2015/03/26

サイレント映画のジョーン・クロフォード・・・ナイトクラブのダンサーからハリウッド帝国のプリンス ダグラス・フェアバンクス・ジュニアの玉の輿にのるまで~「夜の女/Lady of the Night」「知られぬ人/The Unknown」「踊る娘達/Our Dancing Daughters」他~


ボクが”ジョーン・クロフォード”の名前を知ったのは、高校生時代(1980年前後)に手にした往年のハリウッド映画についてのムック本だったと記憶しているのですが・・・女優として”ジョーン・クロフォード”をハッキリ認識したのは、1981年にアメリカで劇場公開された「愛と憎しみの伝説」でした。そんな経緯もあってか・・・長年「ジョーン・クロフォード」=「養女虐待女優」というキワモノ的なイメージを、ボクは持ってしまっていました。ケーブルテレビやレンタルビデオが一般的になる1980年代後半まで、アメリカ国内に在住していていても、ジョーン・クロフォードの映画を観る機会というのは、それほどなかったのです。

真珠湾攻撃で太平洋戦争が勃発してから、アメリカ映画は日本では一切公開されなれなくなったこともあり・・・1939年以降につくられたアメリカ映画は、戦後になってから公開されました。(あの「風と共に去りぬ」がでさえ、日本で劇場公開されたのは1952年になってから!)タイムラグが開いたために客入りが期待できないと判断されたのか・・・結局、日本では未公開のままという作品も結構多かったりします。1940年代~50年代ジョーン・クロフォードは数多くのフィルム・ノワール映画に出演しているのですが、フィルム・ノワール映画はアメリカの”闇の部分”を描いているという理由で、アメリカの国策として積極的に輸出されなかったこともあり・・・戦後になっても、ジョーン・クロフォードの映画は、それほど日本では劇場公開されることもなかったようです。

ボクが映画に興味を持ち始めた1970年代後半頃、日本で観ることができたジョーン・クロフォードが出演している映画作品と言えば・・・テレビの洋画劇場、または名作座で上映されることがあった「何がジェーンに起こったか?」ぐらいでしょうか?1990年代に入ってから、グレタ・ガルボなどが出演しているオールスターキャストという理由で「グランドホテル」、フレッド・アステアの映画デビュー作という経緯で「ダンシングレディ」、ニコラス・レイ監督ということで「大砂塵」、淀川長治氏監修のクラシック映画選集に含まれていた「雨」(興行的にも批評家的にも公開当時は失敗作という烙印を押されていた)などが、ビデオ/DVD化はされたようです。そして、ここ数年フィルム・ノワール映画やハリウッドのクラシック映画の再評価により「ミルドレッド・ピアーズ」「ユーモレスク」「失われた心」「再会のパリ」などの1940年代の出演作品が、やっとDVD化されました。ジョーン・クロフォードは1920年代から1970年代まで半世紀にも渡ってハリウッド映画の歴史を語るには重要なスター女優であったにも関わらず、出演作品の殆どは日本では未公開作品が大変多いのです。

ジョーン・クロフォードが生まれた年には諸説(1904年説、1905年説、1906年説)あるのですが、最も有力と思われる「1905年」だとすると・・・グレタ・ガルボと同い年で、ベティ・デイヴィスの3歳年上ということになります。スウェーデンで映画デビューしてすぐさまハリウッドに招かれてスター女優となったグレタ・ガルボや、舞台女優としてブロードウェイで活躍後にハリウッドに招かれたベティ・デイヴィスとは違い・・・ジョーン・クロフォードはナイトクラブのダンサーからハリウッドのスター女優へ成り上がりました。スター女優となったからも紆余曲折あり、幾度となく自己再生を繰り返すという人生を歩んだジョーン・クロフォードではあるのですが・・・最もドラマチックだったのは「スター女優になるまで」だったのかもしれません。


本名ルシール・ルスール(Lucille LeSueur)として生まれてまもなく、実の父親は家族の前から姿を消してしまいます。母親が洗濯屋の住み込みとして働いていた時期があったので、後に「愛と憎しみの伝説」で描かれたように針金のハンガーを毛嫌いしていたという話もあります。9歳頃から学校で給仕の仕事をしなければ、学費を支払えなかったというのが、子供時代の屈辱的な記憶として残っていると、後に語っています。母親からも新しい父親からも愛情を受けず育ち、10代後半には、シカゴ付近のナイトクラブのダンサーとして働きは始めるのですが・・当時のナイトクラブの”ダンサー”というのは、感覚的には”ストリッバー”に近い仕事だったのかもしれません。

最初の転機が訪れるのは、ブロードウェイの劇場主に見出されてニューヨークに移住したこと・・・”コーラスガール”として雇われて舞台に立つようになるのですが、すぐさまサックス奏者の男性と結婚したという記録も残っています。ジョーン・クロフォードは後日、この結婚について語ることがなかったので、法律に基づいた結婚だったのか、内縁関係だったのかハッキリ分かりません。ただ、この時期の生活は不安定で、家計のためにポルノまがいの映画やヌードモデルをしていたという噂があるほどです。この男性との関係が、どれほど続いたかは定かではありませんが・・・劇場関係者の男性に近づいて別な舞台の仕事を得たり、ハリウッドの映画プロデューサーを紹介させたりしています。女の武器を最大限利用したことは、想像するまでもありません。

紹介されたハリウッドの映画プロデューサーを介してMGM映画と契約を結ぶことになるのですが・・・あくまでもダンサー/コーラスガール(エキストラ?)として10週間の契約したに過ぎず、映画女優への道がひらかれていたわけではなかったようです。ただ、すでに映画業界は一大産業・・・女優育成も行なわれていた「MGM」では、コーラスガールにも演技やダンスレッスンを受けさせて、新人女優に育てようというシステムはありました。


ジョーン・クロフォード(当時は、まだ本名のルシール・ルスールを名乗っていた)の映画の初出演は、名プロデューサーとして権力を持っていたアーヴィン・タルバーグと当時交際していた(後に結婚)MGM映画のスター女優ノーマ・シアラー主演の「夜の女/Lady of the Night」で、クレジットさえされない後ろ姿のボディダブル(替え玉)という屈辱的な待遇でした。(スクリーン初登場シーンは動画参照/3分10秒過ぎ)ハリウッドで成りあがるためには、権力を持っている男性の力を利用することが必要不可欠であることを、ジョーン・クロフォードは確信したに違いありません。この作品から約15年後「The Women/ザ・ウーメン(原題)」で二人は共演することになるのですが・・・ジョーン・クロフォードはノーマ・シアラーの夫の浮気相手役を演じて高い評価を受けるのですから、因果なことです。

この頃に出演した作品の順番には諸説あるのですが・・・「美人帝国/Pretty Ladies」の端役で映画デビューというのが定説となっています。同年に「ザ・サークル(原題)/The Circle」では主人公の若き日を冒頭で演じ、「古着屋クーガン/Old Clothes」ではチャップリンの「キッド」で有名な子役ジャッキー・クーガン演じる主人公と絡む端役を演じるのですが、多くの出演作品はエキストラ程度の役だったようです。MGM映画の広報係は「ルスール」という発音が下水管(Sewer)の音に聞こえるからという理由で、映画雑誌で芸名を公募して”ルシール・ルスール”から”ジョーン・クロフォード”に改名させます。当初、彼女自身は「クロフォード」の発音がザリガニ(Crawfish)のようだと嫌っていたそうですが、結果的にはこの改名が功を奏したと言えるでしょう。”ジョーン・クロフォード”という新たなアイデンティティーが与えられたことで、不幸な生い立ちの過去から、分離することができたのかもしれません。


”スター女優”になるべくしてハリウッドに招かれたわけでもないジョーン・クロフォードが主役を得るためには、自己アピールするしかありませんでした。ダンサー出身ということもあってか、当時流行していたチャールストンのダンス大会で優勝することで、ハリウッドの映画関係者たちの注目を集めようとします。今になってみると、チャールストンダンスは手足をバタつかせている稚拙な踊りにしか見えないのですが・・・コルセットに縛られていた女性の”自由”そのものを表現していた当時の最先端であり、ジョーン・クロフォードはトレンドのフラッパーとして存在感をアピールすることに成功していくのです。


「三人の踊子/Sally, Irene and Mary」では主役の一人を演じるまでになります。その後「初陣ハリー/Tramp, Tramp, Tramp」「踊る英雄/The Boob」「巴里/Paris」「荒野の勝利者/Winners of the Wilderness」など、さまざまなテイストの作品で、主人公の相手役としてヒロインを務めます。「タクシーダンサー(原題)/Taxi Dancer」では、ひとりで主役に抜擢されるのですが、まだジョーン・クロフォードならではの個性が発揮されるまでには至たず、興行的には失敗して、再び脇役へと逆戻りさせられるのでした。


サイレント映画時代の大スターだったロン・チェイニーと共演した「知られぬ人/The Unknown」での、ナイフ投げ芸人の”的”になるアシスタント役・・・これは、ジョーン・クロフォードにとって最初の”当り役”かもしれません。サイレント映画時代の演技というのは台詞という音声なしで演技なければいけないので、大袈裟になりがちなのですが・・・ホラーサスペンス作品に多く主演したロイ・チェイニーの演技は”パントマイム”としての完成度が高く、サイレント映画の演技としては極めていたのですが、ジョーン・クロフォードはロイ・チェイニーと共演したことで、役者として開眼したと後に語っています。


この頃、ジョン・ギルバート(「密入国者の恋」「四つの壁」)、ウィリアム・ヘインズ(「スプリング・フィーバー(原題)」「ウエスト・ポイント(原題)」「ザ・ドューク・ステップス・アウト(原題)」)、ティム・マッコイ(「荒野の勝利者」「ザ・ロウ・オブ・ザ・レンジ(原題)」)、ラモン・ノヴァロ(「シンガポール」)などのスター男優の相手役として、ジョーン・クロフォードは次第に新人女優として頭角を現していくことになるのです。


ジョーン・クロフォードが、この時代に共演したスター男優の中でも仲良かったのが「ウィリアム・ヘインズ」であります。共演した男優と肉体関係を持つことが多かった(!)と噂されるジョーン・クロフォードですが、彼との関係はちょっと違っていたようです。当時”イケメン男優”として活躍していたウィリアム・ヘインズですが、実は”同性愛者”・・・ジョーン・クロフォードが、その事実を知らなかったとは思えません。女友達同士のような絆で結ばれていたと考えるのは、邪推でしょうか?ハリウッドの権力者に紹介して、業界内でのサバイバル術を教えたのはウィリアム・ヘインズだったという逸話もあるほどで、ジョーン・クロフォードのキャリアに影で(?)貢献している人なのです。

1930年代半ばになって、ウィリアム・ヘインズは”同性愛者”であることを、マスコミによって暴露されてしまうのですが・・・彼は「同性愛者であることを否定すること」を拒み続けて、最終的には映画会社から解雇されてしまいます。おそらく(?)彼はゲイをカミングアウトした最初のハリウッドスターということになるのではないでしょうか?俳優として引退後、パートナーの男性とインテリアデザインのビジネスを成功させて幸せに暮らしたということですから、彼の勇気ある選択は間違っていなかったと言えます。


19世紀末期に映画が発明されてから、たった20数年後には巨大な利益を生み出す産業となり「ハリウッド帝国」が生まれていたわけですが・・・その帝国には”ダグラス・フェアバンクス”と”メリー・ピックフォード”というキングとクィーンの夫婦の大きな存在があります。二人は、D・W・グリフィスやチャップリンと”ユナイテッド・アーツ”という映画会社を設立するなど、絶大な権力と膨大な資産を持っていました。二人とも移民の子供で上流階級の出身というわけではなかったのですが、生まれたばかりの映画というメディアでイチ早く成功を収めた「新しい時代のセレブ」だったわけです。ダグラス・フェアバンクスには前妻との間にひとり息子がおり、このダグラス・フェアバンクス・ジュニアはいわばハリウッド帝国の”プリンス”のような存在でした。

ジョーン・クロフォードとダグラス・フェアバンクス・ジュニアが知り合ったのは1927年頃といわれています。ダグラス・フェアバンクス・ジュニアが出演していた舞台を観に行ったジョーン・クロフォードが楽屋に挨拶しに行ったらしいのですが、もしかするとウィリアム・ヘインズが二人を仲介したのかもしれません。ただ、この時はハリウッド帝国のプリンスと新人女優という立場の格差もあってか、すぐに付き合い始めたわけではなかったようです。


1928年、ジョーン・クロフォードは「踊る娘達/Our Dancing Daughters」で、ブレイクを果たしてスター女優のひとりとなります。ダイアナ(ジョーン・クロフォード)というフラッパーの娘が、女友達アン(アニタ・ペイジ)と、ベン(ジョン・マック・ブラウン)という男性を取り合うという三角関係の物語で、ヘイズ・コード以前に作られた映画ということもあってか、物語の展開はモラル的に少々おかしなことになっています。

ダイアナとアンの二人の女性から思いを寄せられているベンは、ダイアナも気になっているのですが・・・他の男性とも楽しげにしているダイアナの態度から自分には関心がないと思い込み、アンと結婚してしまいます。傷心のダイアナはヨーロッパへ2年ほど遊学するのですが・・・その間にアンとベンの関係は冷え込んでしまいます。ダイアナの帰国を祝うパーティーに、アンは愛人の男性と出席して、夫のベンと鉢合わせしてしまいます。ベンはパーティーでダイアナへの思いを確認し合うのです。性格も捻くれて、精神的におかしくなっていたアンは、酒に酔ぱらって階段からの落下事故で急死(冗談みたいに派手に落ちる!)・・・ダイアナとベンの間の障害はなくなり「めでたし、めでたし」となるというわけであります。

チャールストンダンスを踊るダンスホールが物語の重要な舞台となっているので、フラッパーとしてのジョーン・クロフォードの魅力が爆発しています。当時、これほど派手な生活をしていた若い女性が実際に存在したかは少々疑問ではあるのですが、誇張されたフラッパー的ば女性像は、当時「イッツ・ガール」として席巻していたクララ・ボウに続いて、フィッツジェラルドなどの著名人の共感や大衆の羨望を生んだようです。ジョーン・クロフォードは”時代の寵児”として、一躍”スター女優”となるのですから・・・。その後「ザ・ドューク・ステップス・アウト(原題)」などに出演し、「踊る娘達/Our Dancing Daughters」の続編的な「アワ・モダン・メイデンス(原題)/Our Modern Maidens」により、ジョーン・クロフォードは人気を不動にものにするのです。


ジョーン・クロフォードの最後のサイレント映画出演作となる「アワ・モダン・メイデンス(原題)/Our Modern Maidens」は、夫婦がそれぞれ真実の愛をみつけるという物語・・・本作もヘイズ・コード以前にありがちのモラルの欠如な展開で、おかしなことになっています。

ビリー(ジョーン・クロフォード)は、夫であるギル(ダグラス・フェアバンクス・ジュニア)の仕事の根回しをしようと、上司のグレン(ロッド・ラ・ロック)に掛け合いに出掛けたところ、あっさり恋に落ちてしまうのです。一方、夫のギルは、ハウスゲストとして滞在しているビリーの女友達のケンタッキー(アニタ・ペイジ)と惹かれ合ってデキてしまい、ケンタッキーは即妊娠・・・お互いに真実の愛の相手は別にいたことを知って、あっさり夫婦は別れてしまうのです。

登場人物たちの自由すぎる恋愛感は、近代化が進み始めた1920年代の女性が憧れた生き方だったのでしょうか?当時は、サイレント映画からトークー映画へと変わっていく転換期・・・グレタ・ガルボのような「現実に存在しないような美女」から、ジョーン・クロフォードのような「隣に住んでいそうな娘」へと、女性像が変化していく「大衆の時代」と合っていたということなのかもしれません。

多くの人々が親しみを感じる「A Girl Next Door」=「隣に住んでいそうな娘」として、ジョーン・クロフォードは受け入れられられたわけですが、実際にはジョーン・クロフォードのような娘が隣には住んでいるわけありません。後に、ジョーン・クロフォードは「隣に住んでいそうな娘が良いなら、隣に行けば良いのよ」と発言をしているのですが、スター女優になった自分は大衆とは違うというだけでなく、自分のような過酷な子供時代を過ごすことは普通ではないと考えていた・・・のではないかと思えます。


「アワ・モダン・メイデンス(原題)/Our Modern Maidensで共演したダグラス・フェアバンクス・ジュニアとジョーン・クロフォードは、公に恋に堕ち(当時は大々的なパブリシティーだった)結婚することになります。MGM映画の看板女優となったジョーン・クロフォードにとって、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアとの結婚は、ハリウッドでの地位を確実なモノとするための「玉の輿」であり、まさに新しい”プリンセス”にでもなったというところでしょうか?

しかし、ダグラス・フェアバンクス・ジュニアの義母で、姑となったメリー・ピックフォード(彼女自身も決して裕福な家庭の出身ではないカナダ移民)は、どこの馬の骨だか分からないジョーン・クロフォードを嫌っていたようで、当時ハリウッドスター達の最高の社交場であったフェアバンクスの豪邸に、嫁を招待したのは結婚してしばらくしてからだったそうです。自宅に招くようになってからも、ジョーン・クロフォードの南部訛りを嘲笑したり、テーブルマナーを知らないことをバカにしたりと、トコトン冷たく扱ったと言われています。

メリー・ピックフォードはサイレント映画からトーキー映画の女優として転向することはなく、1930年代には女優として第一線から退くことになります。(映画プロデューサーとしては1950年まで活動)それとは逆に、トーキー映画の女優へと見事に転向して、さらに”スター女優”として成功していったジョーン・クロフォードにとって、メリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスが築いたサイレント映画時代のハリウッド帝国の”プリンセス”になることよりも、新しいトーキー映画時代のハリウッド帝国の”クィーン”になることこそが、姑への一番キツ~い”あてつけ”であることを分かっていたのかもしれません。そして、そのハリウッド王国のクィーン(スター女優)で居続けることに、ジョーン・クロフォードが晩年まで執着したのは・・・”スター女優”になるために手段を選ばない努力を積み重ねたからに他ならないのです。

「夜の女」
原題/Lady of the Night
1925年/アメリカ
監督 : モンタ・ベル
出演 : ノーマ・シーラー、マルコム・マックグレゴー、ルシール・ルスール(クレジットなし)
1926年8月日本劇場公開

「美人帝国」
原題/Pretty Ladies
1925年/アメリカ
監督 : モンタ・ベル
出演 : ザスー・ピッツ、コンラッド・ネジェル、ルシール・ルスール
1927年9月日本劇場公開

「ザ・サークル(原題)」
原題/The Circle
1925年/アメリカ
監督 : フランク・ボガジェ
出演 : エレノア・ボードマン、マルコム・マックグレゴー、ジョーン・クロフォード
日本劇場未公開

「古着屋クーガン」
原題/Old Clothes
1925年/アメリカ
監督 : エドワード・C・クライン
出演 : ジャッキー・クーガン、ジョーン・クロフォード
1927年7月日本劇場公開

「三人の踊子」
原題/Sally, Irene and Mary
1925年/アメリカ
監督 : エドムンド・グールディング
出演 : コンスタンチン・ベネット、ジョーン・クロフォード、サリー・ニール
1929年6月日本劇場公開

「初陣ハリー」
原題/Tramp, Tramp, Tramp
1926年/アメリカ
監督 : ハリー・エドワード、フランク・キャプラ
出演 : ハリー・ロングドン、ジョーン・クロフォード
日本劇場公開年不明

「踊る英雄」
原題/The Boob
1926年/アメリカ
監督 : ウィリアム・A・ウェルマン
出演 : ガードルード・オムステッド、ジョージ・K・アーサー、ジョーン・クロフォード
1928年6月日本劇場公開

「巴里」
原題/Paris
1926年/アメリカ
監督 : エドムンド・グールディング
出演 : チャールス・レイ、ジョーン・クロフォード
日本劇場公開年不明

「荒野の勝利者」
原題/Winners of the Wilderness
1927年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァンダイク
出演 : ティム・マッコイ、ジョーン・クロフォード
日本劇場公開年不明

「タクシーダンサー(原題)」
原題/Taxi Dancer
1927年/アメリカ
監督 : ハリー・F・ミラード
出演 : ジョーン・クロフォード、オーウェン・ムーア
日本劇場公開年不明

「知られぬ人」
原題/The Unknown
1927年/アメリカ
監督 : トッド・ブラウニング
出演 : ロン・チェイニー、ジョーン・クロフォード、ノーマン・ケリー
1929年3月日本劇場公開

「密入国者の恋」
原題/Twelve Miles Out
1927年/アメリカ
監督 : ジャック・コンウェイ
出演 : ジョン・ギルバート、ジョーン・クロフォード
1928年8月日本劇場公開

「スプリング・フィーバー(原題)」
原題/Spring Fever
1927年/アメリカ
監督 : エドワード・セドウィック
出演 : ウィリアム・ヘインズ、ジョーン・クロフォード
日本劇場未公開

「ウエスト・ポイント(原題)」
原題/West Point
1928年/アメリカ
監督 : エドワード・セドウィック
出演 : ウィリアム・ヘインズ、ジョーン・クロフォード
日本劇場未公開

「ザ・ロウ・オブ・ザ・レンジ(原題)」
原題/The Law of the Range
1928年/アメリカ
監督 : ウィリアム.ナイ
出演 : ティム・マッコイ、ジョーン・クロフォード
日本劇場公開年不明

「シンガポール」
原題/Across to Singapore
1928年/アメリカ
監督 : ウィリアム.ナイ
出演 : ラモン・ノヴァロ、ジョーン・クロフォード
日本劇場公開年不明

「四つの壁」
原題/Four Walls
1928年/アメリカ
監督 : ウィリアム.ナイ
出演 : ジョン・ギルバート、ジョーン・クロフォード
日本劇場公開年不明

「踊る娘達」
原題/Our Dancing Daughters
1928年/アメリカ
監督 : ハリー・ビューモント
出演 : ジョーン・クロフォード、アニタ・ペイジ、ジョン・マック・ブラウン
1930年4月日本劇場公開

「ザ・ドューク・ステップス・アウト(原題)」
原題/The Duke Steps Out
1929年/アメリカ
監督 : ジェームス・クルーズ
出演 : ウィリアム・ヘインズ、ジョーン・クロフォード
日本劇場公開年不明

「アワ・モダン・メイデンス(原題)」
原題/Our Modern Maidens
1929年/アメリカ
監督 : モンタ・ベル
出演 : ジョーン・クロフォード、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア、アニタ・ペイジ、ロッド・ラ・ロック
日本劇場公開年不明



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2015/02/24

「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」放映から15年・・・「Weekend/ウィークエンド」のアンドリュー・ヘイ監督によるテレビシリーズは噛めば噛むほど味が出る(?)”退屈なゲイ群像劇”~「Looking/ルッキング」~



去年、アメリカのケーブルテレビのHBOで制作された「Looking/ルッキング」は、サンフランシスコに暮らすアラサーとアラフォーのゲイ男性3人と彼らの恋人、友人を中心に「リアル」なゲイライフを描いたテレビシリーズであります。製作に関わっているのが、イギリスのゲイ映画「Weekend/ウィークエンド」(めのおかし参照)の監督として知られるアンドリュー・ヘイということも話題になっています。

ゲイ人権運動は日本より進んでると思われるアメリカですが・・・LGBTを主人公としたテレビドラマが制作されるようになったのは、わりと最近(1990年代末期)になってのことかもしれません。1993年製作の日本のテレビドラマ「同窓会」(めのおかし参照)がニューヨークの日本人向けチャンネルで放映された時・・・「テレビで男性同士のラブシーンが!」と日本人だけでなくゲイコミュニティーでも話題になったのも、当時のアメリカではケーブルテレビであっても、同性同士の”マジな”ラブシーンというのはタブー視されていたのです。ゲイの男性キャラクターが、テレビに登場しなかったわけではありませんが・・・あくまでもサイドキック(脇役)の道化役として笑いをとるための存在でしかなかったのですから。

全米ネットワークのひとつである”NBC”で1998年から放映された「Will & Grace/ふたりは友達?ウィル&グレイス」は、典型的なシチュエーション・コメディという枠(男2人、女2人がメインキャスト)ではあったものの、カミングアウトしているゲイ男性が主人公というのは、画期的だったと言えるでしょう。ただ、舞台となっていたニューヨークのゲイコミュニティーから強い支持を集めたとは言い難く・・・どちらかというとゲイに理解のあるストレートの視聴者にウケていた印象でしょうか。ストレートの女性とゲイの男性の友人関係に注目が集まり始めた頃でもあり、タイムリーなドラマではあったのです。


1999年にイギリスのチャンネル4で放映された「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」は、オブラートに包んでないゲイ男性を主人公にした本格的なドラマです。当時はまだ、アメリカでも、ゲイを主人公にしたテレビドラマシリーズはありませんでした。露骨なセックスシーンや、主人公のひとりが15歳という”未成年”ということも衝撃的!しかし残念ながら、当時ボクが在住していたアメリカではテレビで放映されることはなく(内容的にいうよりもイギリスのチャンネル4の番組のディストリビューターがいなかったことが理由らしい)・・・2年近く経ってからアメリカのケーブルチャンネル"SHOWTIME”でのリメイク版の放映後に、DVDで観ることになります。

ゲイタウンとして知られるマンチェスターを舞台にしたイギリス版「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」の主な登場人物は・・・広告代理店で務めるモテ男スチュアート(アメリカ版ではブライアン)、ストアマネージャーでスチュアートの幼馴染みヴァンス(アメリカ版ではマイケル)、そして15歳の高校生でスチュアートに恋するネーサン(アメリカ版ではジョナサン)の3人で、彼らを取り巻くゲイの友人フィルとアレクサンダー(アメリカ版ではテッドとエメット)など、アメリカ版とキャラクターの設定は、殆ど同じです。

スチュアートがレズビアンカップルに精子提供をして子供を授かるところから物語がスタートするところ、ヴァンスの母親がゲイの息子に対して理解をしていること、アレクサンダーが日本人ハスラーに騙されるエピソードなど、アメリカ版へ引き継がれたプロットは多くあります。ただ、イギリス版は30分ほどの8エピソードのファーストシーズンと、45分ほどのスペシャル版の2エピソードのセカンドシーズンという短いシリーズで終わっており、主人公3人の三角関係を描くだけに終わっています。

本作は、幼馴染みであるスチュアートとヴァンスの友情が愛情へと変わっていくという・・・アメリカ版とは全く違う結末となっているのです。彼らの友人のひとりであるフィルは、麻薬の過剰摂取でなくなってしまいますし・・・スチュアートに振られたネーサンはスチュアートの跡を継いで(?)モテ男に成長するという展開となります。

結末は・・・アメリカのテキサス州の田舎(ホモフォビアのある保守的な地域)を車で旅しているスチュアートとヴァンス。男同士でイチャつく二人に、ひとりの田舎者が罵声を浴びせると、スチュアートは隠し持っていた拳銃で脅して、男に謝罪させるのであります。「してやったり!」と大喜びの二人の後ろ姿で終わるのですが・・・なんとも陳腐な結末ではないでしょうか?イギリス版「Queer as Folks/クィア・アズ・フォークス」は、画期的なテレビシリーズではありましたが、制作者の意識の低さも感じさせるところもあります。


イギリス版「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」のイギリス国内での放映開始直後からリメイク権利を巡って、"HBO”と”SHOWTIME”のあいだで熾烈な戦いがあったそうです。1998年から”HBO”で放映されていた「Sex and the City/セックス・アンド・ザ・シティ」は社会現象になるほどの大ヒット・・・その”ゲイバージョン”としてピッタリのシリーズだったのでしょう。結果的に”SHOWTIME”がリメイク権利を獲得することになります。

当初、アメリカ版「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」の舞台は、ニューヨークのマンハッタン島をハドソン川対岸に望むジャージーシティーにする予定だったそうです。ゲイカルチャーだけでなく世界の文化が集まっている大都市と川ひとつで隔てられている小都市がふさわしいと考えたようですが・・・実際にロケーション撮影されたのが、カナダのトロントということもあり、街並の印象が似ているニューヨーク州ピッツバーグに変更となったとのこと。ピッツバーグは、別にゲイの街として知られているわけではないし・・・さびれた地方都市というイメージしかなかったので、舞台がピッツバーグというのには違和感を感じたものです。


配役については、ゲイ視聴者からは共感を得られなかった印象があります。まず、ピッツバーグ一番のモテ男で誰もがエッチしたいと思っているという(かなりハードルの高い役柄!)ブライアンを演じたゲイル・ハロルドは、ストレートの世界ではセクシーでハンサムな色男なのかもしれませんが・・・ゲイの世界では、それほど人気のあるタイプではありません。誰もがブライアンとエッチをしたがるという設定には、ゲイ視点では「ありえない」と思ったものです。ブライアン以外のゲイの登場人物も少々クリーンカット過ぎで、マッチョ、髭、クマ系、刺青・・・といった”ゲイ”が存在しなかったことも、ストレートの視聴者向けという印象は拭えません。さらに、登場人物の誰もが”セックス依存症”なのではないかと思うほど、やりまくりというのも、偏ったステレオタイプという感じでした。


マイケルを演じたハル・スパークスのキャスティングに関しては驚きではあったものの、ゲイの視聴者からはウェルカムだった気がします。VH-1というミュージックチャンネルで「TALK SOUP/トークスープ」(その日のトークショー番組の面白い部分を集めてつっこむというコメディ番組)のホストをしていて、結構売れ始めていたハル・スパークスは、まさに「アメリカン・ボーイ」のステレオタイプで、ゲイの一部には、すでに結構人気があったのです。また、ゲイの息子に理解のあるマイケルの母親デビーを演じたシャロン・グレスは、1980年代に放映された「女性刑事コンビの活躍を描いたキャグニー&レイシー」のキャグニー役で知られていて、レズビアンを中心にLGBTコミュニティーから絶大な人気を誇っていた”男前”な女優さん・・・ここはツボをおさえたキャスティングはあったわけです。


物語の発端や登場人物たちの設定は、イギリス版と同じですが・・・アメリカ版はシーズン1だけでも60分ほどのエピソードが22話(シーズン5で合計83話)もあり、シーズン1前半から脇役の伏線のエピソードを膨らましたアメリカ版のオリジナルのプロットがでてきます。ブライアンの精子提供で子供を授かったレズビアンカップルのリンジーとメラニーのゲイ両親としての生活、完全に脇役扱いだったテッドやエメットの恋愛と転落、ブライアンに恋してしまう17歳(イギリス版の15歳から変更)の少年ジャスティンの母親の葛藤など・・・イギリス版では十分に描かれることのなかった主人公たちを取り巻く人物を深く描いていくことになっていったのです。

2000年前後というのは、1980年半ばからゲイコミュニティーを苦しみ続けたエイズの治療方法が確立し始めた頃・・・過激なエイズ撲滅のための政治運動も一段落して、再びフリーセックス時代への憧れさえ芽生え始めてきた時代でした。1960年代後半から1970年代のスタイルが再流行していたこともあり、アメリカ版「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」は、ミュージックビデオ的なザッピングを多用した演出や、サイケデリックなクラブシーンは派手でイケイケな雰囲気に満ちています。イメージとしての1970年代から1990年代までのゲイカルチャーをミックスしたような世界観に、それらの時代を体験してきたボクの世代には懐かしささえ感じさせたものです。


ゲイ向けテレビチャンネルではなく・・・”SHOWTIME”という一般の視聴者向けチャンネルで唯一のゲイを主人公の連続ドラマという存在であった「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」には、LGBTコミュニティーが抱える社会的な問題を扱っていくことが使命のようなところがあったのかもしれません。徐々にアメリカ版はイギリス版よりも、政治的なメッセージも訴えかけていくことになっていきます。ゲイであることを理由のイジメや差別、ゲイ両親が向き合わなければいけない問題、麻薬やセックス依存、当時アメリカでは合法化されていなかった同性婚についても描かれており、その後アメリカのいくつかの州で同性婚を認める動きになっていったのには、このドラマの存在が無関係ではないかもしれません。

放映開始された頃には、ゲイ版「Sex and the City/セックス・アンド・ザ・シティ」と呼ばれていましたが、登場人物たちの年齢や世代的に直面する問題は「Thirtysomething/ワンダフルサーティーズ」に近いような気もします。LGBTコミュニティーだけでなく、愛情、友情、裏切り、和解など、物語を紡いでいくのは、まさにアメリカのテレビドラマシリーズの独壇場・・・ゲイの登場人物だけでなく、周囲の人々や家族をも巻き込んで、壮大なドラマとなっていくのです。シーズンを重ねていくにつれて、登場人物のキャラや物語の統合性を失ったりもすることはありますが、思いがけない展開により心を鷲掴みにされてしまうのも、アメリカのテレビドラマシリーズの得意とするところかもしれません。

アメリカ版は、元ネタのイギリス版とは、全く違うエンディングを迎えます。すでにブライアンとマイケルの友情以上恋人未満の関係を描く物語ではなくなっていますし、マイケルはベンとの同棲関係に落ち着いてからというものドラマの中での存在感は薄くなっていて、群像劇の中の登場人物のひとりでしかありません。結局、ブライアンとジャスティンの(当時はまだ非合法でしたが)同性婚で結ばれるという着地点に、落ち着くことになります。

アメリカ版「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」は、ゲイのライフスタイル(ステレオタイプの偏りがあるものの)をエンターテイメントとして描くこと、そして、LGBT視点で政治的に正しいことを訴えたエポックメイキングのドラマシリーズであったことには違いありません。


「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」の後、「Lの世界」というレズビアンドラマはありましたが、ゲイ(男性)を主人公とした連続ドラマは、2014年1月にスタートする”HBO”の「 Looking/ルッキング」が始まるまでなかったそうです。確かに、ゲイのキャラクターは多くのドラマでも見かけるようにはなったのもの(日本のドラマでも近年オネエキャラは増えた)・・・ゲイを主人公にした連続ドラマは、あくまでも「特殊なジャンルもの」であり、常にどこかでチャンネルで制作されているわけではなのかもしれません。

「 Looking/ルッキング」のクリエーターのひとりは、イギリスのゲイ映画「Weekend/ウィークエンド」のアンドリュー・ヘイ監督・・・狭い焦点によるボケ感と極端なクロースアップにより、登場人物の心情を伝えるパーソナルな演出が高く評価されました。本作でも、テレビっぽい照明を使わずに、映画っぽい画面作りをしています。また、イギリスのテレビドラマのフォーマットと同じく、ワンシーズンが30分ほどの8エピソードで構成され、イギリス版「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」と同じフォーマットで製作されています。

さらに、キャストの多くはイギリスで活動している俳優だったりと、アメリカのテレビドラマでありながら、イギリス映画界の遺伝子を強く引き継いでいるのです。「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」に続き「 Looking/ルッキング」も(基本的に)イギリス生まれというのは偶然ではなさそう・・・アメリカのエンターテイメント界で、ゼロからゲイドラマを製作するのは、いまだに壁があるということかもしれません。

アメリカの大都市名の中でもゲイの人口に比率が多い(ゲイの総人口数だとニューヨーク?)サンフランシスコを舞台にしている「 Looking/ルッキング」は、ロケーションもサンフランシスコの街中ということもあり「ゲイのリアルな日常」を描くのが”売り”であります。

主人公は、ゲームデザイナーとして働く29歳のパトリック(ジョナサン・グロフ)、アーティストのアシスタントとして働いていた31歳のオーガスティン(フランキー・J・アルヴァレズ)、自分のレストランを開店しようとしている39歳のドム(マウリー・バレット)の3人・・・リアルにゲイらしい配役は、好感が持てます。


パトリックは、アメリカのアラサーゲイの平均な”ボーイ・ネクスト・ドア”(隣に住んでそうな男の子)のキャラクター・・・恋愛相手がラテン系というところが、まさに「あるある」で、ここ近年はアメリカ白人とラテン系という組み合わせのカップルは東海岸でも西海岸でも多いようです。性格的に「コレ」といった特徴もなく、たいして興味深くない人物像のパトリックが、主人公3人の中でもメインキャラクターというところが、本作の”ミソ”のような気がします。


オーガスティンは無精髭を生やしたアート系のゲイ・・・近年、キレイに整えた髭よりも無精っぽい髭の方が若い世代のゲイにはポピュラーのようで、彼のようなむさ苦しいタイプのアラサーゲイは多かったりします。また、アート系のオーガスティンにはアフリカ系(黒人)の恋人がいるのですが・・・これもまた「あるある」です。クリエーターの白人ゲイは、ラテン系、アフリカ系、またはアジア系の男性とくっつくことが多かったりするのです。


一番年長のドムは、往年の”クローン”を彷彿させるようなスレンダーな筋肉質の体型に、整えられた口髭のダディータイプ・・・長年、洒落たレストランでウェイターとして働いているという設定も、まさに「あるある」です。ルームメイトとして一緒に暮らしているのが、高校時代の元彼女ドリス(ローレン・ウィードマン)というところも、結構ありがち・・・。ドリスは、今でも密かにドムのことを男性として意識していることは言うまでもないでしょう。(涙)

性格もライフスタイルも違う彼ら3人が親友という設定には、正直、頭をひねってしまうところはありますが・・・3人に共通しているのは、どこかしら”ウジウジ”しているところ。

パトリックは恋人のリッチー(ラウル・カスティロ)に上手く気持ちを伝えられなかったり、上司のケヴン(ラッセル・トヴェイ)から肉体関係を求められると断れなかったり・・・自分の気持ちに正直なのか、自分の意志をハッキリ持てないのかよく分かりません。ちなみにキャストの中で一番人気(?)なのは、ケヴンを演じるラッセル・トヴェイ・・・耳の大きな特徴的なルックスとイギリス訛りで、ゲイ視聴者を虜にしています。上司でありながら・・・パトリックを誘惑しちゃう場面に”胸キュン”です。


オーガスティンは、恋人のフランク(O・T・ファグベンル)とのセックスライフを豊かにするために、ハスラーを雇って3Pセックスをするのだけど・・・そうして彼がそんなことをするのかが、よく分かりません。ドムは、レストラン開店のビジネスパートナーでもある50代のリン(スコット・バクラ)に、次第に心惹かれていっているのだけど、それは父親に対する甘えのようなものなんのか、単なる肉体的な欲望なのか、よく分かりません。意志を持って行動したり発言するのは、主人公3人ではなく、彼らを取り巻く人たちことが多い気がするのですが・・・受け身なキャラクターの方が、視聴者の共感を得やすいってことなのでしょうか?

「 Looking/ルッキング」は「Weekend/ウィークエンド」のように、おしゃれ感が溢れる映像です。サウンドトラックの選曲や引用も心憎いほど!ただ、ワンシーズンが30分の8つのエピソードなので「尺」としては2時間スペシャルの2エピソードぐらい・・・シーズン2、シーズン3と重ねるごとに、それぞれのキャラクターが深く描かれていくのだとは思いますが、物語のテンポもゆっくりなので、ワンシーズンを見終わっても映画一本で描けるぐらいの内容ではあります。ただ、近年のアメリカの連続テレビドラマは、ドラマテックな展開で目を離せないというだけでなく・・・ドラマの”世界観”や”空気感”を楽しむという傾向もあるようです。


「リアル」の表現に於いて・・・テレビドラマというメディアは「YouTube」を超えることはできないことも、今の現実かもしれません。ウィル(Will)とアール・ジェイ(RJ)の20代のゲイカップルが「shep689」のアカウント名で、2012年1月1日から、ほぼ毎日アップしている動画ブログ「A GAY IN THE LEFE」というのがあるのですが・・・これは、まぎれもなくゲイの「リアル」な日常を映し出しているのであります。

あまりに普通過ぎる彼らの日常に多くの人が親しみ覚えると同時に、ある意味、ちょっと退屈さを感じるかもしれません。典型的なアメリカ白人のメガネ君「ウィル」と、ちょっとワイルドなラテン系でひょうきんな「RJ」が、カメラとの相性の良いルックスというのも人気の要因のひとつではありますが・・・日常から垣間見れる真摯な人間性が、視聴者を虜にしているのだと思います。本物の人生の一瞬一瞬の積み重ねは、テレビドラマの「リアル」を、あっさりと超えてしまうのです。


今のゲイライフを「リアル」を描こうとしている「 Looking/ルッキング」が、少々退屈に感じられるのも、当然といえば当然ことなのかもしれません。「リアル」な日常なんて、テレビ用にドラマチックな演出がなされているわけではないのですから。振り返ってみた時に初めて何かに気付くことがあるように・・・「 Looking/ルッキング」は、繰り返し視聴して噛めば噛むほど味が出てくるような気がします。15年前に制作された「Queer as Folk/クィア・アズ・フォーク」のように、政治的メッセージを訴えたり、LGBTであることでドラマを生んだりする時代は、とっくに終わったということなのです。


「 ルッキング」
原題/Looking
2014年~/アメリカ
制作総指揮 :  アンドリュー・ヘイ、デビット・マーシャル・グラント、サラ・コンドン
原作 : マイケル・ランナン(HBO「Lorimer」)
出演 : ジョナサン・グロフ、フランキー・J・アルヴァレズ、マウリー・バレット、ローレン・ウィードマン、ラウル・カスティロ、ラッセル・トヴェイ、O・T・ファグベンル、スコット・バクラ
”HBO”にて放映
2016年12月23日より”Hulu”にて配信

「クィア・アズ・フォーク」(アメリカ版)
原題/Queer as Folk
2000年~2005年/アメリカ、カナダ
制作総指揮 : トニー・ジョナス
制作 : ケヴィン・インチ、シーラ・ホッキン
出演 : ゲイル・ハロルド、ハル・スパークス、ピーター・ペイジ、スコット・ローウェル、ミシェル・クラニー、テア・ギル、
”SHOWTIME”にて放映

「クィア・アズ・フォーク」(イギリス版)
原題/Queer as Folk
1999年~2000年/イギリス
制作総指揮 : ニコラ・シンダー
原作/制作 : ラッセル・T・デイヴィス
出演 : エイダン・ギレン、クレッグ・ケリー、チャーリー・フーナン
”Chennel 4”にて放映



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2015/01/03

映画史上最狂エログロ映画「ネクロマンティック/Nekromantik」のユルグ・ブットゲライト(Jörg Buttgereit)監督の新作ホラー映画!・・・初期短編から「ジャーマン・アングスト(原題)/German Angst」まで~


「ネクロマンティック」がHDリマスターで再リリース!

新年早々「ネクロマンティック」の話題というのも、なんなんですが・・・2015年はユルグ・ブットゲライト監督の復活(?)を期待できる一年となりそうなのであります。

2012年は、映画史上最狂のエログロ映画として語り継がれている「ネクロマンティック/Nekromantik」の、オリジナル公開から25周年という”節目”の年でした。昨年(2014年)10月には新たにリマスターされたアメリカ版(ブルーレイ版、DVD版、それぞれ限定10000セット)、12月にはイギリス版(ブルーレイ、DVD、サウンドトラックCDの3枚組で、限定3000セット)が発売されました。

「ネクロマンティック」は、元々はスーパー8ミリで撮影されている作品らしいので、ブルーレイにする意味があるのかと思っていたのですが・・・今回のリマスターでは、ユルグ・ブットゲライト監督監修のスーパー8ミリのネガティブからと、劇場公開の際に使用されていたグラインドハウス社の35ミリのプリントからの二つのバージョンを収録するという念の入れようで、オーディオコメンタリー、スチールギャラリー、メイキング映像などのおまけに加えて、2013年に行なわれた監督へのインタビュー映像や、日本以外ではメディア化されていなかった「ホットラブ」などの初期作品が特典となっています。実際にHDリマスターされた本編を観てみると、大型テレビでの鑑賞に堪えうる鮮明な映像になっていました。

「ネクロマンティック」は、その内容から、多くの国で上映禁止処分されたこともあり、公開時からカルト的な伝説を生み出しました。当時ボクはニュヨークに住んでいたのですが・・・劇場上映をしていたカナダまで「ネクロマンティック」を観に行くバスツアーがあったほど。その数年後、ビデオレンタル全盛の1990年代になると、各国で「ネクロマンティック」はビデオ化されるようになります。ただ、どういうわけか日本では「ネオロマンティック」と続編の「ネオロマンティック2」を監督自身が再編集した「特別版」がリリースされた後に、それぞれの「完全版」がリリースされるという経緯があったようです。「特別編」の方が映画としては無駄のない編集で、ある意味、貴重かもしれません。

2000年代になると、各国で「ネクロマンティック」がDVD化されます。日本では「ネクロマンティック」「ネクロマンティック2」「死の王」3作品を収録したDVDボックス(初回限定3000セット)が発売。また、初期5作品を「ユルグ・ブットゲライト短編集」として発売したのも日本だけ・・・世界的にみても、日本はユルグ・ブットゲライト監督好きの国のようです。しかし近年は、日本国内のレンタル店から「ネクロマンティック」は姿を消し、廃盤となっていたDVDがプレミア化していったこともあり、最近は観ることが困難な作品となっていったのです。

アメリカ、イギリスのブルーレイ発売に遅れること数ヶ月・・・2015年1月27日には「未体験ゾーンの映画たち 2015」の上映作品のひとつとして「ネオロマンティック」が日本で初めての正式な劇場公開がされます。そして、4月2日には「ネクロマンティック」「ネクロマンティック2」「死の王」のブルーレイ版と日本未公開の「シュラム」のDVDを特典とした「ネクロマンティック ー死の三部作ー」が発売となったのです。これを機に、ユルグ・ブットゲライト監督を発見(再発見?)する人が増えるのかもしれません。

ユルグ・ブットゲライト監督の活動「ネオロマンティック」まで

奇しくも・・・ユルグ・ブットゲライト監督は、ボクと同じ1963年生まれ。生まれた国は違いますが、観ていた映画や影響を受けたことも遠からずということもあり、1980年頃から制作していた自主映画を観ると、当時のムードを思い出してしまいます。それまでの反骨精神に溢れた政治的な意図を含んだ表現よりも、個人的な趣味を追求したサブカル的な表現が主流となった時代・・・スプラッター映画や残酷ドキュメンタリーなどの禍々しいショッキングな映像が、テレビにまでも氾濫していた時代だったのです。パンクムーブメントが生まれた頃というのは、ボク自身を含めて一部の若者には、過激であることこそ新しい表現だとというアナーキーな発想もあったような気がします。

ユルグ・ブットゲライト監督のルックスは、いわゆる”オタク系”ではなく、金髪でスタイルの良い長身のハンサム・・・初期作品の多くには自ら出演もしています。「ネオロマンティック」から連想される「死」の暗いイメージの人ではなく、怪獣、モンスター、スーパーヒーローが好きな人・・・子供の頃、誰でもふざけて死ぬ真似とかしたものですが、血糊を塗りらくられて殺されたりするのが楽しくて仕方ないという、ホラー好き子供のような一面を覗かせているのです。また、撮影現場の様子のメイキングなどを観ると、映像ではこの上ないほど”エグい”ことをやっているわりに、意外なほど現場は和気あいあいとしていて・・・ちょっと安心したりします。

現在、視聴可能な一番古い作品は「オガー 醜男のメルヘン/Oger - der Häßliche」で、ナイフを手に入れて人々を襲う孤独な醜男の小人オガーが、領主の息子(!)のキスによって癒されるという寓話的な物語のパロディです。オガーのような異形の反社会的なキャラクターというのは、ユルグ・ブットゲライト監督の作品に欠かせない存在。ただ、ユルグ・ブットゲライト監督が演じているのは、醜男ではなく、一歩引いたナレーター役なのであります。これは、すべての作品に共通することで・・・ユルグ・ブットゲライト監督は、傍観者として「死」を見つめているような気がするのです。

アメコミのスーパーヒーロをパロった「キャプテン・ベルリン/Captain Berlin - Retter der Welt」は「キック・アス」の元ネタのような”おバカアクション”・・・後に舞台版としてリメイクするほど、監督のお気に入りのキャラクターのようです。「ホラーヘヴン 恐怖天国/Horror Heaven」は、世界のいろんなモンスターを紹介する番組という”体”をした映画・・・ミニチュアや特殊効果を駆使していて、後に日本の怪獣の研究書を出版するほどのマニアっぷりが垣間みれます。「血のエクセーズ」は、ヒトラーが蘇らせた死体たちによって、惨殺されてバラバラに切り刻まれるという悪趣味なコメディで、この頃から特殊効果による猟奇的な表現が際立ってくるのです。

いずれも超低予算のホームムービーの延長のような作品で、演出も特殊効果も稚拙そのものではありますが・・・監督本人の父親を10年以上隠し撮りした映像を編集した「マイ・ダディ~我が父/Main Papi」は、脳梗塞で倒れた父親の病状が悪化していく様子を淡々と記録して、心臓マヒで亡くなった死体までを映し出すところは、常人の感覚では理解しがたく・・・ユルグ・ブットゲライト監督の「死」に対する冷静な姿勢を見せつけられるようでもあります。


「ホットラブ」は商業的な映画としてのユルグ・ブットゲライト監督デビュー作となるのですが・・・撮影機材は相変わらずスーパー8。ストーカーのような元彼にレイプされた女性が妊娠して生んだ子供はモンスターになって、女性と、女性の新しいボーイフレンド(ユルグ・ブットゲライト監督が演じる)を惨殺するという物語で、「イレイザーヘッド」や「フライ」を思い起こさせるところもあったりします。ユルグ・ブットゲライト監督が、楽しそうに(?)モンスターに殺されていくところが妙に印象に残り、ニヤリとさせられるのです。「ホットラブ」の成功により、プロの映画作家としての道を歩むことになり、さまざまな映像の仕事をするようになるのですが・・・その仕事の間をぬって、約2年間(撮影自体は1年ほど?)をかけて「ネオロマンティック」を完成させるに至るのであります。

「ネオロマンティック」から「シュラム 死の悦楽」

公開当時「ネオロマンティック」は16mmで撮影されたとされていましたが、実際はスーパー8で撮影された8mmフィルムを16mmにブローアップしたものだったそうです。ドイツ国内で上映禁止になったことは、センセーショナルな宣伝として利用されたのですが・・・当時の映写技術ではスクリーンが暗すぎて、上映できない場合もあったとのこと。また、ドイツ当局の捜査が、配給会社に手入れが入ったことは事実だったそうですが・・・実際にはフィルム没収はされなかったことを、後日ユルグ・ブットゲライト監督自身が告白しています。ネガを含むすべての素材の破棄を裁判所から申し付けられたとスキャンダラスに語られていますが・・・多少、尾ひれをつけた話ではあったようです。しかし宣伝文句を裏切らない映画本編の内容は、30年経った今でさえ多くの人が観賞に堪えられないほど衝撃的(病的?)であることには違いありません。

死体愛好家のカップルを描いた「ネオロマンティック」が、ボクにとってショッキングだったのは・・・性の対象となる死体が”腐乱”しているということでした。勝手な先入観で「屍姦趣味」の人というのは、一種の対人恐怖症のようなもので、意志を持って動くことも反応もしない”ラブドール=ダッチワイフ”を好むのに近い感覚なのではないかと、ボクは勝手に推測していたところがあったのです。しかし「ネオロマンティック」のカップルは、「死」そのものや「死」にまつわる”痛み””苦しみ”に性的興奮をするところが、理解を遥かに超えていました。最後に、主人公の男性は自ら腹を切り裂き内蔵を掻き出しながら、凛々と勃起して自慰行為に耽って血みどろの射精をするのですから・・・観賞以来、頭を抱えたくなるほどのトラウマになっています。

「ネオロマンティック」に続きユルグ・ブットゲライト監督は、自殺する人を月曜日から日曜日までの7つのエピソードで描いた「死の王/Der Todesking」を発表。しかし、この作品もドイツで上映禁止処分を受ける羽目になってしまいます。多くに国で劇場公開されることもなく、ビデオ化されるまで観ることが困難な映画となってしまうのです。各エピソードは10分ほどなのですが・・・エピソートの間には、ウジ虫が湧いて徐々に朽ちていく全裸死体の映像が挿入されます。生身の人間だって、死後は単なる腐乱していくだけな物質なのだということなのでしょうか?詩的な叙情感と冷酷な猟奇性が共存する不思議な作品で、ユルグ・ブットゲライト監督のファンには「死の王」がベストワンという人も少なくありません。


翌年「ネオロマンティック」で描かれたカップルの女性の後日談を描いた「ネオロマンティック2」が発表されます。亡くなった恋人の死体(勿論、すでに腐乱状態)を掘り返すところから映画は始まるのですから・・・前作のトラウマ再びであります。腐乱死体との性行為だけでなく、セックスの最中に首をナタで切り落とすというスプラッターも加わって、さらに狂気の沙汰になっていきます。勿論「ネオロマンティック2」も上映禁止処分・・・こうなるとユルグ・ブットゲライト監督は、確信犯的にヤバい方、ヤバい方に向かっているとしか思えません。


ユルグ・ブットゲライト監督の劇場映画(そして、またもや上映禁止処分!)として最後の作品となるのが「シュラム 死の悦楽/Scheramm」であります。短小包茎の男が、はしごから足を踏み外して事故死する直前に、殺人行為を振り返るという物語で、彼はコンプレックスから女性とまともに接することさえできず、女性を殺害して屍姦していたのです。ただ、日常では隣に住んでいる売春婦に聞き耳を立てながら、ダッチワイフ相手に射精しているという惨めなことをしています。そんな鬱屈した日々の中、彼は足が切断されたり、目玉をえぐられるなどの幻覚に悩まされるようになってしまうのです。極めつけはヴァギナのような生物に股間が襲われてパニック状態になり、自ら男性器に釘を打ち込むというシーン・・・孤独な男の悲壮感(?)に心締められるようであります。

ユルグ・ブットゲライト監督の活動「シュラム 死の悦楽」以降

ナチスを生んでしまったドイツは、表現の規制には厳しい国のようで・・・「シュラム 死の悦楽/Scheramm」以降、ユルグ・ブットゲライト監督はドイツ当局の監視下となり、新作の制作が出来なくなってしまいます。「死」への冷静な興味が、過去のナチスの行なった残忍な行為を連想させると、当局は危惧したのでしょうか・・・。ここ20年ほどは、映像業界で仕事を続けているものの”生殺し”状態で「ネクロマンティック」の監督という”利息”で語り継がれているところは否めません。


「キラー・コンドーム」は、日本でもミニシアターで公開されて、話題にもなった作品です。コンドームが人を襲うというコメディで、ニューヨークの警察を舞台にしながら、登場人物はドイツ語しか話さないドイツ人オンリーという確信犯の「おバカ映画」。ユルグ・ブットゲライト監督は特殊効果担当として名前を連ねていますが・・・血糊の調達でもしたのでしょうか?ユルグ・ブットゲライト監督がスタッフに加わるということが、十分宣伝になったということなのかもしれません。

「機甲戦虫紀LEXX」はカナダ、ドイツ、イギリス合作のSFドラマで、当初全4話のTVミニシリーズとして制作されたのですが、その後レギュラーTVシリーズになって、計4シーズン(ミニシリーズを含む)が作られました。昆虫っぽいメカのデザイン、グロテスクなスプラッター描写、エロティックな衣装、ゆるい笑いのセンス、期待を裏切るシュールな展開・・・いまだに一部(何故かロシア)ではカルト人気を誇る作品であります。

日本では最初のミニシリーズ(現在は第1シーズンという位置づけ)の4話のみ、レンタル/セルで販売/レンタルされたのですが、その後、日本国内の販売権をもつ会社が倒産してしまったために、シーズン2以降の日本語版は発売されず仕舞いになっています。ただ、海外版のDVDボックスは廉価版も販売されていますし、映像のクオリティは悪いですが動画サイトで全エピソードを観ることも可能(いずれも日本語字幕、日本語吹き替えなどはありません)なので、ユルグ・ブットゲライト監督ファンなら一見の価値はあるかもしれません。

ユルグ・ブットゲライト監督が関わったのは、シリーズ2の第9話「791」と「Nook」いうタイトルのエピソードだけなのですが・・・このシリーズのエログロな世界観は、いかにもユルグ・ブットゲライト監督「好み」といえます。ただ、ユルグ・ブットゲライト監督ならではというほどではなく・・・演出として参加したのは「791」だけ(「Nook」はプロデューサーとして)に終わっています。また、この頃から映像活動として・・・ユルグ・ブットゲライト監督は、パンク系のミュージシャンのミュージックビデオをいくつも手掛けるようになっていきます。

ユルグ・ブットゲライト監督は、自主映画時代には自分の作品にキャストとして出演していましたが・・・近年、俳優としての活動もしています。ポルノ映画の現場を舞台としたコメディ「Making of Süsse Stuten 」には、自分の撮りたい映画がつくれないゾンビ映画の監督役という本人を彷彿させる役でレギュラー出演・・・本国ドイツでは「ネオロマンティック」のヘンタイ監督(?)として確固たるキャラを確立していたることが伺えます。内容的にはアシスタントの視点で見た、たわいもない撮影現場の様子を、5分程度のエピソードにしたコントのような作品で、当初はウェブで配信を前提に制作されていたようです。ただ、後にドイツ国内のみではDVD化されているので、そこそこ人気はあったのかもしれません。

表現の場を求めた苦肉の策だったのでしょうか・・・2001年からは、実験的な朗読劇を、次々と発表しています。ユルグ・ブットゲライト監督はモンスター研究者(特に日本の特撮怪獣モノが好き)としても知られていて、何冊も研究所を執筆しているのですが・・・多くの舞台作品は、モンスターをテーマにしたものです。オフビートな笑いのセンス、グロかわいい(?)モンスターは、ティム・バートンにも通じる世界観があるような印象があります。


「モンスターズ・オブ・アートハウス(原題)/Monsters of Arthouse」と銘打った代表3作は、ドイツ国内ではDVDとして発売されています。「ビデオ・ナスティー(原題)/Video Nasty」は、1990年代にヨーロッパであったスプラッター映画やカニバリズム映画の規制について皮肉をこめた作品、「セックス・モンスター(原題)/Sex Monster」は、ドイツの性教育映画とブラックスプロイテーション映画のパロディ、「グリーン・フランケンシュタイン(原題)/Green Frankenstein」は日本の特撮怪獣映画をアフレコの朗読劇です。また、自主映画時代に創作した”おバカ”なアメコミヒーロー「キャプテン・ベルリン」を復活させてコミック化・・・舞台劇としても書き下ろしをして「キャプテン・ベルリン V.S. ドラキュラ(原題)/Captain Berlin vs. Dracula」と「キャプテン・ベルリン VS. ヒトラー(原題)/Captain Berlin vs. Hitler」を上演しています。ただ、どれも前衛的な演劇としてもいまひとつという感じで・・・「ネオロマンティック」のユルグ・ブットゲライト監督を期待すると、肩すかしを食らうかもしれません。

20数年ぶりの新作ホラー映画「ジャーマン・アグスト」


「シュラム 死の悦楽」以来、ドイツ当局の監視下で映画を作れないといわれてきたユルグ・ブットゲライト監督ですが、最近になって新作ホラー映画を撮ったらしいというニュースがあるのです。「ジャーマン・アングスト(原題)/German Angst=「ドイツの不安(苦悩)」というタイトルの2015年公開予定(?)のオムニバス映画で、1年ほど前からパイロットトレーラーがウェブで配信されています。

1920年代のサイレント映画の時代・・・F・W・ムルナウ監督の「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922年)、ポール・ワーグナー監督の「ゴーレム」、ロベルト.ウィーネ監督の「「カリガリ博士」(1920年)や「恐怖と手術」(1924年)などの表現主義によるドイツの恐怖映画は、世界に大きな影響を与えたものでした。しかし、第二次世界大戦中開始後、それらの才能はハリウッドへ流出してしまいました。もう一度、恐怖映画の栄光(!)をドイツ映画へ取り戻すために「ジャーマン・アグスト」は企画されたそうです。

「LOVE SEX DEATH in Berlin」という副題にふさわしく、本作にはハードなゴア表現がいっぱい・・・ユルグ・ブットゲライト監督へのドイツ当局の監視の目も緩和されたということなのでしょうか?ドキュメンタリー作家/ミハエル・コサコウスキーとイラストレーター/アンドレアス・マーシャルが、共に監督として名を連ねているのですが・・・彼らも「殺人」「拷問」「死」が大好物という”心の闇”を感じさせるユルグ・ブットゲライト監督に負けず劣らずの確信犯的な狂気なメンツです。

ミハエル・コサコウスキー監督は、ドキュメンタリーの制作現場に関わってきた人のようなのですが、自分の映画作品というのは一作だけ・・・「ゼロ・キルド(原題)/Zero Killed」(2012年)は、1996年から10数年かけて撮影されたドキュメンタリー映画で、殺人願望をもつ人たちに妄想を本人に(加害者、または被害者として)演じてもらい、数年後に再び殺人願望についてインタビューするという作品です。

俳優、弁護士、教師、学生、主婦など、取材対象は普通の人々・・・このドキュメンタリー映画に協力したことが、犯罪の抑止力になったではないかと思えてしまいます。ヒトは頭の中で誰かを殺したいという殺意を抱くことはありますが、実際の殺人行為に及ぶことはありません。しかし、この作品の出演者達の多くが、憎悪からではなく純粋な行為としての”殺人願望”を抱いていて、何かのきっかけがあれば、殺人というハードルを軽々と飛び越えてしまいそうなところが、なんとも恐ろしいのです。じわじわと嫌な気持ちにさせられる・・・まさに”不快映画”であります。

オリジナルの「ネクロマンティック」のポスターを担当したアンドレアス・マーシャル監督は、メタルバンドのジャケットカバーのイラストレーターとして知られているそうで・・・「ティアーズ・オブ・カリ(原題)/Tears of Kali」(2004年)と「マスクス(原題)/Masks」(2012年)というホラー映画2作品を監督しています。ダリオ・アルジェント監督やルチオ・フルチ監督の作品に影響を受けているようなジャーロな作風で、精神的にゲンナリするテーマと痛々しい残酷描写は、見方によってはアーテスティックでさえあります。

オムニバス映画「ジャーマン・アングスト」は、アンドレアス・マーシャル監督のセックスクラブでの幻想的な体験を描く「アラウネ(原題)/Alraune」、ミハエル・コサコウスキー監督の聾唖のカップルが遭遇する奇妙な体験を描く「メイク・ア・ウィッシュ(原題)/Make A Wish」、ユルグ・ブットゲライト監督の若い女性が中年男性への復讐を描く「ファイナル・ガール(原題)/Final Girl」の3つのエピソードからなっているらしく・・・パイロットトレーラーを観る限り、撮影自体は終了してるようではあります。しかし、公開予定などは一切明言されていません。ただ「ネクロマンティック」のHDマスター版が世界各国でブレーレイ版をリリースという動きは、「ジャーマン・アングスト」の大々的な世界的公開の布石とも思えてしまい・・・不謹慎な期待は膨らむ一方なのです。


ユルグ・ブットゲライト(Jörg Buttgereit)監督のフィルモグラフィーと活動
(無記述は監督)


1980「Der explodierende Turnschuh」(短編)
1981「オガー 醜男のメルヘン/Oger - der Häßliche」(短編)
1981「Manne the Movie」(短編)
1981~1995「マイ・ダディ~我が父/Main Papi」(短編)
1982「Der Trend – Punkrocker erzählen aus ihrem Leben」(短編)
1982「キャプテン・ベルリン/Captain Berlin - Retter der Welt」(短編)
1982「血のエクセシーズ/Der Gollob」(短編)
1984「ホラーヘヴン 恐怖天国/Horror Heaven」(短編)
1984「Blutige Exzesse im Führerbunker 」(短編)
1985「So war das S.O.36 」(ドキュメンタリー)共同監督
1985「ホット・ラブ/Hot Love」(短編)
1986「Monumental-film」(短編ドキュメンタリー)
1986「Jesus Der Film」(オムニバス35編)エピソード「Crucifixion
1987「ネクロマンティック/Nekromantik
1989「死の王/Der Todesking
1991「ネオロマンティック2/Nekromantik 2
1992「シュラム 死の悦楽/Scheramm
1992「Corpse Fucking Art 」(ドキュメンタリー)
1993「The Making of Schramm」(ドキュメンタリー)
1995「I Can't Let Go」(ミュージックビデオ)
1996「キラーコンドーム/Kondom des Grauens」特殊効果
1997「Die gläsernen Sarkophage」(テレビ)
1997「Rise Up」(ミュージックビデオ)
1998「機甲戦虫紀LEXX/LEXX」(TVシリーズ)シーズン2/エピソード「791」
1998「機甲戦虫紀LEXX/LEXX」(TVシリーズ)シーズン2/エピソード「Nook」プロデューサー
1998「Teenagemekeup」(ミュージックビデオ)
2001「Sexy Sushi」(舞台)演出・脚本
2001「Missy Queen's Gonna Die」(ミュージックビデオ)
2002「JAPAN - Die Monsterinsel」(ドキュメンタリー)
2002「Frankenstein in Hiroshima」(舞台)演出・脚本
2002「Ed Gein Superstar」(舞台)演出・脚本
2003「Bruce Lee - Der Kline Drache」(舞台)演出・脚本
2004「Journey into Bliss」出演・特殊効果アドバイザー
2004「Horror Entertainment」(舞台)演出・脚本
2004「Interview Mit Einem Monster」(舞台)演出・脚本
2005「Video Nasty」(舞台)演出・脚本
2006「Captain Berlin vs. Dracula」(舞台)演出・脚本
2006「Durch die Nacht mit... / Bruce LaBruce und Jörg Buttgereit 」(ドキュメンタリー)
2006「Suche Kontakt」(ミュージックビデオ)
2007「Durch die Nacht mit... / Joe Coleman und Asia Argento」(ドキュメンタリー)
2007「Durch die Nacht mit... / Mark Benecke und Michaela Schaffrath」(ドキュメンタリー)
2007「Sexplosion in Shinjyuku」(舞台)演出・脚本
2007「Walk of Fame」(舞台)演出・脚本
2008「Monsterland」(ドキュメンタリー)
2008「Making of Süsse Stuten 7」(ウェブ)出演
2009「Captain Berlin vs. Hitler」(舞台)演出・脚本
2009「Sex Monster」(舞台)演出・脚本
2010「Video Nasty "LIVE"」(舞台)演出・脚本
2010「Durch die Nacht mit.../ Oda Juane und Lars Endogner」(ドキュメンタリー)
2011「Making of Süsse Stuten 8」(ウェブ)出演
2011「Green Frankenstein」(舞台)演出・脚本
2011「Shaolin Affen」(ミュージックビデオ)
2012「A Moment of Silence at the Grave of Ed Gein」(短編)
2012「Die Bestie Von Fukushima」(舞台)演出・脚本
2013「Lemmy I'm a Feminist」(ミュージックビデオ)
2014「Das Märchen vom unglaublichen Super-Kim aus Pjöngjang」(舞台)演出・脚本
2015「ジャーマン・アングスト(原題)/German Angst」(オムニバス3編)

「ネクロマンティック」
原題/Nekromantik
1987年/ドイツ
監督 : ユルグ・ブットゲライト
出演 : ガクタリ・ロレンツ、ベアトリス・M、ハラルト・ランド、スーシャ・スコルテッド
2015年1月27日「未体験ゾーンの映画たち 2015」にて上映
2015年4月2日ブレーレイ/DVD発売


「ジャーマン・アングスト(原題)」
原題/German Angst
2015年/ドイツ
監督 : ユルグ・ブットゲライト、アンドレアス・マーシャル、ミハエル・コサコウスキー
日本公開未定



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