ファッションデザイナーという職業を意識したのはアートスクールに通い出した頃(1983年)で、最初に興味を持ったファッションデザイナーが「三宅一生」だったりしたものだから、どうしても「ファッションデザイン」=「クリエイティブ」という幻想に囚われているような”節”が、自分にはあったします。ビジネスとしての効率を極めたファストファッションや過去の流行を繰り返し焼き直す今のトレンドというものには「ファッションデザイン」という視点では根本的に馴染めなかったりするのです。
「衣服造形家」と自らを名乗る眞田岳彦というアーティストについては「考える衣服」という本をブックストアで偶然に手に取るまで、まったく知りませんでした。
まず「衣服造形家」という発想自体が、僕にとっては「目にウロコ」的でありました。
こういう”新しいアイデンティティー”を名乗るのは、先に言ったモノ勝ちのようなところがあるとは思うのですが、僕自身がファッションデザインで潜在的に追求しようとしていたことは「衣服造形」ということではないのか・・・と改めて認識させられたようなところもあって「やられた!」という気がしてしまうのです。
「考える衣服」を読んでみると、眞田岳彦氏の「衣服造形家」としてのアートへのアプローチというのは、たいへんアカデミックで真面目なものでした。
「繊維」のコンセプトから「糸と布」の構造の考察、「色と光」の意味、文化人類学的な観点からの衣服の存在などの彼独自の研究は、ファッションデザインという方向からの視点では、当たり前のこととして改めて深く考えることもなかった「衣服を構築する元素」を紐解いていく作業のようで、興味深かいものでした。
感性で語られることの多いファッション/衣服を、男性的な論理で分析して文化、経済、教育などと関連付けることで、見えてくることもあるのです。
現代彫刻のようなフェルトの大きな塊の造形や、透けたニットで人体の影のような立体作品も発表していますが、眞田岳彦氏の代表作といえるのが「プレファブ・コート」と名付けられた、数着のコートをつなげるとテントのようなシェルターとして災害時には使用することの可能な「衣服造形」作品です。
直線裁ちの長方形のコートにフードと袖が付いているという単純な形のコート/ポンチョなのですが、つなげて大きな布になったコートは圧倒的な存在感があります。
プレファブ・コートは造形的なアート作品というだけではなく、販売を仮定した生産の仕組みから、地域のコミュニティー単位での使用、エコロジーや消費文化への警告、心的外傷ストレス障害の緩和など・・・これでもかとコンセプト満載で、社会的/文化的な深いメッセージを含んでいるとのことです。
眞田岳彦氏の経歴を改めて調べてみたら、三宅一生デザインオフィス出身の方でした。
同じく三宅一生のデザインオフィス出身で、1990年頃から「 FINAL HOME」というブランド名で、ポケットに新聞紙を詰めて保温性を高めて防寒着(シェルター)として使用出来る「究極の家」というコンセプトのコートを発表し続けている津村耕祐氏との共通点にも納得した次第でした。
三宅一生というファッション界でアート的なアプローチをしたデザイナーに師事した二人が、衣服=シェルターという発想で、それぞれの創作活動をしているということは、興味深いことです。
眞田岳彦氏はアートとしてミヤケイズムを正統に継承しているアーティストという存在なのかもしれません。
現在、三宅一生氏は直接の創作活動からは引退されていますが、このような形でデザイナーのDNAを継続させているというのは、世界的にも稀なことではないでしょうか?