1981年9月に渡米して1年間ニューヨーク大学の英語学校に通った後、ボクは3年間をメイン州の美術大学で過ごすことになるのですが、当時運行し始めたばかりの格安航空会社ピープルズ・エアライン(People's Airline)を利用して、毎月のようにニューヨークに遊びに行ってました。
1980年代初頭、SOHOには既にコンテンポラリーアートのギャラリーが点在していて、ぽつりぽつりとお店(セレクトショップのIF、山本寛斎のブティックなど)がオープンし始めた頃・・・画材を買い揃えるために通ったパール・ペインツ(Pearl Paint's)への道すがら、周辺を探索していたことを思い出します。1985年の夏、ニョーヨークのパーソンズ・デザイン大学に編入して、再び念願のニューヨーク生活に戻ることになるのですが・・・ちょうどその頃、ニューヨークで劇場公開されたのが、マーティン・スコセッシ監督の「アフター・アワーズ/After Hours」だったのです。
ニューヨークをベースに活動していた女優/プロドューサーのエイミー・ロビンソンが、1983年の夏にサンダンス・インスティテュートで、ハンガリーの奇才ドゥシャン・マカヴェイエフ監督(「WR:オルガズムの神秘」「スウィート・ムービー」)から「ニューヨークのダウンタウンを舞台としているから」という理由で奨められたのが、ジョゼフ・ミニオンという学生が大学の課題のために執筆した「Lies(嘘)」という、本作の元になった脚本だったのであります。本作のポテンシャルを見出したのが、ヨーロッパの変態映画監督中でも最も変態(褒め言葉!)なドゥシャン・マカヴェイエフ監督というのが、とっても意外です。
しかし、このジョゼフ・ミニオンによる「LIes」は、ジョー・フランクという人物の同タイトルのモノローグをパクったとして映画公開時にスキャンダルに・・・結局、映画会社が裁判沙汰を避けるために、ジョー・フランク氏に大金を支払ったと言われています。当時、元ネタのリソースが公開されなかったので、詳しいことは分からなかったのですが・・・改めて調べてみると、元になったモノローグの音声ファイルをネット上で発見。ポールがマーシーの身の上話を聞くところまで、キャラクターの設定や物語の展開が非常に似ています。さらに、石膏のクリームチーズベーブルの文鎮がきっかけになるところは、そのまんま。ただ、映画開始30分ほどの導入部分はそっくりではあるものの、それ以降の展開は別ものであります。
当初は、短編映画「ヴィンセント」で注目を浴び始めた若きティム・バートンが、本作の監督に内定したそうなのですが、マーティン・スコセッシ監督が本作に興味を示したため、ティム・バートンは潔く退いたそうです。長年温めていた企画であった「最後の誘惑」の製作の頓挫に、すっかり自信喪失してしまって、いわゆる「大作」を手掛ける気持ちになれなかったマーティン・スコセッシ監督は、本作のような低予算のコメディが、ちょうど良いと判断したらしいのです。
また「最後の誘惑」を撮影に向けて招集していた技術系スタッフたちを、無責任に放置することもできなかったという事情もあったのかもしれません。「最後の誘惑」撮影のためにドイツから参加していたミヒャエル・バルハウスは、R・W・ファスビンダー監督の映画で長年撮影を担当していたベテランで、本作で組んで以来マーティン・スコセッシ監督の撮影監督として、代表作品に関わることになる重要なスタッフのひとりとなります。40日間という短い撮影期間にも関わらず、複雑なカメラワークを駆使できたのは、ミヒャエル・バルハウスの起用が大きいようです。
マーティン・スコセッシ監督は、本作の舞台となっているSOHO地区のはずれから、数ブロック離れたリトル・イタリー地区で育ち(生まれたのはマンハッタンではなくクィーンズ)、撮影当時トライベッカ地区(1980年代には殆ど開発されていなかったエリア)に住んでいたそうですが、いわゆるダウンタウン的なボヘミアンな気質とは違うタイプのニューヨーカーという人物・・・それ故に、自分自身が自由奔放過ぎるダウンタウンから逃れたいという欲求を感じていたそうで、マーティン・スコセッシ監督の視点は、あくまでも”まともな人間”であるポールであります。逆に当時のボクは、ダウンタウン的なボヘミアン気質に憧れていたタイプだったので、”変わった人々”として描かれるアーティー(Arty)なキャラクターたちの方にシンパシーを感じたのです。
おそらく観客にとって「ニューヨークのダウンタウンには変な人たちがウジャウジャいる」「こんなことが起こるなんて”アリエナイ”」というところが”コメディ”になっているのだと思うのですが・・・ダウンタウン族(?)からすれば「結構こういう奴っているいる」「こんな事だってあるある」ということだったりします。アップタウンで暮らしミッドタウンで働く”まともな人間”が、積木崩しのように壊れていくさまも、また”コメディ”なのです。本作のプロデューサーのグリフィン・ダンとエイミー・ロビンソンや本作の主要スタッフ、キャストは、ニューヨークで活動するリアルライフで”ボヘミアン”な人たちだったわけです。それぞれの視点で面白がれてしまう”あるある”と”アリエナイ”の妙が、本作をひと筋縄ではない作品としているのかもしれません。
ミッドタウン(オフィスの所在がマディソン街なので広告関係?)で働くアップタウン暮らしのポール(グリフィン・ダン)が、カフェで知り合ったマーシー(ロザンナ・アークエット)に会いに行ったダウンタウン(SOHO地区のはずれ)で、次から次へとアクシデントに見舞われて、自宅へ帰ることができない悪夢の一夜を描いているのが「アフター・アワーズ」なのですが・・・物語を説明しようとすると、ひとつひとつの出来事を順番に説明していくしかありません。キャラクターたちのふとした表情や意味ありげな台詞、絶妙なタイミングでパンするカメラワークや絶妙に編集されたカットの切り返し、スラップスティック的に連続して起こる様々なアクシデント自体が物語を進めていくという映画的な映画なのであります。
本作で描かれているキャラクターで、ボク個人的にツボにハマったものが・・・テリー・ガー演じるレトロなウエイトレスと、ポールを自宅に連れて帰る男性です。
1980年代初頭にニューヨークで流行っていたファッションというと・・・1950年代から1960年代のリバイバルファッション(モッズ、フィフティーズ、コスモルック)であります。ポールに好意をよせるバーのウエイトレスのジュリー(テレー・ガー)のとぼけたキャラとファッションは、当時のニューヨークのダウンタウンに「いる~いる~」というタイプ。コンピューターの存在しなかった1980年代初頭、クリエーティブな若者にとってコピー屋さんでのバイトというのは、自分の制作活動に於いて実益も兼ねた仕事だったので、昼間はコピー屋さんでバイトというのも「あるある」であります。
1980年代初頭のゲイは、髭にクルーカットのマッチョなクローンタイプばかりと思われがちですが・・・ポールが道端で声をかけた地味なタイプが、当時、実際には多かった印象です。「男性とこんなことするのは初めて」と前置きはしていますが・・・人当たりや物腰の優しさからゲイらしさは隠しきれないという感じなのも、非常にリアルに感じます。本作のキャラクターとキャスティングの良さは、この二人だけではありません。
本作がボクの1980年代初頭の記憶のタイムカプセルのようになっているのは、登場人物たちの住む部屋のリアルさもあります。ニューヨークを舞台にしたテレビのシットコムやテレビドラマでは、現実ではアリエナイほど広いアパートメントに住んでいることが多いですが、これは多くのテレビ番組が西海岸のスタジオでセットを組んで制作されているからかもしれません。本作で登場するアパートメントの部屋は、リアルに狭いだけでなく、部屋の家具や照明器具まで当時のニューヨークのアパートメントでありがちのスタイルそのもので、まるで行ったことがあるかのような生々しさ・・・ボクにとってはタイムスリップしたような感覚さえ感じさせるのです。
本作のエンディングには、マーティン・スコセッシ監督は相当悩んだらしく・・・何度も試写をして、いろんな映画関係者に相談をしていたそうです。当初のエンディングは、石膏で固められたポールがワゴン車に乗せられて、SOHO地区を脱出するところで終わっていたそうなのですが・・・どうしても尻切れとんぼな印象が拭えません。彫刻家のジューンのお腹から胎児として生まれ直すという非常にシュールなエンディングさえも考えたそうです。
オープニングで登場した仕事場に戻り再び一日が始まるというエンディングを提案したのは、イギリスの映画監督マイケル.パワウェル(血を吸うカメラ)だったそうです。当初、マーティン・スコセッシ監督は聞き耳を持たなかったそうですが、いくつかのエンディングを実際に撮影した後、やはり「ふりだしにもどる」というのが、もっとも落ち着くと判断したと後に語っています。
当時、オフィスワークというと”ワードプロセッサー”が必須となってきた時代(コンピューター導入以前)で、機種ごとに違うコマンドで使い勝手が悪いことこの上ないシロモノでありました。悪夢のような一夜を過ごした後も、何事もなかったように出勤している姿は、ポールのような”まともな人間”が、ワードプロセッサーを操作する機械の一部のように働かされれているような比喩にもなったのです。
マーティン.スコセッシ監督のフィルモグラフィーを語るとき、あまり取り上げられることのない本作・・・しかし、本作によりマーティン・スコセッシ監督はカンヌ映画祭で監督賞を受賞しています。すでに書かれた脚本とキャストやスタッフが決まっていた企画に、後乗りで監督として参加したからこそ、純粋にマーティン・スコセッシが”映画監督”として手腕を発揮できたとも言えるのかもしれません。本作をきっかけにスランプから脱して、その後の評価の高い作品をマーティン・スコセッシ監督は量産していくこになるのですから。
「アフター・アワーズ」
原題/After Hours
1985年/アメリカ
監督 : マーティン・スコセッシ
出演 : グリフィン・ダン、ロザンナ・アークエット、テリー・ガー、チチー&チョン、キャサリン・オハラ、ジョン・ハード、リンダ・フォオレンティーノ、ウィル・パットン、ディック・ミラー、ヴァーナ・ブルーム、ロバート・ブランケット、ブロンソン・ピンケット、ラリー・ブロック、ヴィクター・アルゴ
1986年6月6日より日本劇場公開