今年、日本でもブレイクすると言われている「Facebook/フェイスブック」・・・徐々にボクの周りの人たちも登録し始めました。
ボク自身は数年前に、登録したものの”幽霊会員”のような状態で、ず~っと放置しておりました。
ただ、去年の暮れ辺りから「実名登録」が功を奏してか・・・アメリカ在住時代の友人、大学時代の同級生などから「フレンド登録」のコンタクトくるようになりました。
ボクのフルネームは日本人としても比較的珍しく同姓同名というのは全世界規模でもありえないということもあって、友人がボクのことを見つけやすということはあるかもしれません。
連絡を取ることは二度と出来ないだろうと諦めていた友人と再び連絡を取り合うことが出来るのは「Facebook/フェイスブック」様、様、であります。
ただ、しばらくは懐かしさで盛り上がってお互いの「あれからの人生」の報告をし合うものの、いつでも連絡が取り合うことができるという「安心感」からか、徐々にメールやり取りもなくなってしまいがちです。
それでも、生き死にさえ知る由もない友人の無事を確認出来る「だけ」でも大きなる意味があるように思います。
日本で普及したSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)では、営業目的でないプライベートで利用する場合には、実名でなく「ハンドルネーム」での登録が一般的というか・・・「常識」となってします。
アメリカにだって「セカンドライフ」のような仮想空間で「ハンドルネーム」と「アバター」を使って、まさに”セカンドライフ=第2の人生”をネット上で送って人もいることはいますが・・・この「アバター」は自分自身の延長上というより、仮想空間で生きる「別人格」という存在のようです。
日本のネットユーザー使う「ハンドルネーム」というのは「別人格」ということではなく・・・リアルの自分の延長上にある便宜上のネット上の名前であって、個人のアイデンティティーを完全に覆い隠すためではないような気がします。
ちょっと矛盾しているようですが、・・・実名は出さずに同じハンドルネームを使い続けて、ネット上で個なる存在になることで、日本のネットユーザーは”真の自分”なれるのかもしれません。
日本には「Facebook/フェイスブック」にフェイクの名前で登録する人(特にゲイ用のアカウント)という人もいるようですが・・・それならば、すでに日本で普及しているSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)と何も変わりなく、あえて登録する意味はないように思います。
今年に入ってからの「Facebook/フェイスブック」の日本での登録者増加に貢献したと思われるのが、映画「ソーシャルネットワーク」の影響力でしょう。
しかし、この映画を観て「Facebook/フェイスブック」というのが何であるかというのは、よく分かりません。
2008年に撮影された「Catfish/キャットフィッシュ」は、ある意味「Facebook/フェイスブック」の闇を知らしめましたドキュメンタリー映画です。
日本ではいまだに未公開、そして、今後日本で劇場公開されそうもありませんが・・・DVDオンリーでのリリース、もしくは「松嶋X町山 未公開映画を観るテレビ」で放映されるかもしれません。
映画は、マンハッタンに住む24歳のハンサムなカメラマンのニーヴ君と、ミシガン州に暮らす8歳の少女アビーちゃんとの交流を、ドキュメンタリーとして記録しようと提案するニブ君の兄とルームメイトの友人が、撮影にそれほど乗り気でないニブ君を説得するところから始まります。
ニーヴ君とアビーちゃんが知り合ったきっかけというのは、新聞に掲載されたニブ君の写真を元にアビーちゃんが絵を描き、その画像をニブ君宛にメールしてきたことでした。
アビーちゃんの「Facebook/フェイスブック」のページには、たくさんの絵の画像やアビーちゃんが絵を描いている動画などがアップされていて、明るく幸せな彼女の日常生活を伺う知ることができます。
さらにニーヴ君は、アビーちゃんの母親のアンジェラ、父親のヴィンス、兄のアレックス、義理の姉のメーガンなどとも次第に仲良くなっていきます。
アビーちゃんの家族は皆、クールで美しく誠実な人たち・・・音楽を作ったり、ダンスをしたり、とてもアーティスティック。
また、ファミリーのフレンズである友人たちとも、ニーヴ君はリアルな人間関係を広げていきます。
アビーちゃんはニーブ君が送る写真を次々と絵に描いているようで、母親のアンジェラとの電話の会話から、地元ではコレクターが数60万円ほどで購入するほど注目されている少女画家らしいということも分かってきます。
そのうち、ニーヴ君はメーガンともメールのやり取りや電話での会話を繰り返すうちに親しくなっていき、徐々にお互いを男女として意識するようになっていきます。
ネットを通じての出会いに盛り上ってしまって、ニーヴ君はメーガンにすっかり恋してしまうのであります。
そんな時・・・ニーヴ君は仕事でコロラド州まで車で行くことになり、その帰り道にミシガン州に立ち寄ろうと考えます。
「ぜひ、アビーちゃんファミリーに会いたい!」・・・でも本当の目的は、恋し始めてしまったメーガンと実際に会うことであることは言うまでもありません。
しかし・・・ファミリーに会いにいく道中、ある不信感がニーヴ君に生まれます。
アンジェラとメーガンが、自分たちが作った曲だといって音楽ファイルをを送ってくるのですが・・・それと全く同じ歌、演奏、歌声で、別人の歌っている動画を「YOU TUBE」で見つけてしまうのです。
何故、アンジェラは他人が歌っている他人の曲を、自分たちが歌って演奏していると、ニーヴ君に嘘をついたのでしょう?
疑惑を深めたニーヴ君は、今まで伝えられてきたアビーちゃんファミリーにまつわる様々な事の裏付けをしていきます。
するとアビーちゃんが絵を売ったという地元のギャラリーというのは実際には存在せず、ギャラリーがあるはずのビルは4年間ずっと空き家であることも判明します。
メーガンが住んでいるはずの農場を訪ねてみても、誰も住んでいる様子はなく・・・しかも、ニーヴ君がニューヨーク送ったポストカードは郵便受けに放置されていたりするのです。
ニーヴ君はアビーちゃんファミリーの存在自体を怪しみ始めます。
彼が「Facebook/フェイスブック」で知り合ったアビーちゃんファミリーは存在するのでしょうか?
今までメールのやり取りをしたり、幾度となく電話で話したり、たくさんの絵を送ってきたのは一体何者なのか・・・事実を知るために、ニーヴ君はアビーちゃんファミリーの住んでいるミシガン州の街へ向かうのであります。
ここから100%のネタバレを含みます。
登録されている住所に住んでいたのは・・・「Facebook/フェイスブック」の登録画像とは似ても似つかぬ母親のアンジェラと、父親のヴィンスの二人・・・お世辞にも美しいとは言えない中年太りした田舎者の夫婦。
確かにアビーちゃんという8歳の娘は存在していましたが・・・絵はすべて、アンジェラによって描かれていたのでした。
また、ニーヴ君が恋してしまったメーガンは実在はするものの、画像とはまったくの別人で家族とは疎遠になってしまっていたのです。
さらに重い現実として・・・アンジェラは、夫の連れ子で、いきなり奇声をあげて自虐的になったりするという厄介な精神障害のある双子を息子の面倒を見なければならないということでした。
この家庭で毎日過ごしながら・・・明日への希望を失ってしまいそうなほど、アンジェラの日常というのは酷いものだったのです。
「Facebook/フェイスブック」に存在していたアビーちゃん以外の家族、そして、彼らと交流している友人たちを含めた計15人は、すべてアンジェラが捏造していた架空の人物でありました。
膨大な数の画像はネットから調達したという実在する人物ではあったのですが、アンジェラとは縁もない人々だったのです。
決して意図的にニーヴ君を騙そうということではなかったようですが、彼は見事に妄想ファミリーの世界へ紛れ込んでしまったということだったのです。
ただ、嘘で固めたアンジェラの物語にも真実はありました・・・それは絵を描いていたこと、そしてメーガンとしてニブ君に恋していたアンジェラの気持ち。
大人が描く絵としては、正直うまいとは言えないナイーブな絵でありますが・・・アンジェラにとって障害者の双子を抱えて生きていくという、厳し過ぎる人生の選択で諦めるしかなかった「希望」に近づく唯一の手段であったようです。
タイトルになった「Catfish/キャットフィッシュ」というのはナマズのこと説明されます。ナマズ一匹をたくさんのタラと一緒にしておくだけでタラが美味しい状態を保てるということから、ナマズのように世の中にひとり存在するだけで、周りの全てを生き生きとさせる存在という意味・・・ただ、これも作り話なのですが。
ニブ君がアンギェラのファミリーにとってのナマズだったのでしょうか?
それとも、アンジェラがニブ君に対してナマズのような妄想を見せてくれたということなのでしょうか?
あまりにも切な過ぎる実生活から逃避していたアンジェラの妄想・・・ただ、ニーヴ君が現実に彼女の前に現れたことによって、アンジェラは本来の自分と向き合うことができたのです。
正直、肩くわしを食らったようなオチのような気もしますが・・・この映画の製作されたのが「2008年」ということを考慮すれば、衝撃的であったのかもしれません。
ただ「Catfish/キャットフィッシュ」の多重人格的な「なりすまし」というのが、日本のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)とは違い、実名登録が前提である「Facebook/フェイスブック」だからこそ起こりえた気もしてしまうのです。
日本のように「ハンドルネーム」を使ってネットに存在することが一般的であったならば・・・もしかするとアンジェラはここまで「なりすまし」をする必然性はなかったかもしれません。
ある程度の「真実」・・・多少の「誇張」や「妄想」、そして「願望」を含んだネット上のアイデンティティーを「ハンドルネーム」のアバターで作り上げることが出来たとしたら・・・アンジェラは自分自身の延長上にあるキャラとして生きることを許されて、精神のバランスを保つことが出来たのではないでしょうか?
実名登録が前提だからこそ生まれる有効な可能性は、確かに「Facebook/フェイスブック」にあります・・・と、同時に実名だから現実のしがらみから逃れられないジレンマもあるのです。
現実と直結してないからこそ「素」になれる・・・「実名」と「ハンドルネーム」の狭間で、今日もたくさんの人がアイデンティティーを築いているのかもしれません。
「キャットフィッシュ」
原題/Catfish
2010年/アメリカ
監督 アリエル・シュルマン、ヘンリー・ジュースト
出演 ニーヴ・シュルマン
こんにちは。在米なんですが友人のメイガン(エイミー)が映画に出ててこんなに知られてると分かりびっくりしました。元々リアルで知り合って飲み友達になってたのでまさかこんなことになってるとは思いませんでしたね。匿名性いうのは不思議なもんですね。
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