いつごろから「ブリッ子」という言葉が生まれたのは定かではないけれど、松田聖子が出現したあたりから耳にしたような気がします。
僕は、明菜派でもなければ、聖子派でもないけれど、「ブリッ子」のほうにイラっとくる方なのです。
ただ、近年はアキバ系のメイドやアニメキャラが一般的に受け入れられてきたところもあって「ブリッ子」という差別的な表現するほうが、稀になってきている印象があります。
入院生活の後半の数日間は、4人部屋で過ごし周りの状況なども冷静な目で観察出来るようになっていました。
「看護婦」ではなく「看護士」という男女でも指す名称になったものの、僕の入院していた病院の看護士は全員女性でした。
看護士が女性である方が、男性患者にとってだけでなく、女性患者にとっても、なにかと都合が良いのでしょうが、仕事内容は時に力仕事も含むハードなものなので、現場に男性がひとりもいないというのは結構驚きでした。
女性の看護士には、大雑把に分けてふたつのタイプがありました。
ひとつは、仕事をテキパキとこなす元気な看護士で、どちらかというと勤続年数は長く、主任とか担当看護士というような責任のある立場だったりします。
一般の会社とかだったら課長とか係長のような「キャリアっぽい女性」です。もうひとつは、ちょっと甘ったれた口調の若い看護士で、仕事の手順が悪かったりしますが、可愛らしさでカバーして許されてしまう「ブリッ子っぽい女性」です。
普段の状況であれば、間違いなく僕は前者のタイプの女性を高い評価をするのですが、入院している状況だと「ブリッ子」というのは、ある種「癒し効果」を生むんだと感じました。
入院中というのは淡々と時間を過ごしていますが、時には体調が優れなかったり、退院出来ないストレスとかで、感情的には結構ボロボロな状態だったりします。
そんな時に、テキパキした手順の良さというのは、追い詰められられるようなプレッシャーを感じさせられます。
怒られているような気分にもなってきたりして、看護士が巡回してくるだけで妙な緊張感があったりします。
また、馴れているルーティンの仕事だからなのか、血圧検査の結果を患者に伝えなかったり、点滴の交換時間を忘れていたりとか、小さなケアレスミスが意外にも多かったのが、キャリアっぽい看護士のほうでした。
ブリッ子っぽい看護士は、しゃべり方から仕事の進め方まで、ゆっくりなのですが、それが入院している患者にとってはちょうど良いスピードだったりします。
また、上司への報告義務があるのか、業務マニュアルどおりに仕事をこなすことだけには長けていて、逆にミスは少なかったりします。
テキパキしている看護士は、体格的にガッチリしていて、いつも元気一杯でパワフルなのですが、基本的に声が大きく、またその声が院内に響き渡ります。
言うことを聞かない患者に怒鳴り続けて鍛えられた声帯・・・?と、想像してしまうほどの声量で、耳から脳に響くような声であれこれ指示されると、患者はその声を聞くだけで疲れてしまいます。
大きくなる声と反比例して、年寄りの患者はますます看護士に非協力的になるという悪循環を生んでいました。
それとは逆に、ブリッ子の看護士は、自分の手順が遅いこともあってか、とりあえず年寄りの患者を黙って「待つ」のです。ノンビリとしたスピード(悪く言えばダラダラ)に逆に心安らかになり、患者のほうから自然と看護士に協力的になっていくという好循環を生んでいたのです。
結果的に部屋全体が良い雰囲気になるし、語尾を伸ばした鼻にかかった話し方と相まって「ブリッ子」嫌いの僕でさえ、なんとなく~く癒されてしまったのでした。
ただ・・・「ブリッ子マジック」の癒し効果が発揮されるのは入院中だけで、退院が決まった直後に「お昼も食べて言ったら良いのに~」って、甘ったれた口調で言われた途端に、僕はイラっとしました。
やっぱり、現実の世界に戻ってしまうと「ブリッ子」は勘弁してくれ・・・ってことなのでした。