ハタチ前後というのは、「好き」も「嫌い」も「付き合うこと」の意味さえ分からなかった・・・ボクの「恋愛の暗黒時代」だったような気がします。
ずっと記憶の隅に追いやっていた、その頃の古い記憶が、最近、昔話をする機会が何度かあって、芋づる式に次々と思い出されているのです。
アメリカ生活二年目の夏の2ヶ月間、ボクは知り合いの牧師さんの紹介でハーレムのど真ん中にあったボロボロのアパートメントで暮らしました。
エアコンさえない極貧アパートから逃れるように、日本人のゲイの友人に誘われるまま、その夏はイーストサイドのミッドタウンにあった「TOWN HOUSE/タウンハウス」というゲイバーに足を運んだりしたものでした。
そのバーは、お屋敷を彷彿させる豪華な内装がウリで、金持ちのオジサンと若いハスラーが集まるお店として知られていたようです。
当時、アジア系を好む白人(ライスクィーン)にはお金持ちが多く、そういう意味では「タウンハウス」とアジア系のゲイバーというのは多少客層がかぶっていたのかもしれません。
若いお客は、ひと昔前(1970年代風?)のモデルっぽい雰囲気が主流・・・小綺麗にラルフ・ローレンのポロシャツとチノパンを身につけて、クリニーク(当時は唯一の男性用スキンケア)のスキンケアをばっちりしたような黒人やヨーロッッパ系のハンサムが多くいて、ボクのようなタイプは店内で浮きまくりでした。
その頃、ボクはファッションに目覚め始めて、SOHOにお店のあった「パラシュート」(カナダ発のファッションブランドで、80年代初頭のニューヨークで大人気。バルーンパンツやオーバーサイズのトップスで特に有名だった)に身を包んで、髪をツンツンさせていたのですから・・・。
ひとりで飲み物をもって立っていても、誰からも声をかけられることもなく、完璧な「壁の花」と化していたボクに話しかけて来たのが、まるで映画スターのようにハンサムなフランス人の「J」でした。
長身でウェーブした髪をなびかせた「J」は、年齢的には27、8歳という感じで・・・見た目は典型的なハスラーのようでした。
しかし、浮世離れした「J」の雰囲気に、どこか惹かれるものがあったのです。
「もしも、彼がハスラーだとしても、ボクには何も払えない」
・・・それだけは、ハッキリしていたことでした。
また逆に、こんなハンサムなフランス人が、お金を払ってボクを買うとも思えませんでした。
金持ちオジサンと若いハスラーが集まる店内で、ボクと「J」の組み合わせは、お金とは無縁で「純粋な関係」に思えました。
その夜、日本人の友人とはぐれてしまったこともあって、ボクは「J」に誘われるがまま・・・彼のアパートへお持ち帰りされたのでした。
彼に連れていかれたのは、五番街に近い54丁目あたりで、MOMA(現代美術館)を望む豪華なタウンハウス(昔の邸宅を階数ごとに分けた高級アパート)でした。
ベルベットのカーテンが、4メートルぐらいありそうな天井から下がっているような重厚さで、ベットも天涯付きのキングサイズ・・・鎌倉彫みたいなリリーフがヘッドボードやベットサイドに施されていて、マットレスも信じられないほどふわふわと、まるでお城のような雰囲気を漂わせていたのでした。
たくさんお酒を飲んでいた二人は、ベットになだれ込んでイチャついているうちに、そのときは寝てしまいました。
翌日は「J」のダイニングキッチンの脇にあるガラス張りのサンルームで、のんびりとサンデーブランチを楽しみました。
週末が近づくと「J」から電話があって、彼の家に泊まりにいくことが習慣となっていったのでした。
「J」は淋しがり屋で嫉妬深く、ボクが彼以外の誰とも付き合っていないことを、いつも確かめるようなところがありました。
ただ「J」とは、キスしたり、抱き合ったり・・・というだけで、激しいエッチというのは一度もなく、ボクは彼のペットのような・・・淋しさを紛らわすコンパニオンのような存在のような気分になることもありました。
それでも、映画のワンシーンのような豪華なベットルームで、ハンサムな「J」とイチャつくことで、ボクは夢の中にいるような気分になったものです。
しかし・・・そんな夢のような関係は長くは続きませんでした。
そろそろ夏も終わり、ボクがニューヨークを離れる日が近づいてきたある日、初めて平日の夜に会うことになったのです。
予定では食事だけして・・・ということだったのですが「J」がボクに何かを手渡さなければいけない用事ができて、彼の家に立ち寄ることになりました。
夜のサンルームは、まわりの部屋の明かりにほんのりと照らされた「ガラスの部屋」のようでした。
ボクは、涼むつもりで薄暗いサンルームに入って「J」を待っていたのですが・・・突然、廊下の先の玄関が明るくなったと思たったら、初老の男性が家に入ってくるのが見えました。
彼が誰なのか、まったく知らなかったのですが、ボクは瞬時に彼が本来のこの家の持ち主であることを悟りました。
そして、よく理由も分からないまま・・・ボクは無意識にサンルームの中で息をひそめたのです。
初老の男性と「J」の会話している様子が、遠くから聞こえました。
そして「J」がダイニングキッチンに入ってきたところで、ボクはサンルームからするっと飛び出して、逃げ出すように玄関から外へ出たのでした。
「J」の話によると、初老の男性は既婚者で、彼とは15年ほど一緒(囲われて)に暮らしているということでした。
27、8歳だと思っていた「J」が、実は30代半ばだったことも驚きだったのですが・・・ボク自身が「2号」さんの「2号」だったんだということが、当時はショックでした。
ただ・・・なんとなく「J」が、普通に仕事をしている人ではなく、この豪華な家が彼自身の持ち物ではないことには、ボクも薄々気付いていたような気がします。
それが「J」と会った最後でした。
それから間もなく、ボクはメイン州の大学へ入学するために、ニューヨークを離れたのです。
あれから25年以上経った今、おそらく60歳を超えた「J」は、どこで、どうしているのでしょう?
・・・忘れていた記憶が蘇ると、そんなことをボクは疑問に思ったのでした。