遅ればせながら・・・川崎IMAXシアターで「アバター」を観てきました。
自宅の大型液晶テレビとサラウンドスピーカーシステムでブルーレイディスクの映画を観ると、劇場で観るよりも画面が緻密だったり、音がハッキリ聞こえたりするので、劇場に足を運ぶ機会とうののは減ってしまっています。
本格的3D超大作というアミューズメント的な売りで「アバター」が、世界興行収入歴代ナンバー1となったというのも納得です。
今までの3D映画のように”何かが画面から飛び出してくる”ことに立体感の陳腐さではなく、”奥行きによる空間”を作りだすことによる臨場感の演出は、確かに理屈にかなっています。
どんな立体技術を駆使しても、スクリーンの枠をはみ出して”飛び出る”ことはあり得ないのですから・・・。
「アバター」のテーマをひと言でまとめるなら、タイムリーな”環境問題”ということになるでしょう。
ただ、この映画を観て環境問題に目覚める・・・というような観客はいないとは思います。
インディアンの迫害(ナヴィ族=アメリカインディアン)、ベトナム戦争(ヘリコプターによる攻撃)、9・11テロ(巨大なツリーの崩壊)などの、アメリカを自己批判するようなメッセージというのは、は近年のハリウッド映画では、ベタな正論のステレオタイプでしかありません。
ジェームス・キャメロンが以前監督した「エイリアン2」では、シガーニー・ウェイバー扮する人間の女性が、モビールスーツで「Get away from her, you bitch!」と叫んで、エイリアンの親玉と戦い勝利しました。
「アバター」では、人間の悪の化身のような大佐が、モビールスーツで「Come to Papa!」と挑発して、ナヴィ族の女性の矢に敗れます。
死にそうな主人公(地球人のサイズ)を抱きかかえる巨大なナヴィ族の女性の姿は、ミケランジェロの「ピエタ」を思い起こさせました。
「ターミネーター」シリーズでも「タイタニック」でも、キャメロン監督作品で描かれる”女性”は、常に圧倒的にパワフルで、体格的にも大きさを感じさられます。
それはキャメロン監督自身の女性像そのものなのかもしれません。
アメリカ白人の中には、有色人種(アメリカインディアン、日本や中国のアジア、インドなど)のネイティブな文化への強い憧れを持っている人たちが60年代後半(ヒッピー全盛時代)から存在しています。
資本主義と圧倒的な戦力で世界を征服し続けるアメリカ白人社会では落ちこぼれの主人公が、アメリカの価値観を根底から覆すスピリチュアルな社会でヒーローとなっていく物語というのは、ヒッピーの理想かもしれません。
ただ、そのようなメッセージを訴えるジェームス・キャメロン監督自身は、興行的に世界征服を果たした、まるでアメリカ白人の資本主義の頂点に立つような存在でもあるということは、ある意味”皮肉”ではあります。
物語の薄っぺらさを指摘されがちな「アバター」ですが・・・アメリカ社会を皮肉る左翼的なメッセージと、あらゆる引用の伏線を張り巡らしながらも、世界中の誰にでも受け入れられる映画仕上げてしまう「ハリウッド映画の職人芸」の頂点であることは間違いはありません。
「アバター」
原題/Avatar
2009年/アメリカ
監督 : ジェームス・キャメロン
脚本 : ジェームス・キャメロン
出演 : サム・ワーシントン、シガニー・ウィーバー、ゾーイ・サルダナ
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