「シングルスバー/Singles Bar」は”婚活/恋活”と目的の、婚活パーティー、街コン、相席店などと並んで、独身男女の出会いの場として、今では日本でも浸透しているようです。出会い系アプリで、自己申告のプロフィールと詐欺画像を判断材料にして、いきなり見知らぬ者同士が出会うよりも、少なくとも本人を目の前にして話をするので、どちらかというと”オーソドックスな出会い方”ということになるのかもしれません。
シングルスバーが生まれたのは、まだエイズという病気も発見されておらず、普通に麻薬が蔓延していた1970年代前半のアメリカの大都市(ニューヨークやロスアンジェルス)・・・基本的には一夜限りのセックスの相手との出会い(ワン・ナイト・スタンド/One Night Stand)が目的で、女性には多少危険が伴ってはいたようです。ただ、女性が自分の意思でセックスの相手を探すことができるというのが、当時の”ウーマンリブ”の考え方と一致するところもあり、1960年代のヒッピーの”フリーラブ”以降の世代にとっては、新しい時代の女性の”性のあり方”を体現するオシャレな場だったのかもしれません。
日本でシングルスバーの存在が広く知られるきっかけとなったが、1978年に日本で公開された「ミスター・グッドバーを探して/Looking for Mr. Goodbar」という映画です。それまで日本では、アメリカの性事情としてシングルスバーを週刊誌が紹介することはありましたが、今のように誰も彼もがアメリカに行く時代でなかったので、一般的な日本人が実態を知ることは難しく、マスコミによって書かれた記事から想像するかありませんでした。「アメリカはセックスの本場!」なんて・・・今だったら問題ありそうなマスコミの書き方が多かったことが記憶にあります。そんな時代に公開された一作ということもあり・・・「これがシングルス・バーの実態!」と煽るような宣伝もされていたのです。
主演のダイアン・キートンは「ゴッドファーザー 」「ゴットファーザー Part 2」、ウディ・アレンのミューズとして「ボギー!俺も男だ」「スリーパー」「イディ・アレンの愛と死」などに出演して、日本でもよく知られていた女優であります。1977年4月「アニー・ホール」がアメリカ公開、同年10月に「ミスター・グッドバーを探して」がアメリカ公開、翌年1978年1月に「アニー・ホール」で第35回ゴールデン・グローブ賞最優秀主演女優賞(コメディ/ミュージカル部門)を受賞、同月「アニー・ホール」が日本公開、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされている中で1978年3月に「ミスター・グッドバーを探して」が日本公開。その直後の4月には「アニー・ホール」で第50回アカデミー主演女優賞するという・・・「ミスター・グッドバーを探して」の日本劇場公開時には、”ダイアン・キートン”は映画女優としても、ファッションミューズ(「アニー・ホール」での着こなしがファッショントレンドに大きな影響を与えた)としても、新しい時代を象徴する「跳んでる女性」としても、非常に注目されていた存在だったのです。
「ミスター・グッドバーを探して」は、1973年に起こった殺人事件を元にしたジュディス・ロスナー著の長編小説が原作であります。殺されたロズアン・クインという23歳の女性は、子供の頃にポリオにかかったことのある聾唖学校の教師で、犯人の男性は自分の性的アイデンティティに(同性愛者であることを受け入れられない)問題を持っており、セックス中に勃起できなかったことを馬鹿にされたことに激昂して殺害に至った(犯人は裁判目前に自殺)そうです。ルポルタージュとしてジュディス・ロスナーが執筆したものを元に(多少の創作を加えて)長編小説に書き上げて1975年に出版・・・都会に暮らす独身女性の孤独を炙り出してベストセラーとなりますが、当時盛り上がっていた”女性の性解放”に水を差すようなところもあったかもしれません。また、ある意味1997年に日本で起こった「東電OL殺人事件」を先取りしていた印象もあります。ちなみに「ミスター・グットバー」とは読んで字のごとく「いいチンコを持った男」という意味合いで、ずばりシングルズバーで男を漁っている様子を表しているのです。
テレサ(ダイアン・キートン)は、聾唖学校の教師を目指して勉学に励む大学生で、既婚者のマーティン教授(アラン・フェイスタイン)と不倫関係にあります。子供の頃にかかったポリオ治療のトラウマと後遺症のコンプレックスを持っており、マーティンの理不尽な態度に振り回されても、一方的に別れを告げられても、自己肯定できないでいるのです。威圧的に支配する父親(リチャード・カイリー)から逃れるため、大学を卒業して教師の仕事を始めるのを期にテレサは実家を出て、マンハッタンでひとり暮らしを始めます。
姉のキャサリン(チュスディ・ウェルド)が、父親が誰だかわからない妊娠をしたり、出会って数日の相手と結婚してしまったり、麻薬とアルコールに溺れて夫婦で乱交パーティーに参加する乱れた生活を送っているのを、テレサは横目で眺めながら・・・シングルズバーで夜な夜な飲み歩きながら、昼間は聾唖学校で教えるという生活を送り始めるのです。経済的に恵まれない生徒の家庭訪問をした際には、市の生活保護課に務めるリチャード(ウィリアム・アザートン)という好青年と知り合い、時々デートをする仲にはなるものの、テレサが惹かれるのはシングルズバーの常連で危険な香りのするトニー(リチャード・ギア)で、彼とのセックスや麻薬にのめり込んでいきます。まだ無名だったリチャードソン・ギアなのですが、公開当時「この俳優は誰?」と話題になったもの・・・「アメリカン・ジゴロ」で一躍セックスシンボルとなる数年前のことです。
テレサの厳しい父親とも打ち解けて家族公認のボーイフレンドとなっても、テレサがリチャードを受け入れることはありません。ある夜、バーで偶然に遭遇したマーティンから、大学を辞めて離婚もしたと打ち明けられて「本当に愛したのは君だけだ」と甘い言葉を囁かれても、さらっとかわすテレサ・・・夜な夜な別な男たちとのセックスに明け暮れているテレサにとって、今更「愛なんて何なの?」なのです。トニーはテレサの部屋に忍び込んで麻薬と体を求めるだけではなく、金をせびったり、暴力を振るうようになってきて、そろそろ別れる潮時・・・一方的に縁を切ろうとするテレサに対してトニーは復讐を匂わしたりしてきます。トニーが警察に麻薬保持を密告して全てを失ってしまうことも、テレサの頭をよぎったりするのです。クリスマスのプレゼントを持って愛情を示してくれるリチャードを、冷たくあしらい一人でシングルズバーへ出かけるテレサ・・・それでもリチャードがテレサを諦められないのは執着心なのかもしれません。
ニューイヤーイヴの夜のシングルズバーで、尾行してくるリチャードをあしらうためにテレサが声をかけたのがゲリー(トム・ベレンジャー)という男・・・実は彼はゲイなのにガールフレンドを妊娠させたホモフォビアで女性嫌いという精神的に病んでいるのです。テレサの誘いに乗ったのも、ゲイのパトロンへの当て付けのようなところなのかもしれません。テレサの部屋でベットインしたものの勃起できないゲリーは、グズグズとベットに居座ったまま・・・そんな姿を嘲笑いながら追い出しにかかるテレサに、ゲリーは暴力的に強姦を試みます。リチャードからクリスマスにもらったフラッシュライトが点滅の繰り返す中、テレサを犯しながらゲリーは、部屋に落ちていたナイフを取り上げて、何度も何度もテレサを突き刺すのです。テレサは血だらけになって意識を失って死んでいく顔で、本作は唐突に終わります。まるで観客自身が、いきなり殺されてしまったような・・・”トラウマ”になりそうなエンディングであります。
当時「アニー・ホール」の好演で飛び鳥も落とす勢いだったダイアン・キートンは、特に”セクシー”なイメージではありませんでしたが、ヌードシーンを含む大胆な役柄に挑戦したこともあり、アメリカでも日本でも本作は大ヒット。救いのない物語という観点でも”アメリカン・ニューシネマ”の流れを汲んだ・・・1970年代後半の世相を描いた作品として語り継がれているものの、残念なことに現在では視聴できる機会が少ない作品でもあるのです。
「ミスター・グッドバーを探して」のビデオ(レーザーディスク?)は1990年代に発売はされたのですが・・・その後、DVD/ブルーレイでは発売されていません。暴力描写や性的表現はあるものの、現在の倫理観に反するわけではありませんし、本作以外では殆どヌードを見せていないダイアン・キートンが意図的に封印しようとしているわけでもないようです。どうやら、DVD/ブルーレイなどのデジタルメディアとビデオやレーザーディスクなどのアナログメディアとでは著作権の扱いが違うようで・・・デジタルメディアでリリースするには、改めて作中で使用されている楽曲の使用権を取り直す必要があるらしいのであります。
主題歌のマレーナ・ショウ「Don’t Ask To Stay Until Tomorrow」だけでなく・・・「ミスター・グッドバーを探して」には1970年代半ばのディスコ/フュージョンの名曲が劇中で効果的に使用されていて、どの楽曲も1970年代後半にディスコに行ったことがあるならば聞いたことのあるものばかり。ダイアナ・ロス「Love Hangover」、ドナ・サマー「Prelude To Love/Could It Be Magic」「Try Me I Know You Can Make It」、セルマ・ヒューストン「Don’t Leave Me This Way」、ボズ・スギャッグス「Lowdown」、コモドアーズ「Machine Gun」、オージェイズ「Back Stabbers」ビル・ウィザース「She Wants To (Get On Down)」「She’s Lonely」・・・歌詞の内容と物語がリンクしているところもあり、これらの楽曲”抜きで本作は成り立たないのです。サウンドトラックCDは1997年に発売されてはいるものの既に廃盤・・・今では貴重なプレミア盤となっています。どのアーティストまたはレコード会社かわかりませんが、何らかの理由で映画本編での楽曲の使用を許可していないため、再販は厳しいのかもしれません。
しかし、どういうわけか「ミスター・グッドバーを探して」のスペイン盤DVDは発売されているのです。アメリカ本国でさえリリースできないのに、何故スペインだけ可能なのは不思議なことなのですが・・・日本語字幕や日本語吹き替えなくても「ミスター・グッドバーを探して」をDVDで観たいという方は、音声は英語版も収録されているので、スペイン盤「Buscando al Sr. Goodbar」(PALなのでリージョンフリーのプレイヤーは必要)を探してみるのも”あり”かもしれません。
「ミスター・グッドバーを探して」から6年後、テレビ映画として制作されたのが、続編という位置付けの「影の追跡/Trackdown:Finding the Goodbar Killer」であります。ただし「ミスター・グッドバーを探して」の原作者ジュディス・ロスナーは、この続編を認めておらず、登場する人物の名前は変更されています。また、テロップで「ジュディス・ロスナー氏の原作とは無関係」と断っているほどです。「影の追跡」は、事件後の犯人の男と犯人を追うニューヨーク市警の刑事を描くという「ミスター・グッドバーを探して」とは似ても似つかない全く趣の違うドラマで・・・「ミスター・グッドバーを探して」ではなく、ロズアン・クイン事件の”後日談”ということのようであります。
ニューヨーク市警のジョン・グラフトン(ジョージ・シーガル)の家庭では、娘のエイリーン(トレイシー・ポラン)はサラキューの大学に入学するために家を出たいと言い出していたり、倦怠期を迎えていた妻ベティ(ジーン・デ=バー)との仲は冷え切っており離婚の話し合い始めています。そんな中、グラフトン刑事はメリー・アリス・ノーランという若い女性教師が殺された事件に関わることになるのです。メリー・アリソンの同僚だったローガン(シェリー・ハック)という女性とグラフトン刑事は、出会い頭には衝突するものの、次第にちょっといい雰囲気になったりします。
一方、メリー・アリスを殺した犯人のジョン・チャールス(シャノン・プレスビー)は、妊娠中の妻がいながら、アラン(バートン・ヘイマン)という中年男をゲイのパトロンにしているという自分勝手な男・・・殺害後、アランの手助けで妻と暮らすフロリダに身を隠しています。グラフトン刑事は当初、ジョンソンという黒人男性を犯人として逮捕するのですが、納得のできずに捜査を続けて、殺人現場に残されていたスケッチから怪しい男性二人組を見つけ出すのです。そして、アランにジョン・チャールスへ電話を掛けさせてメリー・アリスの殺人を白状させることで、見事に真犯人を逮捕するのです。事件が一件落着後、娘エイリーンは大学入学のため妻ベティと一緒に家を去ろうとしています。二人を見送るだけのつもりだったラフトン刑事は、唐突に車に乗り込んで二人と共にサラキューまで行くことにして、この家族の再生を匂わせて本作はエンディングとなるのです。
家庭に問題のあった刑事の家族の再生の物語を描きたかったのか・・・それとも殺人事件の真犯人を追うサスペンスを描きたかったのか・・・どっちつかずというか、どちらもしっかりと描かれていない作品で、何を目指して制作されたのだろうと頭を捻ってしまうほど。ジュディス・ロスナー氏が自分の原作との関わりを否定するのも当然だと思える「駄作」なのであります。
「ミスター・グッドバーを探して」は楽曲の著作権問題で・・・その続編的な「影の追跡」は出来の悪さで・・・2作品共に陽の目を見ることない作品となってしまったことで「ロズアン・クイン事件」そのものも人々の記憶から薄れてしまったようです。ただ考えてみれば・・・性に自由な女性が、不運な事件に巻き込まれてしてしまうことは、今では衝撃的なことでもない”よくある事件”なのですから、数ある事件のひとつになってしまうのは仕方のないことなのかもしれません。
「ミスター・グッドバーを探して」
原題/Looking for Mr. Goodbar
1977年/アメリカ
監督、脚本 : リチャード・ブルックス
原作 ジュディス・ロスナー
出演 ダイアン・キートン、アラン・フェイスタイン、リチャード・カイリー、チュスディ・ウェルド、ウィリアム・アザートン、リチャード・ギア、トム・ベレンジャー
1978年3月18日より日本劇場公開
「影の追跡」
原題/Trackdown:Finding the Goodbar Killer
1983年/アメリカ(テレビ映画)
監督 : ビル・パースキー
出演 : ジョージ・シーガル、シェリー・ハック、アラン・ノース、トレイシー・ポラン、シャノン・プレスビー、バートン・ヘイマン、ジーン・デ=バー
日本劇場未公開、CXで放映