キム・ギドク監督の作品は、一作ごとに観客のトラウマ許容範囲を広げてくるようなところがあります。本作「メビウス」は、韓国で三度の審議の末、監督が屈辱的な12カット(約50秒)を切った編集までして譲与したにも関わらず、制限上映可判定(韓国には制限上映可の映画館がないため事実上上映不可能)という判断を下されました。最終的に、上映賛否投票が行なわれて、公開された経緯があります。また、オリジナル版(カットなし)を上映した第70回ベルリン映画祭では、本作を見た観客に失神者が出たとの報道もあり、キム・ギドク監督作品の中でも、問題作と言えるかもしれません。
「メビウス」は、本編中台詞が一切なしという・・・実験的な意欲作でもあります。とは言っても、物音や言葉にならない声はあるわけで、サイレント映画というわけではありません。人物が言葉を発しないことが不自然に感じられる場面も多々あり、台詞を発することを禁じられた状態で無理矢理演技していると感じられる場面もあります。「純粋に映像で伝えたい」という監督の意向が成功しているかは、正直いって疑問です。ただ、物語の展開や登場人物の心の動きが理解できないほど異常なので、台詞を加えてしまうと嘘っぽくなってしまったかもしれません。映像的に起こっていることを受け入れるしかない・・・という立場に観客を追い込むことで、成立しているような気がします。
母(イ・ウヌ)と父(チョ・ジェヒュン)は、父の浮気が原因で、蹴飛ばし合うような喧嘩をするほど不仲です。しかし、父は母には”おかまいなし”に、近所で雑貨屋をする愛人(イ・ウヌ/一人二役)とデートして、路駐した車の中でセックスしています。その様子を目撃してしまう息子(ソ・ヨンジュ)は、家庭の崩壊を冷ややかに受け止めているようです。父親がセックスしている場面に出くわすことはないとしても、浮気相手と一緒にいるのも見てしまうのは”ありがち”・・・ただ、夫婦の喧嘩としては、あまりにも汚い(?)喧嘩っぷりは、明らかに普通の家庭ではありません。いきなり修羅場のような導入部・・・台詞なしのパントマイム演技には不自然さは感じるものの、会話も成立しないほど致命的な状況の家族であることを表しているようには、思えます。
ある夜、精神のバランスを完全に崩した母は刃物を取り出して、寝ている父の男性器を切り取ろうとしますが・・・直前に父は目が覚めてしまい失敗してしまいます。そこで母は息子の寝室に忍び込み、代わりに息子の男性器を切り取って、切り取ったモノをパクッと口に入れてしまうのです。女性が男性器を切り取り、さらに食べてしまう・・・というのは、その男性を独占しようとするメタファーのような気がするのですが、この母と息子の関係を考えると、そうではないような気がします。怒りの矛先であった父の分身でもある息子を代わりに傷つけるという代償行為なのでしょうか?気が狂った母は、家を飛び出して夜の街を彷徨います。そして、仏像に祈りを捧げる謎の男性を目撃した後、母は姿をくらましてしまうのです。
治療後、息子は普段の生活に戻りますが、男子小便トイレでは満足に用も足せない状態・・・その様子を見た同級生たちにイジメられて、下半身を見られてしまうのです。なんらかの事故で男性器を損傷することもあると思うので、整形外科的に小便ができるようにすることはできるはずだし・・・ちゃんと機能しないなら小便器じゃなくて個室便所で用を足せば良いのにとは思ってします。
父の愛人の雑貨屋の前で、再び同級生たちにズボンを脱がされそうになった時、年上の不良グループによって助けられるのですが・・・息子は、その不良グループと”グル”になって、父の愛人を強姦してしまうのです。不良たちに乱暴されて無抵抗になっている愛人を息子も犯そうとします。母が狂って自分の男性器を切り落とす原因となった愛人を「犯してやりたい!」という復讐心を息子がもつことは理解できないわけでありませんが・・・母と愛人を演じるのが同じ女優というところが、近親相姦的な気色悪さを感じさせます。男性器を失った息子は、愛人を強姦しようとしても挿入することはできません。息子と不良グループは、警察にあっさり逮捕されてしまいます。
家に残された父は、インターネットで男性器を失った人々の体験などを調べるようになります。そして、男性器の移植が可能ではないかという希望を託して、自分の男性器を息子に移植するために、病院で男性器切除の手術を受けるのです。元はと言えば、母が息子の男性器を切り取ってしまったのは、父の浮気が原因・・・自らの命と引き換えに息子が再び男性として生きていけるように、犠牲になろうということなのでしょう。親心として分からないわけでありませんが・・・この家族の”やることなすこと”すべて極端過ぎです。
また、父は自傷行為の苦痛から射精にも似た快感を得るという体験談をネットで発見します。そして、自分の足を石で傷つけることで、エクスタシーを得られることを確認するのです。少年院に収容された息子に面会に来た父は、その方法を教え・・・息子は自傷行為による自慰に耽るようになっていくのです。肉体的、精神的な苦痛を体験することで、さらなる苦痛によるマゾ的快楽に目覚めるってことはあるようで・・・「ボブ・フラナガンの生と死」というドキュメンタリー映画になった”究極マゾ”のボブ・フラナガンのように、難病で苦しむ中、さらなる苦痛で快楽を感じるようになることもあるのですから。
少年院を出た後、息子は再び父の愛人を訪ねます。近づいてきた息子の背中に、愛人は刃物を突き刺すのですが・・・苦痛によって快感を得るカラダになっている息子にとって、それは挿入による性行為に等しい快楽であったのです。背中に刺した刃物を背中でグリグリして、苦痛が強くなるほど興奮するようで...やがて、愛人も息子との性行為に夢中になっていきます。
息子と愛人は強姦の主犯だった少年に復讐するため、彼を雑貨屋に誘い込み、彼の男性器を切断してしまうのです。本作では三本(?)の男性器が切断されるわけですが・・・さすがに三本目となると滑稽にさえ感じられてしまいます。必死に切り取られた男性器を取り戻そうとする不良少年・・・しかし、息子はそれを道路に投げ捨て、あっけなくトラックのタイヤで踏みつぶされてしまうのですから。さらに、その後、この少年も自傷行為によるエクスタシーを知ることになり、刃物を背中に突き刺しての性行為を愛人と行なうようになります。
父はインターネットで男性器の接合手術に成功した例を見つけ出し、遂に息子へ男性器の移植手術を実行してもらいます。手術は無事に済んだものの・・・性的興奮で勃起することはなく、移植手術は失敗かと思われた時、母がいきなり家に戻ってくるのです。
ここからネタバレを含みます。
母の家出から、どれほどの日数が経っているか分かりませんが、同じ服を着てボロボロ・・・ずっと彷徨っていたということなのでしょうか?母の再登場は、本作の決着つけようのない物語に、終着点を用意することに他なりません。父と一緒に寝ている息子の横に、父を突き落としてまで母が横たわるのですが・・・今まで反応することのなかった息子に移植された男性器が、母の誘惑により凛々と勃起してしまうのです。ここで”エディプス・コンプレックス”を連想させられてしまいますが・・・別に息子と父が対立しているわけではありません。切り取ってしまったはずの息子の男性器があることに驚く母ですが、すぐさま父の股間を確認して、息子についている男性器は父のものであったことを知ることになるのです。
その後、母は夜な夜な息子とセックスをしようと、寝室に忍び込むようになるのです。韓国では母と息子が性行為をするという近親相姦が倫理的に”ありえない”として削除対象となったそうなのですが・・・ボクの見た韓国版DVD(約88分)では、息子は母と性行為をしている夢を見て夢精しているというニュアンスになっていました。ただ、母は息子本人と性行為というよりも、父の男性器と結ばれようとしているようでもあり・・・それはそれで、別な意味で気色悪いことには違いありません。近親相姦という行為を、今までの心理学的な発想では分析するすべもないほど屈折させたのは、さすが(?)キム・ギドク監督であります。
母と息子の近親相姦に耐えきれなく父は、拳銃で母を銃殺し、自分も自殺してしまうのです。まぁ〜この物語は、こうとしか終わりようがなく・・・母が再び登場した時に、悲劇的な事態が起こることことは分かりきっていることではあります。さらに、息子は拳銃を手に取り、自分の股間に向かって撃ち放つのです。結局、この家族は男性器の象徴される”男の悪行”により、崩壊してしまったのかもしれません。息子が男性器を持ち続けることは許されるはずもないのです。
夜の街には仏像に祈りを捧げる男性の姿・・・それは、再び男性器を失った息子の姿。まるで”デジャブ”のようであります。母が息子の男性器を切り取った夜に現れた男性は、未来の息子だったのです。本作のタイトル「メビウス」は”メビウスの輪”のこと・・・家族内の”業”が裏も表もなしに延々と繰り返されるということなのかもしれません。「鰐~ワニ~」「ワイルドアニマル」「魚と寝る女」「受取人不明」「悪い男」などのキム・ギドク監督の初期作品に出演して、キム・ギドク監督の”ペルソナ”とも言われるチョ・ジェヒュンが、父を演じているのですが・・・最後のシーンで仏門の悟りをする息子(衣装が普段のキム・ギドク監督にそっくり)ということは、息子が監督自身を投影しているような気がします。
「近親相姦」「男性器切断」は、寓話的世界でのキム・ギドク監督の観念的な出来事で、現実にある犯罪や心理を描こうというわけではありません。「なんだかんだで、全部○ンポが悪い」とでもいうように、切ったり、付けたり、また切ったり・・・・そんな挑発的表現に、いちいち倫理観を揺さぶられることこそ、想像力に欠けることのように思えてしまうのです。
「メビウス」
原題/뫼비우스(英題/Moebius)
2013年/韓国
監督/脚本 : キム・ギドク
出演 : チョ・ジェヒュン、ソ・ヨンジュ、イ・ウヌ
2014年6月13日カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2014にて上映
2014年12月6日より日本劇場公開