1968年、アンディ・ウォーホルは「未来には、誰でも15分間は世界的な有名人になれるだろう」と予言のような言葉を残しています。
それは「テレビ時代」を見据えての発言だったのですが、その後の「インターネットの時代」までは、さすがのウォーホルさえも予見出来なかったのかもしれません。
テレビというメディアは、ウォーホルが語ったとおりに、いろんな人に15分間の名声を与えましたところはあるでしょう。
特にアメリカにはテレビ局自体の数が多くて、ケーブルテレビのパブリックアクセスまですると、テレビによってちょっとの間だけ有名になる人というのは、まさに星の数ほどいるのです。
それは素人出演の番組であったり、世の中を騒がすスキャンダルや事件だったりしたかもしれません。
ホームビデオの登場は、テレビに映る自分の姿ということ自体の意味も薄くしたかもしれませんが、ビデオ投稿で構成される番組というものもあるくらいですから・・・テレビに出演するという感覚の敷居を低くもしたでしょう。
ただ、放映されるテレビ番組に出ることは、仲間内やご近所の範囲に限ってであっても、様々なメディアが存在する現在でも15分ぐらいの名声は与えてくれるのかもしれません・・・。
インタ-ネットというメディアはテレビ放映のように一瞬にして消えてなくなるわけではないけどれど、個人のホームページやブログ、またはYouTubeの動画投稿などを、人が見るのは15分もないよう思います。
検索エンジンに引っ掛かったキーワードに導かれたり、どこかのリンクから訪れてくたとしても、誰かのパソコンの画面に目を走らせる時間なんて、もしかするとせいぜい15秒程度なのかもしれません。
個人的に知り合いでもなければ、その15秒さえも閲覧することなしに、他のコンテンツやバックボタンを押しているかもしれないのです。
「Twitter」など自分のつぶやきを瞬時に伝えられる手段が出てくると15秒どころか、1.5秒ぐらいしか耳を傾けてもらえていないのかもしれません。
そこまで細切れのコミュニケーションばかりが溢れていくことは、すでに個人の表現でも何かの主張でもなく、単に誰かと繋がっている・・・という、人間の根源的な「つるむ」という行為に戻っていっているだけのような気さえします。
誰からか分からなくても、誰からの何らか、すれ違うような僅かな反応を求めて・・・。
芸能人でもない、何かのカリスマでもない、ネットビジネスをやっているわけでもない、そんな人間がブログを書いたり、ホームページを公開したりする意味って・・・すれ違うような、ほんの僅かな瞬間をつくっているだけに過ぎないように感じてしまうのです。