各作品のエンディングを含むネタバレあります。
「ヴァージン・スピリト」は、家族と避暑地で過ごしている処女喪失願望のある14歳の少女リリ(デルフィーヌ・ザントゥ)が、中年男モリース(エチエンヌ・シコ)と出会い、彼を追いかけ回すという話なのですが・・・「少女らしさとか」いうロリコンが喜ぶような作品ではなく、苦虫をかみつぶすようなイヤ~な作品なのです。「ロリータ」とは逆に少女が中年男を追いかけるわけですが、中年男が少女を子供扱いするのは当然と言えば当然のこと・・・これも、この年代の少女と女の狭間の思春期の”好奇心”と”不可解な行動”ということなのかもしれませんが、よりにもよって”感は否めません。さらに、リリを演じている女優さんが14歳のわりには(実際に役柄と同じ14歳だったらしい)妙にムチムチのおばさん体型で、ずっと仏頂面(まぁ、これは役柄なんだけど)で14歳らしい「可愛らしさ」とはほど遠い「不潔さ」を感じさせて・・・いろんな意味で、萎えさせられてしまうのです。
追い回されているうちに中年男もスケベ心を誘われて(?)少女と女友達の寝室で「ベットイン」となるのですが・・・実際に行為に及ぶと勃つべきモノが勃たちません。少女は必死に中年男のモノをフェラチオするのですが、結局モノは勃たないという、なんとも男にとって気まずい展開・・・「私のせいじゃないよね?」と懇願する少女から、中年男は逃げるように寝室を出てしまいます。残された少女はひとりで号泣してしまうのです。その上、中年男のエロい女友達からさえも罵倒されて、部屋を追い出されるという始末なのだから、少女にとっては悲痛な限りであります。しかし、こうなったのも自業自得としか言えない少女に対して、観る者の同情心さえ感じさせないドライな描き方に、カトリーヌ・ブレイヤ監督の突き抜けた信念を感じさせることも確かなのです。
中年男と処女喪失することができなかった少女は、以前から彼女に気のある近所のイケてない少年を誘って、あっさりと処女喪失を達成します。初めての男性になったと知った少年が「ボクを愛しているの?」と尋ねると、鼻で笑ってバカにする少女・・・ただ、処女を失ったことには満足なようで、少女の満面の笑みで映画は終わります。
どれほど、したたかに強がってみても、結局は自分の中での空回りという思春期の”惨め”極まりない状況を冷たく描いているだけでなく、中年男の性的不能、中年男の女友達のおばさんっぷり、奇しくも初体験の相手となる少女と同世代の少年の浅はかさなど・・・描かれている登場人物の誰も良く描いていないという”悪意”に満ちた作品として、トラウマになりそうな魅力に惹かれている自分がいたりします。
「ヴァージン・スピリト」を遡ること12年前の1976年(撮影は1975年?)・・・カトリーヌ・ブレイヤ監督のデビュー作「本当に若い娘」は製作されていたのですが、本国フランスでも初公開されたのは製作から23年後でありました。「本当に若い娘」の製作前後、美少女写真家で知られるデヴィット・ハミルトン監督の「ビリティス」の脚本に、カトリーヌ・ブレイヤ監督は関わっています。もしかすると、当時のプロデューサーは「ヴィリティス」のような世界観を期待していたのかもしれません。しかし本作の本質は「性器モロ出しのエグい表現」・・・それを受け入れられるようになるのに、23年という年月が必要だったと言えるのかもしれません。
「本当に若い娘」も、また処女喪失にまつわる話です。というか・・・本作だけでなく、「ヴィリティス」も「ヴァージン・スピリト」も「処女」も、すべて少女の処女喪失の物語(それも夏休みの避暑地や実家!)なのであります。同じテーマを同じような少女で描き続ける・・・これは、ある意味、主人公の少女たちは実は同じひとりの少女=カトリーヌ・ブレイヤ監督自身ではないかと思えてしまうほどです。
舞台となるのは1963年(これはカトリーヌ・ブレイヤ監督が、ちょうど14~5歳のとき!)・・・14歳の少女アリス(シャーロッテ・アレクサンドラ)は、夏休みなると寄宿学校からランド地方に暮らす両親の元に里帰りします。帰宅した夜には、何故かベットで寝ている時に嘔吐してしまったり(まるでエクソシストみたいに!)と、精神的には不安定のようなのですが・・・実は、このアリスは、とんでもない少女なのであります。食卓でわざとスプーンを落としたと思ったら、テーブルの下でスプーンを自分の性器に入れたリ出したりして遊び始めるのです!また、幼い頃と変わらずにアリスを可愛がる父親に寄り添いながら、父親のズボンからポロリと出たペニスを想像したりしています。とにかく、なんだかんだで自分の性器をいじくってばかりいる少女で、何故か下着を足首まで脱いで歩いてみたりと「本当に若い娘」というよりも「本当にバカな娘」としか思えません。
ランド地方は森林地帯で、父親は小さな製材会社を経営しているのですが、その製材工場でアリスはジム(ハイラム・ケラー)という青年に一目惚れするのです。しかし、まだ幼い過ぎるから(もちろん処女だから!)とか、付き合っている恋人がいるからなどの理由で、ジムに無視され続けてしまいます。そこで・・・アリスの「妄想」とも「現実」ともハッキリしない性的なイメージが交錯していきます。ノーパンで自転車のサドルで性器をこすって誘ってみたり、ジムの通る道の真ん中で下着を脱いで両足を広げて性器を晒してみたり、お尻にニワトリの羽を突っ込んでニワトリの真似をして誘惑してみたり・・・仕舞いには、真っ裸で有刺鉄線で大の字に縛られているアリスの性器に、ジムがミミズを入れて責めるという、トンチンカンな妄想まで描かれるのです。少女っぽい感受性でありながら、意識は女性的な生理と自身の肉体へ向かっている・・・カトリーヌ・ブレイヤ監督の作品に共通するナルシシズムを感じさせる独特の女性像です。
自分に振り向かなかったジムが、いざ体を求めてくると「ピルがないと妊娠する」と言い訳して、エッチを拒むアリス・・・妄想するほど彼の肉体を求めているにもかかわらず、実際に行動となると躊躇してしまうのは「まだまだ少女だから弱気」なのでしょうか?それとも「すでにセックスによって男をコントロールする術を知っている女」なのでしょうか?ただ、エッチを”おあずけ”状態にしておいて、ジムに自分の寝室に来るように誘ったことが仇なります。父親が畑に仕掛けていた罠のライフルによって、ジムはあっさりと命を落とすことになるのです。勿論、恋人がいながら、アリスの誘いにのってしまったジムに過失がないわけではありませんが・・・アリスがジムを破滅に導いたと言えるのかもしれません。ジムが死んだことを知ったアリスの睨めつけるような表情のクロースアップで映画は終わります。
「本当に若い娘」は、極端に過激な性描写であることは確かです。日本では完全無修正版を観ることができないので、本作のトラウマ的なエグさを伝えることは難しいのですが・・・少女の性器の生々しい過ぎる”ドアップ”は、エロティズム的な興味を削ぐような即物的な扱いになっています。自らを性的存在として陶酔しながらも、男性の性的興味を拒絶するような・・・ロリコンさえも萎えさせる”悪意”を感じさせます。デビュー作である本作は、その後のカトリーヌ・ブレイヤ監督のすべての作品を予感させる一作なのです。
カトリーヌ・ブレイヤ監督の処女喪失モノ(?)として「処女」は、集大成的な作品であるかもしれません。本作で描かれるのは、避暑地に家族と来ている15歳の美人の姉エレナ(ロキサーヌ・メスキダ)と、13歳の太っている妹アナスイ(アナイス・ルブー)という姉妹の処女喪失にまつわる話なのです。エレナは本当に愛し合う相手でなければエッチは最後まで(挿入)はできないという・・・ありがちな”男と女の幻想”を抱いている少女。しかし、妹のアナスイは、一般的な幻想には惑わされていません。処女を失う相手なんて誰でも良いと、なんともドライ・・・姉の行動を観察することで、男女についての洞察力だけが妙に研ぎすまされてしまっているのです。エレナが男に関心持たれることを何よりも優先するように、アナスイは食欲を満足させることを優先しているという似ても似つかない姉妹なのですが・・・これは、世の中のある女性の2つの代表的で対照的なパターンかもしれません。
カフェで声をかけてきたお金持ちのイタリア青年フェルナンド(リベロ・デ・リエンゾ)に即座に心を奪われてしまうエレナ・・・アナスイの存在を無視するかのように、姉妹でシェアする寝室に、フェルナンドを連れ込んだりします。ただ、ベットでいちゃいちゃしても、挿入までは許さないというのがエレナの信念・・・そんな処女信仰ほど無意味な価値観なのに。とにかく挿入までしたいフェルナンドは、あらゆる甘い言葉で誘い、結局、エレナのアヌスを犯すのです。そんな傷ついたエレナをしっかりとフォローするのですから、アナスイは結構姉思いではあるのです。もしかする・・・アナスイは「デブ」で「ブス」という殻をかぶって、食欲だけを満足させながら現実逃避しながら、姉を身代わりにして現実を体験をしているかのようにも思えてしまいます。しかし、アナスイもやっぱり”少女”・・・プールの手すりにキスしながら妄想をつぶいやく姿は、ドライで冷静だけでないところに、ホッとさせられました。
イタリア青年は、母親の高価な指輪をエレナに渡して、婚約の真似事をするのですが・・・勿論、あっさり彼の母親に指輪がなくなっていることがバレてしまいます。彼の母親がエレナの母親のところへ怒鳴り込み・・・二人の関係はあっさり解消されてしまうのです。もしかすると、エッチをやるだけやったフェルナンドにとって、体よくエレナと別れるために仕込んだのではないかとも思えてしまいます。しっかり姉を見張っていなかったからと平手打ちを母親から食らうのは、何故か何も悪くないアナスイの方・・・エレナとアナスイは母親の運転で急遽、避暑地を去ることになるのです。
大型トラックのあいだをぬうように、急いで運転する母親は、いつ事故を起こしても不思議ではありません。しかし、予想だにしなかった悲劇は、「もう運転するのは無理」という母親が停車した休憩所で起こります。いきなり暴漢に襲われて、あっさりと母親とエレナは殺されてしまいます。そして、暴漢はアナスイを車から引きずり出して、駐車場脇の木立で犯すのです。アナスイが望んでいたとおり(?)・・・通りすがりの男(それも母親と姉を殺したばかりの殺人者に!)に処女を奪われてしまうとは・・・。犯されながらも、ゆっくりと手を男の肩に手をまわすアナスイ・・・とんでもなく悲惨な現実をリアルに受け入れていく姿に、ボクは”健気さ”を感じてしまい感動さえ覚えたのです。
日本での公開時には、美人の姉を演じたロキサーヌ・メスキダが主人公のように宣伝されていたようですが(映画の宣伝ポスターも彼女がメイン)・・・英語タイトルに「Fat Girl」とあるように、本作の主人公は太った妹のアナイス・ルブーであります。事件の翌朝、救出されたアナスイは、警官たちに「私、犯されてなんかないわよ。信じないなら信じなくて良いけど・・・」と投げ台詞を放って、映画は終わります。状況からして、どの警官にも彼女が犯されたことは明らか・・・しかし、アナスイは自分が悲惨な行為を受けた”被害者”に成り下がることよりも、起こった現実を自分自身で受け入れることを選んでいるのです。
アナスイは、カトリーヌ・ブレイヤ監督の、最も近い分身であることは確かでしょう・・・「本当に若い娘」「ヴァージン・スピリト」で、繰り返し描かれてきた少女たちというのは、実は崇高な精神性をもった存在であったことを「処女」によって、ボクは改めて気付かされたのです。
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カトリーヌ・ブレイヤ監督(Catherine Breillat)の主なフィルモグラフィー
1976「本当に若い娘」(Une Vraie Jeune Fille)
1979「NIght After Night」(Tapage nocturne)
1988「ヴァージン・スピリト」(36 Fillette)
1991「Dirty Like an Angel」(Sale comme un angel)
1996「堕ちてゆく女」(Perfait amour!)
1999「ロマンス X」(Romance X)
2001「処女」(À ma sœur!)
2001「Brief Crossing」(Brève traversée)
2002「セックス・イズ・コメディ」(Sex Is Comedy)
2004「Four NIghts ~4夜~」(Anatomie de l'enfer)
2007「最後の愛人」(Une vieille maîtresse)
2009「青髭」(Barbe bleue)
2010「禁断メルヘン 眠れる森の美女」(La belle endormie」
2013「Abuse of Weakness」(Abus de taiblesse)
「ヴァージン・スピリト」
原題/36 Filette
1988年/フランス
監督・脚本 : カトリーヌ・ブレイヤ
出演 : デルフィーヌ・ザントゥ、エチエンヌ・シコ、ジャン=ピエール・レオ、オリビエ・パニエール
1989年日本劇場公開
「本当に若い娘」
原題/Une Vraie Jeune Fille
1976年/フランス
監督・脚本 : カトリーヌ・ブレイヤ
出演 : シャーロッテ・アレクサンドラ、ハイラム・ケラー、ブルーノ・バルプリタ、リタ・メイデン
2001年日本劇場公開
「処女」
原題/À ma sœur!
2001年/フランス
監督・脚本 : カトリーヌ・ブレイヤ
出演 : アナイス・ルブー、ロキサーヌ・メスキダ、リベロ・デ・リエンゾ、アルシネ・カーンジャン
2003年日本劇場公開