格差社会の解消、雇用の改善などを求める「オキュパイ・ウォールストリート」の流れが全米に広がるような時代であっても・・・まだまだ、アメリカン・ドリームを夢見て移民はアメリカを目指します。とは言っても、その前途は多難です。アメリカ人の低所得層になりがちな黒人やラテン系の人たちは、いわゆる「3K」と呼ばれる「キツイ」「キタナイ」「キケン」な仕事を、少ない賃金でするしかない場合が多いのです。ボクの住んでいたニューヨークでも、公園でブロンドの子供の面倒を見ているのは、明らかに母親でない有色人種の女性・・・会社の掃除係や荷物の運搬係だって、白人であることは稀なこと。人種差別はいけない・・・という個人的な意識を持っている人はたくさんいるけれど、職種や賃金には目に見えない「棲み分け」というのは、しっかり行なわれているのです。
ボク自身は20年ほどの在米期間、永住権の申請のためにジャパニーズレストランで1年ほど働いた以外は、いわゆる「日本人向け」の仕事についたことはありませんでした。実は、これって結構珍しいことで・・・殆どの日本人は「日本人相手の仕事」(食料品店、弁護士、医者、旅行会社など)または「日本人であることが”売り”になるような仕事」(寿司職人、美容師、日本語教師など)につくことが多いのです。ボクのいたアパレル業界では、パタンナー、カッター(型紙から布地を切る人)、縫製する人というのは、日本人の他、イタリア系、中国系、ラテン系などの移民の仕事という漠然としたイメージがあって、デザイナーやディレクターのような立場の仕事は、ユダヤ系、またはアメリカ白人ということが多かったです。
移民がすることが容易い仕事というのは、ある意味、雇われの「職人」・・・日本人は、穏やかで従順な国民性、仕事に対するプロフェッショナリズム、そして細かな作業が得意ということもあって、移民のなかでも非常に重宝されていることは確かです。発展途上国への援助活動や、日本人向けの職業でなく・・・あくまでも、自分の専門分野での自己実現を、海外で目指すのであれば、日本へ帰国後、日本国内の日本人に対しての「箔」をつけるためであると割り切るべきでしょう。これは、シェフやパティシエ世界では、ポピュラーな”箔づけ”の手法かもしれません。とにかく、移民という立場で、何かを成し遂げるのは大変なことであるということです。
前置きが長くなってしまいましたが・・・「明日を継ぐために」」は、不法滞在しているメキシコ移民の父親カルロス(デミアン・ピチル)と、アメリカで生まれた息子ルイス(ホセ・フリアン)の物語。カリフォルニアには、庭師の仕事をするメキシコからの労働者が多くいるのですが・・・ホームセンターの出口でその日限りの仕事を請け負うという仕事なのです。背の高い木に登るような作業は危険も伴うはずですが・・・労災なんてものはありません。ロスの高級住宅地の美しく整えられた生け垣や庭というのは、最低賃金以下で働く不法滞在のメキシコ移民の庭師がいるからこそ、美しく保たれているのです。
そんな日雇いの庭師をしながら、男ひとりで息子を養っているカルロス・・・妻/母親が何故いないかは、映画の終盤まで説明されません。自分のトラックさえ持っていれば、いつ働けるのか分からない日雇い労働ではなく、自らがボスとなって稼ぐことができる・・・そうすれば、少しでも息子にマシな生活と、良い教育を受けさせることができるのではないかと考えます。アメリカ移民の一世代目(ファースト・ゼネレーション)というのは、自己実現という自分の成功ではなく・・・身を粉にして働いて、自分の子供たち(セカンド・ゼネレーション)に高い教育を受けさせて、アメリカで成功して欲しいという願いを持って頑張るものなのであります。カルロスはアメリカ人と結婚して安定した生活を送っている妹から借金をして、小型のトラックを手に入れます。ところがヘルプとして雇ったメキシコ人の男に、仕事中、車を盗まれてしまうのです。
ここからネタバレを含みます。
息子のルイスは、いつも仕事でボロボロの父親のような生き方にはうんざり・・・メキシカンのギャング達の裕福な生活に憧れを感じてはいるものの、トラックを盗まれて失意の底にいる父親を見捨てることはできません。トラックはすでに転売されていて、修理工場あることが判明します。カルロスと息子は、夜中にガレージに忍び込んで、まんまとトラックを盗み返すことには成功するのですが・・・その後、警官に呼び止められて、不法滞在者であることがばれてしまいます。そして、カルロスは移民局の留置所送りとなってしまうのです。
裁判での勝ち目は殆どない・・・と告げられたカルロスは、息子を妹家族に預けて、メキシコへ送還されることに承諾します。息子ルイスとの最後の面会でカルロスは、メキシコからルイスの母親と共にアメリカに不法入国したこと、ルイスを授かった後に母親は別な男をみつけて去ってしまったことを語ります。そして、ひとりっきりでルイスを育ててきたことこそが、生ている理由であり証であったと告げて、メキシコへ送り返されて行きます。映画は、再びメキシコからアメリカの国境を越えるため、砂漠を歩くカルロスの姿で終わります。カルロスの父親としての愛情とは・・・なんと深いのでしょう。
ボク自身は育った環境から・・・「父親の愛情」というモノに対して、非常に不信感が強いのです。カルロスのような父親の存在というのは、正直キレイごとのようにしか感じられないところがあります。しかし同時に、カルロスのような父親もいるのだと信じたい・・・と、封印してきた父親という存在への期待というのが、ボクの心の隅に残されているような気もしてきて、複雑な心境になってしまいます。だから、父親と息子の愛情を描いた映画というのは、ボクは苦手なのであります。
にも関わらず・・・本作にボクがメロメロになってしまったのには、まったくもって不謹慎な理由があるのです。それは、父親のカルロス/デミアン・ピチル(「チェ・28歳の革命/チェ・38歳別れの手紙」ではカストロ役を演じていた)が、あまりに素敵なこと。「こんなパピ(ダディー)が欲し~い!」なんて思って、彼の経歴調べたら・・・なんとボクと同じ1963年の生まれ(まぁ、明らかに年下でなかっただけマシだけど・・・)。正確に言うとボクの方が半年ほどお兄さんであったことが判明して、なんともやりきれない気持ちになったのでした。
「明日を継ぐために」
原題/A Better Life
2010年/アメリカ
監督 : クリス・ワイツ
脚本 : エリック・イーソン
出演 : デミアン・ピチル、ホセ・フリアン、ドロレス・エレディア、ホアキン・コシオ、カルロス・リナレス
2011年10月22日「第24回東京国際映画祭」にてプレミア上映
日本劇場公開未定
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