2010/12/23

5年サイクルで繰り返される”捨てる”ブームの遍歴・・・「捨てる技術」「そうじ力」「断捨離」



去年、暮れに出版された「断捨離のすすめ」・・・その後、さまざまなメディアに取り上げられ、提唱者(やましたひでこ、川端のぶこ)による”断捨離本”も次々と出版されるほどのブームになっています。
今や、断捨離実践者を「ダンシャリアン」なんて呼ぶそうです。
行き詰まった時代にこそ、無駄をなくして余分なモノを捨てるという考えは繰り返されるようで・・・振り返ってみると、似たような「捨てる」ブームは、ここ最近でも何度かありました。
2000年の「捨てる技術」
2005年には「そうじ力」
そして、2010年の「断捨離」
ほぼ5年周期で「捨てる」ブームというのが流行るらしいのですが・・・これって、前のブームを経験していない新しい世代が「捨てる」ことに初めて興味を持つということと、5年前には「捨てるぞ!」と整理したにも関わらず5年経ったら再びモノが溢れてしまったという出戻り組なのかもしれません。
人が生きている以上、モノを買うことを避けるわけにはいきません。
いくら「捨てる」ブームに触発されたからといって、永遠に「捨てる」生活を続けることはなかなか難しいことのようです。
結局・・・5年ぐらい経つとモノが増えて「また捨てたくなる!」というのが、人の「サイクル」なのかもしれません。
10年前の「捨てる技術」ブームというのは、バブル経済破綻後の失われた10年を終えて、モノに溢れた生活を見直そうというライフスタイルの提案でした。
いわゆる生活の実用書という体(てい)で十か条なるものを上げて、いかに実践していくかを、これでもかと事細かに説明しています。
同じ著者により、その後「捨てる」ことをモノだけでなく”考え方”にも応用した「暮らす技術」や、モノを大切に使うために「メンテナンス」の方法を説いた書籍まで広がりをみせました。
「捨てる技術」というのは、低迷する経済社会を生き抜いていかなければならない庶民のための「生活手段」の提案だったのかもしれません。
5年前の「そうじ力」になると「捨てると、運が良くなる」と・・・「捨てる」行為をすることで、何かしらの「ご利益」があると「捨てる」ためのモチベーションが変化してきます。
個人の純粋な精神性を問うのではなく、いかに自分だけ得するかという「現世利益」を求めるお手軽”スピリチュアル”ブームの時期と重なります。
相変わらずの世の閉塞感からの突破口として、誰もが求めたことは「運頼み」だったのかもしれません。
なんたって「捨てる」だけで「幸せが舞い込む!」・・・というハードルの低さも、受け入れやすかったのでしょう。
雑誌の占いとか風水の”ラッキーアイテム”や”ラッキーカラー”であったり、その場所に行くことで運気が上がったり、さまざまな「ご利益」のある”パワースポット”なども似たようなコンセプトなので、あるタイプの人には「捨てる」=「運気上がる」といのは、圧倒的な説得力を持っているのかもしれません。
ただ「捨てる」という行為にまで、根拠のない「ご利益」を求めてしまうというのは、まさに、お手軽”スピリチュアル”ならではこそ・・・「そうじ力」ブームは、とりあえず「運気を上げる」「夢のかなえる」こそが、目標のようでした。
さて、今年のブームとなった「断捨離」ですが・・・基本的な「捨てる」方法論として「捨てる技術」や「そうじ力」と大きく違いはありません・・・というか、殆ど同じ方法が書かれているのです。
「捨てる」ことが目的ならば、どの本を読んだとしても、それなり活用できます。
「断捨離」は、お手軽”スピリチュアル”のような簡単に手に入る「ご利益」をハングリーには求めません。
目標としているライフスタイルも「気持ちのいい暮らし」と漠然としています。
・・・にも関わらず、とにかく徹底的に無駄なモノを断ち、捨て、離れる「修行的」な厳しさを感じさせます。
これは、ますますの閉塞感から「運気」などに頼るのではなくて、自分自身で選び、自らを律して、新しい生活を構築するという、まさに・・・究極の「自分探し」。
ただ、その「自分探し」の果てにあるのは、本当に「執着のない心地よい暮らし」なのでしょうか?
実は・・・面白くもない無個性な自分と向き合うことになるかもしれません。
「デフレの加速」と「収入の減少」など・・・ますます縮まっていく日本経済のなかで「断捨離」的な生き方は、個人レベルでは理にかなっているのかもしれませんが、もしも全国民レベルで「断捨離」を実行したとしたら、今以上に経済は縮んでいき、自ら選択するのではなく「断捨離」的な生活を強いられる人々が増えるに違いありません。
「断捨離」的な生活って・・・考え方次第で「貧しくて苦しい生活」にも「質素で豊かな生活」にもなり得るような気がしてしまうのです。
ギリギリまで無駄をなくすというのは「事業仕分け」を自分に課すような作業・・・まさに、今年らしいライフスタイルなのかもしれません。
ハッキリ言って、ボクは「捨てる」ことが苦手・・・というか、それほど「捨てる」ことに興味がありません。
(基本的にコレクター気質ということもあるのですが・・・)
何かについて考えたり、何かを創作しようとするときに、物質的に必要となるモノをいうのがありまして・・・それらを、そのたびに探したり、買ったり、借りたりというのは、ボクにとっては逆に非効率的であったりします。
資料という名目で所有している書籍、映像メディアは数知れず・・・しかし、それらがすべて手に届くところにあることで、ボク自身の内面を豊かにしていることもあるのです。
しかし、モノを捨て身の回りを整理するということを、完全に否定するつもりもありません。
ボク自身・・・二度大きな引っ越して、スーツケース一個で新しい生活を始めた経験があります。
その時、殆どのモノを「捨てる」ことによって、本で書かれているような、生まれかわるような爽快感を感じたことは確かです。
しかし、そんなことを実際に経験してみて・・・モノがなく、無駄もなく、効率の良い生活というのは、創造性や自分の個性を豊かにする環境とは限らないという結論に、ボクは達したのであります。



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