先日、21_21 Designで入場無料の「HARMONIZE」という展覧会/展示会が行なわれていて、久々に(!)「ファッションの未来」ということを考える機会がありました。「Fashion/ファッション」という英語の言葉には様々な意味があるけれど・・・そのなかの「流行」が「服」そのものを表しているというのは、”はやり””すたり”が「服」のスタイルを中心に移り変わってきた時代だった20世紀には、正しい語彙であったように思えます。
女性のライフスタイルや意識までをも変革した1920年代、造形的なデザインが昇華した1950年代、ストリートからカジュアルや若者のニーズから既製服が生まれた1970年代・・・その後、シルエットからスタイリングによる流行(エスニックとか、メンズライクとか、グランジとか)へと移行していくと、デザイナーによって提案されるスタイルが「流行』となっていくのです。
スタイルが焼き直されて再生を繰り返すようになると、次第にマンネリ感を招いてしまったような気がします。毎シーズンのスタイルは、単なる”情報”として人々の意識のイメージとして消化されていくようになったようです。また、トップデザイナーによって生産される服は、実際の「流行」とも乖離してしまがちで、個々のデザイナーが確立した「スタイル」の継続であったり、手の込んだ職人技術(クラフトマンシップ)を駆使した「オブジェ」だったり、もしくは・・・美術館に展示される「アート」として”みる”ものとなっていきつつあります。
「未来のファッションとは?」「21世紀の服は?」という”問いかけ”は、20世紀のファッション業界が模索していたことだったのかもしれません。”未来”を夢見ていた1960年代後半、”アンドレ・クレージュ””ピエール・カルダン””パコ・ラバンヌ”らによって発表された未来志向の服”は、当時の「流行」とはなりましたが・・・21世紀に生きている我々からすると「懐かしい未来の服」という”古い”スタイルでしかないのです。
ボクがファッションデザインに興味を持ち始めた1982年にアメリカで出版された「FASHION 2001」を、改めて今読み直してみると・・・「未来の服」というのは、その未来を語っている時代のスタイルでしかないことが、よく分かります。ただ、多くのデザイナー達が「個性(individuality)の追求」「テクノロジーの発達による素材と生産効率化」を語っていたり、未来では「オートクチュール」と「ユニフォーム」に二極化するというのは、ある意味、21世紀のファッションを言い当てているとも思えてしまうのです。
デザイナーがファッションショーで発表する「服」が「流行」でもあり「着る服」でもあったのは1980年代までだったかもしれません。今振り返って考えると・・・1988年のクリスチャン・ラクロアの出現が、ファッションデザイナーが打ち出す「流行」がファッションの流れをつくる仕組みの「終わりの始まり」だったような気もします。(日本のファッション界では違ったかもしれませんが、欧米では少なくともそうでありました)1990年代に入り「セカンドライン」というビジネスモデルが登場したことにより、その後の「ファストファッション」への”低価格化”という避けられない流れも明確になってきたのです。
「ファッション」がステイタスとなるのは、経済的な成長を認識する過程なのかもしれません。かつてのバブル経済時代に日本人がそうであったように、今では中国、東南アジア、ロシアなど、近年経済的に成長した国の人々が、高額ブランドの購入者となっています。経済成長のピークを過ぎた欧米や日本では・・・見てすぐ分かるブランドだったり、全身ブランド品で身を包んだりすることは、逆に”おしゃれ”とは思われなくなっていくという現象は「ファッションの終焉」かもしれません。
機能を追求した「ユーテリティウェア」や日常的に着れる「リアルクローズ」が支持される現在・・・「デザイナーネーム」と「不変的なデザイン」が結びついた「コラボレーション」という新たなステータスは、ファッションを求める消費者さえ凡庸なデザインに満足しているということなのかもしれません。「21世紀の服」は、着ることで得られる機能(軽い、暖か、涼しい、着ていて楽とか)をもっているとか、生産体制や販売流通の効率化で高品質な服が低価格で手に入れられるようになったとか・・・それほど面白くもない着地点に落ち着きそうであります。
そんな時勢のなかで「未来の服とは?」に答えを投げかけるという意味で「HARMONIZE」という展覧会(展示会?)は刺激的でもあり・・・同時に20世紀的な”古さ”もあったのです。
デザイナーの中里唯馬(なかざとゆいま)氏は、芸術家である両親の間に1985年に生まれて、2008年日本人としては最年少でアントワープ王立アカデミーに入学/卒業。アントワープ王立アカデミーでは英語で授業が行われているらしいのですが・・・殆ど英語が話せないにも関わらず、18歳の時(2003年?)に入学試験に臨んだそうです。実際に入学できてからは、ICレコーダーを駆使して授業についていったそうで、大変な努力家であります。在学中に、欧州で開催されるITS(インターナショナル・タレント・サポート)で2年連続受賞という快挙を果し、卒業の翌年2009年には「YUIMA NAKAZATO 」を設立するのです。
活動が衣装デザインであったのは、アート志向の彫刻的なファッションを目指していたらしいので、当然だったのかもしれません。ファーギー(ツアー/2010年)、ブラック・アイド・ピーズ(ビデオ/2011年)、レディ・ガガ(テレビ出演/2013年)、三台目 J Soul Brothers(ビデオ、ツアー/2012年)、EXILE(ビデオ、ツアー/2013年)、宮本亜門演出の舞台、小栗旬主演の「ルパン三世」などで衣装デザインを担当しているのです。
ブランドコレクションとしては、2009年からアクセサリーのコレクションや、ユニセックス(?)のコレクション(男性モデルによるランウェイ)を継続的に発表・・・衣装デザインの延長線上という印象は否めませんが、独自の世界観を表現しようとしているのは、YOU TUBEにアップされている動画から強く感じられます。
2016年夏には「nippoppin」と「天野喜孝」とのコラボレーションによるバッグや、ホログラム素材のオリジナルバッグ(一部受注生産)を、伊勢丹新宿店/TOKYO解放区で販売しています。
大きな転機となったのは、2015年暮れにアントワープ時代の知人(オートクチュールに参加しているブランドのマネージャーをしていた)に、パリのオートクチュールに参加するには「どうしたら良いのか?」と問い合わせたこと・・・2016年3月にはオートクチュール事務局長との面接まで辿り着きます。以前よりオートクチュール協会のコレクションウィークに参加する敷居は低くなったは言っても、非常に重い扉であることには違いありません。アントワープ時代に繋がりをもった欧州ファッション界の大物らの推薦状が決め手となり、中里唯馬氏は森英恵以来二人目の日本人オートクチュールデザイナーとなったのです。
中里唯馬氏は、日本の最先端技術と伝統工芸の融合を提案して、2016年からオートクチュールコレクションを発表しています。価格的にはドレス1着が200万円(アクセサリーや靴などを含めると1000万円以上)からということなので、オートクチュールとしては一般的かもしれません。EXILEの衣装デザインのために開発したホログラムをスーパーオーガンザという世界一軽い糸を織り合わせた素材、江戸切子職人によるガラスに会津若松の漆とホログラムの粉を混ぜたものをコーティングした木製の玉をあしらったアクセサリー、ホログラム釉薬を使った有田焼の装飾パーツ、最新3Dプリンターによって制作される靴など・・・まさに過去(伝統)と未来(技術)を融合しているのです。
デビューコレクションの2016~17年秋冬「UNKNOWN」で発表されたのは、PVC素材をプロッターマシーンで細かなカット入れて、細かく折り畳むことで立体的なフォルムを構築するという作品・・・氷、空、海、オーロラなどの自然界の色彩をホログラムにしているので、角度によって色や輝きが変化して、まさに「未来的」であります。着る”オブジェ”としての完成度は高い「作品」で、シルエット的にはフセイン・チャラヤン、または、ジュンヤ・ワタナベ・コム・デ・ギャルソンのコレクションで発表される服に近いかもしれません。また、折り込むことでフォルムを構築するという手法は、三宅一生の「プリーツ・プリーズ」も思い起こさせます。
2016-2017/AF 「UNKNOWN」
2017年春夏コレクション「INGNIS AER AQUA TERRA」では、ミリ単位で正確にカットされたユニットに凹凸をつけて、ひとうひとつはめ込むという大変手間のかかる服を発表します。縫製のないユニットによる服の製法が「YUIMA NAKAZATO 」のシグニチャーとなっていくのです。
2017/SS 「INGNIS AER AQUA TERRA」
続く2017~18年秋冬コレクション「FREEDOM」では、各ユニットのサイズを微調整することで、顧客ひとりひとりの体のサイズにフィットさせるというオートクチュールらしいコレクションを発表します。各ユニットはDNAのようにナンバリングされて管理することも可能ということ。また、PVC素材だけでなく・・・コットン、ウール、ナイロン、レザーも、パーツ素材として使用できる技術も開発したことで、ジーンズやライダースジャケットなどにも応用できるようにしたのです。
2017-2018/AF 「FREEDOM」
2018年春夏コレクション「HARMONIZE」では、それぞれのユニットを自由にリサイクルできる循環システムをもつ「未来の服」を発表。服の一部が破けても同じサイズのユニット(別な素材でもOK)を用意すれば修理できるというのは、物資が限られる宇宙開発の現場で活躍するそうです。
2018/SS 「HARMONIZE」
「ユニットのサイズを微調整して体にフィットさせる」「ユニットをリサイクルさせて循環する」などのコンセプトは・・・ハッキリ言って”ギミック”と言ってしまえば”ギミック”でしかありません。細かいユニットによって構築される服というのは、平面の布地を型紙どおりに裁って縫い合わせるという古典的(?)な服とは、まったく別な構造を持っています。画期的な製法であるが故に、生産過程に於いても、着る人にとっても、その技術で作られていることが理にかなっていないと、単に”ギミック”で終わってしまう恐れがあるのです。そういう観点では、三宅一生の「プリーツ・プリーズ」は全てに於いて理にかなっていたと思えます。
ユニットによる服の製法をギミックとして終わらせない方向性が見えるのが、今回の展覧会/展示会で発表されていた「TYPE-1」かもしれません。ホースライドレザーとウルトラスエード(Ultrasuede PX)を素材にしたライダースジャケットを生産するシステムで・・・3Dスキャナーによって顧客の寸法を正確に入手、コンピュタープログラムよって自動的に各ユニットの形やサイズを計算するオートパターンメイキング、デジタルファブリックカッターにより自動裁断、各パーツを繋げる部品も3Dプリンターによって自動的に作成するというのです。この生産システムを「TYPE-1」として実店舗に設置することで、顧客ひとりひとりにオートクチュールのような”一点もの”として提供できるというのです。縫製不要の服には、縫製工場さえいらないということであります!
残念ながら・・・膨大な数のユニットをプラスティックの部品で繋げていくという行程は、現在のところ手作業で行なうしかないようで、この作業までも機械化されないと、商業化するのは難しいとは思います。ただ、ライダースジャケットとか、デニムジーンズとか、20世紀から慣れ親しんできた不変的なデザインを、新しい技術やテクノロジーで”一点もの”として生産するというのは、何十年か先に振り返ってみたときには、今の時代に共感される「未来の服」でしかないわけで・・・巡り巡って”新しくて古い”のかもしれません。
「HARMONIZE」YUIMA NAKAZATO EXHIBITION
21_21 Design Gallery 3
2018年2月21日~2月25日開催
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