以前、三島有紀子監督の「しあわせのパン」のことを書いたこと(めのおかし参照)があります。重箱の隅をつつくように貶すことしかできなかったのですが・・・「嫌い過ぎて語らずにいられない!」というのも、逆説的な”ラブコール”なのかもしれません。同じく大泉洋を主演した”田舎ファンタジー”の「ぶどうのなみだ」はスルーしたものの、仕立て屋の女性を主人公にした「繕い裁つ人」は、多少なりとも服作りに関わっていたことのあるボクとしては「ツッコミどころ満載」の予感(!)しかしなくて・・・思わずレンタルDVDを手にしてしまったのです。
「繕い裁つ人」は、今年(2015年)1月に劇場公開されています。公式ホームページによると、大ヒット御礼の舞台挨拶が行なわれていたりしていたようなので、そこそこヒットはしたみたいです。世の中には三島有紀子監督作品は全部好きという”ファン”はいるのだろうし、劇場に足を運んだ方もたくさんいるのでしょう。
三島有紀子監督のオリジナル脚本だった前2作品「しあわせのパン」「ぶどうのなみだ」とは違い、本作「繕い裁つ人」には原作があるのです。2012年の「このマンガがすごい」のオンナ編で17位(微妙?)にランクインした池辺葵著の同名のマンガであります。アマゾンのKindle版で第1巻は無料で読むこと出来たので、本作観賞後に読んでみたのですが・・・エピソードや台詞を”そのまんま”引用しているところが多く、原作へのリスペクトは高めの印象。原作の非現実感(浮世離れした嘘っぽい設定)も、三島有紀子監督の世界観に近いのかもしれません。
ここからネタバレ、および「繕い裁つ人」が好きな方には不快な内容を含んでいます。
祖母の跡を継ぎ二代目として”南洋裁店”を営んでいる南市江(中谷美紀)・・・百貨店バイヤーの藤井(三浦貴大)から、ブランド化してネット販売をするという商談を持ち込まれているのですが、「頑固親父」と比喩されるような”職人肌”(?)の市江は、首を立てに振りません。本作は、市江を説得しようと”南洋装店”に通う藤井と市江の物語を軸に、お店に関わる顧客たちのオムニバスのエピソードが語られるという構成になっています。
この”南洋裁店”というのが「謎」だらけなのです。まず、住居兼、仕事場兼、店舗になっているのが、神戸の高台の住宅地にある古い洋館の一軒家ということ。マンガだったら、夢物語として「素敵」な設定ですが、実写映画で見せられると「マジで?」としか思えません。本作で祖父や父親の存在は語られませんが・・・祖母の代から同じ場所で洋裁店をしていたようなので、相続税と固定資産税は支払い続けているってことなのでしょう。
ただ、そうだとすると”南洋裁店”が、どのようにして商売として成り立っているかが「謎」であります。「二代目の仕事は一代目の仕事をまっとうすることだと思っています」ということで、雑貨屋の女主人(片桐はいり)曰く「先代の仕立て直しとサイズ直しが仕事のすべて」というのですから・・・。「着る人の顔の見えない服なんて作れない」という市江にとって、先代からの付き合いがある雑貨屋に自分の服を卸しているのも、生活費のため”だけ”なのです。入荷すると即日完売とはいっても、市江一人で裁断から縫製までやっているので、卸せる服の数は限られています。また、オーダーで服を作っているようですが、顧客が生地を持ち込んでいるみたいなので、それほど利益があるとも思えません。
そして一番の「謎」が・・・どうして百貨店バイヤーの藤井が市江の服をブランド化したいと思っているかです。市江の服というのは、先代の祖母が顧客からの注文で作ったものを再現しているもので、市江がデザインしているわけでも、型紙をひいているわけではありません。
市江の祖母が仕立て屋として繁盛していたであろう時代(昭和30年代くらいまで?)には、一部の高級な既製服を除いて「既製服」は”つるし”と呼ばれ”格下”に考えられていました。良い布が手に入ると仕立て屋さんであつらえてもらったり、型紙から自分で作るという時代だったのです。「デザイン」や「ブランド」という概念も今とは違い、仕立て屋であつらえるということは、流行りを上手に「コピー」してもらうということだったわけで・・・祖母のスケッチブックや型紙も、オリジナルのデザインというわけではないと思うのです。
本作に登場する”南洋装店”で作られた服をみると、大正時代のモガ風から1970年代のヒッピー風と、年代はバラバラのレトロ風(?)・・・服そのもののデザインよりも、プリントやジャガードの生地に特徴がある印象で、雑貨店に卸している服は、祖母の残してくれたデッドストックの生地やボタンで作られた「一点モノ」みたい。市江の服の雰囲気に近いのは・・・「ミナペルホネン」あたりのような気がします。ブランド化してインターネットで販売するとなると、テキスタイルからデザイン、生産しないと素材自体がないので、このような雰囲気を服を量産するのは難しそうです。
服のもつ世界観を体現している存在である市江を、スタイリスト/デザイナーという名の広告塔(モデル)にしたいというのであれば分かるのですが・・・藤井は、ブランド化するにあたって、市江の仕立て屋としての”技術”を継承しなければならないという使命を感じているらしいところが、ますます理解に苦しむところです。
市江の母親(余貴美子)は、仕立て屋を継いでおらず”専業主婦”をしていたようですから、市江は祖母から服作りの手ほどきを受けたのでしょうか?継承すべき技術を持っているというのに・・・図書館で「高級仕立て服の縫い方」という本を読んでいるのは、いまだ独学で勉強中ということなのでしょうか?
”技術”で勝負する職人であることが、市江というキャラクターの根幹のはずなのですが・・・映画の中で描かれる市江の職人気質っぷりは”薄っぺらく”かつ”屈折”しています。「夢見るための服を作っているんです。生活感出してたまるもんですか」と言う市江・・・監督お得意のスタイリングに頼った”ファンタジー”のキャラクターであることを白状しているかのようです。
また、映画が始まって間もなく、市江の寝起き姿を登場させて「実は天然でかわいい女性」であることもバラしてしまいます。監督が市江の別な顔を垣間見せることを意図しているかは分かりますが・・・逆に、市江の職人気質は”コスプレ”で”作っているキャラ”であることを露呈させてしまっているのです。
「自分の美しさを自覚している人に、私の服は必要ないわ」と言い切れるのは、中谷美紀のような”美くしい女性”が市江を演じているからこそ・・・”おかっぱ頭のブス”(失礼!)だったら(現実にいる仕立て屋を名乗る女性には多いかも)素敵に感じられるのでしょうか?市江が唯一の楽しみで、ホールのチーズケーキを食いまくるというシーンが3度(!)もあるのですが・・・禁欲的なスタイルの裏で、過食に走る闇のストレスを抱えているかのようで怖いです。
市江がブランド化を承諾しないのは「変化」や「挑戦」を恐れているのでも、「自分の殻を破れない」のではなく・・・ブランド化しようにも、そもそも市江はデザイナーというクリエータととしてのアイデンティティがあるわけでもない「縫い子=仕立て屋」だから無理なのです。(仕立て屋がデザイナーより下という話ではなく)そこのあたりの藤井は完全に勘違いしているように思います。
エピソードにもツッコミどころのある本作。女子高生のゆき(杉咲花)は、母親の形見である白地にブルーの派手なプリントで、大きなフリルがあしらわれている1970年代風のロングドレスのリメイクを市江に依頼するのです。市江はフリルはそのままに、ビックシルエットのミニドレスにリメイクするのですが、背が低いことにコンプレックスを持っているゆきを、さらに小柄にみせてしまうデザインになってしまっています。
「死に衣装を作って欲しい」と、柄物の生地を預けたガーデニングが趣味の泉先生(中尾ミエ)に、市江が縫い上げたのは、ガーデニング用のエプロン。「まだ死に衣装を準備するなんて早い」というメッセージなのかもしれませんが・・・モノに託して伝える思いがゴリ押しにしか感じられません。
市江によって開催される「夜会」は、浮世離れしてるとしかいいようのないイベントであります。1年に一度だけ30歳以上の”大人”だけが参加することのできるということなのですが・・・参加者は、おしゃれな服=市江(もしくは市江の祖母?)の服を着てくることになっているみたいです。これがご老人のノスタルジックなコスプレ状態。演奏家を招いての音楽会、会場いっぱいの豪華な花々など・・・素敵さを強調すればするほど、ファンタジーという”嘘”が際立ってしまいます。一体「夜会」の開催費用って・・・誰が出しているのでしょうか?”南洋装店”のビジネス規模ならば、明らかに大赤字です。
ドレスメーキングとメンズテイラードというのは技術的に違うと思うのですが、本作での境界線は曖昧です。おじいさんが「夜会」のために着る背広を市江がお直しすることになるのですが・・・袖や身頃を詰めたり出すのではなく「襟」の仕立て直しや「肩」を詰めるというのは、普通アリエナイです。伏線として、おじいさんが亡くなった後、背広を着たマネキンを「夜会」に参加させて故人を偲ぶという・・・センチメンタルな感動へ繋げることも忘れていません。
ここからエンディングのネタバレを含みます。
藤井と市江の関係は、なんとも尻切れとんぼで終わります。本作の制作当時は、まだ原作マンガが完結していなかったようなので、ハッキリした結論を出さずに終わるしかなかったのかもしれませんが・・・。
若い女性と車の中で楽しげに笑っている藤井を目撃し、思わず動揺してしまう市江が恋愛に目覚め・・・というアリガチな展開ではないことには好感を感じますが、藤井は市江の服のブランド化失敗に傷心(?)して、自ら希望して家具販売員となるという”くだり”や、藤井があっさりファッションの道を諦めたことに反発して、市江はますます自分のやってきたスタイルを変えずに頑になっていくところは、本作のテーマといえる大事なところにも関わらず、イマイチ説明不足。
その後、藤井と一緒にいた若い女性は、結婚を控えた藤井の妹(黒木華)であることが判明して、市江は彼女のウィディングドレスをデザインすることを申し出ます。ヴェールの裾がハート形の風船で浮かばせるというウエディングコーディネーターがやりそうな陳腐な演出がありますが、これも市江のデザインなのでしょうか・・・藤井を含め、結婚式のゲストたちも感激しているようですが。
月日が流れて季節が変わり・・・「夜会」に忍び込んできた少女たちへ「あなたが一生着れる服を私につくらせてください」と申し出たように、市江は自分自身でデザインしたドレスを作り始めているようです。市江は、以前のような禁欲的な暗い感じではなく、解放されたような優しい雰囲気になっています。ただ・・・なんだかんだで「自分自身の全肯定」という少女マンガっぽい着地点は、少々物足りなく感じるものです。
「繕い裁つ人」は、本物にこだわる職人をリスペクトしているようでいて、実際は薄っぺらい世界観(原作を引き継いでの設定もあるのですが)で「頑固親父のような職人肌」「生きることに不器用」「洋裁以外に取り柄がない」を過剰に美化しているところが、なんとも気持ちが悪い作品なのです。ただ、裏を返せば、この”気持ち悪さ”こそが三島有紀子監督ならではの”持ち味”が発揮されているということであり(?)・・・本作もファンの期待を裏切らない作品ではあるのかもしれません。
「繕い裁つ人」
2015年/日本
監督 : 三島有紀子
脚本 : 林民夫
原作 : 池辺葵
出演 : 中谷美紀、三浦貴大、片桐はいり、黒木華、杉咲花、伊武雅刀、中尾ミエ、余貴美子
2015年1月31日より日本劇場公開