歳を取っても少年や少女の心を忘れない・・・というのを「若さの証明」かの如く”美化”しがちだけど、もしかすると最近の問題は、いくつになっても自称「女子」のオバさんや、精神的に「お子様」なオジさんが増えてきていることかもしれません。「年相応」というのは、保守的なステレオタイプに縛られて個人の自由な生き方を尊重してないように考えがちだけど・・・今の世の中だと、逆に「年相応」に生きる方が(特に経済的、社会的に)難しかったりします。また、子を持つ親になっても自分のために生きることを優先するのが当然(?)のようになっているので、年相応という考え方自体が意味をなくしているのかもしれません。
「ヤング≒アダルト」は、高校時代にモテモテだった栄光の過去の忘れられない女性のお話・・・アメリカでは”ヤングアダルト”と分類されるティーン向け小説のゴーストライターで生計を立ている離婚歴のある37歳(俗にいうアラフォー女子?)のメイビス(シャーリーズ・セロン)は、ミネアポリス(なんとも中途半端なミネソタ州の都市)で一人暮らしをしいています。プロムクィーンとして君臨した過去をもつ美人・・・でも、彼女の日常生活は笑えるほど荒んでいます。愛犬ドルチェ(ポメラニアン!)は自分勝手に都合の良いときだけ可愛がっているし、アルコールに溺れて男を連れ込んだり、リアリティTV番組をつけっぱなしのまま、毎晩ベットに倒れ込んでいるような日々。朝目覚めれば、ヌーブラ装着しっぱなし、コーラ2リットルがぶ飲み・・・と、あっぱれな”だらしない女”のであります。
そんなメイビスの元に、ミネソタ州マーキュリーという魚臭い田舎町という故郷で結婚した元カレ・バディ(パトリック・ウィルソン)から届いた「出産報告」メール・・・「一体何をしたいの!」と怒り狂うものの、元カレは故郷の田舎町で囚われの身で不幸に違いないと思い込んで、既婚者の元カレを奪うという作戦に出てしまいます。勝手に相手の状況を決めつけてしまうところが、さすがの女王キャラの勘違いっぷりではありますが・・・正直、理解しがたいメイビスの行動の悲しい理由は、後に明らかとなります。
メイビスは、高校時代にゲイの疑いをかけられて、歩行が不自由になってしまうほど暴行を受けた小太りのオタクのマット(パットン・オズワルド)と、偶然にローカルバーで再会します。高校時代にはまったく接点のなかった二人ですが、過去の記憶に囚われているという意味では「光」と「影」の二人だからこそ、意気投合・・・メイビスはマットだけには心を開いて、バディ略奪作戦を話をしたりします。また、メイビスに散々振り回されながらも、彼女のことを思って冷静に忠告してくれるのは、マットひとりだけ・・・彼の言葉は、まさに観客の声であり、メイビスの正気の声でもあるのかもしれません。
バディの奥さん・ベス(エリザベス・リーサー)は、地元の女友達とバンドを組んだりしているクールな女性・・・その普通に素敵な感じが、逆に目障りという絶妙なキャスティングと演技であります。バディの優柔不断な態度により、メイビスの妄想は暴走気味になっていきます。父親になった喜びを語るバディの言葉を「実はバディはベスとの結婚に不満を持っているに違いない!」とか、別れ際の軽いキスを「彼が遂に決心した!」と勝手に解釈して・・・メイビスの振る舞いはドンドンおかしなことになっていきます。そして、バディから子供の命名式に招待されたことを、遂にバディは一緒に町を出ることを決心したとメイビスは思い込んでしまうのです。意気揚々と出掛けるメイビスには、かなり痛い修羅場が待ち構えていることは言うまでもありません。。
メイビスの行動は、視点を変えれば”サイコホラー”のようです。ただ、高校時代に限らず、自分が輝いていた過去を引きずってしまうことというのは、時にありがちなこと・・・意識的にしろ、無意識にしろ、ノリノリだった時代に聞いていた音楽でテンションを上げたり、イケていた時に着ていたファションからいつまで経っても卒業できなかったりするものです。実家でバディが高校時代に着ていたトレーナーを見つけて、羽織ってフラフラと町に出掛ける姿は痛々しくもあり、可愛くも見えたりします。いつまでも”女子”気分のオバさんには、他人事として笑うに笑えないはずです。
ここからネタバレを含みます。
命名式に現れたエイビスはバディをベットルームに連れ込み、満を持して告白をするのですが・・・勿論、あっさりと振られてしまいます。実はメイビスを招待したのは、エイビスの精神状態を心配していたベスであったことも判明します。とうとうメイビスは、命名式に集まったゲストの前でぶちキレます。実はエイビスとバディが付き合っていた20歳の時、バディの子供を妊娠していたのですが、流産してしまっていたのでした。メイビスにとっては、バディの子供の命名式には、本来、自分がいるはずだったという思いが強くあったということなのです。この事実によって、過去から卒業できないアラフォー女子の物語は、メイビスという女性独自の物語になってしまいました。
ボロボロになったメイビスが訪ねたのはマット・・・なんと、ふたりは肉体的に結ばれてしまうのであります!マットにとってメイビスは永遠の高嶺の花・・・ある意味、本作はマットとメイビスの不釣り合いな二人のラブストーリーになっていたのでした!ただ、現実はそれほど甘いものではありません。翌朝、メイビスが目覚めると我に帰って、マットとはそれっきりなのですから。
「私にはいろいろと問題がある。他の人にとってシンプルなのに、私にとって幸せになるハードルが高い。私は変わらないといけない」と、大事なことに気付きはじめたメイビスの言葉に、水を差すのはマットの妹・サンドラ(コレット・ウルフ)です。
メイビスに憧れ続けてきたサンドラにとって、メイビスは今でも輝いている存在・・・「田舎町の人なんて、デブでバカばかり、みんなあなたに憧れている」と、メイビスの自尊心をくすぐります。売れない小説のゴーストライターでしかないメイビスも、サンドラからすれば、まだまだ”特別なひと”・・・なんたって、これほどの美人の上に、都会で本を書いているのですから!田舎者なんて、そもそも存在している意味もないから、ちょっとしたことで幸せを感じているだけだと彼女は語ります。それに対して、メイビスは「あ、そっか〜。私って、このまんまで全然良いんじゃん!」と、ケロッと立ち直ってしまうのであります!!!
田舎から都会に出てきた人の中には、都会での生活こそが「幸福」と「成功」で、田舎で生活するなんて「不幸」で「負け組」だと考えている人って少なからずいるものです。また、都会に憧れながら田舎に住んでいる人にとって、田舎で幸せに暮らしているのは「田舎者」とバカにしがちです。ただ、都会の人からすると、どちらも「田舎者」には変わりありません。それに、都会に憧れている田舎者よりも、素朴な田舎の人の方が好感が、都会人には持てたりします。ただ、最近、日本では”地元大好き”という「田舎者」が増えてきたみたいで・・・都会への憧れというのは、昔ほどではなくなってきているのかもしれませんが・・・。
東京出身のボクですが・・・1980年代初頭に東京からニューヨークへ移り住むというのは、地方から東京に出てくるという感覚に近かったような気がします。まだまだ、アメリカ崇拝が残っていた時代ということもあって、現実は厳しい生活をしているのも関わらず、ニューヨークに住んでいる”だけ”で、日本からはスゴいことのように思われがちだった気がします。
さて・・・今までの自分の人生を反省して、発想を転換させるチャンスを逃したメイビスは「田舎なんてクソ食らえ!」と、再びミネアポリスへと戻っていきます。一緒にミネアポリスに連れて帰って欲しいと頼むサンドラのことなんて、メイビス眼中にありません。サンドラには、あっさりと「あなたはここに残るべき」と冷たく突き放します。「田舎の生活」=「シンプルな幸せ」というが、誰にでも当てはまるわけではありませんが、「都会の生活」=「人生の成功者」というわけでもありません。それでも、メイビスは都会の価値観へと戻っていきます・・・というか、彼女には戻るしか選択はないのです。
ある意味、メイビスは人生の新しいチャプターへは進んだのかもしれないけど・・・結局、それほど改心もせず、成長もせず映画は終わります。普通、映画の主人公って、最後には何かしら成長するものなのですが・・・人間って、そう簡単に何かを学んだりしないものなのだということを描いた本作は、まさにジェイソン・ライトマン監督の真骨頂と言えるのであります!
「ヤング≒アダルト」
原題/Young Adult
2011年/アメリカ
監督 : ジェイソン・ライトマン
脚本 : ディアブロ・コディ
出演 : シャーリーズ・セロン、パットン・オズワルド、パトリック・ウィルソン、エリザベス・リーサー、コレット・ウルフ
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