「勝間和代 VS. 香山リカ」の論争が、遥か昔に感じられるこの頃であります・・・。
思えば、香山リカ著の「しがみつかない生き方」の最終章で「勝間和代を目指さない」と発言した事から始まった論争でしたが・・・結果的には、ふたりの出版バブルを起こしたという「だけ」のことでした。
ただ「デジビジ」での”ひろゆき”との騒動(めのおかし参照)以後・・・勝間和代のネガティブイメージは、さらに広く浸透したという印象であります。
「がっちりアカデミー」という番組のおかげで、勝間和代は”経済評論家”という肩書きから、「損」か?「得」か?の”節約おばちゃん”に成り下がり、今や「ライバル」は”家計仕分け人”の荻原博子ではないでしょうか?
さて、いろんな意味で自らの築き上げた「カツマー」ブランドを覆すような、不可解な行動を繰り返す、最近の勝間和代でありますが・・・「そこまで言うか!」まさに奇行の極めつけという感じです。
デジビジで、あれほど噛み合なかった”ひろゆき”と再び・・・というのもチャレンジャーですが、仲介役(?)に”ホリエモン”というセンスは怖い物知らずであります。
それぞれに支持者というのが存在するものの、”勝間和代”、”ひろゆき”、”ホリエモン”が集まるというのは、ボクにとっては「鼻くそ」「耳くそ」「目くそ」が集合した「くそくそ三人衆」のようであります。
まさにボクのように「私たちを嫌っている人にこそ、読んで、考えてほしい」という勝間和代による”帯のメッセージ”をしっかりと受け止め、読まさせて頂きました。
三人三様に、自分たちが「嫌われ者」であるという自覚はしっかり持っており・・・それを踏まえての、それぞれが人格を構築している様子をうかがえるところが、なんとも非常に興味深かったのでした。
”ひろゆき”は、三人のなかでは”まともな人間”の立場というのを貫いていていますが、彼は結局ところ、そう易々とは”本性”明かさないのかもしれません。
それほど努力もせずに、ちょっと頭を使って成功を収めた”程度”の運のいい人間・・・という自覚を持ちつつ、成功者としてのライフスタイルを築くことをしないライフスタイルは、株で儲けた長者の若者と似ているような気がします。
そういう”ひろゆき”の生き方に学ぶべきところはないし、彼自身もあえてローモデルになろうという気持ちもないようです。
”ホリエモン”は開き直って「嫌われ者」キャラを演じつつ、常識を逸脱した発言で波風を立てるのが好きなようで・・・規制概念を壊してこうとするさまは、我々よりも上の学生運動をしていた世代を思い起こさせます。
ただ、頭のいいと自認する彼にとって、世の中の反応や批判のすべては想定内・・・”確信犯的”なアナーキーということなのでしょう。
”勝間和代”にとって、香山リカに分析され批判されるのは、腑に落ちなかったようですが・・・何故か、”ひろゆき”と”ホリエモン”からは、イジられ、ツッコまれまくることは、全然問題がないようです。
会話が進むにつれ、彼ら二人に同調していきつつ、最後は自分の価値観で納得していく様は、まるで「うわばみ」のよう・・・頑な自己確信によって、すべて彼女独自の「正論」となってしまうのです。
勝間和代は、くそ真面目に自己の「正論」に従おうとするあまり、本質からズレてしまっているのだけど、本人はそういう意識がまったくない・・・だから、勝間和代を支持しない人たちからは、彼女の「行動」「発言」「努力」のすべてが「ダサイ」だけにしか映らないのです。
これって「いじめられっこ」の典型的な行動パターンのひとつのような気がするのですが・・・嫌われることに、あまりに鈍感になってしまった勝間和代は「いじめられっこの怪物」となって、経済という武器によって復讐をしているのかもしれないと思うことさえあるのです。
”勝間和代”、”ひろゆき”、”ホリエモン”の嫌われ者三人衆の中で”勝間和代”が嫌われているのは明らか・・・そろそろ「天然ウザキャラとして開眼してくれ!」という二人の切実なメッセージを秘めた”ひろゆき”と”ホリエモン”から”勝間和代”への「接待本」なのでありました。
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