2016/11/23

ジャック・スカンドラリ(Jacques Scandelari)監督のカルトな世界・・・アート系エロティック映画からハードコアのゲイポルノまで~「淫蕩の沼 マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス/La Philosophie dans le Boudoir」「薔薇の懺悔/Homologues ou La soif du mâle」「ニューヨークシティ・インフェルノ/From Paris to New York」「過去を着た女 真夜中のニューヨーク/Monique and New York After Midnight」~


”マニアック”にも「ほど」があって、あまりにも”マニアック”過ぎると「誰も知らない」ということもあったりします。日本で劇場公開されている作品もあるのですが、世界的にすっかり忘れられた感があるのが、フランス出身のジャック・スカンドラリ(Jacques Scandelari)という映画監督。元々、寡作であることに加えて、フィルモグラフィーも文献によってマチマチ・・・ソフト化された作品も少なく、別名で監督しているハードコアのポルノ作品があったりするので、イマイチ全貌が掴みきれないのです。

短編映画「Models International」(1966年)が、ジャック・スカンドラリ監督のデビュー作らしいのですが、これは”モンド”ドキュメンタリー風の作品だったようです。1960~80年代のエロティック映画で知られるジョぜ・ベナゼラフ(José Benazeraf)監督が、共同監督としてクレジットされているところから、内容的には”エロティック”な作品だった推測されます。

1943年生まれとされるジャック・スカンドラリ監督が、弱冠25歳のときの作品と言われていることから「淫蕩の沼/La Philosophie dans le Boudoir」が製作されたのは、多くの文献に記述されている「1971年」ではなく「1969年」だったと思われます。おそらく1971年は、アメリカなどの映画館で公開された年だったのでしょう。となると・・・「淫蕩の沼」がジャック・スカンドラリ監督デビュー作ということで間違いないようです。


「淫蕩の沼」は、マルキ・ド・サドの「閨房哲学」を原作としており、当時流行っていたヨーロッパ産のアート系エロティック映画として、1972年に日本でも成人映画(洋画ポルノ扱い?)として劇場公開されています。1990年頃には「マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス」というタイトルで、日本でもビデオリリースされているようです。近年、本作のアート性が再評価(?)されて、アメリカのインディーズの会社から「Beyond Love and Evil」のタイトルでDVDがリリースされています。

サドの原作は、若い娘が放蕩の限りを尽くした悪徳な者たちの手さばきより、反社会的思想を我が物にする物語でありますが、本作はサド的不道徳感をインスピレーションとしたオリジナルストーリー・・・この映画が制作された1960年代には”ありがち”だった「主人公が不思議な館に迷い込んで奇妙な体験をする物語」なっています。


美青年ゼノフ(ルカ・デ・シャバネックス)は彼の真実の愛・クセニア(スシュカ)を追って、厳重にガードされた不思議な屋敷に忍び込みます。ここはイールド(フレッド・セント・ジェームス)という男が独裁的に仕切っている世の中の道徳とは無縁の欲望の館・・・サイケデリックな化粧と衣装に身を包んだ人々が乱痴気パーティーの真っ最中で、レズビアンセックス、様々な人種や年齢を交えての乱交、鞭打ちや焼き印などのSMプレイ、生きている魚やタコを使ったマスターベーションと、ゲストたちは欲望のおもむくままに様々な行為に没頭しているのです。


実は、この集まりの目的はイールドとクセニアの結婚式・・・新郎新婦としての初夜の後、新婦はゲストの誰でも交わるというのが”ルール”のようであります。クセニアを取り戻したいゼノフは、毛むくじゃらの野人に女性を犯させるという余興(!?)をゲストたちが楽しんでいる隙に、クセニアを館の外に連れ出すことに成功するのです。森の中で激しく愛を確かめ合った後、何故かクセニアはゼノフを再び屋敷に誘導・・・ゼノフの思いを裏切ってイールドとの結婚式の儀式を行ってしまいます。


目覚めたゼノフにイールドがクセニアとの特別に深い絆を説き、あるゲームを提案するのです。仮面と衣装に身を包んだ女性たちの中からクセニアを見つけた方が勝ちというもので、ゼノフが勝ったのならばクセニアと共に屋敷から立ち去れるが、もしゼノフが負けたならばゼノフは屋敷に留まらなければならないというもの・・・しかし、あっさりゼノフは勝負に敗れてしまい、イールドの家来として屋敷に閉じ込められることになってしまいます。


イールドの性の欲望の矛先は、当然のことながら(!)ゼノフにも伸びてきて・・・耐えきれなくなったゼノフは、イールドをナイフで刺し殺して発狂してしまうのです。イールドの亡き後、館の女主人として振る舞うようになったクセニアは、以前にも増して反社会的で不道徳かつ残酷なプレイに興じるようになります。クセニアの性のペットになったゼノフですが、まだクセニアへの”愛”を捨てきれていません。それを知ったクセニアは、ゼノフを館の敷地の外に突き放して、彼が存在したことも消し去ると宣言して立ち去ります。館でしか味わえない欲望の虜になってしまったゼノフにとって、それは最も厳しい懲罰だったのです。


複眼レンズを多用した麻薬的な映像、繰り返しながれるアシッドロックの音楽、当時の最先端トレンドを先取りしたような衣装やメイクアップ・・・既成概念を打ち破った怪しいテーマで、ジャック・スカンドラリ監督はアレハンドロ・ホドロフスキー、フェルナンド・アラーバル、ワレリアン・ボロズウィックなどのカルト映画作家と肩を並べたといっても過言ではありません。しかし、その後の迷走によって映画監督としては映画史から忘られたような存在となってしまうのです。

1970年に制作された「Macédoine(マケドニア)」は、ミシェル・メルシェ主演(「アンジェリーク」シリーズの主演女優)のスパイもののコメディ映画のようです。当時そこそこスターだったキャストを集めていることから「淫蕩の沼」の(そこそこの?)評価を受けての第2作目だったと考えるのが自然のような気がします。ただ、ミシェル・メルシェをはじめ出演者たちのフィルモグラフィーには記載されることが稀な作品であることから・・・「マケドニア」は興行的にも評価的にも失敗した作品だったのかもしれません。


1974年に「Hiver de Paris/パリの冬(原題)」という短編ドキュメンタリーをつくった後・・・1977年に、ジャック・スカンドラリ監督はマーヴィン・マーキンズ( Marvin Merkins)と別名で「薔薇の懺悔/Homologues ou La soif du mâle」という”ゲイポルノ映画”を監督します。当時、フランスではゲイ向けのポルノ映画が盛んに製作されるようになっており、パリの小さな映画館(おそらくハッテン場として機能していた?)で上映されていたそうです。

驚くべきことに「薔薇の懺悔」は、1986年に日本でも劇場公開されています。ニューセレクトという洋画ポルノ専門会社の配給だったことからポルノ映画館での上映だったと思われます。ただ、本作は女優が一切出演しないゲイポルノ・・・1982年頃から”薔薇族映画”と銘打って専用の成人映画館で日本製のゲイ・アダルト映画が上映されるようになっていましたから、ゲイ向けの劇場での上映だったのでしょうか?

この作品は、製作されたフランスでさえ一度もソフト化はされていないのですが、何故か日本では1995年頃にビデオリリースされています。ただ、監督名、役者の名前さえパッケージに一切掲載されておらず、ある種「ゲテモノポルノ」(?)としてアダルトコーナーに並べられていたらしいのですが・・・。


お世辞にも”イケメン”とは言えない若ハゲの主人公ジェラルド(ジェラルド・ボノム)は、新聞広告のSMプレイ募集のあったアパートの一室へ赴きます。すると、そこには縛られたまま亡くなった男性の死体が残されていまるのです。異様な興奮を覚えてしまったジェラルドは、その場で自慰行為に耽り・・・すっかりSMプレイに魅せられてしまいます。


仕事場のレストランのキッチンでは同僚の男性のアナルに野菜を挿入したり、ゲームセンターで知り合った男をいたぶったり、ナイトクラブの楽屋で口淫奉仕させたり、ジェラルドはますますSMプレーにハマっていくのです。そんな時、ディスコで知り合ったのが黒い巻き髪の青年(ジーノ)と出会い、二人は付き合い始めます。ゲイの友人らが集まるプールのハッテン場に出向いたりして、皆で仲良く乱交に励むといった、ほのぼの(?)とした関係を築いていくのです。


しかし、フリーセックスを楽しむのが当時流行りのゲイのライフスタイル・・・ジェラルドは恋愛に縛られない自由なライフスタイルを求めて、黒い巻き髪の青年との別れを決心します。新聞広告で以前死体と遭遇したSMプレイの募集を見つけると、ジェラルドは再びアパートの部屋を訪ねるのです。そこには次の犠牲者を待ち構えるかのように、イーグルの刺青を尻にした男たちがいて、ジェラルドに襲いかかってきます。何とか部屋から脱出して逃げ切ったジェラルドを車で待っていたのは、黒い巻き髪の青年・・・ジェラルドはSMプレーの闇を知り・・・”モトサヤ”に納まって「めでたし」となるのです。

オープニングとエンディングには、バタイユとマルキ・ド・サドの一節を引用して、深いテーマを掲げているようではありますが、本作は基本的にハードコアのゲイポルノ映画・・・物語の流れを遮るかのようにセックスシーンが挿入されているので、映画としては何ともテンポが悪いのです。また日本の検閲問題として、必要以上に大きな”ぼかし”が入っていたり、猥褻な箇所を避けるために画面の一部だけをクローズアップにしたり、結合部分はコマ送りの映像を繰り返したりと・・・「性器を映さない」「結合部分を見せない」ための特殊効果(?)によって、なかなかシュールな映像となっています。

薔薇=同性愛というイメージは、ゲイ雑誌「薔薇族」に由来する日本特有の感覚ですが「薔薇の懺悔」という邦題は「同性愛に対しての罪悪感」を印象づけるタイトルであります。ただ、映画の中で主人公のジェラルドが懺悔することはないし、宗教的な罪悪感を表現しているわけでもなく、内容とは関係のないように思えますが、なんとも意味ありげで”良いタイトル”かもしれません。

本作が製作された当時・・・1970年初頭のアメリカでのハードコアポルノ解禁を受けて、欧米では第一次ポルノブームでした。革新的な表現手段として、ハードコアポルノ(ゲイだけでなくストレートも)は、”ポルノチック”と呼ばれてクリエティブでおしゃれでだったのです。そんな時流の中でハードコアのゲイポルノ映画というラジカルな方向性をジャック・スカンドラリは、映画監督として見出したということだったのでしょうか?

1977年前後にジャック・スカンドラリ監督は住まいをニューヨークに移したようです。1978年には寡作のジャック・スカンドラリ監督には珍しく、1年間に4本作品を発表するのですが、もしかすると「Brigade Mondaine」が撮影されたのは前年だったかもしれません・・・というのも「Brigade Mondaine」はフランスで、他3作「過去を着た女 真夜中のニューヨーク」「ニューヨークシティ・インフェルノ」「Un couple moderne」はニューヨークで撮影されているからです。

「ブリジット・モンディーン/Brigade Mondaine(原題)」(英語タイトル「Victims of Vice」)は、ヨーロッッパで出版されたパルプ・フィクション小説シリーズの映画化のようで麻薬と売春の犯罪捜査班がSMクラブに侵入するお話・・・当然のことながら”売り”はヌードとセックスシーンのようであります。原作がフランス語でしか出版されていないようだし、出演している俳優も有名でないし、映画版もヨーロッパ数国でしか公開されていないようなので、本作は殆ど知られることなく世界中で一度もメディア化はされていません。


「ニューヨークシティ・インフェルノ」は、完全なハードコアのゲイポルノ映画・・・1980年代中頃までニューヨークのミッドタウンにはゲイポルノを専門で上映する”ハッテン映画館”があり、週替わりで上映されていたのですが、本作はクラシック・ゲイポルノとして結構知られた作品です。長年、視聴することが難しい幻(?)の一作とされていたのですが、数年前ゲイポルノ老舗配給会社のBIJOU VIDEOから「From Paris to New York」というタイトルで、DVDがリリースされています。


ジュローム(アラン=ガイ・ジェラドン)は、ニューヨークに旅行で訪ねたっきりフランスに帰国しない恋人ポール(ボブ・ベイカー)を探しに、パリからニューヨークへやってきます。1970年代後半のニューヨークはゲイのメッカとしてフリーセックス天国と化していており、あらゆる場所でクルージングしまくりのセックスしまくり・・・ジェロームも恋人のポールを探しながら、乗り合わせたタクシー運転手、壊れかけた埠頭のハッテン場で出会った男たち、精子で占うという怪しい占い師、ゲイクラブのトイレで順々に何人もの男らとやりまくっていくのです。


ジェロームが多くの男たちとやりまくってリサーチした結果に辿り着いたのは、とあるゲイSMクラブ・・・そこで、四つん這いになってマスターに奉仕する恋人ポールの姿を発見します。彼を再び取り戻すには、ポールのマスターのマスターになるしかないと助言を受けたジェロームは、自慢の巨根(?)でポールのマスターを犯しまくり、見事に恋人ポールを取り戻すのです。そして、二人してフランスへ無地に帰国して、めでたしめでたしとなります。


レザー系のゲイバーとして有名だったザ・スパイク(The Spike)や、ウエストサイドハイウェイ脇にあった廃墟と化していた埠頭のハッテン場などでロケーションしていることから、本作はAIDSエピデミック以前のニューヨークゲイシーンの貴重な記録にもなっています。また「Y.M.C.A.」でブレイクする直前のヴィレッジ・ピープル(Villege People)の楽曲が全編に渡って使用されており、当時の雰囲気はたっぷり感じ取ることができるのです。


「過去を着た女 真夜中のニューヨーク/Monique and New York After Midnight 」は、ジャック・スカンドラリ監督の最後の長編劇映画となります。当時のニューヨークはシングルズバーやゲイカルチャー全盛期の時代・・・そんなニューヨークに暮らすフラン人女性のサイコスリラー(?)なのです。なお本作は事実を元にした物語ということになっています。

35歳で独身のモニーク(フローレンス・ジオゲッティ)は、アート系出版社の編集者として働きながら、裕福な父親のおかげで悠々自適にニューヨークで生活しています。独り身の淋しさも感じていていますが、いまひとつ男性に対して奥手・・・実はモニークが幼い時、母親は父親との口論の末に誤って拳銃の暴発で亡くなっていて、現場検証の時に焚かれたカメラのフラッシュが現在もトラウマになっているのです。


ある日、モニークの職場に画家のリチャード(ジョン・フェリス)が現れます。女性を尊重するフェミニストなリチャードにモニークは関心を寄せます。またリチャードもモニークに積極的に接近・・・モニークはトラウマと戦いながらもリチャードを受け入れて、二人は結婚に至るのです。

モニークは子供を産んで家庭を築きたいと願うようになりますが、子作りには興味のないリチャードとは徐々に心がすれ違ってきます。気色悪いのはリチャードが画家として描いている絵のテーマが「赤ん坊」ばかりというところ・・・既にリチャードはモニークに赤ちゃんを提示しているってことなのでしょうか?

ある日、ニューヨーク市内で偶然リチャードを見かけたモニークは、彼を追ってハドソン川沿いの埠頭エリアに迷い込んでしまうのです。「ニューヨークシティ・インフェルノ」で描かれたいように・・・当時、埠頭エリアというのはゲイの”ハッテン場”で高架下や廃屋でやりまくっていたものであります。案の定・・・モニークは暗闇で蠢く男たちの中にリチャードを発見してしまうのです。


精神的に追い込まれたモニークが以前通っていたシングルズバーに立ち寄ったところ、リチャードのアーティスト仲間のダンと遭遇・・・誘われるままに彼のアトリエ兼自宅へ行ってしまいます。そこでモニークはリチャードはダンから赤ん坊をモチーフにしたアートのアイディアをパクったこと、そして、かつて二人はゲイの恋人同士であったことを知らされます。パニックを起こしたモニークはキッチンにあったナイフでダンを刺し殺し・・・さらに、ゲイクラブや路上で声をかけてきたゲイの男たちを、モニークは次々と刺し殺してしまうのです。

帰宅したモニークを自宅で待っていたのは、何食わぬ顔のリチャードと彼の友人と名乗る若い青年ロバート・・・疲れきったモニークは二階の寝室で眠りにつきます。しばらくして目を覚ましたモニークは、リチャードとロバートの痴話喧嘩を盗み聞きしてしまうのです。リチャードが怒って家を出た後、モニークはロバートにナイフを振りかざしますが、ロバートはなんとか逃げます。その後、リチャードはロバートに、モニークのことを本当に愛していると伝えるのです。


モニークの精神科医はリチャードとモニークの父親に、モニークが危険な精神状態であることを伝えます。そして、モニークのトラウマの正体が、父親の証言から明らかになっていきます。モニークの母親は射殺されたのではなく、病弱で病院のベットに亡くなっていたのです。言い争っていたのは”父親”と”愛人の女性”・・・幼いモニークは「母親の死」と「父と愛人との諍い」を混同していたようなのであります。自宅に戻ってきたリチャードは必死にモニークへの愛を伝えますが、モニークは「嘘つき!」と一喝・・・ナイフでリチャードを刺し殺してしまうのです。

ジャック・スカンドラリ監督自身、ニューヨークに暮らすフランス人であることを考えると、モニークは彼を投影していると言えるのかもしれません。また当時のニューヨークをゲイとして経験したことも、大きく影響しているようにも思えます。ストレート女性の視点でも、ゲイ/バイセクシャル男性の視点でも、ストレート男性の視点でも、本作は後味の悪い物語であることは確かです。

「過去を着た女 真夜中のニューヨーク」の後、フランスでゲイポルノを1本、短編ドキュメンタリーを1本、短編(4分)を1本を監督して、その後ジャック・スカンドラリ監督は映画製作はしていません1996年、テレビシーズのドキュメンタリーの演出をした後、1999年に56歳という若さでジャック・スカンドラリ監督は亡くなります。どうのような晩年を送っていたのかは分かりません。

25歳のデビュー作で注目されながら・・・ハードコアポルノ映画の誕生や、ニューヨークではAIDS以前のフリーセックス”時代”に翻弄された(?)ジャック・スカンドラリ監督は、映画監督としての名声をそれほど得ることもなく、カルトな映画監督として後年になって語られることもなく、今では忘れ去られてしまっています。しかし、考えようによっては・・・映画監督としてではなく、1970年代という”時代”を正直に生きたと言えるのかもしれません。

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ジャック・スカンドラリ(Jacques Scandelari)監督フィルモグラフィー

1966「モデル・インターナショナル(原題)/Models International」短編ドキュメンタリー
1969「淫蕩の沼 マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス/La Philosophie dans le Boudoir」
1970Macédoine
1974「Hiver de Paris」短編ドキュメンタリー
1977「薔薇の懺悔/Homologues ou La soif du mâle」ゲイポルノマーヴィン・マーキンズ)
1978「Brigade Mondaine」
1978「ニューヨークシティ・インフェルノ/New York City Inferno」ゲイポルノマーヴィン・マーキンズ)
1978Un couple moderne」ゲイポルノ(マーヴィン・マーキンズ)
1978「過去を着た女 真夜中のニューヨーク/Monique and New York After Midnight
1979「I.N.R.I」短編ドキュメンタリー
1984「I Love Man」短編
1996Un siècle d'écrivains / Henri Troyat de l'Académie française 」テレビドキュメンタリーシリーズ

「淫蕩の沼 マルキ・ド・サドのアブノーマル・ハウス」
原題/La Philosophie dans le Boudoir a.k.a. Beyond Love and Evil
1969年/フランス、イタリア
監督 : ジャック・スカンドラリ
出演 : スシュカ、ルカ・デ・シャバネックス、フレッド・セント・ジェームス
1972年10月31日日本劇場公開、ビデオ発売

「薔薇の懺悔」
原題/Homologues ou La soif du mâle a.k.a. Man's Country
1977年/フランス
監督 : マーヴィン・マーキンズ(ジャック・スカンドラリ)
出演 : ジェラルド・ボノム、ジーノ、ジョニー、ルド、ジャン=ピエール
1986年10月25日日本劇場公開、ビデオ発売

「ニューヨークシティ・インフェルノ」
原題/New York City Inferno a.k.a From Paris to New York
1978年/フランス
監督 : マーヴィン・マーキンズ(ジャック・スカンドラリ)
脚本 : ジャック・スカンドラリ
出演 : アラン=ガイ・ジェラドン、ボブ・ベイカー、ジョン.ヒューストン、ビル・グローブ
日本未公開

「過去を着た女 真夜中のニューヨーク」
原題/Monique and New York After Midnight a.k.a. Flashing Lights 
1978年/フランス、アメリカ
監督 : ジャック・スカンドラリ
出演 : フローレンス・ジオゲッティ、ジョン・フェリス、バリー・ウロスキー
日本劇場未公開、ビデオ発売



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