映画「人のセックスを笑うな」は、永作博美の演じるつかみどころのないユリが魅力的で、僕のお気に入りの邦画の一本です。
些細なエピソードと細かな心情を描く空気感によって、妙な緊張感も感じさせる映画でした。
タイトルの「人のセックスを笑うな」と内容がマッチしていない不思議さと、原作者の”山崎ナオコーラ”という不思議な作家の名前が記憶に残りました。
山崎ナオコーラの最新作「この世は二人組でできあがらない」は、主人公(栞)の生まれが著者と同じ1978年だったり、小説家を目指していたり、主人公のモノローグで書かれていたりするので、自伝的な小説といってもいいのかもしれません。
物語は大学時代に出会った一学年上の紙川との関係を中心に進みます。
栞のこころの内の言葉、二人の淡々とした会話、栞が図書館で借りた本や観た映画のタイトルによって、二人の関係を描写しているのですが、恋愛物語として感情が盛り上がるわけでもありません。
栞のルックスに惚れている紙川の思いを受け入れるということが、栞にとって付き合うということになっていくのですが・・・それは恋愛に積極的でないのに男が放っておかない女性がしてしまう付き合い方のような気がしました。
とびきりの美人でないにしても、男好きする女性にありがちな・・・。
二人は「たまプラーザ」の小さなアパートの一室で同棲を始めるのですが、紙川はアルバイトをしていた塾をある理由で辞めてしまい、栞が毎月お金を貢ぐことになってしまいます。
紙川は、自分が公務員になって生活を安定させたら結婚して、栞には自由に小説を書かせてやる・・・などと、いい加減な将来を語るような”しょうもない男”です。
同棲をやめて、お互いに連絡を取らないような状態が続いても、栞は紙川の煮え切らない態度を責めるわけでもなく、ズルズルとお金だけは貢ぎ続けます。
結局、栞は新人賞を受賞し作家としてのデビューが決まり、あっさり紙川とは別れてしまうのです。
断片的なエピソードや心情を積み上げていくことによって、主人公を妙に生々しく感じる・・・巧みな小説ではありました。
栞は人生について健気に考える感性豊かな女性として描かれていますが、女性ならではのたくましさも感じられます。
男女二人組(夫婦の戸籍)で世が成り立つのではなくて、ひとりひとりが広く社会と繋がっている・・・と、栞が悩むシークエンスが「この世は二人組でできあがらない」というタイトルの由来になっているようなのですが、二人組(夫婦)になることや男性に依存することが、彼女の人生の前提ということなのでしょうか?
自立している女性は(既婚者でも)男女二人組(夫婦)という単位で世が成り立っているなんて、前時代的な誤解はしていないと思います。
紙川との関係によって、栞がどんな小説を書いくようになったのかは明らかではありませんが、作家になるという次のステップに進んだ栞にとって、紙川はすでに不要なの存在になったのかもしれません。
文壇の男たちによって栞の作家へのレッドカーペットが引かれていたとしても、そのしたたかさを見破ることは難しく・・・こういう女性には、とても敵わないのです。