1980年代の日本というのは、僕から抜け落ちている時代です。
1981年9月15日にニューヨークの留学へ発ってから、その後10年の間に里帰りしたのは僅かに3回でした。だから、DCブランドブームも、バブル経済も、この目で目撃した記憶がないのです。
ただ、そのかわり渡米直前の1980年前後というのは、僕にとって特に記憶に残っている懐かしい時代でもあります。
吉田修一著の「横道世之介」は、そんな80年代初頭の東京を舞台にした物語です。
好色一代男と同じ名前を持つこの主人公ですが、破天荒でも、モテモテでもなく、地方から上京してきた大学生という設定で、これといった大事件が起こるというのでもありません。
彼の取り巻く同級生やアパートの住人に起こる出来事に巻き込まれたりしながら、ちょっとだけ成長していきます。
80年代を描きながら、おしゃれ感を感じさせないところは、当時の普通の学生はトレンディーな「80’s」でなく、ちょっとだけ70年代を引きずったようなダサい日常を生きていたことを思い出させました。
誘われるままにサンバサークルに入ってしまったり、同級生の男友達と女友達に子供がデキちゃって退学して結婚したり、ちょっと怪しい仕事をしている年上の女性に恋したり、天然のお嬢様に好かれてアタックされたり、都内のホテルでルームサービスのアルバイトしたり、間違って届けられたバレンタインのチョコレートが縁でカメラと出会ったり・・・大学入学の4月から翌年の3月までの一年の(ある意味)たわいもない物語が淡々と語られます。
しかし、全体からすると一割にも満たないものの、効果的に数回挿入される、現在へのフラッシュバックが、この小説のキモのような気がします。
世之介に関わった登場人物らの40代となった現在の日常が語られるのですが、20数年間に起こった出来事については一切説明がなく、それぞれの人生がどうであったのかは想像するしかありません。
ただ、世之介と登場人物らの接点は、その後はそれほどなかったことは推測出来ます。
それは、時間の流れを重く感じさせると同時に、過去の日常を懐かしく感じさせています。
物語の最も劇的な出来事は現在に起こるのですが・・・思い返すことも少なくなっていたからこそ、その切なさに強く胸を締めつけられるものなのかもしれません。
この本を読み終って、今では行方も分からなくなってしまっていたり、記憶の片隅になってしまっていた、昔の友達のことを思い出してみたくなりました。
古い写真がつまったダンボール箱をクローゼットの奥から取り出して、久し振りに懐かしい顔を見つけました。
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