2010/06/04

「孤独死」の前、老いの不安・・・ひとり暮らしの老人がボケたら、どうなるんだろう?


1年半前のクリスマスに、飯島愛が自宅でひとり亡くなっていたことが報道されて以来「孤独死」という言葉を意識するようになったような気がします。
大原麗子のように、亡くなるまで数日はひとりで倒れていたのでは・・・なんて憶測が報道されると「孤独死」の恐ろしさをしみじみと感じさせられてしまうものです。
命に関わるような病気も生死をさまようような事故も経験したことなく、体のどこかは不自由だったり薬が必要な持病もなく、ありがたいことに「健康」であることが当たり前であるように生きてきたボクにとって、「老い」=「孤独死」ぐらいしか「老いの不安」という発想ができないところがあります。
それでも、ボクは自分の住み慣れた自宅で死ぬことが出来る方が、病院のベットで死ぬよりも良いような気がしています。
兄弟/親戚なし、パートナーなし、勿論、子供なしのボクにとって「孤独死」は、いつか必ず起こることで・・・その「ひとりの死」を嘆く気持ちにはなれません。
「孤独死」の前にくるであろう、さまざまな老いの問題については、何をどう不安に感じるべきなのかを理解出来ていないところがあるのです。
ただ・・・ひとつ、ボクが疑問に思っていることがあります。

ひとり暮らしの老人がボケたら、どうなるのか・・・ということ。

家族がいれば「おじいちゃんボケちゃったのね~」と治療が必要だと気付いてくれるはずですが、ひとり暮らしの場合、本人が自分がボケていることを認識することはできるのでしょうか?
たとえ夜中に徘徊したって、本人にしてみれば外を歩いて迷子になってしまったってことだろうし・・・食べたのを忘れて何度も何度も食事をしたって、最近太っとってきたなぁ・・・ってことにしかなりません。
また、ボケ始めている人に「ボケてますよ!」と言ってあげるのは、なかなか難しいことのようで・・・ボク自身、もし友人がボケ始めたとしても「病院に行ったら?」とは簡単には言えないような気がします。
肉体的な病気であれば、ひとり暮らしの老人でも客観的に自分が病気であることを認めることができるけど、認知症って自覚症状がどれほどあるのか分からないし、ひとりで病院に行くことも出来ずに手遅れの状態になりそうです。
ボクなんて体が大きいから、ボケ老人になったら誰も手に負えないんじゃないかと思ってしまいます・・・徘徊しているデカい老人って怖くないですか?
まぁ・・・ボケ老人をよそおおって(?)淀川さん(映画評論家)みたいに、手当り次第に身体のいい男に「お風呂入りましょう♡」って誘えれば、楽しいかもしれませんが。

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