2019/04/18

「何がジェーンに起ったか?/What Ever Happened to Baby Jane?」のドロドロな舞台裏を描くテレビシーリーズ・・・「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」で地に堕ちたジョーン・クロフォードの汚名の払拭に涙が止まらない!~「フュード/確執 ベティ vs ジョーン/Feud : Bette and Joan」~


「glee/グリー」「アメリカン・ホラー・ストーリー」などのプロデューサーとして知られるライアン・マーフィーが手掛けたテレビシリーズ「フュード/確執 ベティ vs ジョーン/Feud : Bette and Joan」は、ベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードが初共演した「何がジェーンに起ったか?」の映画製作の舞台裏を描くということで、ジョーン・クロフォードの大ファン(勿論ベティ・デイヴィスも大好き)のボクとしては、何が何でも見逃すことができないと非常に楽しみにしていたのであります。けいたいおかし参照)

しかし・・・日本では”スターチャンネル”(ボクは契約してない)での独占放映(2017年9月29日~)。それならば、アメリカ本国でDVD/Blu-ray化されるか、Netflixなどの配信を待とうと思っていたところ・・・本作に登場するオリビア・デハヴィランドご本人(101歳でご存命)が「無断で作品に使用された!」とクレームを入れて裁判沙汰に・・・その後に訴えは却下されたものの、DVD/Blu-ray化はお蔵入りのまま。ただ最近、ジョーン・クロフォードのファンサイトでエミー賞投票者向け(Fot Your Consideration=FYCという非売品)DVDセットが、アメリカのオークションサイト”eBay”で出品されていることを知って、先日(結構な高額で!)無事に落札!遂に「フュード/確執 ベティ vs ジョーン」を観ることができたのです。


伝説的に語り継がれるベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの確執は、二人が生まれたときから始まっていたと言っても良いのかもしれません。生まれてすぐ実の父親に捨てられた上に義父に手篭めにされたジョーン・クロフォードは、フラッパーダンサーからハリウッド女優に成り上がった”叩き上げ”女優。共演した男優は勿論、映画監督、照明や撮影のスタッフとも肉体関係を結んで、キャリアを築き上げていったと言われています。1930年代には美貌の”スター女優”として上り詰めるのです。

一方、父親とは不仲だったベティ・デイヴィスは、若くしてブロードウェイで頭角を現してハリウッドの招かれた”演技派”女優であります。歌になるほど(キム・カーンズの「ベディ・デヴィスの瞳)特徴的な瞳をもつベティ・デイヴィスは、一般的に”美人”というわけではありませんが、演技力は折り紙つき。外見を気にせず役柄になりきって、20代で二つのオスカーを受賞してハリウッドで最もリスペクトされる女優となります。


同時期に”ハリウッド女優”として活躍したベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの女優としてのスタンスは「水と油」で、常にお互いをライバル視する運命にあったのです。

本作は、往年のハリウッド女優オリビア・デハヴィランド(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)とジョーン・ブロンデル(キャシー・ベイツ)が、ジョーン・クロフォードの死後の1978年にジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスについてインタビューで語る場面(1978年にイギリスBBC制作の番組『The Hollywood Greats』を元ネタにした架空のテレビドキュメンタリー)と、「何がジェーンに起ったか?」の舞台裏からその後を描く物語が、行き来しながら進行していきます。二人の女優としてのキャリアやゴシップ的な数々の逸話をインタビューという形で語らせることで、ジョーン・クロフォードとベティ・デイヴィスについて詳しく知らない視聴者にも時代背景が理解できるという構成となっているのです。

ペプシコーラ社長の夫と死別したジョーン・クロフォードが女優としての再起を狙って自ら企画を探すというところから本作の物語は始まり、ジョーン・クロフォードの死後に登場人物たちが彼女に思いを寄せる場面で終わることから・・・本作の「主役」はジェシカ・ラング演じる”ジョーン・クロフォード”であると思います。


ジェシカ・ラングは「アメリカン・ホラー・ストーリー」の常連キャストでもあり、”ジョーン・クロフォード”を演じるのに相応しい女優であることに間違いありません。ただ、生涯スレンダーな体型を維持して美貌を保ち続けたジョーン・クロフォードと比較してしまうと、ジェシカ・ラングの”恰幅の良さ”や”ナチュラルな老け具合”は目についてしまいます。


逆に、ベティ・デイヴィスを演じるスーザン・サランドンは本人よりスラっとした美人なので、二人の確執の要因のひとつであった「ジョーン・クロフォード=美貌のスター女優だけど演技の才能には欠ける」「ベティ・デイヴィス=個性的なルックスで美人ではないけど演技力は抜群」という二人の個性が薄れた印象は否めません。・・・とは言っても、ベティ・デイヴィスを違和感なく演じきったスーザン・サランドンもさすがです。

本作で再現されたシーンと実際の映像を比較している動画があるのですが、本物のベティ・デイヴィスとジョーン・クロフォードの持つ「顔のパワー」には圧倒されます。


冒頭のインタビューシーンでオリビア・デ・ハヴィランドが語る「確執は決して”憎しみ”ではなく”痛み”なのです。/FUEDS are never about HATE. FUEDS are about PAIN」というのが本作の本質かもしれません。

同じ映画会社に所属しながら一度も共演することのなかったベティ・デイヴィスを担ぎ出したのは、誰あろうジョーン・クロフォード・・・露骨にライバル心を燃やしながらも歩み寄り、”若くない女優”を蔑ろにするハリウッド体質にタッグを組んで戦っていく様は、”フェミニズム”的なテーマでもあります。また、単に「確執のある女同士の戦い」という一層的な物語には終わらせてることはなく、映画会社の幹部などの一部の男性による支配から生み出されていた”不条理さ”は「#MeToo」運動に繋がっているようにも感じます。

ベティ・デイヴィスだけがアカデミー賞主演女優賞にノミネートされたことで確執をさらに深めていく”くだり”や、「血だらけの惨劇」(めのおかし参照)などのサイコ・ビディ(Psycho-Biddy)と呼ばれる一連の熟女ホラー映画の再現は「おキャンプ」好きも満足させる作りとなっているのです。

本作では、ベティ・デイヴィスは従来のイメージどおり”強気”に(子供たちとの関係においての孤独感あるもの)描かれているのですが、対照的にジョーン・クロフォードには寄り添っているように感じます。二人が再び共演するはずだった「ふるえて眠れ」でのジョーン・クロフォード降板の顛末は、ジョーン・クロフォード側に同情的な視点で描かれますし、”プライドの高さ”に反しての”人間的な弱さ”もリスペクトを持って描かれているように思うのです。亡くなる直前、ジョーン・クロフォードの幻想の中で、ベティ・デイヴィスとの間に友情を結ぶのは”フィクション”ではありますが、それが”ジョーン・クロフォードの本望”であったような気がしてなりません。

ジョーン・クロフォードの死後、養女のクリスティーナ・クロフォード(本作には登場しない)が1978年に出版した暴露本「親愛なるマミー・ジョーン・クロフォードの虚像と実像/Mommie Dearest」と、それを原作にした1981年の映画「愛と憎しみの伝説/Mommie Dearest」(めのおかし参照)によって、ジョーン・クロフォードのスター女優としての輝かしい功績は「養子虐待女優」というレッテルを貼られて、とんでもないほど地に堕ちてしまったわけですが・・・本作で描かれるジョーン・クロフォードの姿によって、約40年ぶりに”その汚名”を少しでも払拭できたのではないでしょうか?

ジョーン・クロフォードの”いちファン”として涙が止まりません。


「フュード/確執 ベティ vs ジョーン」
原題/Feud : Bette and Joan
2017年/アメリカ
製作総指揮: ライアン・マーフィー他
演出   : ライアン・マーフィー
出演   : ジェシカ・ラング、スーザン・サランドン、ジュディ・デイヴィス、アルフレッド・モリナ、スタンリー・トゥッチ、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、キャシー・ベイツ
2017年9月29日よりスターチャンネルにて日本独占放映

ブログランキング・にほんブログ村へ

2019/03/01

ニューヨークファッションウィーク期間中に最もバズったショーとなった日本人デザイナーのランウェイデビューコレクション・・・インスタグラム時代のインスタントサクセス!〜「TOMO KOIZUMI」2019~20年秋冬コレクション〜


インスタント・サクセス(Instant Success)という言葉があります。日本語の”インスタント”から”容易く成功する”と解釈されてしまいそうなのですが、本来の意味は「地道な努力の結果に、たちまち成功をする」であります。まさに、この”インスタント・サクセス”となったのが、初のランウェイコレクションをニューヨークファッションウィークに開催した日本人デザイナー小泉智貴氏(ブランド名は「TOMO KOIZUMI」)です。

一年ほど前から彼のinstagamをフォローしているのですが、デビューコレクションがニューヨークという離れ業で、世界的なメディア各紙で高く評価される快挙に(他人事ながら)ヒジョーに興奮しています。小泉氏は1988年4月7日生まれということなので、まだ30歳!・・・あの川久保玲氏でさえ、海外(パリ)で初めてショーを開催したのは38歳なのですから「なんたって若い」です。

幼少期から母親の影響でファッショには興味を持っていたという小泉氏・・・14歳のときにジョン・ガリアーノによるディオールのクチュールコレクションに魅せられて、クリスマスに買ってもらったミシンで独学で縫製を始めたとのこと。高校時代には、文化祭でファッションショーを企画したり、デザインコンテストに入賞・・・進学した千葉大学ではファッション系のサークルに所属して、年数回ショーや展示会を開催して作品を発表しながら、スタイリスト北村道子氏などの手伝いも経験しています。

ゲイパーティーのイベンター「fancyHIM(ファンシーヒム)」のスタッフを務めていた小泉氏・・・大学4年生の時、自作の服を友人に着せた姿がスナップサイト「Droptokyo」に掲載された写真がきっかけで、都内セレクトショップの「ザナドゥ・トウキョウ(Xanadu Tokyo)」と「ガーター(Garter)」で取り扱われることになり、在学中に「TOMO KOIZUMI」という名前でブランドを立ち上げます。

2011年合同展示会@GARTER 

デザイナーになるか?スタイリストになるか?進路に悩んでいた時期もあったようですが・・・Perfumeの衣装デザインをする機会にも恵まれたことや、師である北村道子氏からのアドバイスもあり、服作りを突き詰めていくことを決心したらしいです。


ただ当時は、仕事よりも恋愛(ラバーズ・ストーリー)を優先するところもあったようで・・・大学卒業後は、結婚の約束をしていたグラフィックデザイナーの”彼氏”と一緒に暮らすため、オーストラリア(シドニー)へ行く計画をしていたといいます。「どれほどオーストラリアに滞在したのか?」「語学留学だったのか?」は分かりませんが・・・instagamのコメントを英語で投稿することも自然にできているので、短い期間であっても”生”の英語に接した経験は無駄にはなっていないようです。

その後、その”彼氏”さんとどうなったのかは知る由もありませんが・・・しばらくして(?)日本に戻ってきたようで、多くの芸能人/アーティスト(加藤ミリヤ、BENI、富永愛、水原希子、夏木マリ、小柳ゆき、浜田ぱみゅぱみゅなどなど)のスタリングや衣装制作に携わっていきます。


衣装の仕事をしながら、ミニコレクション(2013年春夏/Minerals)を発表したり、TOKYO GIRLS COLLECTION(2014年)に参加。プレタとしての「TOMO KOIZUMI」ラインも継続されていたようですし、「GINZA」「装苑」やなどで注目のデザイナーとして取り上げられています。

2013年春夏コレクション「MINERALS」

「GINZA」2012年12月号

「装苑」2013年1月号

「フェミニン」「ネオンカラー」「コルセット」という特徴はあったものの、この頃は突き抜けたオリジナリティーを発揮するまでには至っていないような印象なのですが・・・2015年くらい(?)から発表し始めた「ふわふわシリーズ」というポリエステルオーガンザのラッフルを何層に重ねたドレスが、小泉氏のシグニチャーとなっていくのです。


2016年3月、ブロックハウスギャラリーで発表された”Ballet”と名付けられたコレクションが転機となり、今回のニューヨークデビューへと繋がっていきます。

2016年秋冬コレクション「BALLET」

2016年のレディー・ガガ来日の際、面白いデザイナーを探していると聞きつけて、音楽関係者の友人を介して”Ballet”のメインルックを届けてみたところ・・・若者に投票を訴えるメッセージを発信した時にこのドレスを着てくれて、その姿がSNSで世界へ拡散されます。


レディー・ガガが着たドレスのデザイナーとして知られるようになったことが関係しているのかは分かりませんが・・・ドリカム、木村カエラ、YUKI、ノースリーブス、芳村真理など衣装を提供する芸能人/アーティストも”有名どころ”が増えていきます。



さらに、サロン・ド・ショコラのショーの衣装を制作したり、装苑の80周年記念号で歴代の表紙をプリントした生地でドレス制作をしたり、新宿伊勢丹のショウウィンドウを飾ったり、東京メディアセンターや文化服装学園で展覧会を開催したりと、順調にキャリアを積んでいくのです。

2016年1月/サロン・デュ・ショコラ

「装苑」2016年12月号

2017年10月/伊勢丹ショウウィンドウ

2018年4月/東京メディアセンター

そんな時・・・プラダやミュウミュウのショーのスタイリングで知られるアメリカの有名スタイリストのケイティ・グランド(Katie Grand)の目に留まることになります。

イギリスのファッションデザイナー/ジャイルズ・ディーコン(Giles Deacon)が投稿した「TOMO KOIZUMI」のラッフルドレスを、ケイティ・グランドが見て自分の雑誌「LOVE」で撮影・・・その後、小泉氏のinstagamで他のドレスも見て、すぐさま一緒にショーを開催することを打診(ショー開催の4週間前!)したそうです。ケイティの友人であるマーク・ジェコブス(Marc Jacobs)と彼のアシスタントが全面協力して、24時間以内にはメイクやヘアスタイリスト、出演する有名モデルたち、靴の提供やファッションサービスエージェンシー(KCD)まで手配(それもギャラなし!)してしまったというのですから、ニューヨークファッション界の重鎮である二人が、今回のデビューコレクションを実現させたといっても過言ではありません。

ニューヨークファッションウィークの期間中である2月8日・・・「TOMO KOIZUMI」の初のランウェイコレクションは、マジソン街にあるマーク・ジェコブスの旗艦店にある長い階段を降りて(モデル泣かせ〜!)フロアをぐるりと廻るランウェイが設けられた会場で開催されました。


「TOMO KOIZUMI」の集大成的なアーカイブ28点で構成された10分程度のミニコレクションには、ショーの前からWWDなどの業界紙が注目して取材。多くのメディアや観客が押し寄せて、スタンディングオベーションで幕を下ろし、ニューヨークファッションウィーク期間中、最もバズったランウェイショーとなったのです。

メイク(パット・マクグラス/Pat McGarthが担当)も、ヘアスタイル(グイド・パラオ/Guido Palauが担当)も、ネイル(ジン・スーン/Jin Sonが担当)も、シンプルにまとめられており、渋めのBGMと相まって、キッチュな”大人服”に昇華させているように感じます。

ハンドメイドの域を出ていないところも見受けられるので、ショーの見せ方を間違えばチープなコスチュームとして受け止められたかもしれません。カラーバリエーションの豊富なポリエステルオーガンジー生地による大量のラッフルの”カラフルさ”や”シルエットの面白さ”は「インスタ映えするキッチュ」「わかりやすいアヴァンギャルド」であり・・・「ファッションの歴史を知らないなら新鮮」であります。第一線で毎シーズンコレクションを発表しているトップの”ファッションデザイナー”と同列で語るレベル(技術的にもクリエイティビティに於いても)にはありません。

商業主義とクラブファッションという両極端のイメージがあるニューヨークファッションシーンですが、王道は「大人の女性」向けファッションです。クチュール風の演出は、ニューヨークファッションを熟知するケイティとマーク二人のアドバイスだったのでしょうか?もし同じショーが東京で行なわれていたらば・・・単に”尖った”クラブイベントで終わっていたかもしれないのですから。

本来ラッフルには、クチュールのテクニックが凝縮されています。近年では、パリのオートクチュールで活動するイタリア人デザイナー/ジャンパティスタ・ヴァリ(Giambattista Valli)が、クチュール的な繊細さと先端的な縫製を駆使したラッフルを何層も重ねた豪華絢爛なイブニングドレスを発表し続けています。


袖、襟、裾などの部分使いやスカートなど、ボリューム感を演出することの多いラッフルですが・・・アヴァンギャルドな使われ方されることもあります。2000年の秋冬に、フセイン・チャラハン(Hussein Chalayan)とジュンヤ・ワタナベ・コム・デ・ギャルソン(Junya Watanabe Comme des Garçons)が発表したコレクションは、ラッフルの可能性を広げる創造性に溢れていたのは、ボクの世代には記憶に新しいことです。



デビューコレクションを、クチュリエ(高級仕立て服職人)やクリエイティブなトップデザイナーと比較するのは少々酷かもしれませんが、現時点では「服」として、あまりにも稚拙(ステージ衣装としては完成度は高いですが)・・・今後は縫製やパターンの技術だけでなく、素材や造形に於いても創造性を発揮して「ラッフルの一発屋」を超越する世界を表現して欲しいものです。

数シーズン前から、ボリューム感のある服、多色の組み合わせや柄オン柄などのマルチカラー、デコラティブなディテールなど・・・トレンドがエクストリームな方向へ再び移行しているタイミングも「TOMO KOIZUMI」には追い風になったのかもしれません。ショー開催に協力したマーク・ジェコブス自身のコレクションでも、エクストリームなボリューム感やラッフルは、今シーズンの重要な要素になっています。

トレンドという観点では”ベストタイミング”で世界デビューを果たした「TOMO KOIZUMI」の次の一歩は、何なのでしょうか?「WWD JAPAN」紙では、海外セレクトショップでの取扱い開始とプレタラインの始動を示唆しています。(日本国内の市場で既製服のビジネスとして評価されるのは難しいと思うので正しい方向性?)

イギリスのリバティ百貨店(Liberty)、ネッタポルテ(Net-A Porte)、ハーヴェイ・ニコルズ(Harvey Michols)、セルフリッジ(Selfridge's)、アメリカのドーバーストリートマーケット(DSM)、香港のジョイス(Joyce)などから、既にアポイントメントが入っており、本格的なファーストコレクションは、パリで発表するようにというアドバイスを受けたそうです。

また、今回発表されたデビューコレクションを、市場向けに落とし込むことも始めているそうなので、ウェアブルなプレタラインも近々発表されるのかもしれません。イベントに出席するセレブやプロモーションビデオへの貸し出し依頼も多数あるようですし、今年5月のメットガラ(Met Gala)で着用するドレスの制作依頼もあったということなので、衣装としてのカスタムオーダーや貸し出しは今後増えそうであります。

大学卒業時には”ラバーズ・ストーリー”を優先して”彼氏のために”オーストラリアに移住したこともある小泉氏なのですから・・・「ラッフルの一発屋」で終わらないためにも、自分自身のため(日本の居心地の良さや仲間に執着せず)世界へ飛躍して欲しいと思います。


ブログランキング・にほんブログ村へ

2019/02/04

もう「ギリシャの新しい波」ではなく「ヨーロッパ映画界の担い手」なのよ・・・ヨルゴス・ランティモスの最新作は”やっぱり”不思議なシニカルコメディ~「女王陛下のお気に入り/The Farvourite」~


「籠の中の乙女/Dogtoooth」(2009年)から注目してきた「ギリシャの新しい波」を代表するギリシャ人映画監督ヨルゴス・ランティモス・・・「ロブスター/Lobster」(2015年)以降は、活躍の場をイギリスに移して、英語による作品を制作しています。映画の中の言語が英語以外の場合、世界的な市場規模やメディアによる評価も制限されがちなので、賢明な方向性であることには間違いありません。

とは言っても・・・ヨルゴス・ランティモス監督とギリシャ人脚本家エフティミス・フィリップスとの共作による独特の世界観は「ロブスター」でも発揮されてしましたし、「聖なる鹿殺し キリング・オブ・セイクレッド・ディア/The Killing of Sacred Deer」(2017年)でもギリシャ悲劇をベースにしていたりと、「ギリシャの新しい波」らしいアイデンティティは踏襲されていたように思います。しかし、最新作「女王陛下のお気に入り/The Farvourite」は”雇われ”(?)監督という立場で制作された初のヨルゴス・ランティモス監督作品となるのです。

グレートブリテン王国の悪名高き(?)アン王女(オリビア・コールマン)の信頼を得ることは、政治的な主導権争いでもあります。王女の最も近い存在になっている女官長のレディ・サラ(レイチェル・ワイズ)は、対フランスの軍を率いる夫のモールバラ公と大蔵卿のゴルドフィンらと、さらに税金を国民に課してまでも戦争を続けたい推進派。

そこへ、サラの従姉で没落貴族のアビゲイル(エマ・ストーン)がレディ・サラを頼ってやってきます。召し使い同士のイジメに耐えながら、再び上流階級に返り咲きたいアビゲイルは、アン王女になんとかして近づこうとするのです。戦争反対派の野党のハーリーはアビゲイルを利用してアン王女とレディ・サラの動向を探ろうとしたり、アビゲイルに一目惚れしたマシャム大佐は何とかして手篭めにしようとしています。

英国宮廷の華麗ななるドロドロ・・・物語の焦点はアン王女、レディ・サラ、アビゲイルの3人で、舞台となるのもアン王女の宮殿内のみ。実際に政治や戦争の現場にいる男性たちはバックグラウンドで、女性たちがナチュラルメイクなのに、美しさにこだわっていた男性たちはカツラと化粧で滑稽な姿だったりします。レディ・サラの夫で戦争をしている当事者であるはずのモールバラ公は、影が薄過ぎて存在感が殆どないほどだったり。

数々の映画賞レースでも、オリビア・コールマン、レイチェル・ワイズ、エマ・ストーンの主演3人(賞レースでの扱いはオリビア・コールマンが主演でレイチェル・ワイズとエマ・ストーンは助演)が競っているのは、当然と言えば当然なのです。

自然光による撮影の宮廷絵巻というと「バリーリンドン」を思い起こさせますが、本作は全体的に画面は暗め・・・さらに魚眼レンズ並の広角での撮影を多用していて、宮殿で起こっている出来ごとを遠目で傍観しているかのような撮影方法です。これこそ、ヨルゴス・ランティモス監督らしいクールな視点だと思うのですが・・・めくるめく宮殿絵巻の美麗な映像を期待すると、少々地味な印象を与えるかもしれません。

ここからネタバレを含みます。


ある夜、レディ・サラの図書館に忍び込んだアビゲイルは、アン王女とレディ・サラがレズビアン関係であることを目撃します。アン王女に接近する機会を得たアビゲイルは、すかさずマッサージをする素振りから性的なサービス(映像では映しませんが舌でアソコを舐めた)をして、すっかりアン王女をそのサービスの”虜”にしてしまうのです。そして、アビゲイルは策略どおりアン王女直々の寝室つきの待女となります。

アビゲイルの次の目標はレディ・サラをアン王女から遠ざけること・・・レディ・サラの紅茶に毒を入れてしまうのです。森の中を馬で行く途中、毒が回ってレディ・サラは落馬してしまい、森のならず者の家に閉じ込められてしまいます。

レディ・サラが姿を隠しているのは、アビゲイルに肩入れしている自分を嫉妬させるためと邪推したアン王女は、捜索隊の派遣さえ出させず、アビゲイルはアン王女を取り込むことにまんまと成功するのです。上流階級への返り咲きを虎視眈々と狙っていたアビゲイルは、アン王女の計らいによりマシャム大佐と電撃結婚・・・自らの地位を確実にします。

森から大怪我をしてレディ・サラが宮殿に戻ってきますが、アン王女は野党の思惑どおり戦争終結を命令・・・戦争促進派のレディ・サラと夫のモールバラ公は追放されてしまうのです。宮殿に残されたのはアン王女とアビゲイル・・・自分の地位確保のためにアン王女を利用しただけのアビゲイルにはアン王女に対する情はありません。本当の意味で孤独になってしまったアン王女は以前に増してますます不幸になり、アビゲイルを徹底的に服従させる殺伐とした関係しかないのです。

エンディングでアビゲイルを従わせているアン王女の表情に、ウサギの群れ(アン王女は亡くなった17人の子供と同じ数のウサギを飼っていた)の映像がオーバーラップするのは、もはや自分に服従する者たちはウサギのようだ・・・というヨルゴス・ランティモス監督の皮肉のようにも思えます。正統派のドロドロ宮廷絵巻という題材により、脚本家エフティミス・フィリップスとの共作による不思議系映画というジャンルを超えて、監督としての資質を発揮したと言えるのかもしれません。

第91回アカデミー賞でも9部門最多10ノミネート(助演女優賞レイチェル・ワイズと衣装デザイン賞は獲れそう?)という評価を受けた本作・・・ヨルゴス・ランティモス監督は、もう「ギリシャの新しい波」というマイナーな存在ではなく、これからの「ヨーロッパ映画界の担い手」として認知されたといって良いのではないでしょうか?


「女王陛下のお気に入り」
原題/The Farvourite
2018年/アイルランド、アメリカ、イギリス
監督 : ヨルゴス・ランティモス
出演 : オリビア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ、ニコラ・ホルト、ジョー・アルウィン、マーク・ゲイティス
2019年2月15日より日本劇場公開



ブログランキング・にほんブログ村へ

2019/01/11

メル・オドン(Mel Odom)の妖艶な”まなざし”を思い出して・・・1980年初頭のニューヨークの空気を昇華させたイラストレーター


1970年代後半から1980年代、イラストレーターとして人気を博したメル・オドン(Mel Odom)を覚えている方っているのでしょうか?1980年代前半には、日本でも広告や雑誌に掲載され、画集も出版されたほどなので、彼の名前を知らなくてもイラストには見覚えがある方もいるかもしれません。

アンドロジナスな妖艶なまなざしが特徴的なイラストで、1970年代末期のブルーボーイ誌(きれいめのゲイ雑誌)やプレイボーイ誌に作品が掲載されて一躍人気を博しました。ホモセクシャルな官能性、アールヌボー的な装飾、アールデコな構図、テクノチックな未来っぽさ、ギリシャの肉体美、ベネチア的な絢爛さ・・・様々な要素を融合したスタイルは、まさに1980年前後のニューヨークの空気を絶妙に表現していたのです。ちょうど、この時期(1981年9月)にニューヨークに移住したばかりだったボクにとって、メル・オドンのイラストは、とても”ニューヨーク”を感じさせました。


パッと見は同時期に活躍していたペーター佐藤と同様にエアブラシによって描かれているイラストのように見えるのですが、背景やベタ部分にはグオッシュを使いシェーディング(影)や細部は色鉛筆によって丁寧にクロススティッチが駆使されています。まだ、コンピューターグラフィックスなんてもんが存在しなかった時代だからこそのテクニックとアナログな根気強さ(一枚の絵を完成するには最低でも2週間はかかるらしい)で描かれているのです。

何度かクラブでメル・オドンご本人を見かけたことがあるのですが・・・その頃、ニューヨークで活躍していたメンズファッションデザイナー/ブライアン・スコット・カー(Brian Scotto Carr)の服を着こなす”シャイなオネエさん”という印象で、自身のイラストにそっくりの”爬虫類顔”(目がギョロっとして離れていている)をしていたことには、個人的には妙に納得したものでした。画集に収録されているインタビューで好きな俳優として、テレンス・スタンプとウド・キアを挙げているのですが、確かに二人とも典型的な”爬虫類顔”です。イラストの世界観と自分自身のルックスと一致しているところは、ある意味、ゲイのクリエーターに”ありがち”なナルシシズムを感じさせます。


1980年代半ば以降、メル・オドンのイラストは急激に流行遅れのようになってしまったところはありますが、1990年代になると、Gene Doll/ジーン・ドール(1940~50年代のグラマーな女優をイメージした着せ替え人形)のデザイナーとしても活躍してカルト的な人気を博すのです。メル・オドンの表現する妖艶さとグラマラスな人形の世界観が一致した見事なコラボレーションと言えるでしょう。


現在(2019年)、大きくスタイルを変えることなく現役のイラストレーターとして活動をしています。ゲイ的なスタイルは控めに様々な媒体(メジャーな出版物からプライベートなポートレイトまで)での仕事を活発に行なっており、インスタグラムでも頻繁に発信・・・ホームページではオリジナルドローイングやプリントも販売されています。


ロンドンをベースにしたメンズファッションのブランド「QASIMI」の2019~20年秋冬コレクションでは、メル・オドンの往年のイラストをプリントしたシャツがコレクションが発表・・・1980年代調のリバイバルと共に、メル・オドンのイラストも再注目されているのかもしれません。



ボク自身のニューヨーク時代を振り返るとき・・・ゲイの友人やクリエーターの多くがAIDSで亡くなったことを思い、ついつい考え深くなってしまうことが多いのですが、今も変わらずに”活躍”されているメル・オドンの姿を拝見するのは、ボクにとって大変嬉しいことなのであります。




ブログランキング・にほんブログ村へ