先週の木曜日(2011年6月24日)ニューヨーク州上院で同性結婚を認める法案が可決され、ニューヨーク州でも同性同士の結婚が認められる事となりました。これにてニューヨーク州は、コネチカット、アイオワ、マサチューセッツ、ニューハンプシャー、バーモント、ワシントンDCに次いで、同性カップルにも州レベルで異性カップルと同等の権利を付与する州となったわけです。カリフォルニアでは数年前に同性結婚が承認されたにも関わらず、住民投票で廃止になっていた経緯もあり、アメリカでも最も多くの同性愛者が住んでいるニューヨーク州の動向は、今後の大きな流れになりそうです。
日曜日(6月26日)に例年通り行われたニューヨークのゲイパレードは、この同性結婚の法案可決直後ということもあって、大変盛り上がったそうです。それは、ちょうどボクがニューヨークに移り住んだ1980年初頭、Pre-AIDS(エイズ以前)の時代の最もゲイパワーのムーブメントが盛んであった雰囲気と同じようだったと、当時を知るニューヨークのゲイの友人は興奮してメールを送ってきました。ボクが、もしニューヨークに暮らしていたとしても、結婚する相手がいたかは定かではありませんが、 同性結婚という選択肢があるというのは不思議な気分です。7月24日の法案実施のとき、たくさんの同性カップルが結婚申請をすると思われるので、再び大きなニュースとなることでしょう。
アメリカ劇場公開30周年記念で、1980年製作のドイツ映画「TAXI ZUM KLO/タクシー・ズム・クロ(原題/トイレットへのタクシー)」のリマスター版DVDがアメリカで再発売されました。以前は、ビデオ以下のヒドい画質と解読不可能な文字のつぶれた英語字幕の粗悪なDVDしか発売されておらず、それさえも廃盤レアものとなっていました。ゲイ映画の傑作と言われながら、長らく観ることの難しい作品だったのです。
本作は、フランク・リッポロー(Frank Ripploh)が監督、脚本、主演の3役をこなしている自伝的な映画で、ゲイの小学校の教師の日常生活と、恋人との出会いと別れを描いたセックスコメディなのですが・・・なんとって、フランクのぶっちゃけっぷりの潔さがモノ凄くて、30年という時代を経ても褪せていません。チンチンだけでなくお尻の穴までモロ出しにして、フェラチオ、アナルセックス、SM、ゴールデンシャワーなど実際に演じている(?)というのは、やはり画期的・・・ただ、あっさりと描かれているので「ハードコアポルノ」ではないのでありません・・・あしからず。
「ニューヨーク・フィルム・フェスティバル」で最初に公開されたこともあって、ニューヨークではアート系の映画館で一年近くのロングランの大ヒットしました。公開当時は、ゲイの観客を集めたというよりも、興味本位のストレートの集客をしていた記憶があります。特にニューヨークのインテリ層って、超リベラルというか恐いもの見たさのようなところもあったりするものでしたから。ただ、映画公開の数年後には、エイズの蔓延で本作に描かれているようなゲイライフスタイルは、過去のモノとなってしまったのです。そこで・・・Pre-AIDS(エイズ以前)の時代を記録をしたゲイ映画として、後になってゲイ・コミュニティーでの評価も高まっていったのかもしれません。
ただ、本作がゲイ映画の傑作と言われた由縁は、単に風俗的な記録としての評価ではなく、ゲイカップルにとっての普遍的なテーマ・・・セックスパートナーとしてお互いを唯一の相手として”クローズした家庭”を築くか、それともお互いそれぞれ好き勝手に他の人ともセックスする”オープンな関係”を築くのかということです。これは、どちらが正しいという問題ではなく、ゲイカップルにありがちの葛藤であり、別れの原因にもなりがちの問題であります。
フランクは、非常に積極的にクルージングをするタイプ・・・自分の生徒の宿題の採点を公衆便所のグローリーホール(大便用の個室トイレの壁に穴が開いていて性行為ができる)でやってり、病院で入院しているにも関わらずタクシーを使って街中の公衆便所にクルージングに出掛けたりと”やりたい放題”です。それは、恋人と暮らすようになってからも変わらずであります。逆にフランクの恋人は、手のかけた料理を作って家で待っているタイプ・・・将来は田舎に農園を買って、フランクと二人っきりでのんびりと暮らすことを望んでいるのです。
男をひっかけて、自宅に連れ込んでセックスに興じるフランク・・・その最中に帰宅してしても、ただドアの隙間から覗いて佇むことしかできない恋人。映画の後半「Queen's Ball/クィーンズ・ボール」という仮装ダンスイベントに一緒に参加するものの・・・いつものように男をピックアップしていちゃつくフランクを、ただパティー会場の隅で傍観しているすることしかできない恋人に、ボクは親近感を覚えたものでした。当時のボクも「ウォールフラワー/壁の花」のように傍観者に甘んじていたことが多かったから・・・。映画はフランクがひとりで鏡に向かって、恋人とやり直すべきか自問自答しながら、結論はつかないまま終わります。
エイズ以前のゲイにとって、フランクの恋人のような家庭的なタイプは、面倒くさく思われる存在だったような気がします。ゲイの市民権獲得とフリーセックス全盛の時代に、一対一の「同性結婚」のような家庭的なライフスタイルを求めるというのは、正直ダサく感じられたものでした。(そういうカップルが全くいなかったわけではありませんが)性的にはオープンな関係というのは当たり前・・・友達、セフレ、恋人の境界線も極めて曖昧で、いつの間にか恋人がカップル間で入れ替わっていたり、普段は友達同士なのにサマーハウスでは乱交しまくりなんていうことも起こっていました。それ故に、エイズがあっとい間に蔓延してしまったわけでありますが・・・。
今やニューヨークのゲイの半分以上はHIVポジティブじゃないかと思えるほど、ポシティブ・コミュニティーは広がり、ポジティブ同士の出会い系サイトがメインになっています。マンハッタンのロフトではプライベートのポジティブオンリーの乱交パーティーが盛況で、セーフセックスは過去の遺物となり、再びフリーセックスの時代を迎えつつあるような気さえします。
そんな今だからこそ「同性結婚」の法案可決というのは、重要な意味を持っているのかもしれません。そして「TAXI ZUM KLO/タクシー・ズム・クロ」で描かれたゲイカップルの普遍的なテーマ・・・愛って「性の自由さを許す寛容さ」なのか?それとも「愛という名の束縛」なのか?そんなことを、ボクは改めて考えてしまうのです。
「タクシー・ズム・クロ(原題)」
原題/TAXI ZUM KLO
1980年/ドイツ
監督&脚本 : フランク・リッポロー
出演 : フランク・リッポロー、バーンド・ブローデレップ
日本未公開