「カルト映画」というジャンル自体が一般的になってしまって、宣伝文句として使われることが多くなってきたような気がしますが「ロッキー・ホラー・ショー」は、まさに「キング・オブ・カルトムービー」と言えるでしょう。
とは言っても、ボクと同世代の人(50歳前後)でも「知らない」という人が多いでしょうし、日本人の若い世代にはまったく馴染みはまったくないかもしれません。
「ロッキー・ホラー・ショー」は、1973年に初演されたイギリス人リチャード・オブライアン(Richard O'Brien)作のロックミュージカルの舞台劇です。
トランシルベニア星雲のトランスセクシュアル星人であるトランスベスタイト(女装倒錯者)のフランクン・フルター博士が人造人間を作っている屋敷に、ジャネットとブラッドというカップルが迷い込むという「フランケンシュタイン」をベースにしたようSFチックなストーリーであります。
ロンドンで舞台は成功し、オリジナルキャストによる低予算で、1975年に映画化されました。
ティム・カリー(Tim Cyrry)主演の映画版(海外では「The Rocky Horror Picture Show」というタイトル)は、完璧といって良い完成度を誇るといっても良いでしょう。
ド派手なコスチュームとメイクに、性倒錯や麻薬などの反社会的なメッセージを詰め込みながら、1950年代のB級怪奇SF映画やゲイ好みの往年のハリウッド女優のパロディを、随所に盛り込んでいます。
ティム・カリーが演じたフランクン・フルター博士のビッチなおネエっぷりは、おそらくその後の全てのアメリカの女装パフォマーに何らかの影響を与えているといっても過言ではないでしょう。
舞台デザインや衣装、そして物語は漫画的でありますが、音楽的には洗練されていて、オリジナルキャストの細かい所まで役柄を理解している演技が、舞台版の小劇場の良さを、より映画的に表現していました。
映画は当初興行的にはそれほど成功しなかったようですが、ニューヨークやロスアンジェルスでは、同じ客が訪れるというカルト的な人気を博したため、ミッドナイト上映という形で上映が続けられるということになったのです。
そして、シャドウキャストによる参加型の上映という伝統が、公開から35年経った今でも引き継がれ愛され続けているといるのです。
アメリカの片田舎では今でも「オタク」的なティーンエイジャーにとって「ロッキー・ホラー・ショー」の上映会の洗礼というのは、必ず通過すべき儀式(童貞/処女喪失に匹敵するような)のひとつであるのかもしれません。
ボクが「ロッキーホラーショー」の存在を知ったのは・・・大和和紀先生の漫画の中で、ギャグとして時々登場してくる女装キャラでした。
ただ、そのキャラクターが、何から引用されていたかは分かっておらず「フランクン・フルター」というのが、当時の少女漫画家のあいだで話題になっていることだけは知ることができたのでした。
「ロッキー・ホラー・ショー」は、1976年8月に日本で劇場公開されているのですが、ボクはロードショーでは観ていません。
日本でも興行的には成功しなかったようですが・・・ロードショーが終了してから熱狂的なファンによって上映会を行うという形で、公開後も観ることができたのです。
映画少年の必須だった「ぴあ」を愛読するようになったボクは・・・次第に名画座で古い映画を観るだけでは飽き足らず、自主上映の映画にハマっていったのですが、その中で「ロッキー・ホラー・ショー」を実際に観る機会に恵まれました。
当時の自主上映会で扱われているような映画について書かれているような文献も少なかったので、とにかく自分の足を使って観に行くしかなかありませんでした。
ボクは、完全に無修正(!)で上映されていたジョン・ウォーターズ監督の「ピンクフラミンゴ」(1972年製作)は、何度も新宿コマ劇場近くの上映室のような小さな部屋へ観に行っていました。
入場料は1000円でしたが、満席でも12人ぐらいしか入れないという狭い所で、どこか怪しい営業方法でした。
その他、ジャン・ジュネの「愛の唄」とか、グリフィスの「イントレランス」などの、当時、日本では正規の方法では観ることのできなかった映画が、この場所では上映されていました。
そういう自主上映の映画の中でも、観客を集めて最も商業的にも成功していたのが「ロッキー・ホラー・ショー」だったのです。
上映会は、広い会議室のような所だったり、公民館みたいな場所だったりの、200人ぐらいが入ればいっぱいぐらいの会場だったと記憶しています。
ボクが「ロッキー・ホラー・ショー」の自主上映会に足を運ぶようになった1980年頃には、お決まりの「ツッコミ/合い手」や「小道具」といった独特の”観賞術”というのも、すでにファンのあいだでは確立されていました。
結婚式シーンでの「お米」、大雨のシーンでの「水鉄砲」「新聞紙」「傘」、屋敷を明かりを見つけるシーンでの「ライター」・・・「クラッカー」「トイレットペーパー」など、など。
さすがに、その当時は登場人物のコスプレして、スクリーンの前で映画のシーンを演じる(シャドウキャストによる参加型上映会)は日本では行われていませんでしたが・・・。
ちなみに日本でシャドウキャストを行った上映は、ニューヨークに遅れること12年あまり・・・1988年の劇場再公開のときだったようです。
1981年9月、ニューヨーク大学の英語学校に留学したボクは、通学路にある「エイト・ストリート・プレイハウス/8th Street Playhouse」で、毎週の金曜日と土曜日に「ロッキー・ホラー・ショー」がミッドナイト上映されていることを知ります。
ここは、ニューヨークの芸能専門学校の若者を描いた「フェーム」という映画のなかで、引っ込み思案の女の子が「ロッキー・ホラー・ショー」のシャドウキャストに参加することによって、自分の殻をやぶるという重要なシーンに登場する、知る人ぞ知る有名な映画館だったのです。
さっそく、友人を連れ立って金曜日のミッドナイト上映会に行きました・・・ボク以外は勿論「ロッキー・ホラー・ショー」初体験の面々です。
観客の半分ぐらいは、なんとなく仮装しているような映画館で、我々は結構浮いていました・・・・。
スクリーンの前でパフォーマンスが行われるとは知らなかったために、一番前の客席を陣取ってしまい・・・シャドウキャストの人たちからは、ちょっと怪訝な顔をされてしまいました。
ただ、目の前で登場人物と同じ格好をしたキャスト達が、スクリーンと同じシーンを演じているのを、目の前でみる白熱した情熱にインパクトを受けたのでした。
ニューヨークでは映画公開の翌年(1976年)から、シャドウキャストによる参加型の上映スタイルが定着していたようで、1981年には、いくつかのシャドウキャストのチームがニューヨークには存在していたようです。
当時のシャドウキャストによるパフォーマンスは、映画のコピーを目指していたものの、それぞれのキャストがキャラターを自由に演じていたという感じで、のびのびと観客とともに楽しむという感じでした。
ボクも「タイムワープのダンサーのひとりで良いから、シャドウキャストになりたい!」なんて考えたこともありましたが・・・当時はニューヨークに留学したばかり。
話しかけるほどの勇気も、会話をする英語力もなく、その後も何度となく観客のひとりとしてミッドナイト上映会に足を運ぶだけでした。
それでも、日本での自主上映会と合わせて、少なくとも50回は劇場で観ていますが・・・マニアからすれば、まったく話になれないほど少ない回数でしょう。
大半のアメリカ人のティーンエイジャーが「ロッキー・ホラー・ショー」を、徐々に卒業していくように、そのうち、ボクも上映会に足を運ぶことはなくなりました。
アメリカで「ロッキー・ホラー・ショー」がビデオ化されたのは1990年頃だったと思うのですが・・・ボクの中では「思い出の映画」のひとつになっていたのです。
ビデオ化されるまでは「ロッキー・ホラー・ショー」を観るためには、上映会に行かなければなかったのですが・・・それ故に「伝説のカルト映画」という特別な地位を確立していたところもあったのかもしれません。
ビデオ化されたことで、ボクにとっては、ひとつの時代が終わった印象も、正直いってありました。
ただ、逆に自宅でも何度も観れるということが、その後アメリカ全土にシャドウキャストによる参加型上映会を、さらに広めていくことにもなったようです。
ビデオで何度も観ることが可能になったことにより、些細な衣装のディテールから、指先の動きまで完全コピーすることが、特にアメリカのシャドウキャストの「お約束」という風潮も、なっていったのかもしれません。
映画の中でコロンビア役を演じたリトル・ネルは、1988年にニューヨークのダウンタウン(8番街近くの14丁目)に「ネルズ」というナイトクラブをオープンしました。
当時、ボクは「ネルズ」から100メートルぐらいしか離れていないアパートに住んでいたので、夜な夜な通ったものです。
「パラディアム」「マーズ」「トンネル」「MK」など、大型で商業的なナイトクラブのブームからの反動で、こじんまりとしたクラブの人気が高まってきた頃だったように思います。
古い屋敷のようなアンティーク調の家具や調度品で埋め尽くされた内装で、一階はバーとダイニング、地下がダンスフロアという作りが、当時は逆に新鮮に感じたものでした。
そして、何よりも「ロッキー・ホラー・ショー」に出演したリトル・ネルがやっているナイトクラブであるという事が、当時では大変なステイタスであり、大きな話題だったのでした。
「ロッキー・ホラー・ショー」の出演者は、ファンにとっては、いつまでも崇拝する存在なのです。
製作35周年(ちょっと中途半端な気がしますが・・・)を記念して、フランスに続いて日本でブルーレイ版が発売されました。
(フランスでは9月15日、日本では10月2日、イギリスでは10月18日、アメリカでは10月19日、ドイツでは11月5日)
自主上映会に使われていたオリジナルフィルムというのは、かなり使い回されていたのでしょう・・・大型液晶テレビで久しぶりに観た「ロッキー・ホラー・ショー」は、ボクの記憶の中にある以上に遥かに鮮明で、心が揺さぶられるほどでした。
ボク自身の嗜好や趣味が、どれほど「ロッキー・ホラー・ショー」の影響を受けていたかを、改めて実感させられましたのです。
まさに「タイムワープ」して、未来に輝かしい可能性を感じていた若い日に戻ってしまいます。
そこは・・・「ボク」自身が「ボク」であった”懐かしい時代”でした。
「ロッキー・ホラー・ショー」
原題/The Rocky Horror Picture Show
1975年/アメリカ
原作、作詞、作曲:リチャード・オブライアン
監督 : シム・シャーマン
脚本 : シム・シャーマン、リチャード・オブライアン
出演 : ティム、カリー、スーザン・サランドン、バリー、ポストウィック、リチャード・オブライアン、パトリシア・クイン、リトル・ネル、ジョナサン・アダムス、ピーター・ハインウッド、ミートローフ、チャールズ・グレイ
追伸
2011年12月から3ヶ月間に渡り、パルコ劇場で「ロッキー・ホラー・ショー」の舞台が上演されるそうです!
演出は劇団☆新感線の”いのうえひでのり”、フランクン・フルター役は”古田新太”ということであります。
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