2016/10/27

「ル・ポールのドラァグ・レース」のビアンカ・デル・リオ(Bianca Del Rio)ことロイ・ヘイロック主演作・・・女装コメディ映画の王道!?~「ハリケーン・ビアンカ/Hurricane Bianca」~


男性が女性の格好をする=女装して笑わせるというのは、映画の黎明期からあります。イロモノとして侮辱的な笑いを取る”女装”が多いものの・・・「トッチー」や「ミセス・ダウト」などは感動的な要素も盛り込み、女装コメディ映画の商業性を証明しました。

「ル・ポールのドラァグ・レース」については、以前詳しく書いたことがあるのですが(めのおかしブログ参照)・・・執筆した当時は、殆ど閲覧されることもありませんでした。アメリカ版”2ちゃんねる”の「Readit」では日本で唯一の”ドラァグ・レース・ファン”と書き込まれたことがあったほどでしたが、今年の4月から日本語字幕つきで”Netflix”での配信されるようになり、現在では週間の閲覧数の上位に入るほどです。

現在、日本の”Netflix”では、シーズン2からシーズン7(アメリカではシーズン8まで放映済み)まで配信されています。出演者の多くは番組終了後、世界各国をツアーで廻ったり、アーティストとしてデビューしてCDや本を発売したり、自分のテレビ番組を持ったりと、当番組は女装スターへの登竜門となっています。

番組出身のドラァグ・クィーンの中でも、シーズン6の優勝者であるビアンカ・デル・リオ(Bianca Del Rio)ことロイ・ヘイロックは、ブロードウェイのコスチューム工房で縫子として働くかたわら、コメディアンとしても活動しています。タレント性は群を抜いており、歴代の優勝者の中でも”ベストワン”との呼び名が高いのです。最近ではスターバックスのCMにも、ドラァグ・クィーンとして初めて(!?)起用されました。


「ハリケーン・ビアンカ/Hurricane Bianca」は、ロイ・ヘイロックがビアンカ・デル・リオ(Bianca Del Rio)に扮する女装コメディ映画。実は「ル・ポールのドラァグ・レース」出演以前から「ハリケーン・ビアンカ」のインディーズ制作の企画はあったらしく・・・クラウドファンドで資金を募っていたのです。番組出演後、注目を浴びて、十分な資金を集めることができたことにより、映画製作にこぎつけたわけであります。

ニューヨークで高校の非常勤講師として働くリチャード(ロイ・ヘイロック)は、テキサス州の小さな街へ仕事を求めて引っ越すのですが、インターネットの出会い系サイトの登録からゲイであることが明らかになってしまい、いきなり解雇されてしまいます。

同性婚を認める州もあることから、リベラルだと思われがちなアメリカですが、州単位で考えると、まだまだ保守的・・・現在でも29の州では、ホモセクシャルであることを理由に教師が解雇すること法律では禁じていないという驚くべき実情があるのです。


解雇されたリチャードは仲良しになった女友達のカーマ(ビアンカ・リー)に肩を押されて、女装してビアンカ・デル=リオを名乗り、教師の職を取り戻すために高校へ乗り込みます。男性として失敗して、女装して再チャレンジという流れは「トッチー」や「ミセス・ダウト」と似ているかもしれません。

リチャードの女友達となるカーマは、トランスジェンダー(性転換)という設定・・・この役を演じるビアンカ・リー自身がリアルにトランスジェンダーであり、長年”女優”として活躍していて、アメリカの演劇界では注目されている方です。


男性の姿で生活していた(ゲイではありますが)リチャードが、女性に変身するのですから、それなりの試行錯誤を見せると面白いと思うのですが・・・本作では殆ど描かません。あくまでも、ビアンカ・デル・リオの炸裂するジョークが、本作の”みどころ”なのです。

ビアンカ・デル・リオのメイクから明らかなように・・・リアルな女性を目指している女装ではありません。そもそも、ビアンカはコメディアンとして生み出されたという経緯もあり、アイメイクは極端にデォフォルメされています。


辛辣なジョークで切り返す(リーディング、または、シェイド)のは、アメリカのドラァグ・クィーンの伝統であり・・・ビアンカ・デル・リオのドライなユーモアと、相手の弱みにツッコミを入れるウィットは、完成度が非常に高いといえるのです。ただ、ボク個人のテイストには、あまりにも既成の”ビッチ・クィーン”(辛口の女装パフォーマー)のステレオタイプにハマり過ぎていて、少々古臭さも感じてしまうところもあります。近年のドラァグ・クィーンの傾向としては、アグレッシブでビッチな”ツッコミ”よりも、天然系のほんわかした”ボケ”の方が、好感度が高いってこともあったりしますので・・・。

トランスジェンダーのカーマが両親や弟と理解し合う、リチャードがゲイであるとカミングアウトして女装なしでもコミュニティーに受け入れられる・・・という”オチ”は、確かに、政治的にも、倫理的にも、正しい”落としどころ”ではあるのですが、映画としては全くサプライズがありません。


また、インディーズ映画ということもあってか、脇を固める役者たちの魅力がイマイチ。色男も、嫌な女も、セクシーな女も、中途半端なのであります。カメオ出演のル・ポール、アラン・カミング、マーガレット・チョーも十分に活かされているとはいえず・・・「ル・ポールのドラァグ・レース」出身の仲間たち(ウィラム・ベリ、D.J. ”シャングラ”・ピアース、アリッサ・エドワーズ、ジョスリン・フォックス)らの演技は、学芸会に毛の生えたレベルです。


女装コメディ映画の王道をなぞりながら・・・コレといって新鮮な切り口のない、無難な作品としてまとまってしまったのは、残念なことではあります。それでも、既に続編「ハリケーン・ビアンカ 2 ロシアより憎しみをこめて(原題)/Hurricane Bianca 2 : From Russia with Hate」の製作が発表されているそうですから、遅ればせながら(?)アメリカ映画界は、ドラァグ・クィーン(オネエ)の面白さに、やっと目覚めたのかもしれません。


「ハリケーン・ビアンカ(原題)」
原題/Hurricane Bianca
2016年/アメリカ
監督 : マット・クーゲルマン
出演 : ロイ・ヘイロック(ビアンカ・デル・リオ)、レイチェル・ドラッチ、ビアンカ・リー、ローラ・ボサ、デントン・ブラム・エヴァレット、モリー・ライマン、テッド・ファーガソン、アラン・カミング、マーガレット・チョー、ル・ポール、ウィラム・ベリ、D.J. ”シャングラ”・ピアース、アリッサ・エドワーズ、ジョスリン・フォックス
日本劇場未公開
2017年1月1日より「Netflx 」にて配信



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2016/10/15

ニコラス・ウィンディング・レフン監督が”モデルフェチ”と”ナルシスト”っぷりを発揮した最新作・・・「ブラックスワン」+「ネクロマンティック」な”カルト映画”確定!?~「ネオン・デーモン/The Neon Demon」~


”モデルフェチ”の男性というのは・・・女性の美しさを崇拝する美意識の高い”フェミニスト”でありながら、同時に非人間的な美女を自分のまわりに侍らしたいという”ナルシスト”でもあるのかもしれません。ニコラス・ウィンディング・レフン監督の最新作「ネオン・デーモン/The Neon Demonは・・・監督の”モデルフェッチナルシストっぷりを惜しげなく発揮したような作品であります。

16歳で孤児のジェシー(エル・ファニング)は、ジョージア州からファッションモデルを目指してロサンジェルスに引っ越してきたばかり・・・ハンク(キアヌ・リーブス)が管理人を務める町外れのモーテルに寝泊まりしながら、モデル活動を始めています。ネットで知り合ったアマチュアカメラマンのディーン(カール・グルスマン)に、ポートフォリオ用の写真を撮影をしてもらっているのですが、何故か、ジェシーは血だらけのメイクをして死んだフリをしています。

本作は”ファッションモデルの世界”を舞台にしているのですが・・・あくまでも「美」についての映画をつくるための舞台としての”ファッションモデルの世界”と、捉えた方が良いかもしれません。まず、本気でファッションモデルを目指すなら、アメリカだったらニューヨークです。ロサンジェルスにも”モデルもどき”の美女が集まってきますが、彼女達が目指すのはエンターテイメント界のセレブやスターと接点を持つため(あわよくば愛人?)・・・ファッション界とは別の世界です。また、ファッションモデルのポートフォリオで、ホラーテイストというのは考えられません。ただ、物語の伏線として”血だらけ”というのには、大きな意味があるのですが・・・。

撮影後、メイクアップを担当したルビー(ジョナ・マローン)に誘われて、奇妙なパフォーマンスが行なわれているナイトクラブに行って、モデルのジジ(アビー・リー)とサラ(ベラ・ヒースコート)を紹介されます。二人とも”モデル”を絵に描いたようなスレンダーな美女ですが、整形手術や極端なダイエットで手に入れた”人工的”な美の典型です。さっそくジェシーは先輩モデルであるジジとサラからの洗礼を受けることになります。女性が買いたがる口紅の色のネーミングは「フード(食べ物)」か「セックス」のどちらかであるという話題になり、まだ処女のジェシーは「フード」・・・それも「デザート」だと、からかわれるです。(これも伏線!)

ニコラス・ウィンディング・レフン監督は美しい女性が、嫉妬で火花を散らすのが”お好き”なようです。確かに、モデル業界というのは競争が激しい世界です。外見だけで判断されることをオーディションで繰り返し経験するモデルは、役者やダンサーと違い本人の努力できる余地は僅かしかなく、雇い主(デザイナーやスポンサー)の好み次第の”受け身”の存在・・・体格的な適正、流行りのルックス、そして、運がすべてを左右する世界なので、嫉妬が生まれやすい環境と言えるかもしれません。

モデルエージェントはジェシーに”何か”に魅力を感じて、トップカメラマンのジャック(デズモンド・ハリントン)との撮影をセットアップするのですが、ジャックもすぐさまジェシーの”何か”に魅せられます。ファッションショーのオーディションでも、ジェシーはデザイナーの目に留まりフィナーレの大役まで任されるのです。当然のことながら、ジジやサラの嫉妬の対象となります。しかし、ジェシー自身も自分の美しさと特別な”何か”に気付き・・・(「2001年宇宙の旅」のような幻想的なファッションショーで)”ナルシスト”として覚醒するのです。


本作はストーリーテリングに長けた作品ではありません。伏線となる台詞やイメージが散りばめられていますが、丁寧に説明されるわけではありません。また、シンボリックなイメージや感情を表現するカラーパレット(自己覚醒はブルーからレッド)に溢れていますが、具体的に何が起こっているかは殆ど画面では見せません。そのため、本作は観る人を選ぶ作品といえます。ニコラス・ウィンディング・レフン監督作品では「ブロンソン」や「ドライヴ」が物語性がある方だとすると・・・本作は「ヴァルハラ・ライジング」」「オンリー・ゴット」に近く、監督のフィルモグラフィーの中でも最も実験的な映画ではないでしょうか・・・。

ここからエンディングのネタバレを含みます。観賞後に読み進めることを強くお奨めします。


ジェシーの滞在しているモーテルでは、トンデモナイ出来事が起こります。ジェシーが覚醒する”予兆”を表しているのでしょうか・・・ある夜、ジェシーの滞在している部屋にワイルドキャットが侵入します。また、キアヌ・リーブス演じる管理人が普通の人であるわけもなく・・・(映像では描かれませんが)実は、この管理人はロリータ趣味の殺人鬼(?)なのです。その犯行が行なわれた時の恐ろしげな音を聞いて、ジェシーはルビーがハウス・シティングしている屋敷に身を寄せるのですから。

ジェシーに親切にしてくれるルビーにしても・・・実は”レズビアン”で、ジェシーのカラダを狙っているのです。死体にメイクをする死化粧師としても働いて、ジェシーへの欲求を押さえきれなくなると、女性の死体と性行為を始めるのですから、相当イカれてます。その後、ジェシー誘惑して冷たく拒絶されたことをきっかけに、ジジとサラと共謀して・・・あっさりジェシーを殺害してしまうのです!そして(映像では描かれないのですがぁ〜)殺害後、3人はジェシーの肉体を食べてしまいます。まさに、ジェシーは「フード」(それもデザート!)だったのです。

その後、ジジとサラはプールサイドでのジャックの撮影に参加するのですが、罪悪感に襲われているジジは、突然具合が悪くなり、ジェシーの目玉を吐き出してしまいます。そして、ジェシーが自分の体から出ないと訴えながら、自らのお腹をハサミで突いて絶命してしまうのです。床に転がったジェシーの目玉をつまんで、ぺろっと食べてしまうサラ・・・荒れた荒野にひとり佇ずむジサラの後ろ姿で、本作は終わります。Siaによる「Waving Goodbye」の歌詞が、サラの心境を謳っているようにも思えます。


正直言って・・・物語の結末としては宙ぶらりんの印象です。ロリータ殺人鬼のハンク、おそらくジェシーに恋していたディーン、月に向かって何かしらの儀式をして月経の血を流していたルビー、撮影中だったカメラマンのジャック・・・登場人物の殆どがほっとらかし。”美”については「ブラックスワン」のようであり、”死”については「ネオロマンティック」のようであり、圧倒的な映像美とアンビアントな音楽に禍々しい”何か”を感じるものの、その”何か”を確かめるために何度も何度も見返したくなる映画なのです。

ニコラス・ウィンディング・レフン監督(自らを”未来人”だと言い張る)によると・・・未来の映画作家は何を物語るかではなく、何を訴えるということが大事だそう。そして、映画は「善し悪し」ではなく(善し悪しなんて昨晩の夕食がどうだった程度のことらしい)・・・どう反応(reaction)するかであり、それが経験(experience)の要素(essence)になり、考え(thoughts)が生まれると言うのです。う~ん・・・斬新な発想にも思えますが”、当たり前”のことのようにも思えます。

究極のフェチは、自らがフェチの対象にもなってしまうことかもしれません。本作は、コラス・ウィンディング・レフン監督自身が内包しているという「16歳の美しい女性」となって、表現した「美」と「美に囚われた人々」の映画だそうです。ネオン・デーモンの正体は”エル・ファニング”・・・すなわち、コラス・ウィンディング・レフン監督自身なのかもしれません。”ナルシスト”が”ナルシシズム”について”ナルシシスティック”に描いた正真正銘の「ナルシスト映画」として、ボクは猛烈に「ネオン・デーモン」に惹かれてしまうのです。


「ネオン・デーモン」
原題/The Neon Demon
2016年/アメリカ、フランス、デンマーク
監督 : ニコラス・ウィンディング・レフン
出演 : エル・ファニング、キアヌ・リーブス、カール・グルスマン、ジョナ・マローン、アビー・リー、ベラ・ヒースコート、デズモンド・ハリントン
2016年10月27日第29回東京国際映画祭にて上映
2017年1月13日より日本劇場公開


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2016/09/22

ミステリー仕立てのB級メロドラマで”ドラマ・クィーン”の本領発揮!・・・ジョーン・クロフォードの迷走と貫禄の円熟期の”おキャンプ映画”~「フィーメール・オン・ザ・ビーチ(原題)/Female on the Beach」


ハリウッド映画界で主演し続けるというのは、容易いことではありません。殆どの俳優は全盛期を過ぎると脇役にまわったり、テレビに活躍の場に移っていくことが多かったりします。

現在でも、男優は50代、60代にもなっても、20代、30代の女優が相手役になって主役(リーディング・マン)を演じることがありますが、女優の場合、年齢を重ねると主演作品というのは激減していくいくものです。

1930年代から1980年代まで活動していたキャサリーン・ヘップバーンやベティ・デイヴィスは、各年代に渡って主演作品はありますが、全盛期を過ぎてからの出演作は激減します。近年で、いくつもの年代に渡って、継続的に主演作品がある女優って、メリル・ストリープぐらいでしょうか・・・。

ジョーン・クロフォードは、サイレント映画時代全盛期の1920年代半ばからアメリカンニューシネマの生まれる1960年代末期まで、5つの年代に渡ってハリウッドで作品が途切れるこのない”主演女優=スター女優”であります。それも、各年代ごと、自分自身の人生を反映させるて、生まれかわるかのようにイメージの再生を繰り返しているのです。

映画会社の専属スター女優として活動してきたジョーン・クロフォードも、スタジオシステムが崩壊した1950年代になると、企画ごとに制作会社を移り渡るようになっています。スター女優としての集客力が失われていく中、あくまでも主演にこだわり、監督や共演者までにも口を出すジョーン・クロフォードの活動できる場は、一流の監督、スタッフ、共演者の作品ではなく、必然的にB級作品になっていくのです。

ジョーン・クロフォードという女優にとって、1950年代は低迷期とも迷走期ともいえる年代ではありますが・・・””貫禄”の円熟期であったとも思えるのです。演技派女優としても目覚めた(?)1940年代は、社会の逆行に立ち向かっていく女性を演じることが多かったジョーン・クロフォードですが、1950年代になると、社会的に地位のある強い女性を演じるようになります。


1955年に公開された「フィーメール・オン・ザ・ビーチ/Female on the Beach(原題)」は、フィルム・ノアール的な陰影を強い画面や構図が、いかにもミステリー風のB級メロドラマ映画です。直訳すれば「浜辺の女」とでもいう邦題になのですが、女を一般的な「Woman」ではなく生物学的な「Female」としたところが本作の”ミソ”であります。


相手役を演じるジェフ・チャンドラー(当時はセクシー男優として人気)はジョーン・クロフォードの指定によるものだったそうですが(クラーク・ゲーブルの二番煎じのそっくりさん?)・・・ワンランク下の男優であることは否めません。


映画の冒頭、あるオールドミスの女性(ジュディス・エヴィリン)が、ビーチハウスのバルコニーから転落して亡くなります。その翌日、このビーチハウスを所有していた男性の未亡人のリン(ジョーン・クロフォード)が、この家を売却するために訪れるのです。


転落事故なのか、自殺なのか、殺人事件なのかは分からないまま物語は進行していくのですが、ビーチハウスを管理してきた不動産屋の女性・エイミー(ジャン・スターリング)は、転落死のことはリンには話をしません。しかし、バルコニーの手すりは壊れたままだし、刑事(チャールス・ドゥレイク)が捜査をしていているので、すぐにリンの知るところとなります。


このビーチハウスの隣には、オズグッド(セシル・キャラウェイ)とクィニー(ナタリー・シェイファー)というソレンソン夫妻と、彼らの甥っ子と名乗るドラモンド(ジェフ・チャンドラー)が住んでいます。


ドラモンドは、勝手に自分のボートをリンのビーチハウスのドックに置いていたり、家に勝手に出入りしたりしていたようなのです。自信過剰なジゴロ体質のドラモンドを、当初は嫌悪するリンだったのですが、彼の性的魅力に徐々に心を開いていってしまいます。


熟女が年下男との恋に落ちるという話は、この頃(1950年代~60年代)に流行っていた(?)ようで、結構ありがちではあります。全編に繰り返し流れる音楽は、1951年の映画版「欲望という名の電車」の音楽とそっくり・・・ただし、ブランチのような繊細な精神を持ち合わせた女性とは違って、リンは酸いも甘いも知っているタフな女なのですが・・・。それでも、独り身の淋しさをシミジミと感じるリンの心の弱みにつけこむように、誘惑してくるドラモンド・・・次第にリンもドラモンドを受け入れていきます。


実は、不動産屋のエイミーとドラモンドは、過去に肉体関係をもったことがあったようで・・・エイミーはドラモンドのことを愛しているようなのです。しかし、ドラモンドは女性という存在を根っから信用しておらず、エイミーを冷たく突き放します。


ドラモンドにすっかり心を奪われ始めたリンは、ソレンソン夫妻からの夕食とポーカーの誘いにもひとつ返事で応じます。ただ、その直後、偶然に暖炉のレンガの壁に隠されていたオールド・ミスの日記を発見してしまいます。


そこには、彼女がドラモンドに恋に堕ちていくと同時に、ソレンソン夫妻との賭けポーカーで大金を巻き上げられたり、繰り返し借金に応じていたこと・・・そして、ビーチハウスの賃貸契約が終わりが近づくと、ドラモンドから冷たくあしらわれるようになり、自暴自棄になっていく経緯が書かれていたのです。


ドラモンドとソレンソン夫妻の正体を知りつつも、まったく動じる様子がないのは、いかにもジョーン・クロフォードらしい強気な女性像であります。実は、リンはラスベガスの元ダンサーで、元夫はカジノを経営をしていたプロのギャンブラー・・・ソレンソン夫妻のいかさまポーカーの手口ぐらいは、とっくにお見通しだったのです。


自分に近づいたのは金だけが目的だと問い詰めるリンを、ドラモンドは強引に抱きしめ・・・二人は肉体関係をもってしまいます。1950年代の映画なので、性行為の直接的な表現はありませんが、いかにも当時らしい「女は無理矢理にでも抱いてしまえば、その気になるもの」という典型的な展開と言えるでしょう。


肉体的に結ばれたことで、リンとドラモンドの立場は逆転します。何故か、その夜からドラモンドは、リンの家に訪れることも電話もしてこなくなるのですが、これはソレンソン夫妻の入れ知恵・・・ドラモンドへの恋心を募らせるための作戦なのです。隣から聞こえてくるドラモンドの楽しげな笑い声にリンは、ますます独り身の淋しさを痛感して、酒に溺れていってしまいます。


飲んだくれ状態になったリンの元に不動産屋のエイミーが訪れて、ビーチハウスの購入したいという客から送られてきた手付金の手渡そうとした時・・・見計らったように、ドラモンドから「今すぐ会いたい」と電話がかかってくるのです。一瞬にして元気を取り戻すリン・・・「もう、この家は売る気はない」とエイミーに言い渡します。


ここから本作のネタバレを含みます。


改めて、お互いの今までの境遇を話し合い、ドラモンドとリンはお互いの愛を確かめ合います。貧しい子供時代を過ごしたリンは、金目的で亡くなった夫と結婚したことを語り、ドラモンドは自分の首の傷は、母親が無理心中しようとした時にできたものだと告白・・・似た者同士であるドラモンドとリンは、早々に結婚することを決めてしまうのです。


二人の結婚に憤りを感じるのは、ドラモンドを介して熟女からお金を巻き上げるのを生業としてきたソレンソン夫妻であります。結婚後も、資金援助をねだるソレンソン夫妻を、さっぱりきと切り捨てるドラモンド・・・夫妻も、すぐさま後釜となる若い男を調達しますが、ドラモンドに夢中のリンが見向きをするはずはありません。


また、ドラモンドを愛している不動産屋のエイミーは、リンの結婚式を妨害すると脅しますが、ドラモンドの愛を勝ち取った勝者であるリンは、負け犬となったエイミーを鼻であしらいます。


結婚式を終えたドラモンドとリンは、新婚旅行を兼ねた航海に出発しようとしています。荷物を積むためにボートに乗り込んだリンは、壊れた燃料ポンプが取り付けられていることに気付くのです。壊れたポンプが破裂して、もしかすると航海中に遭難してしまう恐れもあるというのに・・・。


リンは、ドラモンドが自分を事故に見せかけて殺そうとしていると確信します。慌てて家に戻り、警察に電話をしますが、担当の刑事は不在・・・リンはドラモンドを殴り倒し(受話器で一発!)浜辺へ向かって逃げるのです。しかし、すぐにドラモンドに見つかりそうになり、決死の思いでリンは海の中へ入って、身を隠します。

その様子を眺めていたのは、誰あろうエイミーです。リンを追ってきたドラモンドに、リンは自ら海に入って溺れて死んだと伝えます。そして、オールド・ミスが転落死するように、バルコニーに細工したのも自分であると告白するのです。その場に、隠れていた刑事たちに会話は聞かれていて、あっさりエイミーは逮捕されます。


なんとか海から出て家に逃げ戻ったリンを、再び追いかけきたドラモンドは、真実の愛を証明するかのように、リンを強く抱きしめます。全てがエイミーの策略だったことを知り、歓喜の笑顔に涙するリンのアップで映画は終わります。

本作の物語が、リンのビーチハウス周辺だけで進行するのは、原作が舞台劇の「The Besieged Heart」だからのようです。原作戯曲を書いたロバート・ヒルも映画版の脚本に関わっていて、あからさまな”決め台詞”の多さにも納得です。


二人が出会った朝、勝手にリンの家に入り込んで、コーヒを作っていたドラモンドが「How would you like your coffee?/コーヒーはどう飲む?(ミルク入りか、砂糖入りか?)」と尋ねると、リンが一言「Alone./ひとりで」と冷たくあしらったり・・・。


ジゴロっぷりを暴露したドラモンドに対してリンが「I wish I could afford you./あなたを囲えれば良いのにね」とささやくと、すかさずにドラモンドが「Why don't you save your pennies./じゃあ1円玉から貯めれば?」と返したり・・・。


陳腐な言葉で熟女をその気にさせてきたドラモンドに詰め寄るリンは「I wouldn't have you if you were hung with diamonds upside down!/ダイアモンドで逆さ吊りにされていても、あなたなんかいらない!」と罵倒したり・・・。

陳腐過ぎて”逆に”素晴らしい台詞センスが堪りません!「最低の演技」「最悪の脚本」などと酷評する評論家もいる本作でありますが・・・ナルシスト演技に開眼したジョーン・クロフォードの”ドラマ・クィーン”っぷりが全編に炸裂!・・・トレードマークの太い眉と独特の唇のメイクアップと相まって、ヒロイン役なのに悪者(バットマンのジョーカーみたい!?)にさえ見てしまうほどの強烈な”目力”を発揮しています。

本作は、何故か日本では劇場未公開で、メディア化をおろか、テレビ放映さえもされていないという・・・なんとも残念な”おキャンプ映画”の傑作なのです。ぜひ、TSUTAYAの発掘良品あたりで、国内初のDVD化して欲しいものであります。


「フィーメール・オン・ザ・ビーチ(原題)」
原題/Female on the Beach
1955年/アメリカ
監督 : ジョゼフ・ペヴニー
原作 : ロバート・ヒル
出演 : ジョーン・クロフォード、ジェフ・チャンドラー、ジャン・スターリング、セシル・キャラウェイ、ナタリー・シェイファー、ジュディス・エヴィリン、チャールス・ドゥレイク
日本未公開


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2016/08/01

ドン引き確実(?)な”悪趣味映画”の金字塔!・・・浣腸強姦魔を描いた1970年代ポルノ黄金期につくられた伝説のハードコアポルノ~「ウォーターパワー アブノーマル・スペシャル/Waterpower」~


1970年代の映画雑誌はエロ雑誌の役割も担っていて・・・ポルノ映画の紹介や広告も掲載されていたものです。特に、ボクの記憶に残っているのが、洋物ポルノ映画として公開された「ウォーターパワー アブノーマル・スペシャル」であります。当然のことながら「ウォーターパワー」が「浣腸」のことだとは、当時のボクは理解していなかったのですが・・・尋常ではない何かを嗅ぎとっていたのかもしれません。


「ウォーターパワー アブノーマル・スペシャル/Waterpower」は、1970年代のポルノ黄金期の一作であります。主演は1970~80年代にポルノ男優として第一線で活躍したジェイミー・ギリスで、監督には「ディープ・スロート」のジェラルド・ダミアーノも名前も連ねられています。

日本のアダルトビデオでは、浣腸プレイやスカトロは珍しくもないのかもしれませんが・・・アメリカでは、アレを噴出するシーンはタブーとされていて長年”封印”されていたのです。今回、ボクが視聴したのは「ディレクターズ・カット版」と銘打ったもので、現存するフィルムから修復した81分のバージョンであります。

まず「本作が実話を元にした作品であり、場所や人の名前は被害者を守るために変更していて、このような事件はどこでも起こりえる・・・あなたにも」というテロップが映されます。イリノイ州に実在したマイケル・H・ケニアンという人物による強姦浣腸事件をもとに、舞台をマンハッタンに置き換えているです。

前年に制作された「タクシードライバー」に影響を受けているようで・・・大都会の中で社会不適合者が狂気を暴走させることより、現代社会のゆがみを描こうとする制作者の意図を垣間見せるのですが、本編のドン引き必須の浣腸プレイのインパクトに、そんなことは頭からすっかり抜けてしまいます。


主人公のバート(ジェイミー・ギリス)は、マンハッタンに暮らす性的に鬱屈した男・・・隣人の女性(クレア・カーソン)を望遠鏡で覗いている”ストーカー”で、自分勝手に彼女を美化しているのです。ある夜、立ち寄った風俗店で、ニセ医者(エリック・エドワーズ)と風俗嬢のニセ看護婦(ルレーネ・ウィロピー)が、ニセ患者パメラ(ジョアンヌ・シルバー)に行なっていた浣腸プレイを見学させてもらって、バートは異様な興奮を覚えてしまいます。


さっそく浣腸セットを購入して帰宅したバートが、隣人の女性宅を覗いていると、ボーイフレンドとエッチに興じる彼女の姿が・・・。積極的にエッチを楽しむ淫乱な彼女の姿を見て「こんな女じゃないはずだ!」と怒りを覚えるバート。その夜、彼女の部屋に忍び込み、汚い言葉で彼女を罵倒しながら、強姦・・・さらに、汚れた彼女を”浄化”するために、浣腸をするのです。彼女がアレを噴出すると同時にバートは射精・・・すっかり浣腸プレイのヤミツキになってしまい”浣腸強姦魔”として、世の中の汚れた女性を”浄化”することに使命感を燃やすのであります。


道で見かけた若い女性二人の後をつけてバートが部屋に忍び込めば・・・暇を持て余した二人はレズビアンセックスを開始(!)。すかさずバートは割り込んで、二人を罵りながら、強姦・・・当然のことながら、二人とも浣腸で”浄化”されてしまうのです。

日本のアダルトビデオのように、女性を侮辱したり、嫌がるのを押さえつけて強姦するポルノというのは、アメリカでは殆どつくられません。女性の意志に反した行為は、例え性的ファンタジーであっても好ましくないという暗黙の規制があるようなのです。まぁ、蔑まされたいマゾ女性以外の女性にとって、本作は”不快極まりない”映像であることは、今も昔も変わらないと思いますが。


新聞でも浣腸強姦魔が報道されるようになり、警察も動き始めます。婦警のイレーネ(C・J・ラング)は、殺人課の刑事ジャック(ジョン・ブーコ)と、この事件の調査パートナーとなるのですが、まずは彼を部屋に連れ込んでエッチ。もちろん(?)ジャックもアナル好きで・・・浣腸強姦魔の調査に打ってつけの刑事だったのかもしれません。イレーネの囮調査によって、早々にバートとの接触に成功するのですが・・・すぐに正体がばれてしまったイレーネは強姦されて、他の被害者と同様に浣腸で”浄化”されてしまうのです。そして、バートは警察に捕まることもなく逃げ切ってしまいます。

「去年13万1468件の強姦事件がアメリカ国内で報告されたが、その中で僅か2656件しか解決していない」というテロップが映されて、本作はあっさりエンディングを迎えます。まるで社会派ドラマのような”オチ”に「いまさら、何を真面目に~」とツッコミを入れたくなります。

浣腸を含めて「SMプレイ」は、ジェイミー・ギリス本人の性的嗜好でもあるようです。ニューヨークで真夜中に放映されていたケーブルテレビのアダルトチャンネルで、サディスティックな性癖があることを、彼が飄々と語っていたことを覚えています。ジェイミー・ギリスにとっては自分のフェチを実行していただけ・・・1990年には「ウォーキング・トイレット・ボウル=歩く便器/Waking Toilet Bowl」という、さらにハードなスカトロ・ポルノにも出演しています。

ジェイミー・ギリスの言葉責めや”浣腸プレイ”を語たる数々の台詞は、フェチを持っていない者からすると、悪趣味な”ギャグ”にしか聞こえません。浣腸=浄化という”理屈”は、SMプレイとしては”理”にかなっていて(?)、哲学的な思想に繋がるのも理解できないないわけではありませんが・・・やはり、本作は恐いもの(汚いもの?)見たさの「コメディ映画」として観るの”王道”ではないでしょうか?

今年のカナザワ映画祭(2016年9月20日午後9時15分より)で、噴出場面がカットされていない”66分”のフランス公開版「ウォーターパワー アブノーマル・スペシャル」が上映することが決定したそうです。カナザワ映画祭10周年を記念して行なわれた「オールタイム・ベスト投票」で、堂々の第1位に選ばれたそうで、待望(?)のリバイバル特別上映となったのこと・・・ホント「みなさん、お好きなのね~」としか言えません!


「ウォーターパワー アブノーマル・スペシャル」
原題/Waterpower
1977年/アメリカ
監督 : ショーン・コステロ、ジェラルド・ダミアーノ
出演 : ジェイミー・ギリス、エリック・エドワーズ、マルレーネ・ウィロピー、C・J・ラング、シャロン・ミッチェル、クレア・カーソン、ジョアンヌ・シルバー
1980年4月26日より日本劇場公開
2016年9月20日「カナザワ映画祭」にて上映


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