。
ニブ君がアンギェラのファミリーにとってのナマズだったのでしょうか?
それとも、アンジェラがニブ君に対してナマズのような妄想を見せてくれたということなのでしょうか?
あまりにも切な過ぎる実生活から逃避していたアンジェラの妄想・・・ただ、ニーヴが現実に彼女の前に現れたことによって、アンジェラは本来の自分と向き合うことができたのです。
正直、肩くわしを食らったようなオチのような気もしますが・・・この映画の製作されたのが「2008年」ということを考慮すれば、衝撃的であったのかもしれません。

ただ「Catfish/キャットフィッシュ」の多重人格的な「なりすまし」というのが、日本のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)とは違い、実名登録が前提である「Facebook/フェイスブック」だからこそ起こりえた気もしてしまうのです。
日本のように「ハンドルネーム」を使ってネットに存在することが一般的であったならば・・・もしかするとアンジェラはここまで「なりすまし」をする必然性はなかったかもしれません。
ある程度の「真実」・・・多少の「誇張」や「妄想」、そして「願望」を含んだネット上のアイデンティティーを「ハンドルネーム」のアバターで作り上げることが出来たとしたら・・・アンジェラは自分自身の延長上にあるキャラとして生きることを許されて、精神のバランスを保つことが出来たのではないでしょうか?
実名登録が前提だからこそ生まれる有効な可能性は、確かに「Facebook/フェイスブック」にあります・・・と、同時に実名だから現実のしがらみから逃れられないジレンマもあるのです。

現実と直結してないからこそ「素」になれる・・・「実名」と「ハンドルネーム」の狭間で、今日もたくさんの人がアイデンティティーを築いているのかもしれません。

「キャットフィッシュ」
原題/Catfish
2010年/アメリカ
監督  アリエル・シュルマン、ヘンリー・ジュースト
出演  ニーヴ・シュルマン



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2011/03/01

もういい加減にしてと思いつつの女王様復活会見・・・天然系悪女沢尻エリカとハイパーストーカー高城剛のその後



去年の5月に沢尻エリカと高城剛の離婚に問題について「めのおかしブログ」に書いたときは、弁護士が入って一気に決着がつきそう・・・なんてボクは書いていたのですが、それから約10ヶ月。
離婚に決着つくどころか、ますます訳の分からないことになっています。
正直、日本国内で「誰がそんなに興味あるの?」とツッコミたくなるほど、テレビのワイドショー、ニュース番組の芸能コーナー、そして週刊誌で、二人の一挙一動を報道していますが・・・なんだかんだ言いながらも、ボクもしっかり観たり読んだりしてしまっているのであります。
随分長い間、沢尻エリカの「会見で」「会見で」に引っ張られた上に・・・毛抜き業界の大御所「たかの友梨ビューティークリニック」の新しい広告キャンペーン「沢尻エリカ・悪女伝説」に、うまいこと乗ってしまったようなマスコミです。

このふたりの離婚騒動の中で一番腑に落ちないのが・・・「すべてをオープンにする」という、高城剛側からの「離婚の条件」です。
芸能人だけでなく、公の場ですべてをオープンにすることで、誰か「得」することってあるのでしょうか?
それほど世の中に「すべて」を高城剛氏が訴えたければ、自分の口から言えば良いのに・・・と、誰もが思うことであります。
おそらく彼の口から言っても信憑性のないような「こと」まだからこそ、沢尻エリカ自身の口から言わせることに意味がある「こと」なのでしょうか?
しかし、離婚協議に於いて、自ら進んで不利なことを認めるなんてことをは(沢尻エリカだけでなくても)誰だってしません・・・それも公の場で。
今回の会見内容にも納得がいかないと語っていると報じられている高城剛氏ですが・・・何をどう語れば納得して、彼は離婚に応じるのでしょう?
「別れ」において、双方が「納得」してなんてことは、なかなかありません。
例え、慰謝料というお金での解決方法を選んでも納得しきれない・・・でも、もう一緒にはいれない、別れるしかないんです。
「別れ」に「納得」を求める高城剛氏の「童貞メンタル」は、同年代のボクでさえ同情することはできません。
誰に原因があるかは別にして、もう「別れたい」と相手から一方的にでも突きつけられてしまったら、どう見方を変えようとも「振られてしまった」わけで・・・納得できる説明や理由を求め続けるのは、さらに惨めで虚しいことなのです。
一方的に出した条件を満たさない限り離婚に合意しないなんて「ハイパーストーカー」のようなことは一日も早くやめて、さっさと離婚してしまった方が高城剛氏の「株」は確実に上がるでしょう。
「一番格好悪い振られ方」を、メディアで繰り返し繰り返しされていることを、彼は自覚すべきだと思います。

さて今回の会見は沢尻エリカの女王様復活会見と感じました。
復帰会見以降は、どこか「謝罪」を目的としたような・・・わざとらしいお辞儀と嘘泣きの涙だけが印象に残る、嘘くさい沢尻エリカでしたが、今回は違います。
「さぁ、何でも答えてあげるから、質問でもおし!」という風な挑発的な「強めキャラ」に戻っていたのです。
離婚届を受け取るのが「5月16日」ということを、うっかり失言してしまったという下手な小芝居をしていましたが・・・これは今回の会見で是非言っておきたかったことに違いありません。
(高城剛氏への牽制という意味も含めて)
21歳から24歳という女優として貴重な期間を「たかの友梨ビューティークリニック」の広告塔としてだけしか仕事をしてこなかった沢尻エリカですが・・・会見の場にひとりでマイクを持って立ち、その場の仕切ってマスコミに立ち向かうなんて、何とも強い精神力の持ち主だと圧倒されました。
広告コピーとの関連からでしょうが・・・「聖女の沢尻エリカと悪女の沢尻エリカのどちらが好きですか?」という質問を、会場の空気を無視して投げかけられるのは、彼女の神経の図太さを感じずにはいられません。
勿論、開場にいたマスコミは「悪女」の方にエールを送ったわけですが・・・「素のままの自分で生きて嫌われる方が装うよりも良い」と開き直られても、沢尻エリカの悪女っぷりなんて、単に素の性格が悪いという「天然系悪女」なトホホホな感じです。
「天然系悪女」というのは、世の中には結構いますが、いかんせん沢尻エリカほど美人じゃない・・・だから、誰かを振り回すほどの影響力は持たないし、単に嫌われるだけの「痛い女」であることが殆どでしょう。
ゲイの女装キャラたちに、沢尻エリカが比較的人気があるのは・・・女に生まれて、あれだけ美人だったら、堂々と(?)性格悪くなって「男たちを振り回してやりたいわ~」!っていう願望がるからだけってことなのかもしれません。
(勿論、女性でもそういう方はいるとは思いますが・・・)
ただ、性格が沢尻エリカほど悪くなくたって、美人だから嫌われる女っていうのもいたりするわけなんで・・・世の中は「美人」には結構厳しかったりします。
美人だけど・・・センスないとか、頭悪いとか、人間的な魅力に欠けるとか、仕事で成功したのは美人だったからだとか、あることないこと含めて、美人から減点するようなマイナス要素をついつい探してしまうものなのです。
「美人で性格の良い人」でスタートして減点法で嫌われるなら・・・「美人で性格の悪い人」でスタートして「意外と良いにところあるかも〜」って思ってもらえる加算点の方が、どう考えても「お得」であります。
そういう方向性に沢尻エリカは切り替えたってことならば・・・いつも通り、素の性格悪いままでいれば良いわけだから、楽っちゃ楽ですね。

ところで「勝負!」という場に出てきてるのに、この妙にボリューム感のあるモッサリとしたヘアスタイルってどうなんでしょう(サイオスシャンプーで洗髪するとこうなるのかしら?)・・・今、こういうがイケているんですか?

別に・・・舞台挨拶/2007年9月10日


復帰会見/2010年3月16日

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