2014/08/21

ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブル・・・1930年代ハリウッド黄金期のゴールデンコンビ~「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」「笑ふ罪人/Laughing Sinners」「蜃気楼の女/Possessed」「ダンシング・レディ/Dancing Lady」「私のダイナ/Chained」「結婚十分前/Forsaking All Others」「空駆ける恋/Love on the Run」「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」~



クラーク・ゲーブルが共演した女優たち

「風と共に去りぬ」のレッド・バトラー役で映画史に永遠に名を残すクラーク・ゲーブルは、亡くなる年まで「キング」と呼ばれてハリウッドのスターでありました。男性観客向けの映画出演も多いのですが・・・スター女優との共演作も数知れません。 その中でも最も多い8度の共演をしているのが1930年代MGMのスター女優であったジョーン・クロフォード(マイヤ・ロイ7作品、ジーン・ハロウ6作品)・・・ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルは1930年代ハリウッド黄金期において、まさにドル箱スターの「ゴールデンコンビ」だったのです。


しかし、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作品が語られることは、日本ではそれほど多くはありません。それは、これらの作品が大衆向けのスター映画として当時は興行成績は良かったものの・・・その後映画作家と呼ばれるような映画監督による作品でもなく、映画評論家から高く評価されるような作品でもなく、誰もが知っている原作からの文芸作品でもなく、また映画論に記述されるような際立ったスタイルで撮影された作品でもなかったので、映画史を振り返る時、繰り返し語り継がれることがなかったからなのかもしれません。

どの作品も”洋画の名作”と呼ばれているわけでもなく、職人監督によって”ソツ”なく作られた1930年代に量産された平均的な作品ばかり・・・ただ、ヘイズコード以前の倫理観や、当時の風俗や流行を知る上で、貴重な作品ではあります。また、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルのスクリーン上での抜群の相性の良さは、制作されてから80年(!)経った今でも、色褪せることはないのです。

「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」


二人が初めての共演をした1931年当時・・・ジョーン・クロフォードはすでにMGMの「スター女優」で、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア(父親はサイレント映画時代にキング・オブ・ハリウッドと呼ばれていた)の妻。一方、すでに30歳となっていたクラーク・ゲーブルは、MGMと契約したばかりの遅咲きの「新人男優」・・・共演1作目となる「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」は、ジョーン・クロフォード主演のスター映画で、クラーク・ゲーブルはジョーン・クロフォード直々の指名により、脇役のひとりとして出演することになったと言われています。

金持ちのわがまま娘のボニー(ジョーン・クロフォード)と気の弱い弟のロドニー(ウィリアム・ベイクウェル)は、社交界の友人たちや男友達のボブ(レスター・ヴェイル)と遊びほうける生活をしていましたが、恐慌のショックで父親が急死、その上”一文無し”になっていまいます。ボブのプロポーズを断り、自立して働くことを決心して新聞社で働き始めるボニー・・・同僚の記者スクラントン(クリフ・エドワーズ)が、暗黒街のボス・ジェイクの調査中に殺され、ボニーはジェイクの経営するナイトクラブにダンサーとして調査することになるのです。

サイレント映画時代”フラッパー女優”が代名詞だったジョーン・クロフォードですから・・・ダンサーのフリをして潜入調査するという役柄は”十八番”と言えるのかもしれません。ただ、当時のフラッパーダンスというのは手足をバタバタさせるだけ・・・ダンサーとしてのジョーン・クロフォードは、正直”微妙”です。

本格的な映画出演として、ほぼ第1作目(撮影時期は分かりませんが、公開されたのは最初)となる本作で、クラーク・ゲーブルは悪役の暗黒街のボスを演じているのですが・・・その後の渋いプレイボーイっぷりを予感させる”いかにもゲーブルらしい”役柄であります。スター女優であるジョーン・クロフォードと共にスクリーンに収まっても、存在感に引けを取らないどころか、スクリーンでの二人の相性は抜群・・・その後、共演作品が毎年のように作られたのは、当然のことのように思えるのです。


ボニーの弟ロドニーは暗黒街のボス・ジェイク(クラーク・ゲーブル)の手下となっていて、ナイトクラブに取材にきたスクラントンに、ロドニーはうっかりと口を滑らしてしまうのです。そして、その失態の責任を取るために、ロドニーはスクラントンを拳銃で撃たなければならなかったのでした。

一方、潜入調査中のボニーは、ナイトクラブに遊びに来ていたボブに、見つかってしまいます。しかし、調査を続けるためにも、ボニーはボブを冷たくあしらってしまうのです。思惑どおり、ボニーはジェイクを誘惑することに成功し、ガールフレンドとなってジェイクの部屋に潜入するのですが、そこでロドニーがスクラントンの殺人犯であることや、その経緯を知ることになってしまいます。

しかし、その時すでに、ジェイクはボニーの正体を見破っていて、ボニーを問い詰めるのです。そこにロドニーが突如現れて、激しい銃撃戦となり、ジェイクとロドニーは相撃ちして亡くなってしまいます。弟を救うことはできませんでしたが、事件現場から涙ながらに新聞社へ事件の経緯を報告したボニーの記事は、大スクープとなるのです。記者として認められたボニーですが、事件のショックから新聞社の仕事は辞めることになります。そんなボニーの目の前に現れたのは、誰あろうボブ・・・すべての経緯を知った彼は、再びボニーにプロポーズして「めでたしめでたし」となるのです。

「暗黒街に踊る/Dance, Fools, Dance」を男友達のボブの視点で観てみると・・・惚れていた社交界のわがまま娘が一文無しになったのでプロポーズしたところ断られ、その後未練タラタラで彼女が潜入調査をしている現場に行ってみたら思いの外冷たくあしらわれ、弟を亡くして傷心状態の彼女に再びプロポーズしたら受け入れてもらえたという物語なのであります。

「笑ふ罪人/Laughing Sinners」


クラーク・ゲーブルとジョーン・クロフォードの共演2作目は、同年(1931年)に公開された「笑ふ罪人/Laughing Sinners」・・・この作品ではクラーク・ゲーブルは、前作よりは大きな役で、二人いるヒロインの相手役のうちの”ひとり”を演じています。本作のような心の優しい男性像は、レット・バトラーにも通じるところもあり・・・クラーク・ケーブルの”男臭さ”だけではなく、優しく包み込む器が大きいイメージさえも、すでに漂わせているのです。

キャバレーの踊り子のアイビー(ジョーン・クロフォード)は、恋仲でもあるプロモーターのハワード(ニール・ハミルトン)と、贅沢で自由な生活を送っています。本作の冒頭では、ダンスホールで踊り、歌まで披露するジョーン・クロフォード・・・贔屓目にみてもミュージカルスターではないことを証明してしまっているような”出来”ですが・・・謳って踊って演じるというのが、当時のジョーン・クロフォードの”売り”ではあったことは確かなようです。

ある晩、ハワードは突然アイビーの前から姿を消してしまい・・・彼が金持ちの娘と結婚することを知ったアイビーは、橋の上から飛び降りて自殺しようとします。そんなアイビーを救ったのは、救世軍のカール(クラーク・ゲーブル)だったのです。救世軍(サーベンション・アーミー)は、楽器を演奏して歌いながら、鍋の中に寄付を募っている支援団体・・・踊り子などナイトクラブに関わる人々が”ふしだら”と世間に思われるのと対照的に、救世軍というのは善良な市民の典型として描かれているところがあります。


献身的に救世軍として活動するカールに心動かされて、その後、アイビーは救世軍に加入します。そして1年後・・・カールと救世軍の同志として共に各地を転々としながら活動を続けるアイビーの前に、ハワードが再び現れます。地味な服装で質素な生活をする救世軍の暮らしはアイビーには似合わない・・・以前のような贅沢な生活をさせてやると誘惑するハワードに、再び踊り子として復帰したいとアイビーは思ってしまうのです。しかし、そんなアイビーの揺らぐ心をを受け止めて、優しく説得するカールに、アイビーは再び目が覚めて・・・ハワードの誘惑を断固として断わります。そして、再び救世軍の一員として、カールと共に過ごしていくことを決心するのです。

笑ふ罪人/Laughing Sinners」は、ジョーン・クロフォード映画の典型的なパターンのひとつである「男ふたり女ひとりの三角関係」を描いていて・・・ハワードは「踊り子としての堕落した姿」、カールは「救世軍の一員として献身的に活動する正しい姿」という両極端な対比となっていて、最終的には「正しい」方を選択するという”オチ”により、少々説教臭い物語なのであります。

「蜃気楼の女/Possessed」


前2作と同じ1931年に公開された共演3作目の「蜃気楼の女/Possessed」となると、クラーク・ゲーブルの名前は、主役であるジョーン・クロフォードの次に大きく表記されるようになります。この作品の撮影中、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルは肉体関係を持ったという噂があるのですが・・・当時、ジョーン・クロフォードはダグラス・フェアバンクス・ジュニアと結婚中、クラーク・ゲーブルはハリウッドデビューを手助けしたと言われる14歳年上の最初の奥さんと別れて二番目の奥さんと結婚したばかり・・・スキャンダルを恐れたMGM創始者ルイス・B・メイヤーの勧告により、二人は関係を解消させられたそうです。

都会に憧れるマリアン(ジョーン・クロフォード)は、田舎の箱工場の同僚のアル(ウォーレス・フォード)とは恋仲・・・ある晩、ニューヨーク行きの豪華列車の乗客ウォーリー(スキーツ・ギャラガー)に知り合い、ニューヨークに来ることがあったら訪ねておいでと言われるのです。ゆっくりと動く列車の車窓の中が、まるで絵画のように、マリアンの夢見る都会の生活を表しているようで、とても映画的な表現がされています。ウォーリーの冗談半分の言葉を鵜呑みにしたマリアンは、アルと喧嘩になってしまい・・・ひとりニューヨークへ旅立ちます。

ニューヨークのパークアベニューにあるウォーリーを訪ねると・・・「若い娘が都会で欲しいものを手に入れには、金持ちの男を見つけること。ただ、自分の知り合いなんかは紹介はしないけどね」と冷たい態度で、マリアンは追い出されてしまいます。しかし、ウォーリーを訪ねてきた弁護士のマーク(クラーク・ゲーブル)と強引に知り合いになったマリアンは、すっかりマークに気に入られるのです。

当初は田舎娘だったマリアンでしたが・・・マークと恋人関係になって、さまざまな教養を身につけて、3年後には社交界の花形となって、マークの友人たちには公認の仲となっていきます。ただ、独身主義者のマークはマリアンとの結婚などは全く考えていないようで・・・便宜上で、マリアンをモアランド夫人と名乗らせたりしていたのです。


ある日、実業家となったアルが、ニューヨークにマリアンを訪ねてきます。マークとマリアンが知り合いだと知ると、仕事の仲介を求めてくるアル・・・ビジネスで成功して、マリアンと結婚したいと思っているのです。一方、マリアンはマークとの結婚を望んでいるのですが、相変わらずマークには結婚の意志は無し・・・州知事として立候補することになったマークの”足手まとい”になるという気持ちから、マークにはアルと結婚するつもりだと告げてしまいます。

党大会で候補者のマークが演説中、反対派が「モアランド夫人とは何者だ?」という中傷ビラを巻いて、場内を混乱させようとします。会場にいたマリアンは、自らがモアランド夫人であることを名乗り、マークを弁護するのです。涙ながらに会場を後にするマリアンを追ってきたマークは、選挙の結果などは関係ない・・・と、マリアンを抱きしめます。その後、二人が結婚するのかは分かりませんが・・・とりあえずハッピーエンドと言えるでしょう。

「蜃気楼の女/Possessed」は、ジョーン・クロフォード映画の、もうひとつの典型的なパターンである「Rags to Riches」=「貧乏から金持ちになる」の”成り上がり”の物語で、当時の女性は自らの力で成功するのではなく、金持ちの男性と結ばれることが成功への近道であるかのようです。実際、ジョーン・クロフォード自身、貧しい家庭の出身でドサ回りの踊り子から、ハリウッドのスター女優にまでになったのですから・・・その”成り上がり”っぷりこそが、大衆からの人気を集めたのかもしれません。

「ダンシング・レディ/Dancing Lady」


前3作の公開後、ジョーン・クロフォードはオールスターキャストの1人として「グランド・ホテル」に出演・・・主演映画の興行成績も制作費も上昇して、名実共に「MGMの看板スター」となります。クラーク・ゲーブルもスター男優としての地位を着実に確立していて、共演4作目の「ダンシング・レディ/Dancing Lady」では、ジョーン・クロフォードと共にスターとしてクレジットされるまでになりったのです。ただし、トップに表記されているのは、ジョーン・クロフォードではありますが・・・。

バーレスクでストリッパーまがいの踊り子(またかよ!)のジェニー(ジョーン・クロフォード)は、警察の検挙で逮捕されるものの、彼女を見初めた青年大富豪トッド(フランチョット・トーン)に保釈金を支払ってもらった上に、生活のサポートも申し出されますが・・・自分は商売女ではなく純粋なダンサーだと断ります。ジャニーはブロドウェイの舞台に立ちたいと、舞台監督のギャラガー(クラーク・ゲーブル)を追い回しますが、一切相手にしてもらえません。そこで、ギャラガーの上司と知り合いであるトッドのコネを使って、ジャニーはギャラガーにオーディションまで漕ぎ着けるのです。稀にみるダンスの才能があるということで、ジョニーは即採用となるわけですが・・・そもそもジョーン・クロフォードのダンス自体がソコソコのレベルなので、説得力もへったくれもありません。


さて・・・本作もお馴染みのジョーン・クロフォード映画のパターンである「Rags to Riches」=「貧乏から金持ちになる」の物語であると同時に「男ふたり女ひとりの三角関係」のお話でもあります。その条件が、もしもジェニーがダンサーとして大成しなければトッドと結婚しなければならないというものだったのです。一方、ギャラガーとジェニーは喧嘩しながらも、お互いに惹かれていきます。あある日、突然、ジェニーは新作レビュー「ダンシング・レディ」の主役の座を射止めることになるのですが・・・ジェニーがダンサーとしての成功が約束されたことを悟ったトッドは、興行主を買収して公演を中止させてしまうのです。約束通りトッドとの結婚を決意したジェニーでしたが・・・トッドの策略を知ったジェニーはトッドに別れを告げ、自主公演をすることになったギャラガーの元へ戻り、再び「ダンシング・レディ」の主役の座をあっさり取り戻します。

本作は、ジョーン・クロフォードとクラーク・ケーブルの共演作品では、唯一日本でDVD化されているのですが・・・その理由は、本作がフレッド・アステアが初めてスクリーンデビュー(ダンスシーンのジョーン・クロフォードの相手役としてゲスト出演)した映画だからでしょう。本作のクライマックスとなるレビューシーンでは、フレッド・アステアが華麗なステップを披露します。また「42番街」などで知られるバスビー・バークレー風の幾何学的なダンスの演出は「本家」に迫る迫力です。ただ、ブロドウェイの裏舞台モノというよりは、あくまでもジョーン・クロフォードがスターが前提の映画・・・当然、レビューは大成功。トッドも成功を喜んで、何故かとんちんかんなプロポーズをして、再びジェニーに振られるという始末。結局、ジェニーはダンサーとしての成功するだけでなく、ギャラガーの愛を得るというご都合主義なエンディングとなっています。

「ダンシング・レディ/Dancing Lady」は、当時流行していたレビュー映画という形式を取り入れながらも、その後のジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルのゴールデンコンビを決定づけた共演作品と言えるかもしれません。なお、本作で共演したフランチョット・トーンとジョーン・クロフォードは、その後(1935年)結婚することになるのですから、人生は分からないものです。

「私のダイナ/Chained」


ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作品で、ボクが一番好きなのが、共演5作目の「私のダイナ」であります。本作は「男ふたり女ひとりの三角関係」というジョーン・クロフォード映画では、何度も何度も繰り返し描かれるお馴染みの設定であるだけでなく・・・コメディ女優としては評価の低いジョーン・クロフォードには珍しく、コミカルな演技に冴えをみている稀な作品でもあるのです。

汽船会社の社長リチャード(オットー・クルーガー)の秘書であり、愛人でもあるダイナ(ジョーン・クロフォード)・・・リチャードは妻と別れて、仕事と私生活を支え続けてくれるダイナとの再婚することを約束します。しかし、リチャードの妻(マージョリー・ゲイキソン)は、離婚をあっさり拒否・・・妻の気持ちが変わるまで、ダイナを自分の会社の汽船での南米への旅行を奨めるのです。妻と愛人を鉢合わせさせて、離婚話を持ち出すというのは、なかなかエグいシチュエーションではあります。

その船内で、アルゼンチンで農場を経営する青年実業家マイク(クラーク・ゲーブル)マイクは、男友達のジョニー(スチュアート・アーウィン)をダシにして、ダイナと知り合うことには成功します。当初は、まったくマイクに気のないそぶりのダイナですが、ことあるごとにダイナにちょっかいをだしてくるマイクに、やがてダイナも心を許していくのです。客船内のプールや船のデッキで繰り広げられる恋の駆け引きは、相性のいいクラーク.ゲーブルならではです。


ブエノスアイレスに到着後も、マイクから通愛を受け続けて、牧場生活を経験したダイナは、マイクの気持ちを受け入れる決心をするのです。リチャードとの関係を清算するために、一旦ニューヨークに戻ったダイナを待ち構えていたのは、家族、子供を犠牲にしてまで妻と離婚をして結婚指輪を用意していたリチャード・・・マイクとの関係を打ち明けるチャンスを失い、ダイナはリチャードと結婚することになります。一方、ダイナを受け入れる準備をしているマイクの元には、ダイナからは船上での恋だったと別れの手紙が届くのです。

リチャードとの結婚生活も1年経ち、上流階級の夫人として多忙な生活を送るダイナですが、常に心は満たされていない様子・・・そんな時、銃ショップで偶然マイクと再会します。抑えきれない感情が燃え上がるダイナですが、自分のためにすべてを捨てたリチャードを裏切れないと、マイクには二度と会わないと伝えるのです。それにも関わらず、休暇中のリチャードとダイナの元を訪ねてきます。しかし、ダイナの友人だからと易しく対応するリチャード・・・その愛情の目の当たりにしてマイクは潔く身を引くことにするのです。ここで終われば、ダイナとマイクの悲恋物語となるのですが、マイクが立ち去った後、ダイナのマイクに対する思いに気付いたリチャードはあっさりと身を引いてしまいます。ダイナは、アルゼンチンのマイクの元へ嫁いでいってしまうのですから・・・なんとも無理矢理なハッピーエンドであります。

「私のダイナ/Chained」は、ご都合主義に貫かれたジョーン・クロフォード/クラーク・ゲーブル映画の典型的なパターンの作品・・・それ故に、会社社長のおじさまと青年実業家のあいだで揺れ動くという、当時、未曾有の経済不況の庶民にとっては無縁のハッピーエンドの物語、コミカルで洒落た恋の駆け引き、そして、ジョーン・クロフォードがとっかえひっかえする流行(?)のモードで着飾るという浮世離れしたお伽話として、純粋に楽しめるのです。

「結婚十分前/Forsaking All Others」


共演6作目となる「結婚十分前」は、ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブルに加えて、ロバート・モントゴメリーという三大スターの主演というだけでなく、チャールズ・バターワース、ビリー・パーク、ロザリンド・ラッセルなどの芸達者な役者が脇を固めた作品・・・ジョセフ・L・マンキーウィッツによる脚本は、伏線とシチュエーションが絡み合い、コミカルな長台詞で畳み掛けるノンストップのスラップスティック・ロマンチックコメディとなっています。

メリー(ジョーン・クロフォード)、ディル(ロバート・モントゴメリー)、ジェフ(クラーク・ゲーブル)の3人は幼馴染み・・・しばらくスペインで生活していたジェフは、メリーにプロポーズの決心をして、ニューヨークに戻ってきます。しかし、その翌日メリーとディルは結婚式を控えていることを知り、ジェフは、自分の気持ちは伝えずに、幼馴染み二人の結婚を祝福するのです。

ところが・・・結婚式前夜にも関わらず、ディルは元彼女のコニー(フランシス.ドレイク)からの求愛に、あっさりと応えて、ディルとコニーは姿をくらましてしまうのです。翌日、ウエディングドレスを着て教会での結婚式を待つメリーに届けられた知らせは、昨晩ディルがコニーと急に結婚してしまったということ・・・こんなアリエナイ状況で「男ふたり女ふたりの三角関係」が成立して、ロマンチック・コメディになりえるのかと思ってしまいます。傷心でメリーは田舎に引きこもるのですが・・・斧で薪割りしてストレス発散という場面が、本作で登場しているのが笑えます。まるで「血だらけの惨劇」や「愛と憎しみの伝説」の斧を振り上げているシーンを予見しているかのようです。


嫉妬深くて意地の悪いコニーは、メリーを自宅でのパーティーに招待するのですが、メリーはディルとの関係を断ち切れたことを証明するかのように、ジェフを連れ立ってパーティーに参加します。メリーとの再会に驚きながらも、すでに新妻コニーに心が冷めてしまったディルは、メリーとヨリを戻そうとするのです。ディルをまだ愛していることを自覚したメリーは、ジェフの助言も聞かず、ディルと再び付き合い始めます。

ディルとメリーが二人で田舎へドライブに行って、ディルの別荘に泊まることになるのですが・・・、車がポンコツで事故を起こすとか、着替えのないディルが女性モノのガウンを着るとか、火の不始末で火事が起こるとか、スラップスティックなコメディが展開されます。とは言っても、本作は”ヘイズコード”に従った作品・・・不倫の描写は御法度です。ただ・・・結婚式の前日にドタキャンした男と楽しくデートするというのは、倫理的にどうであるかよりも、感情的に理解に苦しみます。

ジェフのサポートのよりディルとコニーは離婚・・・メリーとディルが再び結婚することになるのです。不倫は倫理的に問題だけど、離婚することは問題なしということのようです。ディルとメリーの二回目の結婚式前日・・・メリーと二度と会わないことを決意してスペインに戻ることにしたジェフは、今まで語ることのなかった思いをメリーに伝えます。唐突に心を揺らぐメリー・・・今度はメリーがディルとの結婚式を翌日に控えて、ジェフの後を追ってスペイン行きの船に乗るのです。船を見送るしかないディルは、埠頭に置いてきぼりになって、ハッピーエンドとなります。

「結婚十分前/Forsaking All Others」は、ジョーン・クロフォードだけがスターという作品ではなく、クラーク・ゲーブルやロバート・モントゴメリーが同格で主演の作品です。また、当時始まったばかりの”ヘイズコード”の倫理観が物語を湾曲させていて、ある意味、この時代の映画作品ならではの”味”を醸し出していると言えるのかもしれません。

「空駆ける恋/Love on the Run」


「空駆ける恋」は、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作7作目・・・前年(1935年)にジョーン・クロフォードと結婚したフランチョット・トーンも出演しており「ダンシング・レディ」のトリオの復活といったところです。ただし、本作の主役はジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの二人・・・フランチョット・トーンはジョーン・クロフォードの相手役ではなく、クラーク・ゲーブルのライバルの新聞記者という少々損な役回りを演じています。

アメリカの富豪の娘・サリー(ジョーン・クロフォード)は、ロンドンで貴族の男性との結婚式を控えていたのですが・・・彼女の結納金目当てだと知り、結婚式直前になってウエディングドレス姿で教会から逃げ出します。サリーの結婚式を取材するために派遣されていた新聞記者のマイケル(クラーク・ゲーブル)は、自分の素性を隠して、サリーの逃避行を手伝わされる羽目なるのです。また、男爵夫妻の取材でロンドンに居合わせたマイケルのライバル新聞記者のバーニー(フランチョット・トーン)も加わり、ロンドンからフランスに舞台を移して、実はスパイだった男爵夫妻(レジナルド・オーウェン、モナ・バリー)のトラブルにも巻き込まれていきます。


その後、サリーとマイケルが男爵夫妻の小型飛行機を盗み出したり、フランスの農場に不時着したり、スパイに間違われたり、お屋敷に変装して忍び込んだりと、ドタバタの展開をしていく本作・・・バーニーは、部屋や車に閉じ込められたり、マイケルの身代わりになったりと散々な扱いを受けるという役回りです。スクリューボール・コメディらしく、早い展開と複雑に絡む伏線で、ずっとドタバタが続くのですが・・・最後はサリーとマイケルの恋が実り「めでたし、めでたし」なるわけです。

クラーク・ゲーブルは、得意のコミカルな演技を披露して、女性ファンを虜にする魅力を発揮しています。しかし、お金持ちのお嬢さま役としはて年齢的に厳しくなってきた上に、コメディとの相性が決して良いないジョーン・クロフォードにとっては、適した作品ではなかったようです。それでも、本作は当時大ヒットしたそうなので・・・如何にクラーク・ゲーブルの人気が絶大であったということかもしれません。

「空駆ける恋/Love on the Run」は、当時の流行りだったスクリューボール・コメディの典型的な作品です。ただ、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの共演作品としては、ある意味、分岐点なのかもしれません。これまでは、ジョーン・クロフォードが主役スターであり、その魅力を発揮するための共演だったのですが・・・本作では、クラーク・ゲーブルの魅力を引き出すことに、制作側の意図が変わってきたような気がするのです。

「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」


1939年12月の真珠湾襲撃後、日本とアメリカの間で開戦となり、ハリウッド映画が日本では一切公開されなくなります。1940年に公開されたジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの最後の共演作であり8作目となる「ストレンジ・カーゴ(原題)」は、日本で劇場公開されることもなく、その後ビデオ化もされることもないまま(テレビ放映は不明)・・・日本で視聴することの難しい作品になってしまったのです。

本作は、これまでの共演作品のようなジョーン・クロフォード主演を主人公とした女性映画ではなく、クラーク・ゲーブル主演に相応しい”男臭い”作品となっています。前年(1939年)にアメリカで公開された「風と共に去りぬ」のレット・バトラー役で、ハリウッドの「キング」と呼ばれるようになったクラーク・ゲーブル・・・一方、1938年には「ボックス・オフィス・ポイズン」(出演料のわりに興行成績に貢献しないスター)のひとりとして名前を挙げられるなど、人気に陰りが見え始めていたジョーン・クロフォード。しかし、前年の「ザ・ウーメン(原題)/The Women」(日本未公開)で実力派女優として歩み始めたジョーン・クロフォードは、本作のような”汚れ役”を求めていたのかもしれません。

ジャングルに囲まれたフランスの流刑地ギアナに収監されている囚人のヴァーン(クラーク・ゲーブル)は、ある日、埠頭の労働中にナイトクラブの歌手ジュリー(ジョーン・クロフォード)と知り合います。脱走を試みたヴァーニーは、ジューリーの部屋に隠れるのですが・・・ジュリーに心を寄せるピッグ(ピーター・ローレ)に通報されて、ヴァーニーは刑務所に戻されて、ジュリーはナイトクラブを解雇されてしまいます。

刑務所ではモール(アルバート・デッカー)、キャンブルー(イアン・ハンター)、テレズ(エドワルド・チャンネッリ)、へシアー(ポール・ルーカス)、フロウバート(J・エドワード・ブルムバーグ)、デュファンド(ジョン・アリージ)らが脱獄を計画・・・ヴァーンはジュリーを連れて一緒に逃げるのです。ジャングルを抜けて、海岸から帆掛け船で大陸を目指して出航します。


ジャングルでのサバイバル、帆掛け船の密室劇という極限状態の中で、キリストのようなキャラクターであるキャンブルーが、聖書からの言葉が繰り返し引用されるなどクリスチャン的な思想が色濃く、囚人の脱走劇というよりも宗教観を問うようなディスカッションドラマとなっていくのです。

ヴァーン、ジュリー、キャンブルー、へシアーだけが生き残るのですが・・・ジュリーはヴァーンを逃がすために、ピッグと一緒について行くという取引をします。へシアーは裏切って姿をくらまし、キューバに逃げようとしていたヴァーンは、キャンブルーによって心を入れ替え、流刑地へ戻ることを決意します。コロニーにピッグと戻ったジュリーでしたが・・・ヴァーンが刑期を終えて出所するまで待っていることを誓うのです。

「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」は、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルの最後の共演作品・・・宣伝や映画館のビルボードで、クラーク・ゲーブルの名前がジョーン・クロフォードよりも上に表記された唯一の共演作品でもあります。本作のジュリー役というのは、世慣れしていて気の強い自立した女性像という1940年代以降のジョーン・クロフォードの代名詞となるようなキャラクター・・・そんな女性像を受け止める相手役としても、クラーク・ゲーブルとの相性は抜群だったので、本作以降共演作品が作られなかったのは、残念でなりません。

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」


クラーク・ゲーブルが最も愛した女性と言われるのがキャロル・ロンバート・・・ふたりは1939年に結婚しました。1942年にキャロル・ランバートが不慮の飛行機事故で亡くなるまで、クラーク・ゲーブルの最も幸せな時期であったと言われています。事故後、クラーク・ゲーブルを真っ先に支えたのは、誰あろうジョーン・クロフォードでありました。

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」はキャロル・ランバートが得意とした洒落たスクリューボール・コメディ映画・・・しかし、キャロル・ランバードの急死によって、制作中止に追い込まれそうになってしまったのです。そこで、映画会社の壁を乗り越えて主役を引き受けたのが、誰あろうジョーン・クロフォードであります。そして、本作の出演料全額をキャロル・ランバートの名前で、アメリカの赤十字社に寄付もしています。

マーガレット(ジョーン・クロフォード)は父親からトラック会社を譲り受けて経営するバリバリのビジネスウーマン・・・妹のヴィヴィアン(ヘレン・パリッシュ)が行われている中、記者のマイク(メルヴィン・ダグラス)は屋敷に忍び込み、マーガレットに近づきます。男性と知り合う機会の少なかったマーガレットは、あっさりとマイクに惹かれてしまうのですが・・・恋すること自体が初めての彼女は、ときめくとぼーっとしてフラフラしちゃうという設定なのですから、なんとも滑稽だったりするのです。


しっかり者のようで実は天然なマーガレットと、チャーミングで洗練されたマイクの掛け合いは、キャロル・ランバートが演じていたら・・・と、想像せずにいられませんが、コメディと相性が悪いと言われるジョーン・クロフォードにしては、共演者(特にメルヴィン・ダグラス)の好演に助けられて、好演しています。ダンスコンテストでアクロバティックに踊ったり、酔っぱらってラブシーンを演じたりと、ジョーン・クロフォードにしては珍しく(?)軽快に弾けまくっているのです。

バリバリのビジネスウーマンでも恋をしてしまえば、普通の弱い女になってしまう・・・という展開が、まったくジョーン・クロフォードらしくありませんが、ジョーン・クロフォードのドレードマークとなるようなスタイルを確立し始めているような作品のような気がします。1940年代第二次世界大戦中の流行でもあったのですが・・・前髪にボリューウを持たせて後頭部にパーマをあてるというヘアスタイル(ちょっとサザエさんっぽい)と、首から肩がほぼ直線になるほどのカッチリしたショルダーパッドのドレスやジャケットは、その後のジョーン・クロフォードの典型的なルックスです。

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド/They All Kissed the Bride」は、キャロル・ランバートの不幸によって、ジョーン・クロフォードが代役を務めることになったわけですが・・・そもそも、クラーク・ゲーブルとの親しい関係があったからこそ実現したこと。当時、キャリア的に迷走していたジョーン・クロフォードにとっては、女優としての新たな可能性を見せる絶好の機会でもあったわけで、単なる”おひとよし”の人助けではない”したたかさ”をも窺わせます。ただ、本作以降、ジョーン・クロフォードはコメディ映画の出演はありません。

その後のジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブル


1940年の「ストレンジ・カーゴ/Strange Cargo」以降、ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルが共演することはありませんでしたが、二人の関係はハリウッドの関係者が推測していたよりも長く・・・クラーク・ゲーブルが亡くなる1960年まで続いていたとジョーン・クロフォードは晩年告白しています。

ハリウッドのスターになるためには枕営業なんてへっちゃら・・・共演者、監督は勿論、カメラマンや脚本家とも肉体関係を持ったと言われるジョーン・クロフォードは、男社会の中で「女」の武器を120%利用したと言っても良いでしょう。クラーク・ゲーブルもまた、俳優としてブレイクするまでは財力や権力のある年上女性と結婚していました。

ジョーン・クロフォードとクラーク・ゲーブルは、結婚することはありませんでしたが(ジョーン・クロフォードは生涯4回、クラーク・ゲーブルは5回結婚)・・・ジョーン・クロフォードは、後にクラーク・ゲーブルについて「私の出会った男性の中で、最も男性的な人だった」と語っています。「男性的」というのが、肉体的な相性を示唆しているのでは・・・と思うのは邪推かもしれませんが、ジョーン・クロフォードにとって、最も愛した男性はクラーク・ゲーブルでであったような気がしてならないのです。


「暗黒街に踊る」
原題/Dance, Fools, Dance
1931年/アメリカ
監督 : ハリー・ボーモント
出演 : ジョーン・クロフォード、クリフ・エドワーズ、レスター・ヴェイル、ウィリアム・ベイクウェル、クラーク・ゲーブル、アール・フォックス
1932年3月日本劇場公開

「笑ふ罪人」
原題/Laughing Sinners
1931年/アメリカ
監督 : ハリー・ボーモント
出演 : ジョーン・クロフォード、ニール・ハミルトン、クラーク・ゲーブル、マジョリー・ランボー、ガイ・キッピー、クリフ・エドワーズ
1933年10月日本劇場公開

「蜃気楼の女」
原題/Possessed
1931年/アメリカ
監督 : クラレンス・ブラウン
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、ウォーレス・フォード、スキーツ・ギャラガー、フランク・コンロイ、マージョリー・ホワイト
1933年1月日本劇場公開
TSUTAYA復刻ライブラリーにてDVDリリース

「ダンシング・レディ」
原題/Dancing Lady
 1933年/アメリカ
監督 : ロバート・Z・レオナード
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、フランチョット・トーン、フレッド・アステア、メイ・ロブソン、イヴ・アーデン、ゴードン・エリオット
1934年11月日本劇場公開

「私のダイナ」
原題/Chained
1934年/アメリカ
監督 : クラレンス・ブラウン
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、オットー・クルーガー、スチュアート・アーウィン、ウナ・オコナー、エイキム・タミロフ、ウォード・ボンド、マージョリー・ゲイキソン
1935年6月日本劇場公開

「結婚十分前」
原題/Forsaking All Others
1934年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァン・ダイク
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、ロバート・モントゴメリー、チャールズ・バターワース、フランシス.ドレイク、ビリー・パーク、ロザリンド・ラッセル
1935年10月日本劇場公開

「空駆ける恋」
原題/Love on the Run
1936年/アメリカ
監督 : W・S・ヴァン・ダイク
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、フランチョット・トーン、レジナルド・オーウェン、モナ・バリー、イヴァン・レベデフ
1937年5月日本劇場公開

「ストレンジ・カーゴ(原題)」
原題/Strange Cargo
1940年/アメリカ
監督 : フランク・ボザージェ
出演 : ジョーン・クロフォード、クラーク・ゲーブル、ピーター・ローレ、イアン・ハンター、ポール・ルーカス、アルバート・デッカー、エドワルド・チャンネッリ、J・エドワード・ブルムバーグ、ジョン・アリージ
日本劇場未公開

「ゼイ・オール・キス・ザ・ブライド(原題)」
原題/They All Kissed the Bride
1942年/アメリカ
監督 : アレキサンダー・ホール
出演 : ジョーン・クロフォード、メルヴィン・ダグラス、ローランド・ヤング、ビリー・バーク、アレン・ジェンキンズ、ヘレン・パリッシュ
日本劇場未公開



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2014/07/25

ピエール・ベルジェとサンローラン財団が全面協力した伝記映画・・・ちょっと下世話なゲイ描写と伝説的なファッションショーの再現~「イヴ・サンローラン/Yves Saint Lauren」~



2002年にデザイナー引退を表明して以来、イヴ・サンローランに関する映画が続々と製作されています。20世紀のフランスファッションを代表するデザイナーというだけでなく、公私ともにパートナーであったピエール・ベルジェとの同性愛関係や、若者カルチャーが激変した1960年代から1970年代の生き証人として、語るべき物語には尽きないようです。

まず、2002年の引退時期に合わせたかのように発表されたデビット・テブール(David Teboul)監督による2本のドキュメンタリー映画があります。「Yves Saint Laurent: His Life and Times」は、インタビューと過去の映像を取り混ぜた・・・唯一のイブ・サンローラン生前に作られたドキュメンタリー映画です。サンローラン本人が自身のホモセクシャリティについて語るだけでなく、サンローランの母親に息子のホモセクシャリティに関して質問するという突っ込んだ内容でした。「Yves Saint Laurent: 5 Avenue Marceau 75116 Paris」は、最後のオートクチュールコレクションの製作過程に密着したドキュメンタリー・・・精気に欠けたイヴ・サンローランの姿には痛々しいところもあり、それを含めて貴重な映像と言えるかもしれません。

2008年、イヴ・サンローランが71歳で死去。その後、イヴ・サンローランとピエール・ベルジェによって収集された美術品のオークションの過程を追いながら、ピエール・ベルジェの回想インタビュー、サンローラン生前のフィルムやスチール写真などで構成された・・・2010年のピエール・トレトン(Pierre Thoretton)監督によるドキュメンタリー映画「イヴ・サンローラン/L'Amour Fou」(めのおかし参照)が制作されました。日本では「イヴ・サンローラン」というタイトルがつけられていましたが、フランスの原題「狂おしい愛」が示していたとおり・・・ピエール・ベルジェというイヴ・サンローランを愛した男の人生を浮き彫りにしたものでした。

そして、ドキュメンタリー映画「イヴ・サンローラン/L'Amour Fou」から数年・・・去年、今年と続けてイヴ・サンローランを描いた”劇映画”が2本「イヴ・サンローラン/Yves Saint Laurent」と「サンローラン/Saint Laurent」が製作されているのです。

先に公開されたジャリル・レスペール(Jalil Lespert)監督による「イヴ・サンローラン/Yves Saint Laurent」は、イヴ・サンローラン財団とピエール・ベルジェの全面的な協力を得て作られた・・・いわば「公式」な伝記映画であります。実際のイヴ・サンローランの仕事場やファッションショー会場で撮影を行い、ファッションショーで使用された衣装は特別に財団により保存されている”オリジナル”という「本物」にこだわる徹底ぶり・・・さらに、若き日のイヴ・サンローランに生き写しのピエール・ニネによる完璧なモノマネ演技より、伝記映画としては隙がありません。

本作「イヴ・サンローラン」では、1958年イヴ・サンローランがクリスチャン・ディオールのアシスタントとして働き始めるところから、デザイナーとして全盛期の頂点であった「ロシアンコレクション」までを、美術品のオークション出品準備をするピエール・ベルジェ(キョーム・ガリエンヌ)の視点で振り返っていくのですが・・・2010年のドキュメンタリー映画「イヴ・サンローラン/L'Amour Fou」と内容的にかぶっているところが多く、インタビューで語られていた部分が再現されているという感じです。映画ではハッキリとは描写されていませんが・・・1976年の二人の恋人関係が解消した時点で回想が終わるということで、本作も「イヴ・サンローラン/L'Amour Fou」と同様にピエール・ベルジェ版のイヴ・サンローランの伝記と言えるのかもしれません。

1時間45分ほどで、イヴ・サンローランの人生のうち最も波乱に満ちていた20年間ほどを振り返ろうというのですから、いろんな逸話をあれこれと詰め込んだという印象です。イヴ・サンローランの人生と彼の交友関係のあった人々を知らないと、登場人物が誰なのかが理解できないかもしれません。ネタバレは気にせずに、前記のイヴ・サンローランのドキュメンタリー映画などを観たりして、しっかりと予習して観ることが必要だと思います。

ここからネタバレを含みます。


クリスチャン・ディオールの葬儀会場で初めて会ったと言われるイヴ・サンローランとピエール・ベルジェ・・・当時ピエール・ベルジェにはアートディラーのバーナード・ブフェット(ジャン=エドワルド・ボザック)という恋人がいたのです。その後、ピエール・ベルジェはハーパーズ・バザーの編集者のコネを使って(?)クリスチャン・ディオー亡き後のコレクションでデザイナーに就任したばかりのイヴ・サンローランを食事会で紹介してもらい・・・二人は見事に恋に落ちることになります。


これは”奇跡の出会い”と言えるかもしれませんが・・・ピエール・ベルジェの策略が上手くいったと邪推してしまうのは、少々意地悪でしょうか?当初はプライベートな関係だった二人でしたが、ピエール・ベルジェは徐々にディオールのデザインスタジオに入り込んでいき・・・そして、ピエール・ベルジェはバーナード・ブフェットと別れて、イヴ・サンローランと同棲を始めるのですから。


しかし、ディオールから解任された後、イヴ・サンローラン自身のオートクチュールハウスを設立するために、金策を走り回ったのはピエール・ベルジェだったわけで、精神的に弱いイヴ・サンローランにとっては、ビジネス上でもピエール・ベルジェは欠かせない存在となっていくのは当然のこと・・・後にイヴ・サンローランの才能の寄生虫のように、煙たがられてしまう存在となってしまうピエール・ベルジェが、イヴ・サンローランのキャリアにとって、必要不可欠な人物であったことは否定できないのかもしれません。

クリスチャン・ディオールのミューズであったヴィクトワール・ドゥトレリュー(シャルロット・ルボン)は、イヴ・サンローランの独立後もミューズであり、カール・ラガーフェルド(ニコライ・キンスキー)とのプラトニックな奇妙な三角関係もあったと言われているのですが・・・あるとき、いきなり彼女は引退することになります。それは、ディオールに代表された”ライン”の時代から、”感性”のファションの時代へ移行したことも無関係ではないようなのですが、実はピエール・ベルジェとヴィクトワールの確執があったことが本作で描かれています。それも、ピエール・ベルジェがヴィクトワールと無理矢理肉体関係を持ったことを、あえてイヴ・サンローランの告げ口するという”小汚い”手口だったというのですから・・・なかなかエグいです。


その後、1965年「モンドリアンルック」の世界的な注目を集めたイヴ・サンローランは、オートクチュールのデザイナーとして初めてプレタ・ポルテ(高級既製服)の店舗をオープンさせたり、「サファリルック」「パンツスーツ」「アフリカンルック」など若々しい感性で、デザイナーとして第一線の活躍をしていくことになります。デザインに追われるパリから逃げ出し、プライベートな時間を過ごすため、イヴ・サンローランはモロッコに別荘を購入・・・新しいミューズとなったバティ・カトルー(マリー・ドビルパン)やルル・ド・ラ・ファレーズ(ローラ・スメット)らとつるむようになるのです。


時代の寵児となったイヴ・サンローランの元に、流行の先端をいく若者が集まってくるのは当然なわけで・・・時代的な背景を考えれば、ドラッグ、アルコール、セックスに溺れていくことは避けられなかったのかもしれません。ただ、恋人としての愛情だけでなく、ビジネスのパートナーの責任として、ピエール・ベルジェは”お目付役”という嫌われ者をかってでてまでイヴ・サンローランを守ろうとしたのかもしれません。

1970年代のパリ社交界とゲイのアンダーワールドのセレブであったジャック・デ・バシェー(ザビエ・ラ・フェット)は、カール・ラガーフェルドの恋人として知られているのですが・・・実はイヴ・サンローランとも愛人関係にありました。パーティー会場の片隅でジャック・デ・バシェーがイヴ.サンローランを誘惑してオーラルセックスをしたり、怪しいゲイクラブでイヴ・サンローランが手を縛られて後ろから犯されているとか、ちょっと下世話なゲイ描写(映画では、ハッキリとは映像では見せていませんが)によって描かれています。

勿論、ピエール・ベルジェがイヴ・サンローランとジャック・デ・バシェーの関係を見逃すわけはなく・・・ピエール・ベルジェはジャック・デ・バシェーを脅迫して、無理矢理イヴ・サンローランから引き離すことになるのです。ジャック・デ・バシェーとの経緯があった後、ピエール・ベルジェとイヴ・サンローランは結果的に恋愛関係を解消することになり、純粋にビジネスパートナーとなってしまうのですから、ジャック・デ・バシェーの存在というのは、それなりに大きかったと言えるでしょう。


長年に渡るカール・ラガーフェルドとの(デザイナーとしてだけでなく)プライベートでの確執を描ききれていないのは残念・・・ピエール・ベルジェ公認ということもあるでしょうが、現役であるカール・ラガーフェルド側への配慮もあるのかもしれません。精神的に弱いイヴ・サンローランは第一線でデザイナーとして活躍し続けるプレッシャーによって、徐々にドラッグ、アルコール、セックスに溺れていった・・・という「才能に溢れた成功者の転落」「輝かしい過去への郷愁」いうドキュメンタリー映画で何度も描かれたお馴染みの「イヴ・サンローラン物語」となってしまったような気もします。


さて・・・もうひとつのイヴ・サンローランの伝記映画は、ピエール・ベルジェの協力も、財団のサポートも受けずに製作された”非公認”となるベルトラン・ボネロ(Bertrand Bonello)監督による「サンローラン/Saint Laurent」です。2014年9月24日からフランス国内で劇場公開ということで、詳細は分かりませんが・・・ジャリル・レスペール監督版と違い1967~76年の10年間という最もイヴ・サンローランの人生の中でも破天荒な時期を描いているらしいです。イヴ・サンローランとカール・ラガーフェルドを翻弄させたジャック・デ・バシェーの存在感を予感させる予告編・・・ピエール・ベルジェが封印したいスキャンダルなイヴ・サンローラン像が描かれるのでしょうか?


イヴ・サンローラン役にはギャスパー・ウリエル、ピエール・ベルジェ役にジェレミー・レニエ、ルル・ド・ラ・フランセーズ役にレア・セドゥ(アデル、ブルーは熱い色)・・・と、それぞれの本人たちには似ているとは思えないキャスティングではあります。ただ、ギャスパー・ウリエルが卑屈に微笑むポスターから感じ取れるのは微かな”悪意”・・・非公認を逆手に取ったエグい描写に期待が膨らみます。また、1989年当時のイブ・サンローラン役を演じるのが”ヘルムート・バーガー”(!!!)というのも、非常に気になるところ・・・御歳70歳となる”元美青年”の恐ろしいまでの劣化が、老年期のイヴ・サンローランと重なります。


ファッションショーの再現には、財団の所持するオリジナルを使用することはできないので、おそらく全てを改めて制作したと推測しますが、スチール写真を見る限り、まったく本物と比べても引けを取っていない感じです。おそらく、タブロイド紙的な下世話な内容になりそうな「サンローラン/Saint Laurent」・・・イヴ・サンローラン亡き後、どうしてもピエール・ベルジェ視点でしか語られることのなかった物語が、どのようにフィクションを交えて描かれるのか楽しみであります!


「イヴ・サンローラン」
原題/Yves Saint Laurent
2013年/フランス
監督 : ジャリル・レスペール
脚本 : ジャリル・レスペール、マリー=ピエール・ユステ、ジャック・フィエスキ
出演 : ピエール・ニネ、キョーム・ガリエンヌ、シャルロット・ルポン、ローラ・スメット、マリー・ドビルパン、ニコライ・キンスキー、マリアンヌ・バスラー
2014年6月28日「フランス映画祭2014」にて上映
2014年9月6日より日本劇場公開


「サンローラン」
原題/Saint Lauren
2014年/フランス
監督 : ベルトラン・ポネロ
脚本 : ベルトラン・ポネロ、トーマス・ブリッジゲイン
出演 : ギャスパー・ウリエル、ジェレミー・レニエ、レア・セドゥ、ルイス・ガレル、アミラ・シーザー、ヘルムート・バーガー
2015年12月4日より日本劇場公開



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2014/07/19

ドラァグクィーンがNext America's Drag Super Starを競うリアリティー番組・・・RuPaul(ル・ポール)の歴史とドラァグクィーンの楽しみ方~「ル・ポールのドラァグレース/RuPaul's Drag Race」~



この記事はドラァグクィーンの文化を誰よりも愛していた親友ティムシー・ルース/Timothy Luce(2009年没)に捧げます。

1:「ル・ポールのドラァグレース」の概要

2009年からアメリカのケーブルテレビチャンネル「LOGO TV」(LGBTの視聴者向けチャンネル)で放送されている「ル・ポールのドラァグレース/RuPaul's Drag Race」は、Next America's Drag Super Star(ネクスト・アメリカズ・ドラァグ・スーパースター)を発掘するバトル形式のリアリティー番組であります。

「ル・ポールのドラァグレース」オープニングタイトル

「ネクスト・アメリカズ・ドラァグ・スーパースター」と銘打っているところから、ファッションモデル発掘のリアリティー番組「アメリカン・ネクスト・トップモデル/America's Next Top Model」をパクったように思えるかもしれませんが・・・バトル部分のチャレンジはファッションデザイナー発掘のリアリティー番組「プロジェクト・ランウェイ/Project Runway」に近いかもしれません。直線コースを一気に走る「Drag Race/ドラッグレース」にかけていることから分かるように、番組内でもレーシング用語が決め文句として使われたり、アシスタントの男性モデルを「Pit Crew/ピットクリュー」(レース場の整備員)と呼んだりしています。

すでにシーズン7(2015年放映予定)の制作も発表されており、現在までに「オールスターズ」(シーズン1~4より選出)を含めて7つのシーズンが放映されています。(そのうちシーズン2~5までがアマゾンUSにてオンデマンドDVDを購入可能)さらにドラァグ・クィーンが女性をメイクオーバーしてバトルするスピンオフのリアリティー番組「RuPaul's Drag U」(シーズン3まで放映/2010~12年)も制作されました。また、イギリスBBCの人気司会者のJonathan Ross(ジョナサン・ロス)氏がイギリス版「ドラァグレース」の制作権利を獲得したということなので、イギリス版が放映されるのも遠い日ではないようです。ただ、イギリス版にRuPaul(ル・ポール)が出演するかは現時点では未定らしいです。

2:ドラァグクィーンとは?

「ドラァグクィーン/Drag Queen」とは、女性特有の「グラマーさ」や「セクシーさ」を強調したヘアスタイル、メイクアップ、ドレスを、見せるために着飾っている人のこと・・・性別(性同一障害、性転換も含む)や性的嗜好は無関係と言われています。ハッキリと区別する必要があるのは、女性として「パス」することを目的にして女装をする人たち・・・派手な衣装ではなく地味なワンピースやアンサンブルを好み化粧も薄めで、生まれ持った資質次第で完成度の個人差は大きいかったりするのです。性同一障害者(Transsexual)やフェチズムのクロスドレッサー(Cross Dresser)の中には、”女らしさ”の誇張に欠けてしまうことがあるのは、あくまでも個人的な満足感を得るための「女装」だからかもしれません。

ビジネスで女装するパフォーマー(Female Inpersonater)は、モノマネやコメディアンとしての「女装」なので、実生活ではストレートの男性ということも結構あります。世界的に最も有名なのはオーストラリア出身のコメディアンのBarry Humphries(バリー・ハンフリーズ)が演じるDame Edna Evarage(デイム・エドナ・エヴァレイジ)でしょうか?日本だったら・・・荒川ばってん?(古いけど)と似たような存在と言えるかもしれません。この場合は、当然のことながら、あくまでも”女装”ありきの”芸風”という観点では、日本のオネエタレントというのは「ドラァグ・クィーン」というよりは「女装パフォーマー」に近いのかも・・・なんて思ったりします。


自ら「ドラァグクィーン」を名乗るのは、殆どが「ゲイ男性」・・・ゲイ・カルチャーの中で成熟させてきた「ドラァグクィーンならではの化粧技術やファッションセンス」「ドラァグクィーン特有のスラングやフレーズ」「ドラァグクィーン好みのスター、映画、音楽」を融合して昇華さているので、これらの文化を知ることで、より”ドラァグクィーン”の世界というのは楽しめるものなのです。

3:ル・ポールの歴史

「ル・ポールのドラァグレース」の司会、審査員長、アドバイザーの3役を務めるRuPaul(ル・ポール)は、1980年代初頭から活動を続けるアメリカのドラァグクィーン・・・御歳54歳(2014年現在)でありながら圧倒的な美貌、エンターテイメント業界で30年以上生き抜いてきた経験値、敬虔なクリスチャン(?)でバランス感覚の優れた人格者であります。

1960年11月17日にカリフォルニア州のサンディエゴで生まれたル・ポール・アンドレ・チャールズことRuPaul(ル・ポール)は、両親の離婚後、母親とアトランタへ引っ越して、そこで少年時代を過ごします。後に親友となるThe "Lady" Bunny(レディー・バニー)とは、1982年頃(ル・ポール21歳、レディー・バニー19歳の頃?)に出会い、アトランタとニューヨークでルームメイトだったこともあるほどの仲良し。1984年ニューヨークで開催された「第5回ニューミュージックセミナー/New Music Seminar」に参加した頃から、RuPaul(ル・ポール)は何度もニューヨークとアトランタの間で引っ越しを繰り返して・・・1987年頃、ニューヨークに落ち着いたようです。(ただ、その後はロサンジェルスとニューヨークを行き来しているらしい)

ボクが初めてRuPaul(ル・ポール)のパフォーマンスを見たのは、1987年に行なわれた第3回「Wigstock/ウィッグストック」のステージであります。「Star Booty/スター・ブーティー」というモヒカンの女性スパイのキャラクターで、音楽活動や自主映画に出演していた頃のこと。2メートル以上(ハイヒールを含む)の長身で繰り広げられたパフォーマンスと、愛に満ちた超ポジティブなメッセージは、キャンプ(Camp)テイストの強いイーストヴィレッジのクラブ/アート系ドラァグクィーンや、ハリウッド女優のモノマネをするビューティーコンテストタイプとは、別次元の「エンターテイナー」としての片鱗を見せつけていたのです。


当時、RuPaul(ル・ポール)友人だったNelson Sullivan(ネルソン・サリバン)氏によって撮影された動画は、ル・ポールの下積み時代というだけでなく・・・1980年代半ばのニューヨークのクラブシーンや、当時のドラァグクィーンの日常(?)の貴重な記録と言えるでしょう。

1984年/ダンステリアの楽屋にて

1985年/ピラミッドクラブにて

1986年/アトランタでのパフォーマンス

1987年/ピラミッドクラブにて

1988年/ゴーゴーダンスを語るル・ポール

1985年、The "Lady" Bunny(レディー・バニー)によってオーガナイズされた「ウィッグストック/Wigstock」は当初、イーストヴィレッジのアベニューAにあった”ピラミッド(Pyramid)”やセントマークスプレイスにあった”ボーイバー(Boy Bar)”などで活動するパフォーマーたち・・・John Sex(ジョン・セックス)、Tabboo!(タブー!)、Hapi Phace(ハッピーフェース)、Wendy Wild(ウェンディ・ワイルド)、Sister Dimention(シスター・ディメンション)、Ethel Eichelberger(エセル・エッチェルバーガー)、John Kelly(ジョン・ケリー)、Flloyd(フロイド) らによる”クラブシーン”色の濃い「ミュージックフェスティバル」でした。


その後・・・RuPaul(ル・ポール)、Lypsinka(リップシンカ)、Joey Arias(ジョージ・アイリス)、Candis Cayne(キャンディス・ケイン)、Perfidia(パフィディア)、Misstress Formika(ミストレス・フォーマイカ)、Lahoma Van Zandit(ラホマ・ヴァン=ザンディット)、Mona Foote(モナ・フット)、Linda Simpson(リンダ・シンプソン)らの参加により、ドラァグクィーンのフェスティバルとしての知名度を確立していったような気がします。1995年のドキュメンタリー映画「Wigstock The Movie/ウィッグストック・ザ・ムービー」を観ると、レイバースデー(Labor's Day)ウィークエンドの風物詩となった90年代半(ストレートのニューヨーカー達にも知られるイベントになっていた)の「ウィッグストック」の雰囲気を感じることができるかもしれません。

現在でもニューヨークのドラァグクィーンの第一人者として人気を誇るThe "Lady" Bunny(レディー・バニー)は、ダスティ・スピリングフィールドのパロディのようなキャラ・・・派手なサイケデリックファッション、頭の数倍あるような巨大なウィッグ(かつら)で、ドラァグクィーンの”アイコン”となっています。自虐的、かつ、天然ボケと下ネタ満載の話術”は、それまでの毒舌/辛口を売りにしていたドラァグパフォーマンスとは違う「愛されキャラ」を確立しました。RuPaul(ル・ポール)は、The "Lady" Bunny(レディー・バニー)が開拓した路線を継承しながらも、歌って、踊れて、MCを努められる総合的なエンターテイナーとして、ゲイクラブシーンを飛び出していく次世代のドラァグクィーンとなっていくのです。

レディーバニーのトリビュートビデオ

当時(1980年代末期)はイーストヴィレッジのカルチャーがメインストリームに受け入れられて、世界的にメジャー化していった時代・・・分かりやすいところでは、The B-52'sが大ブレークをしていました。(ル・ポールもプロモーションビデオに出演)同時期にイーストヴィレッジのクラブシーンで活動していた後輩「ディー・ライト/Deee-Lite」にメジャーデビューの先を越されたもの・・・1993年、RuPaul(ル・ポール)も「Supermodel (You Better Work/スーパーモデル(ユー・ベター・ワーク)」でメジャーデビューして大ヒットさせます。「Back to My Roots/バック・トゥ・マイ・ルーツ」「A Shade Shady (Now Parance)/ア・シェイド・シェイディー(ナウ・プランス)」「House of Love/ハウス・オブ・ラブ」などの続く楽曲もクラブダンスチャートでヒット・・・当時、人気スターがこぞって出演した深夜のトークショー番組「Arsenio Hall Show/アーセニオ・ホール・ショー」で、一躍全米の知名度を獲得したのです。

ル・ポール「スーパーモデル」

1996~98年には、VH1(音楽専門のケーブルテレビチャンネル)で「The RuPaul Show/ザ・ル・ポール・ショー」というトーク番組を持つまでになり、ダイアナ・ロス、シェール、デボラ・ハリー、パット・ベネター、オリビア.ニュートン=ジョン、タミー・フェイ、バーナデット・ピーターズ、ディオンヌ・ワーウィック、シンディー・ローパー、リンダ・ブレア、リンダ・カーターなど、蒼々たるゲストが出演しました。

しかし、その後、RuPaul(ル・ポール)のキャリアは若干、低迷気味(?)・・・アトランタ時代に演じていたキャラクターをリメイクした2007年の低予算映画「Starrbooty/スターブーティー」(Mike Ruiz/マイク・ルイズ監督)は、いくつかのゲイ&レズビアン映画祭で上映されただけで、DVD版リリースもRuPaul(ル・ポール)の自主レーベルから発売されたぐらい・・・現在、貴重なDVDとなってしまいプレミア化しています。

2007年版「スターブーティー」映画予告編

4:「ル・ポールのドラァグレース」番組フォーマット

さて、長~い前置きになってしまいましたが・・・ここから本筋です。

バトル形式のリアリティー番組としては、かなり後発となる「ル・ポールのドラァグレース」でありますが・・・後発だからこそ番組の「フォーマット」の完成度は高いと言えます。「アメリカン・ネクスト・トップモデル/America's Next Top Model」と「プロジェクト・ランウェイ/Project Runway」と同様に、さまざまな”チャレンジ”で競い合い、毎週ひとりの候補者が落選していき、最終的に優勝者を決定するというシステムなのですが、番組開始以降、基本的な番組の進行も大きな変わっていません。

まず番組は、男性の姿で出場者たちがワークルームに集合するところからスタートします。(最初のエピソードのみ、全出場者がドラァグクィーンの姿で登場)そこに司会のRuPaul(ル・ポール)から「SHE MAIL」(eメールにかけている)届いて、その回の「ミニ・チャレンジ」のヒントが伝えられます。そして、男性の姿のRuPaul(ル・ポール)がワークルームに登場して「ミニ・チャレンジ」が行なわれるという流れです。番組の冒頭、候補者もRuPaul(ル・ポール)も男性の姿というところが大切な「ミソ」でありまして・・・メイクアップ、かつら、コスチュームによって、各出場者がどれほど劇的に変貌するかを強調しているのです。

20~30分程度の「ミニ・チャレンジ」は、工作をするようなチャレンジから、ダンス、モデル、クイズ、スポーツなどあるのですが・・・「ミニ・チャレンジ」で勝者となることで、メイン・チャレンジを有利に奨めることができる”特典”が与えられます。例えば、個々にテーマが与えられる「メイン・チャレンジ」の場合、どのテーマを各候補者に与えるかの決定権・・・グループに分かれて行なわれる「メイン・チャレンジ」の場合は、勝者二人がグループリーダーとなって自分のグループのメンバーを順番に選んでいける権利となるわけです。終盤になっていくと、家族(または友人や彼氏)に電話する権利ということもあります。いずれにしても「ミニ・チャレンジ」の勝者の判断次第で、各出場者にとって「メイン・チャレンジ」の難易度が大きく変わることもあるので、必然的に出場者たちの関係はギスギスとしていくのです!

「ミニ・チャレンジ」で”アシスタント”として登場するのが「Pit Crew/ピット・クリュー」の男性モデル・・・RuPaul(ル・ポール)が個人的(!)にオーディション(シーズン3)で選んだJason Carter(ジェイソン・カーター)と、バート・レイノルズを彷彿させるShawn Morales(ショーン・モラレス)二人がブリーフ姿で務めるというのが見所です。シーズン6からは、さらに二人を加えて計4人の「Pit Crew/ピット・クリュー」が、殺伐とした(?)ドラァグクィーン同士のバトルに花を添えています。「ミニ・チャレンジ」終了後「メイン・チャレンジ」の準備にかかる出場者たちへのRuPaul(ル・ポール)の決まり文句が・・・「Start your engine, and don't fuck it up!」(エンジンをを吹かせて・・・しくじるんじゃないわよ!)であります。


「メイン・チャレンジ」で求められることは、さらにレベルの高いタスクになっていきます。多くのチャレンジは二つのパートに分けれていて、最初の「チャレンジ・パート」は・・・ゴミ箱から拾った素材でクチュールっぽい衣装を作成するとか、シチュエーションコメディやコマーシャルで演技をするとか、モノマネをしてゲームショーの出演者を演じるとか、ドラァグクィーンの姿で路上の見知らぬ人に難題をお願いするとか、アスリートのノンケ男性をドラァグクィーンに仕立てるとか、女性政治家に扮して政治的なスピーチをするなど、単に「キレイに着飾ること」だけではありません。演技力、お笑いのセンス、ダンスの才能、裁縫などのドレス作成技術、モノマネの完成度、かつらをセットする技術、メイクのテクニックなど、審査される能力の範囲は、どのバトル形式のリアリティー番組よりも広い範囲になっていると言っていいでしょう。そして、もっとも重要なのは、各チャレンジの意図を理解して、自分の個性を表現することなのかもしれません。

「メイン・チャレンジ」に向けて出場者たちが作業中、RuPaul(ル・ポール)はワークルームを再び訪問してアドバイスをします。「プロジェクト・ランウェイ」でのティム・ガン氏の役割もRuPaul(ル・ポール)が担っているわけですが・・・出場者それぞれのパーソナリティーを考慮しながら、的確なアドバイスをしていく手腕は見事であります。また、ここの場面で見えてくるのが、ワークルーム内での出場者同士の確執・・・そして、徐々に化粧をして、男性の姿からドラァグクィーンに変貌していく過程です。

「メイン・チャレンジ」の次のパートは、RuPaul(ル・ポール)らの審査員たちの前で行なわれる「ランウェイ・パート」・・・まず、RuPaul(ル・ポール)が、ドラァグクィーンのドレス姿で登場します。ここでのRuPaul(ル・ポール)の美貌は圧倒的・・・すべての出場者を凌駕してしまうほど完璧です。審査員を紹介後、いよいよ「ランウェイ・パート」となるわけですが、ここでのRuPaul(ル・ポール)の決まり文句は・・・「Let the best woman win!」(最高の女性に勝利を!)であります。

出場者たちは、与えられたテーマのスタイルで、ランウェイウォークを見せることになるのですが・・・ここで着用するコスチュームは持ち込みしている市販のドレスの時もあれば、テーマによっては与えられた生地やトリミングでデコレーションを施したり、時には生地からコスチューム全部を作成しなければならない時もあるのです。与えられている期日が1~2日程度ということを考慮すると、「プロジェクト・ランウェイ」以上に過酷なタスクと言えるでしょう。

12人~14人の出場者からスタートして、毎週ひとりずつ落選していくわけですが・・・「メイン・チャレンジ」の「ランウェイ・パート」の後、落選候補として「ふたり」が残されます。そして、その「ふたり」が「Lip Sync for your life/リップ・シンク・フォー・ユア・ライフ」=「命がけの口パク対決」で競い合い、審査員長のRuPaul(ル・ポール)の独断により、落伍者が決定するのです。リップ・シンクとは、歌に合わせて口パクで踊るドラァグクィーンならではのパフォーマンス。”命がけ”という表現がピッタリの戦いとなるわけで・・・番組に生き残るために、必死にリップ・シンクをするというエキサイティング、かつ、時には感動的なドラマを生み出す番組の頂点であります。アメリカのドラァグ・クィーンならば知っているべき選曲ばかり・・・否が応でもドラマティックで過剰なパフォーマンスが期待できるのです。


「リップ・シンク・フォー・ユア・ライフ」の後、RuPaul(ル・ポール)から落伍者と居残る者が伝えられるわけですが・・・ここでの決まり文句が「Sahay Away/サシェイ・アウェイ=去りなさい」「Shate, you stay/シャンテ・ユー・ステイ=残りなさい」であります。「Sashay, Shante」は、RuPaul(ル・ポール)が下積み時代から使ってきた造語のキャッチフレーズ・・・「Sashay」はモデルが颯爽とランウェイを歩くような雰囲気、「Shante」はモデルが決めポーズをしているようなニュアンスでしょうか?明確な意味というのはなく、音触りの良さがポイントです。

番組の最後は、生き残った出場者が一同に並んでエンディングとなるのですが、ここでのRuPaul(ル・ポール)の決まり文句は・・・「If you don't love yourself, how the hell you gonna love somebody else!」(自分を愛せないければ、誰も愛せやしないわよ!)と言った後、まるでクリスチャンの伝道師が共感を求めるように「Can I get Amen!」(アーメンをちょうだい!=賛同を頂戴)と唱えて”締める”のです。キリスト教を前提としない日本人からすると、ちょっと違和感さえ感じさせるところはありますが・・・「ル・ポールのドラァグレース」を”ファミリー番組”と冗談まじりに例えるRuPaul(ル・ポール)なので、胡散臭いクリスチャン番組のパロディなのかもしれません。

最終的に3人まで(例外もあり?)絞り込み・・・その3人が「Next America's Drag Super Star/ネクスト・アメリカズ・ドラァグ・スーパースター」のクラウンを競うことになるのですが、最後の「メイン・チャレンジ」は、RuPaul(ル・ポール)の新曲プロモーションビデオへの出演・・・ここではダンスの才能、演技力が重要となります。そして「ランウェイ・パート」の後、最終選考をふたりに絞り(例外あり)最後の「Lip Sync for your life/リップ・シンク・フォー・ユア・ライフ」で競い合い・・・「Next America's Drag Super Star/ネクスト・アメリカズ・ドラァグ・スーパースター」が決定するのです。

番組開始当初、優勝賞金は2万5000ドルでしたが、今では10万ドル(約1000万円!)となり、副賞には化粧品やクルーズ旅行と豪華になっています。さらに、優勝者だけでなく、番組の候補者たちは全米を「Battle of the season」と名付けられたドラァグクィーンのショーで営業するキャストになることができるのです。また、多くの出場者は、アーティストとしてデビューしたり、化粧品会社の契約モデルになるなど、エンターテイメント業界で番組出演後も活躍をしています。

シーズン4からは「Next America's Drag Super Star/ネクスト・アメリカズ・ドラァグ・スーパースター」の発表の最終回は、スタジオ収録ではなく・・・観客を入れた会場で行なわれる「Reunion/リユニオン」(番組放映後の同窓会)で、大々的に発表というスタイルになっています。この変更は理にかなっていて・・・最後の最後まで結果が分からないという”お楽しみ”を引っ張るだけでなく、インターネットを通じて視聴者からの意見も反映することができるわけです。また、観客の前で繰り広げられる裏舞台での暴露合戦にも、より緊張感が生まれています。

5:タイプ別のドラァグクィーン

バトル形式のリアリティー番組の面白さは、チャレンジの出来不出来”だけ”ではありません。他の番組と同様・・・居残れば居残るほど長期にわたる閉鎖された過酷な状況(家族や友人への連絡は禁じられていることが多い)での、出場者同士の不仲、確執、嫉妬、妬み、喧嘩などが、視聴者の興味を惹きつけるのです。ドラァグクィーンは、男性的な要素(好戦的な態度)と女性的な要素(策士的な頭脳)を兼ね備えているところがあるので、数人が集まったら確執が生まれるのは火を見るより明かなこと・・・また、アメリカのドラァグクィーンにはいくつかのタイプがあり、それぞれがお互いのタイプを牽制して認め合わないので、トラブルが起こるのは必然と言えるでしょう。

外見的な美しさとリアルネスを追求する「ビューティーコンテスト(ページェント)タイプ」は、フロリダ州やテキサス州などアメリカ南部に比較的多く、本物の女性以上に美しい(とは言っても体格はそれなりに男性的?)のが強みです。比較的、年齢的に若いドラァグクィーンであることが多く、若さと美貌を武器に普段チヤホヤされているせいか、性格的にわがまま放題、基本的に自己チューで、本番組ではトラブルメーカーになりがち・・・他の出場者から真っ先に嫌われることが多いタイプでもあります。


ナイトクラブでドラァグクィーンのショーで舞台に立つ経験の豊富な「プロフェッショナルタイプ」は、モノマネが得意だったり、歌が上手かったり、コメディアンとしてのセンスが優れていたり、パフォーマーとしての完成度が高いのが特徴です。「Old School/オールドスクール」と呼ばれるドラァグクィーンの伝統を継承し、キャリアも積んできているので、年齢的にも高めだったりします。ドラァグクィーンに必要な技術に長けているし、豊富な人生経験によって人望も厚く、本番組では出場者たちの精神的な支えとなっていく”キーパーソン”となることが多かったりします。


貧しい地区で育った「ゲトー(貧民街)タイプ」は、家出少年や親に捨てられた少年たちであることが殆どです。生きるためにドラァグクィーン(男娼として働くことも)になっている場合もあり、女性のフリをして男性客を欺くという・・ドラァグクィーンの悪いステレオタイプの原因になってきたことは否めません。年長者のドラァグ・クィーンを”ドラァグ・マザー”とするドラァグ・ファミリー=ハウスに所属していることが多く、同じハウスのメンバーは同じファミリーネームを名乗のることを習慣としていましたが、現在では、ハウスの存在意義も生活のサバイバルのためというよりも、仲間意識の強化が目的となってきているかもしれません。近年では、同じようなスタイルを持つドラァグ・クィーンが同じファミリーネームを持ち、”ドラァグ・ファミリー”を名乗る場合も増えてきています。


日本のオネエタレントの「ダイアナ・エクストラバガンザ」や「ナジャ・グランディーバ」は、ドラァグ・ファミリーのネームを拝借して(?)命名された芸名でしょう。この「ゲトータイプ」の厳しい現実については「Vouguing/ヴォーギング」を競う「Ball/ボール」を描いた1990年のドキュメンタリー映画「Paris is Burnig/パリ、夜は眠らない」で赤裸々に記録されています。

ステレオタイプのドラァグクィーンではなく・・・個性的であることを目指す「アートタイプ」は、ニューヨーク、シカゴ、サンフランシスコなどゲイクラブが細分化している大都市に存在することが多いようです。いわゆるドラァグクィーン好みの”ゴージャス系”ではなく”アヴァンギャルド系”のファッションを嗜好する傾向が強いかもしれません。当然のことながら・・・メイン・チャレンジの「ランウェイ・パート」のコスチュームも、テーマの解釈が独特で、リスクを負うことを恐れない独自性を追求していきます。しかし、攻撃的(?)に思われがちな外見に反して、化粧を落とした素顔は、意外なほどナイーブで繊細であることが多いようです。イジメられっ子として悲惨な少年時代を送ったという場合もあり・・・他のタイプのドラァグクィーンからは「バケモノ」扱いされたり、「変人」「コミック(お笑い系)」とバカにさるなど、番組内でも”イジメられっ子”的なポジションに追い込まれることが多かったりします。


6:ドラァグクィーンの楽しみ方

ドラァグクィーンの名前も”お楽しみ”のひとつ・・・出場者たちは番組内では(男性の姿でいる時も)本名ではなく、ドラァグネームが使われます。典型的なドラァグネームのひとつは「名前だけ」のドラァグネームでありまして・・・多くの場合、音の響きによってつけられていています。「Raven/レイヴン」「Jujubee/ジュジュビー」「Raja/ラジャ」「Willam/ウィラム」、言葉をもじった「Detox/デトックス」、ブランド名のスペルを変えた「Shannel/シャーネル」、地名を名前にした「Alaska/アラスカ」「Milan/ミラノ」などがあり・・・ファッションモデル的で、どこかしらエキゾチックな雰囲気を漂わせます。

ファーストネームとファミリーネームを語感で組み合わせた「Carmen Carrera/カルメン・カレラ」「Jessica Wild/ジェシカ・ワイルド」「Tyra Sanchez/タイラ・サンチェス」「Ivy Winters/アイヴィー・ウィンターズ」などは、いかにもストリップダンサーにありそうな名前だったりします。「Pandora Boxx/パンドラ・ボックス」「Jinkx Monsoon/ジンクス・モンスーン」などは、二つの言葉の意味を掛け合わせるというのも、ドラァグクィーンらしい捻りの効いたセンスです。「Latrice Royale/ラトリース・ロイエール」のように、ゴージャスっぽいネーミングは、まさに伝統的なドラァグクィーンらしさを感じさせます。

「Sharon Needles/シャロン・ニードルズ」「Honey Mahogany/ハニー・マホガニー」「Nina Flowers/ニナ・フラワーズ」「Rebecca Glasscock/レベッカ・グラスコック」などは、女性のファーストネームにドラァグクィーンらしい嘘っぽいファミリーネームを加えることで、独自の世界観を表現しているかのようです。「Sahara Devenport/サハラ・デヴンポート」「Manila Luzon/マニラ・ルゾン」などは、イメージで言葉を並べています。「Phi Phi O'Hara/フィフィ・オハラ」「Coutoney Act/コートニー・アクト」「Delta Work/デルタ・ワーク」などは、有名人の名前に似た音感で、イメージを掻き立てるのに役立っています。「Chad Michaels/チャッド・マイケルズ」のように、希に本名がドラァグクィーンっぽいこともあるようですが・・・一般的にドラァグネームは、ドラァグクィーンのアイデンティティーというだけでなく、如何に名前をもじってジョークにできるかというところも決め手となるので、なかなか奥深いものがあります。

舞台裏でのドラァグクィーン同士の戦いも見逃せません・・・ということで、第4シーズンからはスピンオフエピソード「Untucked/アンタックド」という番組も同時に制作されるようになっています。これは「メイン・チャレンジ」の「ランウェイ・パート」の後、出場者達が控え室(ゴールドルームとシルバールームがある)で審査を待っている間の様子を撮影したものなのですが・・・もうすぐ誰かが落選するという緊張感の中、必ずと言って良いほど喧嘩が始まるのです。さらに、RuPaul(ル・ポール)からのメッセージを託した「Pink Box/ピンクボックス」がプレゼントされて、時には意図的に喧嘩の種を提供したりするのですから・・・番組制作側も結構意地悪。時には、出場者の家族、恋人からのビデオレターなどを紹介する時もあり、お涙頂戴の演出となることもあります、なんだかんだで、”シスター”として出場者同士の絆を強めることにも、貢献しているようです。

ドラァグクィーン特有のスラングを理解することは「ル・ポールのドラァグレース」を楽しむためには必要なことかもしれません。「Read/リード」=相手の弱点を指摘すること。明らかな欠点を指摘するのではなく、皮肉とユーモアでキツイひと言というのが、上手な「リード」です。このスラングから「Put your reading glasses. Liberaly is open」(リーディング眼鏡をかけてちょうだい!図書館が開館するわよぉ〜」というような言い方をします。「Shade/シェイド」=侮辱のひとつの形で、リードすることによって「being shady/ビーイング・シェイディ−」という状態になるです。「No Shade/ノー・シェイド」は、侮辱し合わないこと・・・「What's the T/ワッツ・ザ・ティー」=「本音(真実)は何なの?」と腹を割って話し合う時によく使われます。

「Tuck/タック」「Untuck/アンタック」=男性器を股に押し込むことが「タック」で、それを元に戻すことが「アンタック」と言います。小さめの下着の着用やマスキングテープの使用によって、男性器の竿部分と玉部分の両方を股(下から後ろ?)に押し込んで、女性のような平坦な股間にするのです。アソコのサイズ次第では、それなりの苦痛を伴うようですが・・・レオタードやビキニのような股間がピッタリした衣装の時には「タック」することは絶対的に必要な作業であります。

何でも大袈裟に表現するのがドラァグクィーン・・・形容詞の最上級には事欠きません。「Eleganza Extravaganza/エレガンザ・エクストラバガンザ」=「エレガンス」の最上級。「fierce!/フィアス!」=「上出来」の最上級。「Sick'ning/シックニング」=「素晴らしい」の最上級。一昔前ならば・・・なんでもかんでも「Fabulous!/ファビュラス!」と表現されていましたが・・・現在では、死語(?)に近いかもしれません。形容詞の使い方次第では、世代がバレることがあるのです。

女性”らしさ”を表現している女装を「Realness/リアルネス」と言いますが・・・ドラァグクィーンの「リアルネス」は、本物の女性として「パス」すること”だけ”が、目的ではありません。あくまでも、ドラァグクィーン的なステレオタイプの”女性像”を強調しているということ・・・「1950年代のサントロペでバケーション中のファッションモデル」とか「パーク・アヴェニューでランチする上流階級のご夫人」とか、ほぼ”妄想”と”思い込み”(?)の世界観による”リアルな”スタイルだったりします。反対語として言われるのが「Fantasy/ファンタジー」・・・こちらは「パリコレのモデルがスーパーガールになったら」とか「エジプトのミイラのグラマーに生き返ったら」とか、現実ではまずアリエナイ設定によるスタイルのことです。

「Honey/ハニー」というのは一般的にパートナーなど(愛する人)を呼ぶ時に使われます。逆に、女性に対して侮辱的な罵倒する呼び名として使われるが「Cunt/カント」(女性器の意)・・・そこで、仲の良いドラァグクィーン同士は「ハニー」と「カント」を合成して「Hunty/ハンティー」と呼び合います。

ドラァグクィーンの多くは「ゲイ男性」・・・化粧を落とした時、男性として”も”(?)魅力的なドラァグクィーンのことは「Trade/トレード」と呼びます。ハンサムな男性が必ず美しいドラァグクィーンになるわけではありませんが・・・多くのドラァグクィーンは日常生活は男性の姿で過ごしていることが多いので、男としても魅力的というのは、さまざまなケースでアドバンテージがあるのかもしれません。

そして、ドラァグクィーン同士でセックスすることは「Kai Kai/カイカイ」と言って、ちょっとした秘事・・・一般的にドラァグクィーンは、より男性的な男性を求めることが多いので、ドラァグクィーンの間で肉体関係が発生することは、滅多にありません。ただ、希に”似た者同士”でくっついてしまうこともあり・・・このような場合、パートナー同士で化粧品、かつら、衣装、補正下着などを貸し借りできるという利点はあるでしょう。

7:「ル・ポールのドラァグレース」の意義

「ル・ポールのドラァグレース」の出場者はドラァグクィーンの中でも、一筋縄ではいかない強者揃い・・・エピソード1で全出場者が揃った時点では、正直、誰にもシンパシーを感じられません。しかし、エピソードを重ねていくうちに・・・化粧、かつら、衣装の下に潜んでいる”素”の人間性が垣間見えてきて、ひとりひとりの出場者が愛しくなってきてしまうのです。まんまと演出にハマってしまっているということですが・・・リアリティー番組の神髄は、その演出が多少意図的であったとしても、出場者の人間らしい”素”の弱い部分に視聴者が共感してしまうところなわけで、「ル・ポールのドラァグレース」はバトル系リアリティー番組として、これ以上ないほど正統派であると言えるでしょう。

RuPaul(ル・ポール)は、出場者すべての「ドラァグ・マザー」的存在として、また、ドラァグクィーンの「ロールモデル」として、「ル・ポールのドラァグレース」という番組を背負っています。番組内で繰り返し使われる音楽のすべてはRuPaul(ル・ポール)の曲の一部ですし、チャレンジで使用することのできるパンプスなどもRuPaul(ル・ポール)プロデュースによるものだし、番組内のルールもRuPaul(ル・ポール)の気持ちひとつで変更可能と、まさにRuPaul(ル・ポール)カラー一色なのです。

古い友人を大切にすることで知られているRuPaul(ル・ポール)は、本番組に多くの友人をスタッフやキャストに配しています。審査員のミッシェル・ヴィサージュとサンティノ・ライスとは、20年以上の付き合いらしいですし、RuPaul(ル・ポール)のヘア&メイクを担当するMathu(マヒュー)、コスチューム担当のZaldy(ザルディー)らとも、メジャーデビュー以前からの付き合いだそうです。番組内で出演するカメラマンのMike Ruiz(マイク・ルイズ)にしても、ダンスの振り付け師のCandis Cayne(キャンディス・ケイン)にしても、古い友人・・・また、最近その存在を公言したオーストラリア人のボーイフレンド/パートナーのGeorge LeBer(ジョージ・レ=バー)とは20年来の仲であります。「ル・ポールのドラァグレース」という番組は、RuPaul(ル・ポール)に集められた長年の友人たちに支えられているのです。

RuPaul(ル・ポール)にとって、深夜のテレビトークショー番組「アセニオ・ホール・ショー」に出演することは、大きな節目となるようです。約20年前、ブレイクのきっかけになった出演時には、ド派手なドラァグクィーンの姿でしたが...今年(2014年)の出演の際には、あえて男性の姿で登場しました。ドラァグクィーンのRuPaul(ル・ポール)と男性タレントとしてのRuPaul(ル・ポール)を使い分けるというのも、RuPaul(ル・ポール)らしい選択と言えるでしょう。

2014年/アセニオ・ホール・ショー

現在、世界中のドラァグクィーンの中でも、圧倒的な美貌と存在感を誇るRuPaul(ル・ポール)でありますが・・・ドラァグクィーンとしての自己表現というエゴや、ナルシシズムの自己満足を感じさない器の大きい人格者であります。「ギャラ貰わないとドラァグクィーンにはならない!」と冗談っぽく公言していますが・・・これは、ドラァグクィーンを真面目にとらえ過ぎないバランス感覚に富んだ発想を持っているからに他なりません。また、外見的な完璧さを求める努力とプロフェッショナリズムの照れ隠しかもしれません。

ドラァグクィーンというのは、ゲイカルチャーが長年愛おしんできた文化をモザイクのように集めた”パロディ”芸術であることを、誰よりも理解して体現しているのがRuPaul(ル・ポール)だと、ボクは思うのです。

RuPaul(ル・ポール)という”ひとりの人間”の人生の集大成と言える「ル・ポールのドラァグレース」でありますが、RuPaul(ル・ポール)自身の再ブレイクを果たしただけでなく・・・”ドラァグクィーン”という存在への理解と認知度を高めることに貢献し、ドラァグ・カルチャーをアメリカ一般人のメインストリームに浸透させ続けている画期的な番組といっても過言ではありません。

オネエタレントが当たり前のようにテレビで毎日のように観られる日本で、ぜひ「ル・ポールのドラァグレース」を放映して欲しいと思います。スラングの翻訳など敷居は決して低くはありませんが・・・英語が堪能らしい(?)ミッツ・マングローブが解説者を努めるというのは、どうでしょう?できれば・・・マイナーなケーブルチャンネルとかではなく(フジテレビの有料配信のNEXTチャンネルで、シーズン1が放映されていたことがあるらしい)地方局(テレビ東京とか、東京MX?)のプライムタイムで、実現して欲しいものです!

「ル・ポールのドラァグレース」
原題/RuPaul's Drag Race
2009年よりLOGO TVにて放映
出演 : ル・ポール・チャールズ、ミッシェル・ヴィサージュ、サンティノ・ライス、ビリーB
2016年4月よりNetflixにて配信開始



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