この映画を知っている人からは「ホント・・・こういうの、好きなのねぇ」と、呆れられてしまいそうでありますが、ある意味、ボクの映画に対する趣味嗜好を決定づけてしまった、まさに「原点」のような作品なのであります。そのため、今回はかなり長~い文章となりますが、ご勘弁ください・・・。
毎年の最低映画に送られるゴールデンラズベリー(ラジー)賞の1981年度(第2回)の最低作品賞、最低主演女優賞、最低助演男優賞、最低助演女優賞、最低脚本賞の5部門、そして1980年代最低作品賞までにも輝いた「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」は、日本では失敗作という扱いでテレビ放映のみ、その上、DVD化はおろか、ビデオ化さえされていない「幻のカルト映画」となっています。
ボクは1981年9月15日に留学のためにニューヨークに到着したのですが、この映画はその3日後の9月18日からニューヨークでオープンしたということもあって、当時は街中に宣伝用ポスターが溢れるように貼られていました。また、渡米直後に観た映画のなかでも最初の何本目かの映画ということもあって、英語の台詞や細かいストーリーは殆ど理解できなかったのですが、衝撃的な内容が脳裏に焼き付いてしまいました。
公開から年数が経ってからカルト映画として人気がでた・・・という誤解があるようですが、少なくともニューヨークでは公開直後からカルト映画として、制作会社がドラァッグクィーンやゲイの観客向けに宣伝広告がされており、一時は「ロッキーホラーショー」と双璧をなすほどでした。ハリウッドスターの私生活を辛辣に攻撃した内容から批評家からは酷評され、児童虐待映画として一般の観客からもそっぽ向かれたため、興行成績は散々・・・この映画に関わった主演のフェイ・ダナウェイはもとより、監督、脚本のフランク・ペリーまでも、この映画により、その後の映画人生に大きなダメージを与えたと言っても過言ではありません。観客にとってトラウマというだけでなく、関わった人たちにとってもトラウマとなってしまったのです。主演のフェイ・ダナウェイに至っては、いまだに公で本作についてコメントすることを強く拒否しているぐらいですから・・・。
この映画は「ジョーン・クロフォード」の私生活を、養女のひとりである「クリスティーナ・クロフォード」の視点から描いた伝記映画です。ジョーン・クロフォードというのは、1920年代後半から1960年代まで活躍した、くっきりとした眉毛が印象的なハリウッド女優ですが、僕の世代ではリアルタイムで彼女が最も美しかった時代の映画を観たことはありません。エイドリアンがデザインした「肩パッド」の入ったコスチュームのイメージだけが強かったりします。また、1960年以降は(ベティ・デイビスなどのように)多くのホラー映画にも出演していたりして・・・斧を振りかざしている老婆役も強烈でした。
ジョーン・クロフォードの死の翌年の1978年、映画の原作となった「Mommie Dearest/親愛なるマミー・ジョーン・クロフォードの虚像と実像」は、クリスティーナによって出版された暴露本のはしり(日本でも当時出版された)・・・トンデモナイ内容にも関わらず、亡くなった数年後に映画化されてしまったことは、今思えば奇跡的なことです。確かに”ジョーン・クロフォード”という作り上げられたハリウッドスターの名声は汚しているのかもしれませんが・・・リアルタイムで知らない世代とっては、本作をきっかけにジョーン・クロフォードのファンになることもある(ボク自身がそう)ので、決してマイナスだかりではないのではないでしょうか?
ジョーン・クロフォードを演じたフェイ・ダナウェイという女優さんは「俺たち明日はない」のボニー役で注目され、1970年代には「チャイナタウン」「タワーリングインフェルノ」「コンドル」「ネットワーク」「アイズ」など次々と話題作に出演し、1979年には、日本の”PARCO”の広告に起用されたこともあって、日本ではハリウッドスターとしてだけでなく、新しい時代の”かっこいい女性像”というイメージもありました。
そんな脂がのったフェイ・ダナウェイが、彼女の女優生命を賭けて望んだのが、この映画だったのです。確かに、ジョーン・クロフォードとフェイ.ダナウェイは、どこかイメージ的に、かぶるところがあるのかもしれません。アメリカ公開時の予告編(トレイラー)を観る限り、制作者側も確信犯的に、カルトなノリを”狙った”のではないかと疑ってしまうのですが・・・制作スタッフを含め出演者も制作当時は大真面目だったようで、フェイ・ダナウェイは本気でオスカー(アカデミー賞)を獲るつもりだったとという噂さえあります。
映画は、すでにハリウッドスターとなっているジョーン・クロフォードの朝支度から始まります。ゴージャスな寝室で目を覚まし、お湯で洗顔してあとは氷を入れた冷水で引き締め、巨大で美しく照明で照らされたクローゼットから衣装を選び、リムジンに乗り込んでスタジオに向かいます。ここまで顔を正面からは写すことはせず、スタジオの楽屋の大きな鏡の前で、くっきり眉毛と真っ赤な口紅のジョーン・クロフォード風メイクアッップして準備ができあがり「さぁ、やりましょう!」と振り返ると、フェイ・ダナウェイ扮するジョーン・クロフォードの顔が、初めてドーンと画面に登場するのです。そこで観客は思わず「ドヒャー!」と、ズッコけずにはいられません。確かにフェイ・ダナウェイのジョーン・クロフォードの「なりきり度」は高いのですが、その方向性が「女装パフォーマー」のノリなのです。
ジョーン・クロフォードは、マリリン・モンロー、ベティ・デイビス、グロリア・スワンソンらと並び、スター系の女装の定番なのですが・・・フェィ・ダナウェイは、女装にありがちな「キャラ誇張」をしながら、妙にド真面目になりきっているために、ふざけているようにしか見えないという「大惨事」になってしまったのでした。ただ、この映画でのフェイ・ダナウェイがアメリカの女装界(!)に与えた影響というのは絶大で、リップシンカ(Lipsynka)という”ジョーン・クロフォード”と”ルシル・ボール”(アイ ラブ ルーシーを演じたコメディアンヌ)を足して二で割ったような女装パフォーマーは、フェィ・ダナウェイの偉業に敬意を表しつつ”より”コミカルに演じて、さらなる完成度を極めた・・・と言えるでしょう。
ジョーン・クロフォードは、生まれた時には両親が離婚していた貧しい家庭の出身で、コーラスガールからハリウッドスターに成り上がった女優です。若い頃は美貌に恵まれ、勝ち気で世渡り上手であったようですが・・・この映画では、ジョギングなどの運動で体力と体型を保つ努力家であったことや、アシスタント相手に台詞や演技を練習する真面目な女優としての姿も描いていきます。何もかも手に入れられるような贅沢な生活をしていますが、子供には恵まれず母になることを望んで、孤児院から子供を養女を取ることにするのです。
子供は「母」としての喜びを与えてくれると同時に、ジョーン・クロフォードというスター女優のPRとしても利用され・・・徐々に我の強いモンスターのような母親へと変貌していきます。スターの娘ということで決して「甘やかしたりしない」というのがジョーンの主義で、自己宣伝のために大規模な誕生会を催すものの、山のように届けられたバースデープレゼントの中で、クリスティーナがキープ出来るのはたったひとつだけ・・・残りは孤児院へ送られるというのです。確かに、恵まれない子供達にプレゼントを分け与えるというのは悪いことではありません。ただ、わざわざ「養女は、最も幸運な子供・・・何故なら、選ばれたのだから」と、娘自身に言わせるのは、ちょっと変だぞ・・・という感じです。
子供時代のクリスティーナのエピソードには、カルトファンを喜ばすような”児童虐待”の場面がたくさんあります。鏡の前でスター気取りでスピーチのふりをするクリスティーナが、自分のことを馬鹿にしていると思い込んで、髪の毛を掴んでメチャクチャに散髪したり・・・主演映画の興行成績が悪くなってきたため、映画のスタジオから解雇されて、その腹いせにスタジオの社長からプレゼントされた庭木を斧を振りかざして切り倒したり・・・ただ、クリスティーナも、純粋で良い子として映画では描かれているわけではなく、大人を見透かしたような”ませた”視線も持っている(ジョーンに負けない)勝ち気な子供として描いています。娘のクリスティーナ側に、観客の好感を持たせない・・・絶妙なバランスです。おそらく、この映画の中で最も有名なシーンは、クローゼットの「ワイヤーハンガー」に、ジョーンが異常な怒りを爆発させるシーンだと思います。
数百ドルもする高価なドレスに、安っぽいワイヤーハンガーを使っていることを発見し、ジョーンは白塗りのパックの顔のまま・・・「ワイヤーハンガー、ダメ~!」と、仁王立ちして叫び、クリスティーナを叩き起こします。「なんで、こんなに美しい高価なドレスに、安物のワイヤーハンガーなんだ!」と怒りながらクローゼットの服をまき散らし、ワイヤーハンガーでクリスティーナを何度もひっぱたきます。「ごめんなさい!マミー」と、繰り返し泣きながら謝るクリスティーナに向かって、ジョーンは「マミー・・・何?」と、問い詰めて「ごめんなさい・・・親愛なるマミー」と、言わせるのです。さらに「そう呼ぶ時には、ちゃんと、そういう意味で言うのよ!」と、ダメ出しまでするジョーンの白塗りの顔は、なんと怖いのでしょう!それから、ジョーンは子供専用のバスルームへ進み「ちゃんと、掃除したのか?」と、クリスティーナに問いただします。そうです・・・この家では家政婦がバスルームを掃除するわけではないのです。青いタイルの床はピカピカなのですが、ジョーンはクレンザーをまき散らしながら「こんなに汚いじゃないか!こすれ!こすれ!」と、狂ったように命令します。散々、床をクレンザーまみれにした挙げ句に「ひとりで考えて、きれいにしなさい!」と突っ放し、空を凝視する顔はハッキリいって”いっちゃってる”としか言いようがありません。
ある意味、このシーンはフェイ・ダナウェイの女優生命をかけたような熱演ではあるのですが・・・まるで歌舞伎の「睨み」のようで、白塗りの顔に片目だけの寄り目という”パフォーマンス”に、観客は笑ってしまうしかないのです。ちなみに、ハンガーを振り上げるシーンで、観客席で持参した安物のワイヤーハンガーを画面に向かって突き出すというのが、カルト映画として観覧する場合の「お約束」であります。
その後、ティーンエイジャーに成長したクリスティーナとジョーンの、さらに激しい確執を描いていきます。虐待のようなしつけを受け続けて、クリスティーナは苦虫を噛んだような憎々しい表情の小生意気な少女になっており、なにかにつけて母親であるジョーンに絡むのですが、ジョーンも以前にも増して圧力的にクリスティーナを押さえつけ、あくまでも自分流のやり方をすべてに強制するのです。ある日、男子学生と納屋でちちくり合っていたクリスティーナは、その男子学生に憧れていた女子学生に密告されてしまうのですが、そんな淫らな行為を容認する対応の学校にキレて、ジョーンは無理矢理クリスティーナを退学させてしまいます。帰宅後、取材に来ていた記者に「娘は退学させられた」と、自分の都合のいい嘘をつくジョーンに、クリスティーナの怒りが遂に爆発します。「どうして、私を養女にしたの?」という禁断の質問をぶつけるのです。この場面は、この映画の中でも僕が最も好きなシーンで、クリスティーナの”名台詞”が飛び出します。
ジョーン
「どうして、道を歩いている他人のように、私と接することが出来ないの!」
クリスティーナ
「だって・・・私は、あなたのファンじゃないんだもの!」
そしてジョーンとクリスティーナは、取っ組み合いのケンカを始めてしまいます・・・仰向けのクリスティーナに跨がり、両手の五本の指を大きく拡げて自らを暴力から制しようとするジョーンの姿は、まるで歌舞伎の”見栄”のようです。フェイ・ダナウェイが熱演すれば、するほど、本人や制作側の意図とは違うとところで面白しろくなる・・・という明らかに”やり過ぎ”な場面であります。
その後、男の子とエッチなことをするような素行の悪い(!)クリスティーナは、全寮制の修道院の学校に入学させられてしまうのです。成人してから、クリスティーナは母親と同じ女優を目指すのですが、勿論ジョーンは何一つ、娘のために手を貸そうとはしません。苦節の末、やっとクリスティーナが手にしたテレビのソープ番組(昼メロ)の役さえも、病気で緊急入院したら、これ幸いにと・・・当時は完全に落ち目になっていたジョーンがプロデューサーに掛け合って「代役」についてしまうのです。60歳をとうに過ぎて、20代そこそこの役をするには、かなりの無理があるはずで・・・これがジョーンの最後の仕事のひとつとなったそうです。
クリスティーナ自身も成長して行く過程で、ジョーンの厳しさも母親としての愛情だと受け入れていくのですが・・・映画の最後の最後に、どうしてクリスティーナが辛辣な暴露本を出版するに至ったかが解き明かされます。ジョーンの死後、遺言状が弁護士によって伝えられるのですが、1セントさえクリスティーナと養子のクリストファーには遺産を残さなかったのです。その理由は「すでに、彼らには分かっているはず・・・」として。「最後はお母さんが決めたね」というクリストファーに対し、クリスティーナは「そう?」と、画面に向かって冷たく問いただして、映画はエンドタイトルとなります。暴露本は、ジョーンの遺産を一切受け取ることが出来なかった、娘クリスティーナの復讐なのでした・・・。
正直・・・映画のラストシーンの後味は良くありません。養女としてハリウッドスターに”選ばれた”クリスティーナは、考え方によっては恵まれていたにも関わらず、金のために母親の名声を汚すような暴露本を出版するなんて「最低だ!」と批判されて当たり前かもしれません。この映画が酷評される理由のひとつに、告発している養女ひとりの視点”だけ”から描かれた、歪んだ(?)伝記映画であるということがあると思います。ジョーン・クロフォードには、映画に出てくるクリスティーナとクリストファーの他にも双子の養女がおり、この映画で描かれたようなモンスターのような母親ではなかったと、彼女らは発言しています。ただ、何が本当に起こっていたかなんて当事者だけにしか分からないことであり、それぞれの視点によって”事実”というものも違ってくるものです。死んだ母親への復讐をせずにいられなかったクリスティーナ・・・なんとも虚しい母と娘の関係でしょう。
ジョーンにとって、養女や養子を厳しく接することは、彼女なりの子供達に対する愛情だったのかもしれません・・・彼女自身が成り上がったように、世の中で生き抜くための力を与えるためにも。ただ、そんな母親に感謝すると同時に、そんな母親を許せないクリスティーナの気持ちも、ボクは理解できないわけではありません。
この映画は「最低映画」という烙印を押されるような映画ではなく、フェイ・ダナウェイの狂気に満ちた熱演はもとより、他の出演者の演技も、脚本も、撮影も、音楽も、そして演出も、決してデキの悪いわけではないということ。それどころか、モンスターのような「母親」を描くという点においては「完璧」だったのではないのでしょうか?ジョーン・クロフォードという実在の”スター”を元に、人格的に同情の余地のないキャラクターに仕立て上げてしまったことが、不幸な評価につながったのかもしれません。”ハリウッドスター”という虚構に対して遠慮のない日本でこそ、正しく評価されるべき映画だったと思えてしまうのです。
結果的に「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」は不名誉な記録を残して、カルトファンに語り継がれる映画となってしまいました。その映画のあと、監督のフランク・ペリーは、注目されるような作品をつくることなく・・・1995年に亡くなりました。フェイ・ダナウェイは、「スーパーガール」の魔女のような役柄(夏木マリとかが得意そうな?)のイメージの女優となってしまって、ハリウッド映画の主役を演じるチャンスを失ってしまいました。現在、活躍の場はテレビ番組の連続シリーズなどの脇役になっています。ひとりの女優生命が、たったひとつの映画で無惨に断たれてしまう・・・そんな残酷なメロドラマのような本作を、ボクは心の底からこよなく愛しているのです。
「愛と憎しみの伝説」
原題/Mommie Dearest
1981年/アメリカ
監督 : フランク・ペリー
脚本 : ロバート・ゲッチェル、フランク・ペリー、トレイシー・ホッチナー、フランク・ヤブランズ
音楽 : ヘンリー・マンシーニ
出演 : フェイ・ダナウェイ、ダイアナ・スカーウッド、スティーヴ・フォレスト
日本劇場未公開
2014年1月27日、TSUTAYA限定のDVDオンデマンドにてDVD発売。
2015年6月10日、TSUTAYA発掘良品にて廉価版DVD発売。