2010/10/28

勝間和代が「Facebook」に登録!・・・インターネットでの実名/匿名問題を改めて考えてみました



「Facebook」は、アメリカのハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグ(現在まだ26歳!)が2006年に始めた世界で5億人が登録している世界最大のSNS(ソーシャルネットサービス)です。
日本以外では、爆発的にポピュラーな「Facebook」でありますが・・・日本では、いまいち「ブレークしている感」がありません。
そこには、インターネットは「匿名」=「ハンドルネーム」で・・・という日本のネットユーザーの匿名性に対する独特の感覚が関係しているのかもしれません。

あの、勝間和代が、今月12日「Facebook」に登録しました。
元々、日本のインターネットでの実名、匿名性の問題に関しては、何かとモノ申してきた勝間和代ですから・・・「Facebook」の基本「実名登録」というのは、カツマー的には理屈の通った「SNS」と言えるのかもしれません。
登録とほぼ同時に、自身の公式ファンページまで開設し、日本での「Facebook」の顔になろうという勢いさえ感じさせます。
「Facebook」の本格的な日本進出で「Mixi」との連携を始めるということなので、満を持しての「勝間和代、フェイスブック参戦!」というところでしょうか?
「Twitter」の時にも、広瀬香美らと共に”勝手に宣伝部長”をの名乗り出して、逆に(?)日本でのツイッターの普及を遅らせたのでは・・・とも言われる「勝間和代の逆影響力」。
勿論、勝間和代が始めたから「私もFacebookやる!」という方も、たくさんいらっしゃると思いますが、むしろ「勝間和代がやっているから、やりたくない!」っていう”カツマーアレルギー体質”の人もたくさんいるわけで・・・彼女の余計な普及活動が「Facebook」の逆風にならないことを祈るばかりです。

ボク自身、この「めのおかしブログ」では、プロフィールでの顔出しはしているものの「ハンドルネーム」=「おかしライター」しか公開していません。
これは、個人情報を保護するためというよりも・・・営業/宣伝活動ではないのにも関わらず、わざわざ実名公開をするというのも「自己顕示欲」の塊みたいに思ったからです。
実際、ビジネス(多くの場合、自営)に関連したブログやホームページをしている人は、現実の営利に反映していくことが目的でもあるわけで・・・実名を公表しないとビジネスが成り立ちにくいということもあるでしょう。
ビジネス的な広がりを特に求めていないボクが、趣味のブログを始めるにあったて、実名をあえて前面に出して活動を始める必然性を感じなかった・・・というだけです。
また、現実のコミュニケーションで十分で、あえて匿名でインターネット上だけでの人間関係を築きたいという欲求も特にありませんでしたし、ネットだけでのコミュニケーションというモノの意義もよく分かっていませんでした。
そもそも、実名さえも名乗らない関係に、馴染めなかったのです・・・。

「ハンドルネーム」だけでのコミュニケーションに「違和感」をボク自身が感じたのは、プレイステーション2のネット専用ゲーム「ファイナル・ファンタジー11」(2002年のサービス開始直後から数年間プレイ)でした。
ゲーム内のキャラクターとハンドルネームだけしかお互い知らない者同士というのが、リアルな世界で培った人間関係のどれにも当てはまらず、なんとも奇妙な気がしたものです。
結局、育てたキャラごと、リアルな友人ゲーマーにアカウントを引き取ってもらいました。
また、サービス開始後のそこそこ早い時期に、ボクは「Mixi」にも登録したのですが・・・「ハンドルネーム」の違和感が拭えず、これもハマることはありませんでした。
ボクが招待して始めた友人の一人がミクシィにハマっていくにつれ、キャラ(人間性)が別人になっていく様子をみたことも、ミクシィを敬遠することになった理由かもしれません。
「2ちゃんねる」に至っては、匿名性のマイナス部分だけを感じさせられることが多過ぎます。
匿名同士のコミュニケーンの(無責任な)楽しい部分も理解出来ますが・・・すれ違いや衝突が起きた時に和解や弁解するような機会もなく、キーボードで打ち込まれた言葉だけが一人歩きしてしまうような印象があるのです。
ボクのような人は・・・匿名性の気軽さよりも、リアルな人間関係以上に気遣い疲れてしまうものなのでした。

ツイッターを実名、もしくは実名に近いアカウントという方もいるでしょうが・・・有名人でもなく、営業ツーツとして使わない個人ユーザーの多くは「ハンドルネーム」での利用が殆どだと思います。
ツイッター登録者数はアメリカの方がまだまだ多いらしいですが(人口も日本の二倍以上だし)・・・ひとり当たりのつぶやき数では日本は世界一多いそうです。
おそらく、ハッキリと自己表現するのではない「つぶやく」という行為が、日本人の気質やコミュニケーション方法に合っていたのかもしれません。
日本人のツイートの大半は、何気ない「ひとりごと」・・・特に何かを訴えようというような意思があるわではなく、漠然とした自分の行動や気分の「報告」のようなことが多いよう感じるのは、ボクだけでしょうか?
ボクは以前「ミニエッセイ」を書くつもりで”140文字ピッタリのツイート”をしていましたが、ある友人から自分の言いたいことだけ書く一方的なツイートは「傲慢だ」と指摘され・・・RT(リツイート、正しくはQTか?)で元文が引用出来る程度の短くて、ツッコミ可能(?)なツイートを心がけるようにするようになりました。
そうして・・・ボクもネット上だけでのコミュニケーションというのも経験するようになり、やっと最近になって「ハンドルネーム」だけでの関わりというのに免疫ができてきたような感じです。

知らない者同士だからこそ、アドバイスを求めたり、参考にしたり、励まされたりというコミュニケーションがより生まれることというのは、あるとは思います。
また、ブログで、経済的なアドバイス、美容のケア、精神的なカウンセリングなど、自分の身分を明かさずに専門家の意見を聞いてみたいということはあるでしょう。
しかし、たわいない内容なら、まだしも・・・あまりに深刻な問題について、匿名のまま”専門家”という立場匿名なので、ちゃんとした専門家であるかは、確かめようがありません)で、相談にのっているブロガーというのは、ちょっと問題があると思います。
アクセス数が多い人気ブロガーということが、その人の専門的な能力を保証するわけではありません。
もちろん、実際に専門家と会ったとしても能力の保証はないかもしれませんが・・・最低限の身元はハッキリしています。
まぁ、今は何でもかんでも自己責任という時代・・・ブログを読んで、各自がリスク判断すれば良いということなのでしょうが。
ただ、冷静になって考えてみると・・・毎日毎日、一日に何回もブログを更新する(アクセス数アップのため?)ほど時間のある”専門家”って「どんだけ、本業をやっているの~?」っていう話です。
現実の世界だったら誰でも「ちょっと変だな」と思えることも・・・ネットだけしか見ていないと、ネット内だけに存在していることを無条件に信頼してしまう「怖さ」というのもあるのかもしれないと思うのです。

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