お正月、本屋さんをブラブラしていたら・・・ビジネス書のコーナーで大々的に平積みされていたのが、勝間和代著の「ズルい仕事術」でありました。カツマーVS.カツマー論争以来、ときどき彼女の著書を購入して読んできましたが、共感したり、何かの”ため”になったことは皆無・・・それでも、たまに手に取ってしまうというのは、ある意味、嫌い嫌いも好きのうちで結果的に本を購入している(著者に印税が入る)のですから、まんまと彼女の手中にハマっているだけなのかもしれません。
まず本書「ズルい仕事術」で、笑ってしまうのが”まえがき”の長さ・・・主にアマゾン・ジャパンでのカスタマーレビューで自分の本が酷評されたことへの恨み節がネチネチと書かれているのです。レビューする本を読まずに酷評するのは確かに失礼な話ではありますが、それにいちいち噛み付いていく著者(日垣隆とか)というのは、本人が胡散臭い場合が多いような気がします。勝間和代の場合も(宣伝活動の一環として?)酷評したレビューワーとのネットでの直接対決を望んだようですが、まったく相手にされず・・・レビューを掲載するアマゾン・ジャパンに対して、過剰梱包(しっかりとした表面のきれいなダンボール箱を使用している)を皮肉まじりに批判するというお門違いの反撃をしているのであります。
ビジネス書というのは「私は上手にやっているから、あたなも真似して”得”しましょう!」というスケベ心に訴えているモノも多いので、想定されている読者というのが「自己評価は高い」けど「実生活に不満いっぱい」の「勘違いしている人」というのが多いような気がしてしまいます。その中でも「勝間和代」をローモデルとしている読者というのが、本当に”タチが悪そう”としか思えてなりません。「自分の付加価値を上げて、効率良く生産性を高める」ことを、あらゆる著書で繰り返し訴え続ける(というか、これしか訴えていない)勝間和代ですが・・・勿論、お手本とするのが、勝間和代自身であることはいうまでもなく・・・そんな勝間和代を目指す読者(存在するとしたら)というのは、自己評価が異常に高く(自己分析力)、効率よく利益を追求して(論理的思考)、ネットワーク/他者を利用する(レバレッジ力)という、実社会では(同僚、上司、部下とか、取引先にいたら)まず”嫌われるタイプ”だったりするのです。
すべての成功の鍵が「他人に好かれること」とは言いませんが・・・多くの人から好かれると、いろんな意味で恵まれる状況になることが多いものです。逆に嫌われ者が成功するためには、いろんな手管を使う必要があります。勝間和代が正論のように訴え続けることが、嫌われ者が他者より抜きに出るための必死な努力のようにしか思えないことが、読者には痛々しく感じられるのです。利害関係で成り立っている仕事という土俵では、彼女の主張する手管も大きな意味がありそうなことですが、人として大切なことを失っているようにしか思えません。それ故に、ますます嫌われるという悪循環が生まれてしまっているのです。いろんな場面で嫌われ続けて、他人に対して妬みや嫉妬という感情を人一倍持っているからこそ、ネガティブな感情に敏感なのねって思ってしまうほどです。
勝間和代を妬んで「ズルい」と感じる人のことを「まじめ」という大雑把に決めつけているのは、「ふまじめ」なボクにとっても大変に不愉快です。どうやら勝間和代は「まじめ」=「常識や既成概念に囚われている」として、彼女の自由な発想を認めないで、妬んでいると思い込んでいるようなのですが・・・効率化の追求や自己正当化の論理に固められた彼女に、誰が「自由」を感じられるというのでしょう?自分のことを嫌う人に対して「どこが嫌いなのか直接話し合ませんか!」と噛み付く勝間和代は、ボクから見れば、厭味なほど「バカまじめ」のないものでもなく・・・ただ、ただ、失笑するしかありません。本来「まじめな人」というのは、とっても尊い人たちなのではないでしょうか?まじめな人たちが日本にはいっぱいいるから、電車はスケジュール通りに走っているし、電気だって水道だってガスだって滞りなく供給されているのですから!
勝間和代のことを「ズルい」と思うよりも「嫌い!」「痛い!」と感じる人の方が多いから、世間の彼女への関心は急激に減ってきているように思います。東日本震災後「絆」をやけに強調する発想には賛同しませんが・・・鼻息荒くして成功を求める個人主義的な成功よりも、人間的な幸福を求める傾向が強くなっていることは確かです。勝間和代的な考え方というのは、明らかに一世代前の考え方になりつつあります。一時期テレビに散々出演しておきながら、需要が減って出演依頼がなくなったら・・・テレビに出演することは「自分には向いていない」と、ポジティブに自分の弱点を認めるという自己分析に転化した上に、タレントは「見て!見て!」という”力の欲求”が強い人だと決め受けて毒気を吐くところなど、毎度ながらのトンチンカンな”自己確信”にはヘキヘキとさせられてしまいます。
本書の「ズルさ」は、本文(実質150ページ程度?)内の参考図書の多さ(後記でリストされているだけでも25冊!)・・・参考図書の紹介とその内容の解説が本編の殆どを占めるということです。まさに本書の成り立ち自体が「ズルい仕事術」の言葉をそのまま実践した「少ないインプットで、大きなアウトプットを引き出す」仕事っぷり・・・カツマー信者にとっては”大きなアウトプット”と勘違いしてしまう「読書リスト」かもしれませんが、そうでない人には限りなく薄い内容の一冊でしかありません。
勝間和代が「ズルい」と後ろ指を指されるのは、まったくもって当然のことなのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿