新刊が出れば必ず買っているんだから、ボクはかなりの”マツコ・デラックスのファン”なのかもしれません・・・。
ただ、自分的には「何かを語るなら(批判するなら)相手を知ってから」というのがモットーでありまして・・・テレビやマスコミのイメージだけで、あれこれは言いたくないんです。
というわけで・・・今回も買いました、マツコ・デラックスの最新本「あまから人生相談」を。
結論からいうと・・・これは、現在までに出版されたマツコ・デラックスの本(アタシがマツコ・デラックス、週刊女装リターンズ、世迷いごと)のなかでは、一番「らしさ」が凝縮されていている「おススメ本」だと思いました。
(中村うさぎとの共著の”往復書簡”は、基本的に中村うさぎ本とボクは考えています)
今までのすべて著書は、芸能人にツッコミを入れるという本で・・・どこか芸能界の掟に縛られているところがあり、それほど「毒舌」というわけではありませんでした。
ピュア(?)な一般人には、それなりに過激な内容だったのかもしれませんが・・・ボクのような”おふて”の中年ゲイにとっては日常会話の延長上でしかなく、面白みには欠けていたのです。
メディアは「おネエキャラ」=「鋭いツッコミ」という”おすぎとピーコ”が構築した路線を期待してしまうのだろうけど・・・マツコ・デラックスが毒舌を吐いているのは、取材に来たレポーターやマスコミ、番組スタッフやテレビ局という内輪に対してだけであって、芸能人や当事者などに対しては、意外にも擁護的な発言が多かったりします。
本書は、読者からの人生相談への回答を一冊にまとめた本ということで、一般人相手にマツコ・デラックス調で「言いたいことを言えている」という感じではあります。
「強い者には甘く、弱い者には強く」というマツコ・デラックスの本領が、人生相談というスタイルで発揮されているのが本書なのです。
元々、マツコ・デラックスの得意とするのは瞬間芸としての「切り返し」・・・それを生かすには「語り下ろし」というスタイルが一番効果的です。
本書の文章は、口語体として抜群に自然でなめらか、その上、なかなかウィットに富んでいます・・・「編集者の手が、かなり入っているのでは?」と邪推してしまうほど、マツコ・デラックス的イメージに極めて忠実なのであります。
元々は、レディスコミックの連載されていた人生相談をまとめたということなので、掲載されてから本として出版されるまでに構成や文章に手をいれることは当然なのですが(連載を読んでないボクには比較できませんが)・・・今回の「推敲」は見事といっても良いでしょう。
ただ、マツコ・デラックスの回答は「洞察力」や「分析力」から導き出された「目からウロコ」的な”教え”ではなく・・・極めて常識的であり、模範的な、読み手が安心できる王道です。
時には、あまりにも、まとも過ぎる「正論」という回答なので”おねえキャラ”独特のアクの強さを期待する読者は、少々がっかりしてしまうかもしれません。
相談者の言葉じりを拾った意地悪な「切り返し」は、小気味良いものの・・・読み進むうちに「マツコ・デラックスって、ホント普通な人なのだなぁ~」って、シミジミ感じさせられることになります。
おネエ言葉の言い回しに隠れた「凡庸な常識人」であることこそが、広く世間の共感を生みやすく「女装キャラ」の中でもマツコ・デラックスが一般的に受け入れられている理由でもあるのかもしれません。
ここでひとつ疑問に思うのは・・・「女装キャラ」を人生の甘いも辛いも経験してきた「人格者」のような扱いをして、世間は上から目線の発言を許してしまうのは何故なのか?ということです。
「女装キャラ」の人は「男の気持ちも、女の気持ちも分かる」という認識をされているようですが・・・ボクに言わせれば「男の気持ちも、女の気持ちも分かってない」であります。
確かに・・・「ゲイ」で「女装」であることの二重の意味で、イジメを受けたり、差別されたりということはあったかもしれません。
それは、それで、それなりに、辛い人生を経験してきたとは、思います。
ただ、それは普通に生活している人が体験することとは大きく違うわけで・・・「女装キャラ」だから、人生や物事を本質を見極めているのだと、持ち上げる必要もないような気がするのです。
すべての「女装キャラ」に当てはまることではないけれど、極端な人生経験のために歪んだ思考回路を持っていることは多く・・・それを「独特な感性」「ユニークな発想」として認めるというのは理解できます。
結局のところ、「男」とか「女」とか「ゲイ」とか「女装」だとか、ステレオタイプで、それぞれを”ひと括り”に語ること自体がおかしな話だということです。
ただ、同性(女性が女性から、男性が男性から)頭ごなしに言われたらムカつくことでも「女装キャラ」から言われると、笑って受け入れることができてしまうという風潮は否定できません。
しかし「ノンケの女装趣味の人」「性同一障害者で女性になった元男性」にはなく「女装キャラ」のみに、人格者的な特権が与えられているのは、ちょっと不思議なことです。
元の性が男性ではなく、元が女性である「男装のビアン」に「女装キャラ」と同じ特権を与えられていないことを考えると・・・根底には、無意識の「男尊女卑」が隠れているということなのでないでしょうか?
「人生相談」というのは、新聞や雑誌などの媒体が存在する頃からあるもので、作家の先生なり、ベテランの俳優なり、世間的に人望のある、それなりに人生経験を積んできた方から”教え”をいただく・・・というのが、本来の「人生相談」だったと思います。
ただ、今では”どこの馬の骨”とも分からないような「カリスマブロガー」や「自称、先生」の「人生相談」にも相談者がメールを送るような時代ですから、とりあえず誰でも良いから「私の悩み聞いて!」という人が多いということなのでしょう。
本書のような「人生相談」から、人生について学んだり、考え方の影響を受けたりしたとしたら、それはそれで自分の身の丈を知ることとなるわけで・・・・・・下世話な人生相談になればなるほど、相談を受ける側も、それを読む側も、思考能力や人生経験を問われてしまうものなのかもしれません。