キム・ギドク監督の一連の作品は劇場公開時には見逃していたのだけど、数年前に「悪い男」を観て以来、すっかりボクはハマってしまいました。主要な登場人物が少なく、説明的な台詞も殆どなく、淡々と描かれるのは極限状況から仏教的な”悟り”へ導かれるような物語・・・中村うさぎが語る(めのおかし参照)絶望感と幸福感が共存している「地獄」の真ん中にある「天国」を、ボクは思い起こさせるのです。監督自身の山ごもり生活を追ったドキュメンタリー映画「アリラン」では「新作が撮れない!」という”ジレンマ”までをも表現してしまったキム・ギドク監督ですが・・・第69回ヴェネチア映画祭で(北野武監督の「アウトレイジビヨンド」やトーマス・アンドーソン監督の「ザ・マスター」と競って)金獅子賞受賞という韓国映画界初の快挙によって”復活”(?)を遂げたのが、本作「嘆きのピエタ」であります。
”ピエタ”とは、十字架から降ろされたイエス・キリストの遺体を抱く聖母マリアをモチーフとする宗教画/彫刻などのこと・・・本作のポスターは、その中でも最も有名なミケランジェロの”サン・ピエトロのピエタ”を再現しています。ただ・・・このポスターのイメージは、映画の内容を表してはいるのですが・・・ある意味、誤解も生じさせてしているように思えるのです。何故なら、本作の息子と母親の物語は、イエス・キリストと聖母マリアの物語とは結びつきようもない「復讐劇」という韓国映画らしい展開していくのですから・・・。
ガント(イ・ジョンジン)は、親に捨てられ孤独に生きてきた借金の取り立て人・・・「金を借りておいて返さない方が人でなし」と、腕を工業機械に巻き込ませたり、廃墟から突き落とした上に蹴って脚の骨を折ったりして、負債者の身障者保険で取り立てるのです。自殺してしまった負債者の貧しい母親に金目のモノがないと分かると、飼っていたウサギまで奪うような非情な男であります。
ボク個人的には・・・このガント役は「悪い男」に主演していたチョ・ジェヒョンのような”硬派なやくざ”っぽいルックスの役者さんが演じていたら、もっと感情移入したのではないかと思うのですが、本作で起用されたのは、韓流スターっぽい優男系のイ・ジョンジン。逆に、優しそうな男が、実は冷酷という方が”怖い”ところもあるのですが・・・。
そんなガントの目の前に、彼の母親だと名乗る女・ミソン(チョ・ミンス)が唐突に現れます。彼の部屋に入り込んできて台所の洗い物を始めたり、彼の行く場所に現れて跪いて許しを乞うたり、生きているウナギに連絡先を括り付けて置いていったり・・・勿論、孤独なガントが、そう簡単に女の言い分を鵜呑みにするわけありません。
ボク個人的には・・・このガント役は「悪い男」に主演していたチョ・ジェヒョンのような”硬派なやくざ”っぽいルックスの役者さんが演じていたら、もっと感情移入したのではないかと思うのですが、本作で起用されたのは、韓流スターっぽい優男系のイ・ジョンジン。逆に、優しそうな男が、実は冷酷という方が”怖い”ところもあるのですが・・・。
そんなガントの目の前に、彼の母親だと名乗る女・ミソン(チョ・ミンス)が唐突に現れます。彼の部屋に入り込んできて台所の洗い物を始めたり、彼の行く場所に現れて跪いて許しを乞うたり、生きているウナギに連絡先を括り付けて置いていったり・・・勿論、孤独なガントが、そう簡単に女の言い分を鵜呑みにするわけありません。
再び部屋を訪ねて来たミソンに、ガントはニワトリの内蔵をナイフの先に刺して「母親と言うなら、これを食え!」と迫ります。怯むこともなくミソンは、血だらけの生の内蔵をむさぼり食うのです。するとガントはミソンの股間に手を入れながら・・・「俺はここから出て来たのか?また戻ってやるよ!」と押し倒し、犯そうとするのです。悲痛に泣き叫ぶミソン・・・近親相姦という上にレイプとは気持ち悪すぎます。結局、レイプは未遂で終わるのですが・・・この時を機に、ガントはミソンを母親として受け入れていくことになります。
ガントの心の変化は、かなり強引です。翌日からは、ミソンが用意した朝食を嬉しそうに食べたり、帰宅前にはブティックでミソンのために服を買ったりするのですから・・・。また、腕を機械に巻き込ませて身障者保険で負債を支払わせるつもりでいたガントは、彼に子供がもうすぐ生まれることを知ると、突然優しさをみせます。腕を失う前にギターを最後に弾きたいという男に、ガントは「子供に聞かせてやれ」と請求書を置いていくのです。ただ、ガントが去るや否や、男は保険金欲しさに自ら腕を機械に巻き込むのですが・・・。
ガントの心の変化は、かなり強引です。翌日からは、ミソンが用意した朝食を嬉しそうに食べたり、帰宅前にはブティックでミソンのために服を買ったりするのですから・・・。また、腕を機械に巻き込ませて身障者保険で負債を支払わせるつもりでいたガントは、彼に子供がもうすぐ生まれることを知ると、突然優しさをみせます。腕を失う前にギターを最後に弾きたいという男に、ガントは「子供に聞かせてやれ」と請求書を置いていくのです。ただ、ガントが去るや否や、男は保険金欲しさに自ら腕を機械に巻き込むのですが・・・。
ガントは母親との関係を取り戻すかのように、濃密な関係を築いていきます。ガントの布団に手を入れて夢精を手伝うミンス・・・この親子の関係は、気色悪すぎです。また、ミンスは男物のセーターを編んでいるのですが・・・何故か、ガントのためにしては、サイズが小さいのです。すでに”母親”という存在なしでは生きられなくなってしまってガント・・・今まで非情な取り立てをされた負債者にとって、ミンスという母親の存在は、ガントへの”復讐”のための”弱み”でしかありません。足を折られた負債者は、ミンスを人質にしてガントにガソリンで焼身自殺をさせようとさせようとしたりします。その時はミンスの反撃で、その男を撃退できたものの・・・再び母親を失うことに耐えられないガントは、ミンスに携帯電話は必ず持っているように言いつけるのです。しかし、ある日ミンスは姿を消して、悲痛に助けを求める電話がガントにかかってきます。
ここまでは、金によって振り回される負債者たちの地獄のような”資本主義社会の恥部”や、子供を捨てた母の”贖罪”と子供の”母性を求める強さ”を描いているのでありますが・・・二転三転して真実が見えてくると、韓国映画らしい”復讐”へと物語は方向転換していくことになるのです。
ここから重要なネタバレを含みます。
ガントに助けを求める電話・・・実は、ミンスの一人芝居の狂言だったのです。何故なら、ミンスはガントの母親なんかではなく、ガントの取り立てを苦にして自殺した男の母親だったから。そう言えば・・・本作は、車椅子の男がチェーンに首を吊って自殺するシーンから本作は始まるのですが、その男がミンスの息子だったということだったのです。ガントにはサイズが小さいセーターも、この息子のために編んでいたものでした。”母性”に飢えているガントに近づき、自分を彼の母親と信じ込ませることで、ガントにも愛する家族を失わされることを身をもって知らしめてやろうという、命をかけたミンスの”復讐”だったのです。
ミンスが捕らえられているという廃墟(以前、ガントが男を突き落とした場所)へガントが行ってみると、ミンスは今にも誰かに突き落とされそう・・・地面にひれ伏してミンスだけは助けてくれと懇願するガントを上からみて満足そうなミンス。復讐を果たす時になって何故か、涙してしまうのは、誰の母親としての悲しみなのでしょうか?天国で待っている息子?それとも彼女の命乞いをするガント?
ミンスが捕らえられているという廃墟(以前、ガントが男を突き落とした場所)へガントが行ってみると、ミンスは今にも誰かに突き落とされそう・・・地面にひれ伏してミンスだけは助けてくれと懇願するガントを上からみて満足そうなミンス。復讐を果たす時になって何故か、涙してしまうのは、誰の母親としての悲しみなのでしょうか?天国で待っている息子?それとも彼女の命乞いをするガント?
ガントの目の前で、ミンスは投身自殺をして息絶えます。以前から、ミンスが「私が死んだら埋めて欲しい」と言っていた松の木の下を掘り返すと・・・そこには、ミンスが編んでいたセーターを身につけた青年の死体。死体が着ていたセーターを身につけて、青年とミンスの死体と一緒に横たわるガント・・・ミンスが、本当は何者であったのかを、ガント理解したのかはハッキリとは描かれないのですが、この後のガントの行動は、何故か不思議な感動を生むのであります。
身障者保険を受け取らせた負債者のひとりの元をガントは訪ねます。ポン菓子を売ってやりくりしている彼の妻のトラックの下に潜り込み、ガントは自分のカラダと首をチェーンで結びつけます。まだ、夜の明けないうちに仕事にでかけるためにトラックで妻はでかけるのですが・・・薄暗い道路に赤い血のラインを残していくのです。ミンスに騙されていたと知っても、一度、母性を経験してしまったガントは、自分の取り立て人としての罪深さに、死による贖罪を選んだ・・・というのでしょうか?
身障者保険を受け取らせた負債者のひとりの元をガントは訪ねます。ポン菓子を売ってやりくりしている彼の妻のトラックの下に潜り込み、ガントは自分のカラダと首をチェーンで結びつけます。まだ、夜の明けないうちに仕事にでかけるためにトラックで妻はでかけるのですが・・・薄暗い道路に赤い血のラインを残していくのです。ミンスに騙されていたと知っても、一度、母性を経験してしまったガントは、自分の取り立て人としての罪深さに、死による贖罪を選んだ・・・というのでしょうか?
キム・ギドクの作品は、男にとって都合のいい「女性蔑視」と批判されることもあるようですが、本作を含めて一連の作品に共通しているように感じるのは、女性の”母性”に対する、キム・ギドク監督の絶大な信頼感・・・どれほど過酷で極限の状態であっても、男のすべての”罪”は常に”母性”によって許されるということなのです。
「嘆きのピエタ」
原題/피에타
2012年/韓国
監督/脚本 : キム・ギドク
出演 ; イ・ジョンジン、チョ・ミンス
2013年6月15日より日本劇場公開