若い頃、歳をとると人間というのは「まるくなる」と思っていたんだけど、実際に自分が歳をとってみると・・・そんなに「まるくなった」という感覚はないものです。
ボクは子供の頃から「個性的な子ね~」と事あるごとに言われて育ってきたのですが・・・「個性的」というのはモノの言いようで、感じたままの感情を露にするような子供ということなのでした。
実家を離れてひとり留学したのは18歳の時、日常会話もままならないレベルの英語しか話せなかったこともあって、授業以外は同じ英語学校に通っていた日本人留学生と行動を共にしていました。
1981年当時は、東海岸のニューヨークに英語留学する日本人というのも多くなく、ボク以外の日本人は日本で大学を卒業した23~4歳の人という「お兄さん」「お姉さん」ばかり・・・その中でもボクはダントツに若かったのでした。
初めての一人暮らし、それも海外ということもあっって、まだまだ子供だったボクは常に情緒は不安定・・・とにかく周りのお兄さんやお姉さんは、どのように接してあげれば良いのか随分と困惑していたそうです。
自分でも自分の感情をコントロールしきれないので、何かをきっかけに急に怒りだして口を利かなくなるなんてことは日常茶飯事でした。
それでも、ホームシックになることはなく、何かが辛くても、絶対に涙を流すことは一度もありませんでした。
振り返ってみれば・・・感情はギンギンに尖っていて、メチャクチャ気を張っていたというところなのですが、本人には、何が何だか分からないものなのであります。
そんな風だった若い時のボクの願いのひとつは、早く歳をとって「まるくなりたい」なのでした。
ただ、気付いてみれば40歳を過ぎ・・・あれよあれよと50の大台も見えてきたところで、ふと「まるくなる」って一体、何なんだろうと考えたわけです。
世間一般的には「怒りにくくなった」とか「人を許せるようになった」とか、人間的な器が大きくなったということを差しているのだと思います。
確かに、20歳ぐらいまでのボクを知っている友人からすれば、確かに、そういう意味で「まるくなる」という印象は与えるのかもしれません。
しかし、内面の感情というものは、実はそれほど大きく変わっているわけでもないのです。
ムカつくことも、悲しいことも、許せないことも・・・同じ。
何が変わったかと言えば、その感情を表面にモロ出すか、出さないか(今でも顔に出ているかもしれませんが・・・)の違いというだけなのかもしれません。
自分の感じている感情の対処方法を学んだだけで、心の中の感情は何も変わっていないのです。
時々、自分がまだ子供の時に感じた気持ちと、まったく同じ感情を持っている”今の自分”に驚くことがあります。
「人間は変われる」と言うけれど・・・「人間は変わらない」というのも正しいのです。
20代の頃までは、友人とも口喧嘩をしたり、討論をした記憶がありますが・・・最近は、そんなにムキになることもなくなりました。
それは、ある意味「大人の付き合い方」というのを心得ているだけなのかもしれません。
相手をいたずらに傷つけることもないし、後日、謝らなくてはならないような失言もしなくて済みます。
表面上はお互いに感情を高ぶらせることもなく受け流して、正面衝突しないような技は身につけてはいるのですが・・・本当の感情というのは正直なもので、頑固というか、融通が利かなくなるというか、結局のところ、誰も自分を曲げずに何も解決しないなんてことも、よく起きるのです。
結局、歳とったからといって「まるくなる」わけではなく、徐々に人はますますその人らしさを増して「濃くなる」という方が正しいような気がします。
濃くなった者同志が、お互いの濃度をそのままに、体よく関わる手段として「突き詰めない」「結論を求めない」という適度な距離感を保つということが「まるくなる」ように見えるのかもしれません。
若い頃は「本音」をぶつけ合うことに意味があると思っていたけど・・・歳をとってくると何が何でも守りたい「大切なこと」なんていうのも、それほど沢山あるわけではないことにも気付いたりします。
それでも、やっぱりボクは「まるくなる」ことはなく・・・ますます漠然とした自分が「濃くなる」ことを楽しんで生きているのです。
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