「もっと毒を出していこう!」で、いきなりマツコ・デラックスを話題にするのも”なん”なんだけど・・・先週金曜日(2010年4月23日)放送の「徹子の部屋」の反応をネットなどでみて、ますますマツコ・デラックスの過大評価にうんざりしちゃっています。
基本的に女装タレント好きだからこそ、応援もしたいれど見る目も厳しくなりがち・・・コメンテーターとしてのマツコ・デラックスは、平凡で常識的な発言ばかりで毎度ガッカリさせらればかりいる。それにしても、金曜日の「徹子の部屋」は、無難としか言いようもないほど平凡な回だった。ネットでは、徹子さんが番組冒頭にマツコの「性別も年齢もわからない」と、コメントしたことが話題のようだけど、単に徹子さんはマツコのことにそれほど興味がなくて、ご存知ではなかったということだろう。
「テレビ界には徹子さん以外に尊敬出来る人はいない!」と、以前から断言してきたマツコだけど・・・それって、アメトーークの「徹子の部屋芸人」的な”シニカル”なツッコミの意味も含めてじゃなかったの?以前、徹子さんのことを褒めた記事を書いていたことがあると媚びるマツコに対して「では、ワタクシのどんなところが良いと、お思いになります?」と、徹子さんにツッコまれると、マツコは一瞬、言葉につまり・・・「ひと言で言うなら・・・他の人とは違うところ」という、ある意味、誰に言っても”正解”の無難な返答。「窓際のトットちゃん」を読んで「人と違っていても良いんだって、勇気もらいました!」っていうマツコの逸話も、トットちゃんを読んだ人なら誰もが感じるであろう平凡な感想でしかない・・・当然、徹子さんも本を読んでくれたことには感謝を表しつつも、軽くスルー。
「力士に間違えられた」話も、マツコがあちこちで語っている毎度お馴染みの話で、オチもいつもと同じ・・・女装していても横からだと力士にしか見えないマツコだけど、世間一般的には、そんなに面白いネタなのかな?両親には、まだ自分が同性愛者であることや、女装趣味、どんな仕事をしているか、をハッキリと言ったことがない・・・というのも、おネエタレントにはヒジョーによくある話。「マツコが女装で両親へ真実を告白!」なんて嘘臭い感動のやらせドキュメンタリーを、マツコが落ち目になった時にバラエティ番組で企画されたりするかも・・・。
毎回、ゲストの雰囲気に合わせて衣装を選ばれている徹子さんだけど、この日の衣装は徹子さんにしては地味な雰囲気のコム・デ・ギャルソン(?)・・・徹子さんはマツコに対して「とんがった」イメージを持っていられたみたい。常識的で平凡な”受け答え”しかしないマツコに、徹子さんのテンションも番組中ずっと低め・・・両親への感謝というベタな”しめ”(おネエタレントのお約束!)で、徹子さんはキレイにまとめたのでした。こういうのを「深イイ話」として感動しちゃう人がいるんだとは思うけど・・・そういう薄っぺらい感性のバカにはウンザリしちゃいます。
ゲイのお友達は多そうな徹子さんではありますが、基本的にはイケメン好き(ビーズ刺繍作家の方とか?)・・・番組中、徹子さんの体勢は若干後ろ側に引き気味で、マツコとの距離はしっかり保っておられました。他局で「マツコの部屋」という冠番組をもつマツコ・デラックスが、本家の「徹子の部屋」に出演ということで非常に注目を集めていたけれど・・・徹子さんだけでなく、「徹子の部屋」という番組の視聴者へ対しても、媚びている印象しか残らなかったのでした。
ところで、マツコ・デラックスのプロフィールには「コラムニスト」とあるけど・・・その実体を考えている人って、どれだけいるんだろう?「今朝、原稿入れたわ~」とか、時々ボヤいているけど・・・「コラムニスト」を名乗るよりもテレビタレントが雑誌に連載を持っているという程度であるのが実態。コラムニストと名乗ってテレビに出る、テレビに出ているからコラムの仕事が来る・・・ニワトリが先か、卵が先かじゃないけど、そんな感じ。マツコのエッセイが、本として出版されたのはテレビ出演する前のキワモノ系だけしかない。
元々は「バディ」というゲイ雑誌の編集者だったマツコだけど、この雑誌について一般人は、それほど詳しくは知らないと思う。ゲイバーやゲイAVの広告が雑誌のほぼ半分で、出会いの投稿欄、男性のヌードグラビア、ゲイ漫画で殆どの紙面が埋められて、編集記事というのはごくごく僅か。面白い記事は、大抵、外部のライターの執筆によるもの・・・良くも悪くも”同好者向けの同人誌”である。当時は、編集者のひとりとして「松井」という本名(松井貴博)を名乗っていたっり「松風」と名乗ったりマツコだけど・・・バディ編集部企画の合コンパーティーの女装MCとして2000年頃から「マツコDX」(当初”デラックス”はアルファベット表記)を名乗り始めたようだ。
その頃、二丁目常連の”おこげ”ライターの中村うさぎなどとゲイバーで交遊を深めたようで・・・出版社や雑誌編集者らとの”ネットワーク”を広げていったらしい。中村うさぎの書き下ろし対談集「中村うさぎ人生張ってます〜無頼な女たちと語る〜」に、まだ無名だったマツコが登場したりしている。
2002年、ソニーマガジンズから「アタシがマツコ・デラックス!」という自伝的エッセイを出版、翌年「週刊女性」誌の「週刊女装コーナー」の連載(のちに「週刊女装リターンズ」として出版)も開始・・・晴れて「ゲイポルノ雑誌編集者」から「コラムニスト」に転身したわけだけど、当時は、あくまでも「デブ」「ブス」「女装」の3本立てが”売り”のキワモノ系でしかなかった。内容的には芸能人の挙足をとるような雑文・・・すでに世間では認識されているツッコミ部分をオネエ言葉で書いているという感じ。現在は絶版になっている2冊の本だけど、マツコの名がこれだけテレビで売れたにも関わらず、再版はされていない・・・。(だだし「アタシがマツコ・デラックス!」はプレミア価格が超高騰している!)
中村うさぎと同様に「5時に夢中!」出演メンバーである中瀬ゆかりが、編集長を務めていた「新潮45」(腐っても新潮?)でマツコはエッセイの連載をしていたのだが、これで「コラムニスト」としては、多少「箔」がついたのではないだろうか?ただ、中瀬ゆかりが編集長を辞めたと同時にマツコの連載も終わってるところをみると・・・うさぎ、ゆかり、くらたまなど「5時に夢中!」メンバーでもあるオカマ好きの業界人によって、マツコは支えられていることがわかる。一部の業界人に注目される存在からテレビに進出したのは、数年前に放送されていたTBSテレビの昼のワイドショー「ピンポン」だったけど、当時は”おネエレポーター”の一人でしかなかった。
マツコの”不思議さ”は、假屋崎やIKKOらの「おネエMANS」ブームが一旦落ち着いた後に、突如、中村うさぎや中瀬ゆかりと並んで、文筆家(コラムニスト)という文化人的”ご意見番”の立ち位置でテレビタレントとして、世間に認知させルことに成功させたこと・・・マツコの所属事務所「ナチュラルエイト(くりぃむしちゅー所属)」の手腕なのだろうか?
初ゴールデン番組レギュラーの「悪魔の契約にサイン」の見事なコケっぷり、初冠番組「マツコの部屋」(マツコへのギャラ5000円という低予算番組)の内容のなさ、ぷよぷよ宣伝のためのTwitterのフォロワー獲得失敗などの汚点にも関わらず、着実に芸能界(?)への進出を果たしているマツコ・デラックス・・・出れば出るほどキャラが立つわりに、常識的な見解しかない平凡さが目立ってしまう・・・。それを、番組の時間帯や視聴者を考えて毒舌を抑えている・・・だから「マツコって頭良い!」と、勘違いしたりしている頭の悪~い業界人や視聴者がいるみたいだけど、とんでもない”買いかぶり”だとしか思えない。マツコは鋭いコメントをするというよりも、単に愚痴ったり怒っているだけなんだから・・・それに、その標的は大物じゃなくて、二代目タレントとか、若手芸人とか、ADとか、叩いても実害のない雑魚ばっかり。
テレビに出演することもある女装タレントの中だったら、自らを「女装家」という名乗るミッツ・マングローブや、コメントに意外性のある「ひげガール」に勤務のオデヲン(サンデージャポン)の方が、まだ好感が持てるのだ。キワモノはキワモノとしての、独自の視点と知性がある・・・容姿のインパクトではマツコには敵わないが、ギリギリの際で笑わせる術も巧み。ただ、体型が似ているからだけで、マツコのことをナンシー関の後継者として期待する輩もいるようだけど、コラムニストとして同じ土俵にさえいないふたりを比較するなんて、そもそもナンシー関に失礼な話だ。それに、自分がテレビに出る立場になってしまったら、挙足をとる立場には、もうなれない。
ところで、マツコって京塚昌子さんに、結構・・・似てる。「肝っ玉母さん」のイメージがフラッシュバックして、ある世代以上は無意識に好感度をもってしまうのかもしれない!
「太っている」ことが、一番のアイデンティティーのようななマツコ・デラックス・・・容姿と女装の「ギャップ」を”売り”にしているうちは、ブサイクを売りにするお笑い芸人と変わらない。・・・にも、関わらず、何故かの文化人のような大物扱いされている。テレビでわざわざ、ご意見を伺うほどでもない・・・二丁目ではよくいるタイプ。キレイじゃない女装だから、コミック系の笑い者になるべきだとも、全然思わない。(まぁ、ゲイバーだったらコミック役は、必然的に決定だけど)フツーに女装タレントと扱われているなら、フツーに応援したい。
業界人たち!いい加減にマツコ・デラックスの過大評価やめようよ。
その通り
返信削除マツコの分析はご立派。
返信削除しかし、その分析に反してマツコの方がマスコミや大企業、視聴者に愛されている。必要とされているものが社会に受け入れられている証拠。 貴方の意見がマイノリティであることを自覚すべし。