2012/09/28

平等な管理社会だからこそ”努力”も”労力”も報われる!?・・・MMORPGオンラインゲームのコミュニケーション苦手でもハマれたわけ~「ドラゴンクエスト X オンライン 目覚めし五つの種族」~


おそらく、ボクはギリギリで「ドラクエ世代」にはなるのだろうけど、第1作目のファミコン版「ドラゴンクエスト」が発売された時(1986年)には、すでに結構な大人(23歳)・・・その頃、住んでいたアメリカでも、ファミコンと同じ「NES/ニンテンドー・エンターテイメント・システム」は発売されていましたが、「ドラゴンクエスト」というゲームの存在さえもリアルタイムでは知りませんでした。一時期、NESを所有していたこともあったのですが、本体付属ソフトだった「スーパーマリオブラザーズ」しか記憶がありません。夏休みに、不眠不休に近い状態で三日間「マリオ」を遊び続けて、仕舞いにはテレビを爆発させてしまったことがありました。当時、ファッション科の大学に通っていたので、ハッキリ言ってゲームなんかして遊んでいる「暇」が、あるはずもなく・・・人生の大切な時間を奪われるような気がして、買ってから数ヶ月後にNESは捨ててしまったのでした。

2001年の11月、プレイステーション2が値下げされたことをきっかけに、ゲームへのめり込んでいくのです。その後、家庭用ゲーム機の歴史を辿るように、ファミコン、マスターシステム、PCエンジン、メガドライブ、ゲームボーイ、ネオジオ、アタリリンクス、ゲームギア、PCエンジンGT、スーパーファミコン、3DO、ネオジオCD、プレイディア、セガサターン、アタリジャガー、プレイステーション、バーチャルボーイ、ピピン@マーク、ニンテンドー64、ドリームキャスト、ネオジオポケット、ゲームキューブと、”大人買い”で歴代ゲーム機を揃えました。しかし、実際にゲームをプレイするというよりも、本体やレアなゲームソフトを収集することに喜びを感じていたところがありました。結論として・・・新しいゲーム機の方が遊び勝手も良いことに納得。今、起動させるのは現行機種(プレイステーション3、Xbox360、Wii、ニンテンドー3DS、PS Vita)だけになっています。それに、最近では昔のゲームソフトも現行機種でも遊べてしまうようになってきたので、古いゲーム機本体やゲームソフトは骨董的な価値しかなくなってしまったような気がします。

さて、MMORPG(大規模多人数参加型ロールプレイング)型オンラインゲームの話です。「ディアブロ」「ウルティマ・オンライン」」「エバー・クエスト」などの時代には、オンラインゲームというのはコアユーザー向けだったような気がします。2000年の「ファンタシースターオンライン」(ドリームキャスト)と2002年の「ファイナルファンタジー11オンライン」(プレイステーション2)で、家庭用ゲーム機でもオンラインゲームがプレイ出来るようになって、敷居がグッと低くなりました。ボクは、ドリームキャストで「ファンタシースターオンライン」をプレイしたことありますが、サービス開始からだいぶ時間が経っていたこともあって、プレイヤー同士のコミュニティーができあがっており、出遅れ感を感じさせられたものです。

「ファイナルファンタジー11オンライン」は、ほぼサービス開始直後からプレイし始めたのですが・・・ネックとなったのは、オンラインゲームには欠かせないプレイヤー同士のコミュニケーションでありました。オンラインで作成したキャラクターのみ・・・いわゆる”アバター”だけの存在でしかない年齢も性別も不詳な相手と、キーボードのチャットでコミュニケーションを取ることに、居心地の悪さを感じてしまったのです。

「FF11」で「ソロプレイ」を貫くことは絶対的に不可能というわけではありませんが、レベル上げだけでなく、クエストをクリアするにも、他のプレイヤーと「パーティー」を組むことは不可欠・・・コミュニケーションをまったくしないでプレイすることは、非常に難しいのです。それでも、当初は頑張って「パーティー」に誘われたら出来るかぎり参加するようにしたり、時には思い切って他のプレイヤーをパーティーに誘ってみたりと頑張ってみましたが・・・いくらゲーム上で同じ目的を持っているからといって、何者か分からない人と関係を築くような気持ちにはなれず、会話もそれほど弾むわけもなく・・・フレンド登録などはしないで、その場限りのお付き合いばかりでした。

日本人プレイヤーは、礼儀正しいし、不愉快な思いをしたようなことは、殆どと言っていいほどありません。だからこそ、余計に気を使ってしまうのです。時間的に無理な場合には、誘われた段階でお断りもしやすいのですが・・・一度、フィールドに出てしまうと、トイレに行きたくても我慢とか、そろそろ寝たいのにパーティーから外れられないとか、まるで日本人社会の”疲れる要素”を凝縮したような印象でした。結局、「FF11」をプレイしているリアルの友人とだけパーティーを組むという形に落ち着いてしまいました。その友人は「今夜10時に”リンクシェル”(オンラインゲーム上のチームのようなもの)のメンバーと一緒に遊ぶ約束しているから、急いで帰らないと」など、現実の世界とオンラインゲームの世界が並列しているような感覚を持っていることに、正直驚きました。

「ドラクエ」か「ファイナルファンタジー」かと言えば・・・ボクはどちらかというと「ファイナルファンタジー」派。Wiiで「ドラゴンクエスト X オンライン 目覚めし五つの種族」が発売されると聞いても「オンラインゲームは、もういいかも」としか思えず、買うつもりはありませんでした。発売前になって「ドラクエ9」のように「サポートなかま」を雇って、ソロプレイでもパーティープレイが出来る仕様であることを知り、とりあえず遊んでみようか・・・と始めてみたのです。

序盤はソロプレイでも、それほど苦もなくレベル上げが進むものの・・・最初のボスあたりから、完全なソロでは厳しくなってきます。途中「パーティー」に誘ってもらうこともあってので、苦手意識から脱却したいという思いもあって、ある「パーティー」に参加してみたのですが・・・「ドラクエ10」のチャット機能の乏しさもあってか、ボク以外のプレイヤーもなんか”寡黙”。唯一、キーボードでしゃべりまくるリーダー格のプレイヤーさんに、ただ従ってついていくだけという感じでした。プレイヤーのHP/ヒットポイント(生命の力みたいなもので0になるとキャラが死んでしまう)の回復役として「パーティー」には必要な僧侶さんが「そろそろ寝ます」と、いきなり「パーティー」からはずれてしまうという事態になり、20分ほどで「パーティー」は解散となりました。「パーティー」を組んでやりたいこともビミョーに違ったりするし、プレイスタイルもひとそれぞれ・・・気楽なソロプレイが一番と再認識して、サポートなかまを雇えるようになるクエストを早々にクリアしました。その後はソロプレイだけど、サポートなかまと「パーティー」を組むとスタイルで、快適にプレイしています。

「ファイナルファンタジー11オンライン」を開発したスクウェアと「ドラゴンクエスト」のエニックスが合併したことから「ドラゴンクエスト X オンライン 目覚めし五つの種族」は、鳥山明のキャラクターデザインのビニュアルや、基本的な操作方法は「ドラクエ」シリーズをを継承しながら・・・「ファイナルファンタジー11オンライン」のゲームシステムをシンプルしたという感じです。MMORPGオンラインゲームというのは、基本的にロールプレイングゲームと同じように、ストーリーを進めていくわけですが、オフラインと大きく違うのは「経済システム」が、非常に重要な要素ということ・.・・いや、経済こそオンラインゲームの”キモ”であるのかもしれません。現実の世界以上に、経済を制する者が全てを制するということになりがちなのですから・・・。

ドラクエの世界での貨幣単位は”ゴールド”というのですが、この”ゴールド”は、フィールドのモンスターを倒すことで得ることができます。「ドラクエ10」で良いのは、ソロで倒しても、パーティープレイで楽しても、入手できる”ゴールド”の金額は同じこと・・・ただし、一度の入手出来る金額自体は、非常に微々たるものです。モンスターがたまに落とす”宝箱”から、アイテムが手に入るので、それをお店に売ることで”ゴールド”を得ることもできますが、そう簡単には何万ゴールドを貯めるのは至難の業・・・そこで”バザー”と呼ばれるプレイヤー同士が売り買いすることができる仕組みがあるのです。これこそが、まさに「MMORPGオンラインゲーム=経済シュミレーションゲーム」たる由縁で、本来のストーリーを進めるだけでなく、いかに”ゴールド”を稼ぐか・・・というゲームとなっていくわけです。

戦士、僧侶、魔法使い、武闘家、盗賊、旅芸人という職業(ジョブ)がありますが、これはフィールドでモンスターと戦う時の”役割”・・・純粋な意味で”ゴールド”を稼ぐ手段としての職業としては、職人ギルドという仕組みがあります。これは、モンスターを楽して手に入るアイテムを素材として使って、装備や武器を作ることができます。また、装備や武器に追加効果を加える錬金職人というのもいて、有効な追加効果がついた装備や武器はバザーで高く取引されるのです。ただ、装備も武器も、一度キャラクターが身につけてしまうと、そのキャラクター以外が身につけられなくなってしまうので、新たな装備や武器の需要というのは、常に見込めるわけです。しかし、サービス開始から2ヶ月近くに経った今では、高いレベルの職人が増えてしまったので、大儲けするのは厳しいのかもしれません。

「ドラクエ10」では、キャラクター同士での直接取引というのも可能ではありますが・・・バザーで売り買いすることが一般的です。モノの価格というのは(よっぽどのレアアイテムを除いて)買い手によって相場が決まっていくことが殆どというのは、オンラインゲームの世界も、現実世界も同じこと・・・また、転売することも可能なため、うまいことやればモノを安く買って、出品価格が高くなったところで売れば、バザー出品の手数料を差し引いても、儲かることもある・・・というも、まるでYahoo!オークションのようであります。

お金儲けに励み、それぞれの職業でモンスターと戦いながら、レベル上げやクエスト(おつかい)をクリアしながら、ストーリー部分も進めていく・・・なんだかんだと、やることがいっぱいあります。それにオンラインRPGなのだから、定期的に新しいクエストやストーリーの続きがあって、結局、終わりのないゲームとなっていくわけであります。毎月1000円という利用料金を払ってでも遊び続けようと思うユーザーが減らない限り、会員制クラブのように続くというわけです。実際にスクウェア・エニックス社は、今後10年ほどの稼働期間を想定しているそうで・・・還暦を迎えようとしている年頃になっても、「ドラクエ10」をプレイしている自分というのは、正直いって想像したくない気がします。

それにしても・・・いくらゲームの世界で”ゴールド”を稼いだからって、現実の世界には何も得るモノはありません(リアルマネートレードという違法行為はあるようですが)。それでも、多くの人がMMORPG型オンラインゲームにハマてつぃまうというのは、オンラーゲームの世界がゲーム運営会社によって管理されている世界だからかもしれません。現実の世界では、”努力”や”労力”だけでは成し遂げられないことばかり・・・特に経済的な低迷が続く今日では、知識や資格や学歴や経験を持っているからといって、敷かれたレールに乗っかることさえも、ままならない厳しい状況です。明らかな階級社会ではない日本ではありますが、生まれた段階で誰もが同じスタートラインに立っているわけでもなく・・・あらゆる”不平等”な要素が人生の行方を左右しています。

MMORPG型オンラインゲームの世界というのは、ゲームシステムの中で、ある種の”平等”という概念を追求することでもあるような気がします。例えば・・・サービス開始直後、ある武器のスキルが無敵すぎることが判明して、アップデートによって調整されたということがありました。こうやって、オンラインゲームの世界では、プレイヤーにとって”不平等”であると感じさせられることは排除されていくわけです。

悪用されやすい仕組みの導入にも慎重で・・・Yahoo!オークションにあるようなユーザー同士の”評価”のシステムというのは、すべてのプレイヤーが公平に評価するということが前提であるので、悪意をもつプレイヤーによって荒らしやすい環境は提供されません。”嫌がらせ”や”いじめ”を受けたら、特定のプレイヤーをブラックリストに乗せることだってできるのです。このようにプレイヤー本人にとって不都合だったり、不快だったりすることを排除するというのは、現実の世界(インターネット上を含めて)では不可能なことであります。

しかし、現実の世界のような”自由”というのは限られています。「ドラクエ10」上での”自由”とは、選択肢があるというだけのことで、生まれかわる種族を5つから選べたり、髪の毛の色、髪型、瞳の色、顔、体のサイズ(大中小)は、組み合わせ次第で何万通りというキャラクターが出来るのかもしれませんが、それはあくまでもゲームシステムから与えられた選択でしかありません。

また、ストーリーやクエストのクリア方法も、レベルの概念に支配されていて、快適に進めていくには順序というものがあるのです。キャラクターの成長に関しても、レベルが上がることで得られるスキルポイントを”武器”か”職業特有のスキル”に振るかの試行錯誤はできますが、これもまたゲームシステムによって敷かれたレールをどう進むかというだけの話なのです。

ミニゲーム風の職人ギルドは、ある程度作業を繰り返すうちに分かってくる作業方法を把握してしまえば、かなりの確立で高レベルのアイテムが作り出せてしまいます。結局はゲーム制作者の設定したバランスを、どれだけ読み解くかにかかっているわけです。現実の世界で匠の技を習得するというのとは、次元の違うこと・・・プレイヤー誰もが同じ能力だけ与えられている状態から始められるのですから。

コツコツとレベル上げやスキル上げをしてく”努力”や”労力”が、数値によって報われるように感じられる”平等”な世界だからこそ、多くの人がある種の”やり甲斐”を見出してしまうというのが、現実の世界の裏返しのようであります。

若干の運と不運、効率のいいレベル上げ手段、プレイヤーの操作技術やシステムの理解度の高さなどにも左右されるとは思いますが・・・結局のところ、プレイ時間の長さがキャラクターの成長に比例していることは確かなこと。現実の世界が充実して多忙な日常を送っているプレイヤーというのは、それほどオンラインゲームを遊ぶ時間は割けません。逆に、暇さえあれば遊び続けているプレイヤーは、オンラインゲームの世界で”優位”に立っていくことができます。現実とオンラインゲームの世界では、皮肉な「勝ち組」と「負け組」の逆転も起こるというわけであります。

最強の装備と武器を持って、すべてのクエストもストーリーも誰よりも早くクリアし、すべての職業や職人スキルも最高レベルまで上げて、とてつもない金額の”ゴールド”を貯め込んでいるキャラクターを操作している強者プレイヤーが、現実の世界でどんな人生を送っているのか・・・それを知るのは、正直怖い気がしてしまうのです。

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2012/09/15

いろんなホラー映画ぜ~んぶ入り!・・・「13日の金曜日」のパロディどころじゃない風呂敷の広げっぷりが、あっぱれ!~「キャビン/The Cabin in the Woods」~


いわゆる「13日の金曜日」系のティーン・ホラー映画のパターンは、繰り返し焼き直しされています。バカな若者たちが「行っちゃダメよ!」と警告された人里離れた辺鄙な場所に出掛けるというのが典型的な設定・・・また、その若者グループというが、いろんなキャラを集めましたというような、決して一緒に行動しそうもない組み合わせになっているのも、お馴染みかもしれません。

まず、この手の映画に不可欠なキャラと言えば・・・金髪のバカ女(Blonde Bimbo)。おっぱい出しヌードのサービス担当で、エッチをする奴から殺されていくというティーン・ホラー映画の定説通り、真っ先に殺されることが多いようです。その金髪バカ女の恋人役という場合が多いスポーツマン系のマッチョ(Jock)。映画の冒頭ではリーダー役として登場するものの・・・やっぱり途中で殺されます。金髪バカ女と対比するように存在する女性キャラが、黒髪、茶髪、赤毛など金髪以外の女性キャラのヒロイン(Heroine)。どういうわけか、グループの中でも抜群の肉体能力と抜けない頭脳で、最後まで生き残るキャラということが多いようです。オタク系(Nerd)の男というのも外せないキャラで、身体的に不自由だったり、いかにもスポーツが苦手でトロそうという役回り・・・どう考えても、スポーツ系のマッチョと友達とは思えないのメンバーなのにグループに入っているのは、女性キャラの兄とかという設定にしていることも多かったりします。マッチョとキャラ的にはかぶりながらも、敵対する存在で登場する事があるのがライバル(Rival)。どうしたら良いのかの決断場面でリーダー格のマッチョと口論になる・・・というのが、ありがちなパターンですが、最近の傾向としては”白人”ではなく、アフリカ系やラテン系という場合が多いようです。いかにもスポーツばっかりで頭悪そうなマッチョ役と対比するように、お勉強のできる真面目なキャラというのもありがちかもしれません。その他、”白人”でない女性キャラを登場させることも多く、その場合には、分かりやすい”ステレオタイプ”そのものを演じさせられます。アフリカ系なら、とにかくぎゃーぎゃー騒ぐ、ラテン系なら気が強い、アジア系ならミステリアス・・・という具合でしょうか?「13日の金曜日」的なティーン・ホラー映画に欠かせないのは、人種的にも、キャラ的にも、最低限のステレオタイプのバリエーションを揃えるというのは”お約束”ではあるようです。

「キャビン・イン・ザ・ウッズ」は「13日の金曜日」的なティーン・ホラー映画の”お約束”を、これでもかというほどなぞっていく、ベタで典型的な設定と展開になっていますが・・・「ハロウィン」に対する「スクリーム」ような、この手の映画にありがちな”お約束”を”逆手”に取った作品であることが分かります。まず、登場人物は見事なほど典型的なキャラを揃えています。金髪バカ女、リーダー格のマッチョ、赤毛のヒロイン、ヒロインの恋人でアフリカ系(ラテン系のミックス?)の男、そしてマリファナ中毒の男友達・・・という5人。途中で立ち寄ったガソリンスタンドでは、不気味な男が「そっち行くんじゃなぇ!」と注意するというベタっぷりです。到着する森の小屋も、ホラー映画で何度も観て来たような佇まいの、イカニモ危ない小屋・・・登場人物達のやり取りも、この手のホラー映画にありがりな、どうでも良いような”いざこざ”でしかありません。

しかし、本作が違うのは、若者達が入り込んだ森や森の小屋というのが、どこかしらの指令室でモニタリングされ、その環境がコントロールされているという事・・・これってケーブルテレビで放映されている「リアリティショー」の”やらせ”みたいに見えます。地下室で発見した謎の呪文を読み上げることによって、墓場から蘇るゾンビ一家・・・しかし、これは、指令室ではギャンブルでもするかのように、彼らが何を選択するかを賭けていたりします。まるで”お約束”のように金髪バカ女とマッチョが森の中でチチクリ始めるのですが・・・金髪バカ女が「涼しい」と言って服を脱がないでいると、指令室では気温と湿度を上げたりします。期待通り、服を脱ぎすてエッチを始める二人に、ゾンビ達が襲いかかります。しかし、これはテレビ向けの”やらせ”なんかではなく・・・金髪バカ女はゾンビ達に捕まって、あっさりと惨殺されてしまいます。

どうやら若者達は自分たちがモニタリングされていることなど全く知らないようで・・・マジでゾンビに襲われているようなのです。オタクは小屋からゾンビに連れ去られてしまいます。ヒロインとアフリカ系のボーイフレンド、マッチョの3人は車で逃げようとするのですが、何故か崖から橋がなくなって渡れません。勿論、指令室で地形さえもコントロールされているのです。バイクで崖を乗り越えようとしたマッチョは、見えない電磁波の壁のようなものに阻まれて、谷底へ落ちていきます。結局、ヒロインとボーイフレンドは小屋へ引き返すハメになるのですが・・・その途中でボーイフレンドは喉を切られて殺されてしまいます。こうしてヒロインは一人で森の小屋に舞い戻ってくるしかないんです。一体、森の天候から地形までコントールして、ゾンビまでを修験させる指令室というのは、何なんでしょうか?

この後、とんでもなく雄大な物語へと発展していきます。「13日の金曜日」だけでなく、サム・ライミ監督の「死霊のはらわた」、ピーター・ジャクソン監督の「ブレインデッド」、さらに今まで作られたホラー、ファンタジー、モンスター映画も全部入れて・・・・最後には「プロメテウス」的(?!)なテーマさえも彷彿とさせるトンデモナイ作品なのです。司令室のトップのディレクターの正体は・・・なんと「宇宙人ポール」のあの人。そして、この司令室が行なうとしている計画が明らかにされるのですが・・・その風呂敷の広げっぷりには、かなりの無理があります。また、脚本も演出も、まだまだ良くなる余地はありそうだし、相変わらずクリス・ヘムズワースの超大根っぷりにはシラけ、正直言って映画の出来としては”お粗末”・・・しかし、使い古された「ティーン・ホラー映画」ネタを、誰もが予想だにできない”オチ”へ、強引にでも引っ張っていくパワーは、ただ「あっぱれ!」なのであります!

「キャビン」
原題/The Cabin in the Woods
2012年/アメリカ
監督 : ドリュー・ゴダード
脚本 : ドリュー・ゴダード、ジェス・ウェドン
出演 : クリス・ヘムズワース、ジョシ・ウィリアムス、アナ・ハッチソン、フラン・クランツ、裏チャード、ジェスキンス、ブラッドリー・ホイットフォード、シガニー・ウェイバー

2012年9月16日「第5回したまちコメディ映画祭 in 台東」映画秘宝まつりにて日本プレミア公開
2013年3月9日より日本劇場公開


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2012/09/08

”ミヒャエル・ハネケ節”を継承するオーストリア映画監督マルクス・シュラインツァー(Markus Schleinzer)・・・児童性虐待男(ショタコン)と監禁された少年を淡々と描く”超不快映画”~「ミヒャエル/Michael」~


性的嗜好が、どのように構築されるのかという説はいろいろあるけれど、年齢相応の異性に対して性的な興奮を覚えるのであれば、世間一般的には「普通」ということになるのでしょう。熟女好きとか、デブ専とかならば、ひとそれぞれの嗜好は自由ということで片付けられますが、子供に対して性的な行為を行うのは「犯罪」・・・国によっては、児童への性的犯罪者として、当局より死ぬまで監視される対象になってしまうのです。

日本では、いわゆる「ロリコン」=「少女」を性的な対象とした嗜好ばかりが目立ちます。小学生(12歳以下)の少女が、明らかに性的イメージを刺激するようなポーズをしている、水着DVDが販売されているというのは、世界的にみると、かなり異常な状況だと思います。アメリカでは、児童を被写体としたポルノに対して、非常に厳しい刑罰を科していますが・・・「少女」だけでなく「ショタコン」と呼ばれる「少年」を対象にすることが、かなり多かったりします。

いすれにしても、まだ性的に成熟していない「純粋さ」が、虐待者にとっては魅力なのかもしれませんが、そのような嗜好を共感しない者としては、ただただ虫酸の走るような気持ち悪さでしかありません。相手が「少女」にしても「少年」にしても、虐待者となるのは、だいたい「男性」・・・大人の女性が、小学生の男子を襲うというのは、男性の妄想としてはありえても(自分が少年の立場で女性に誘われる)女性の性的な欲望ではないような気がします。

さて・・・「ミヒャエル/Michael」は、ミヒャエル・ハネケ監督のキャスティング・ディレクターとして「ピアニスト」「白いリボン」などに関わったマルクス・シュラインツァー/Markus Schleinzer監督による”性的児童虐待者”の日常を描いた長編第1作であります。師であるミヒャエル・ハネケ監督の作風を受け継いだような人間性への「不信感」や「悪意」を浮き彫りにするようなテーマ・・・さらに、観る者を突き放すような淡々とした描写が、血の気の引くような”トラウマ”として観賞後も残ってしまうのです。

保険会社に勤める35歳のミヒャエルは、大人しそうで几帳面な普通の独身男・・・薄らとハゲ始めて、正直見た目はパッとしません。実は彼の自宅の地下室には、誘拐してきたらしい10歳の少年を監禁しているのです。帰宅すると二人分の夕食を準備して、家中のブラインドを閉めて、地下室に少年を呼びにいきます。(予告編では、ここまでのくだり)少年には”ウルフギャング”という役名は与えられているようですが、本編でミヒャエルが少年を名前で呼ぶことはありません。


食後、少年を地下室へ連れ戻すのですが・・・しばらくしてから、部屋から出てきたミヒャエルが、洗面所でペニスを洗っているシーンによって、少年への性的な虐待を伺わせます。共に食事をしたり、後片付けをしたりしている姿は、シングルファーザーと息子のようですが・・・少年を監禁している虐待者には変わりありません。少年が監禁されている窓もない地下の部屋に意外に広く、キチンと整理整頓され清潔、トイレや水道も完備しているようです。おもちゃやテレビもあり、インスタント食品が備蓄され(旅行などで家を空ける時には、十分な買い置きしておく)お湯を沸かして食事ができるようにはなっています。しかし、その部屋への電気の供給はミヒャエルによって管理されており、少年は自由にテレビを観たり、食事をする事はできません。

犯罪者でありながら、ミヒャエルは会社では普通の会社員・・・一見すると、几帳面で大人しい真面目な社会人です。ミヒャエルの向かいに叔父が住んでいるという同僚の女性は、ミヒャエルに気があるようなのですが・・・ミヒャエルは、彼女には無関心。しかし、女性に興味が一切ないというのではなく、友達と出掛けたスキー旅行では、ウェイトレスに気に入られて、閉店後に店内でセックスしたりもするのです。ただ、挿入する際に、すぐに勃起できなくて手間取ったりというのが・・・なんともリアル。少年を性的虐待する=同性愛者というわけでもないという「ショタコン」の不可解さを感じさせます。

少年は監禁されているからとはいっても、まったく外へでないわけではありません。仕事の休みの日には、車で出掛けたりもするのです。勿論、ミヒャエルは少年と手を繋いだり、首根っこを捕まえられていて、逃げられる状態ではありません。ハイキングをして展望台まで登ったところで、ミヒャエルが双眼鏡で少年に何かを覗くように指示をするのですが、少年は何故かミヒャエルの見せようとしているモノを見ることができません。それは、まるでミヒャエル少年は決して同じモノを見れていないという・・・犯罪者と被害者の「断絶」を感じさせます

ハイキングから帰宅後、少年は高熱を出してしまい、薬を与えても回復しません。まるでミヒャエルは賢明に看病している様子ではあるのですが・・・病気が悪化すると、面倒なことになるという自己中心的な心配の仕方であることも、何気ない行動から垣間見えます。すぐに良くなりそうもない様子にパニックを起こすると、ミヒャエルは山奥へ車で出掛けて、大きな穴を掘り始めるのです。万が一、少年が死んでしまったりしたら埋めるつもりなのでしょう・・・もしかすると、病院へ連れて行かなければ治らないような病気になっているとしたら、監禁していることがバレるのを隠すために、少年を殺そうとしているのかもしれない・・・などと、不穏な気持ちにさせらるのです。ただ、少年はすぐに元気にはなるのですが。

クリスマスには、一緒にツリーを飾ったり、カード交換をするミヒャエルと少年。手作りのカードを受け取った後、ひとりですすり泣くくせに、そのカードは燃やしてしまうミヒャエルの不可解さ・・・少年との関係を求めながらも、人間的なコミュニケーションは受け入れられないのでしょうか?。少年は、たびたび彼の親宛に手紙を書いて、ミヒャエルに託しているのですが・・・勿論、その手紙が郵送されることはありません。それだけでなく、少年を追い詰めるように「おまえの親は、こんな子はいらないって言っているんだ!」と、精神的に少年を追い詰めていきます。

エロホラー映画(?)の「これはナイフだ。そして、これが俺のチンポだ!」という台詞を気に入ったミヒャエルは、食事中に少年相手に実演してみせます!ズボンからチンポだけをだして薄ら笑いしているミヒャエルに冷たい視線を送る少年・・・具体的な性的な行為をみせる本編では唯一のシーンです。地下室でミャエルから「こっちへ来い!」と命令される時にみせる少年の切ない表情は、いかに性処理道具として扱われている状態に、鬱屈した不満を抱えているかを感じさせます。

ある日、ミヒャエルはひとりでゴーカート乗り場へ出掛けていき、そこで遊んでいる少年を物色してします。ひとりっきりで閉じ込められている少年の淋しさを紛らわすためなのか・・・それとも、すでに知恵を付け始めた少年を、死んだ野良猫のようにお払い箱にするために、新しい獲物を狙っているのでしょうか?巧みに話題を合わせて、少年を遊びから連れ去るミヒャエル・・・しかし、もうちょっとのところで少年は父親に呼びとめられます。その声を無視して、淡々と歩く速度も変えずに、その場を去っていく様子は、すでに監禁している少年も、似たように誘拐されたことを示唆するようです。

ミヒャエルに気があるらしい同僚の女性が、迎えの住む叔父を訪ねた帰りだと言って、勝手にミヒャエルの家に入りこんできます。地下に監禁されている少年を見つけて欲しいと願うとともに、図々しく他人の家に入り込む、この女性の無神経さにも不愉快で・・・スゴい剣幕で同僚の女性を家から追い出すミヒャエルの逆ギレっぷりには、どこかスッキリとさせられてしまいます。そんなミヒャエルも職場では、定年退職するマネージャーのポジションに、昇進することが決まります。お祝いの職場のパーティーでのミヒャエルは、いつになく同僚達にフレンドリー・・・ちょっとお酒も入ってご機嫌で帰宅すると、思いもしなかった少年の反撃が待っていたのです!

ここからネタバレを含みます。

この夜、ミヒャエルは職場のパーティーで遅くなるため、地下の部屋の電源をつけっぱなしで出掛けていました。少年は電気やかんいっぱいのお湯を沸かして、待ち構えていたのです。ミヒャエルがいつものように部屋に入って来たと同時に、少年は沸騰しているお湯をミヒャエルにぶっかけます。しかし、やけどで苦しみながらも、ミヒャエルは少年を押さえつけて、地下の部屋へ押し倒して、再び大きなカギでドアを閉めてしまうのです。

やけどを負ったミヒャエルは、自分で車を運転して病院へ向かうのですが、その途中でミヒャエルの車はガードレールに激突して爆発・・・あっさりと即死してしまいます。自業自得ともいえる事故なのですが、一体地下の部屋に残された少年はどうなってしまうのでしょうか?

映画は、ミヒャエルの母親が地下室のドアを開けて、内部を覗いた瞬間に唐突に終わります。

希望的な結末としては、蓄えられていた食料によって、少年は無事に生き延びていると思いたいです。ミヒャエルの死後、どれほど時間が経っているのかハッキリとはしていません。葬式を済ませた週末のようななので、早くて1週間程度かもしれませんし、郵便物の溜まり方からすると、もっと時間が経っているのかもしれません。ただ、少年が衰弱死、餓死、または、自殺していたとしても不思議ではない状況・・・少年の様子を映すことなしに映画は終わります。

結末が分からないまま、観客は消化不良状態で突き放されてしまうわけですが・・・それだからこそ、実際に犯罪を目撃したかのように、いつまでも拭えない”不快さ”を観客は抱えさせられてしまうのです。

「ミヒャエル」
原題/Michael
2011年/オーストリア
監督 : マルクス・シュレンザー
出演 : ミヒャエル・フイス、デヴィット・ロウシェンバーガー
日本劇場未公開/2013年5月2日国内版DVDリリース


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