バブル時代のファッションというと、多くの日本人にとっては「ボディコン」ということになるのかもしれませんが・・・世界的にみるとプレタポルテの世界で、手の込んだ高価なファッションが多く登場した時代と言っても良いのかもしれません。
それまではデザイナーレーベルといっても、ジャケット一着1000ドル(当時の為替で15万円程度)ぐらいだったのが、一気に数千ドルに跳ね上がっていった印象があります。
それまでアメリカでは、一部のファッション好き(当時ファション・ビクティムと呼ばれた)や、経済的に余裕のある人しか、ヨーロッパのファッションブランドには興味はありませんでした。
元々、貧富の差の激しいアメリカですから、海外から輸入されるファッションを着るというのは、中産階級以下にとってはファッション雑誌(ヴォーグなど)のなかでのファンタジーとしての世界・・・トレンドが反映されるのも、水増しされた数シーズン後というのが当たり前だったのです。
1980年代後半から、ファッションを紹介するレポート番組が制作されるようになっていったことで「情報」として「ファショントレンド」が消費されていく時代へ向かっていったのです。
日本人からすれば「やっとかよ!」というようなことでしょうが・・・当時、まだまだなんとか言っても世界的には最も大きな市場であったアメリカで、いわゆる「ブランド」が情報として広がっていったのは、バブル経済時代でした。
その後の1990年代は「セカンドライン」「ディフュージョンライン」などのデザイナーによる価格帯を下げたラインが注目され・・・2000年代後半には「ファストファッション」の広がっていきました。
ここ20年のあいだに「ファッション」はショッピングの「華」から・・・単なる「消耗品」になったような気さえします。
ロメオ・ジリは、1980年代半ばに登場したイタリアのデザイナーで、当初は「地味」「渋い」「華奢」の細身のテーラードを基調としていました。
同時期に登場したドルチェ&ガッバーナと同じく、シチリアの泥臭さも感じさせる雰囲気が、今までの洗練されているモダンなミラノファッションとは違うというのが印象的だったのです。
その後、ドルチェ&ガッバーナはより派手なイタリア的な女性像を追求していくことになるのですが、ロメオ・ジリは基本的路線は常に清楚なイメージを保ち続けていました。
ボトムスの細身のシルエットは、ハッキリ言ってしまえば、肉感的なアメリカ女性には不向きなファッションと言えたのですが・・・1980年代の流れで大きなショルダーパッドなどに代表される攻撃的な女性像とは真逆であったことで、新鮮な流れとしてファッション業界人の支持を受けたのでしょう。
また、コム・デ・ギャルソンほどのファッションステイトメントの主張ではなく、といってゴルチエほどコスチュームっぽくもなく、またアルマーニのようにババ臭くないところも、良かったのかもしれません。
当時のセレクトショップのリーダー的だった「チャリバリ」では、ワンフロア分のロメオ・ジリ専門ブティックができたという記憶があります。
ただ、ロメオ・ジリのコレクションというのは、アイテムやシルエットのバリエーションもそれほど多くはなく、スパイスカラーなどの差し色以外、似たような商品が毎シーズン並んでいたのでありました。
そのロメオ・ジリが、満を持してパリコレに参加したのが1989年~90年の秋冬コレクションでした。
そして、それに続く1990年春夏、1990年~91年秋冬のコレクションは、圧巻のファンタジーとしてのファッションを見事に表現していたのです!
当時は、今のようなインターネットによる即日の配信なんて一切ありませんから、最も早いニュースのソースは新聞ということになります。
その中でも特にファッション業界向けに発行されている「WWD」による速報と評価というのが、その後のアメリカ国内でのビジネスを左右するほど絶大な権力も持っていたのです。
「WWD」には、ロメオ・ジリのパリコレデビューは、それほど好意的に受け止められなかった記憶があります。
現実的なファッションを求め評価する「WWD」は、1990年になっても日本人デザイナー(コム・デ・ギャルソンやヨージ・ヤマモト)に対しては、殆ど無視に近い報道の仕方しかしていなかったわけですから・・・。
ボク自身は、ロメオ・ジリのパリのコレクションは、数ヶ月後日本のファッション誌のコレクション号で、その全貌を知ることになるのですが・・・まったく日本人と感性の違うクラフト感というのに衝撃を受けました。
ベルベット、刺繍、ラメ、プリーツなどを多用した華麗なルネッサンスと重厚なバロックの洗練された融合!
ベネチアグラスのドレス・・・まさか、リアルにシャンデリアのパーツのようなグラスがぶら下がっているとは!
そして、緻密な織りのコートなどは、まるでアンティーク家具を着ているかのようでもあります!
イタリアというファッション生産拠点としての歴史と、ルネサンス時代からの美術/芸術、そして力強く、かつ華奢なイタリアの女性像を、グローバル化した20世紀を生きる現代のライフスタイルの中に取り入れていた・・・美的な完成度が非常に高いコレクションでした。
一時期はニューヨークの街中では、ロメオ・ジリの豪華なコートは頻繁に見かけましたが(日本では高島屋のライセンス展開だったため、手の込んだ商品は殆ど紹介されなかったのかもしれません)・・・時代の変化のなかで精彩を失い、消えていきました・・・。
しかし、現在のメンズの一般的な市場のスタンダードとなっている細身の3ボタンスーツというのは、ロメオ・ジリのデビュー当初からのシグニチャーとも言えるライン・・・その影響はある意味継続していると言えるのかもしれません。
美しくあるべきためだけに贅沢である「ファッション」というものが存在できる市場はなくなってしまった今・・・改めてロメオ・ジリの1990年前後のバロック・コレクションを眺めてみると「ファッション」が夢のようであった郷愁を感じてしまうのです。
ロメオジリ、大好きな大好きなデザイナーでした。ほんとに夢のような洋服ばかりで。。。。あれだけ偉大な存在感を放っていたのに、消えてしまったとは、残念です。。
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