2013/10/10

ジョーン・クロフォードの”マゾの女王様”っぷりが炸裂するナルシストな顔演技!・・・クラシックの名曲が過剰なまでに心揺さぶるメロドラマ~「ユーモレスク/Humoresque」~



「MGM」を離れて1943年「ワーナーブラザース」に移籍した直後は良い役をオファーされることのなかったジョーン・クロフォード・・・しかし、1945年「ミルドレッド・ピアーズ」(アカデミー主演女優受賞)、1946年「ユーモレスク」、1947年「失われた心」(アカデミー主演女優賞ノミネート)と立て続けに話題作に主演して、見事に演技派女優として”カムバック”を果たします。これら3作品はどれも、1930年代からワーナーブラザースの看板女優として活躍していたベティ・デイヴィスに最初オファーされた役だったそうなのですが、ベティ・デイヴィスが断ったため、ジョーン・クロフォードに廻ってきたというのですから、これらの作品の高評価は・・・もしかすると二人の女優のライバル心に油を注いだのかもしれません。

「ユーモレスク」は、有閑マダムとヴァイオリニストの若い男性との恋愛を描いたラブストーリー。小説や映画だけでなく、この組み合わせって現実にもよくある話・・・若い男性を経済的だけでなく、自らの社会的地位までも利用して成功へ導く年上の女性というのは、不幸な結末に陥る”鉄板”のシチュエーションと言っても良いかもしれません。最後は若い男に裏切られて孤独になる中年女性の悲哀なんてチープな不幸ではなく・・・本作は、ジョーン・クロフォードのナルシストな”顔演技”より、女王様キャラが”マゾ的快楽”に満ちていくという崇高なメロドラマとして成立させているのです!

ポール・ボレー(ジョン・ガーフィールド)といヴァイオリニストの演奏会が中止となり、ある苦悩を抱える彼が、子供時代からを振り返るというところから本作は始まります。マンハッタンでデリを営むユダヤ系の両親の元に次男として生まれたポールは、10歳の誕生日に雑貨屋でヴァイオリンをねだるのですが、父親(J・キャロル・ナイシュ)は高価すぎると買ってくれません。しかし、ポールに強い愛情を持つ母親(ルース・ネルソン)は、息子がやりたいならばと、即座にヴァイオリンを買い与えます。他の少年が野球で遊んでいる時にもポールは熱心にヴァイオリンの練習をするようになり、やがてコンサート・ヴァイオリニストを目指して音楽学校で学ぶようになるのです。同級生のチェリストのジーナ(ジョアン・チャンドラー)はポールを愛していて、両親公認の仲でもあります。その頃、世界恐慌が始まっていて家計は苦しくなるばかり・・・ポールの兄や父親は、ヴァイオリンの練習ばかりしているポールをなじるようになるのですが、ここでもポールの才能を信じて守ろうとするのは母親です。悩んだポールはピアニストの友人・シド(オスカー・レバント)に相談して、ラジオ番組で演奏する管弦楽団の仕事を得るのですが、自我の強いポールは指揮者と口論になり、即クビになってしまいます。独奏会をしたいポールは、シドの勧めで、有閑マダムのパーティーでヴァイオリンを弾くというアルバイトをすることになるのです。

映画が始まって約30分ほど・・・ここでやっと、ジョーン・クロフォードが演じる有閑マダム・ヘレンが画面に登場します。パーティーでポールが演奏するのは「ツィゴイネルワイゼン」・・・そのヴァイオリンの音に、数人の若い男達に囲まれていたヘレンは、すぐ反応します。ヘレンは離婚2回の後、ヴィクター(ポール・キャパナー)との3度目の結婚により玉の輿にのった美女・・・デカ過ぎるショルダーパッドのドレスが威嚇するかのようです。今でいう典型的な「肉食系のクーガー女」のヘレンは、ヴァイオリンを弾くポールを舐めるように観察し始めます。ポールを侮辱して挑発するヘレンに、皮肉で返すポール・・・そんなポールの強気の態度こそが”才能の証”とばかりに満足そうな表情を浮かべるヘレンは、翌日にはポールの音楽活動に援助することを申し出るのです。

ヘレンの負担で、業界で力のある音楽エージェントのバウワー(リチャード・ゲインズ)に依頼して、ポールの独奏会を開催させます。開場にはそれほど客が入らなかったもの、「ユーモレスク」を演奏したポールは、各紙の評論家に”天才ヴァイオリニスト”として評されます。やっと”コンサート・ヴァイオリニスト”への夢が叶ったと大喜びのポールの家族なのですが・・・母親だけは、ヘレンに対して不信感を隠せません。2度もの離婚をしているヘレンよりは、ジーナのような普通の女性と家庭を築いて欲しいと願うのは、当時の母親としては当たり前の感情かもしれません。また、音楽的な援助以外に、ヘレンがポールに対して特別な関心を持っていることを母親だけは気付いていているのです。

スーツの新調するためにテーラーへポールを連れて行ったヘレンは、彼女の趣味で生地を選ぶのですが、それに反抗するポール・・・彼の選ぶ生地はグレーのストライプという品のない生地だったりします。パトロンとしてヘレンを利用しながらも、決してヘレンの”いいなり”にはならないのは、”若いツバメ”のように見られることに対してのポールなりの微かな抵抗なのかもしれません。ヘレンがポールを著名な指揮者であるフガーストロン(フリッツ・ライバー)に紹介したことにより、ポールは演奏旅行に忙しい日々を過ごすようになります。そこで休養のために、ヘレンは海辺の別荘にポールを誘うのですが・・・遂にポールは、ヘレンの誘惑に負けてカラダの関係を結んでしまうのです。久しぶりにジーナと会うと、自分のヴァイオリニストとしての野心のためにヘレンからの援助を受け続けて関係を結んだ自分に嫌気がさすと同時に、ジーナに対する気持ちも失っていないこともポールは感じるのです。勿論、そんなポールの心の動きを無視するヘレンではありません。嫉妬心を燃やして、すぐさまジーナを牽制してしまいます。


本作では、ポールを軸にヘレンとの三角関係が3つ描かれます。ひとつはポールの母親とヘレン、もうひとつはジーナとヘレン、そして・・・音楽とヘレンであります。中盤の山場・・・「スペイン交響曲」が演奏されるのですが、三人三様の思惑が曲と共に台詞なしで描かれます。ヴァイオリンを演奏するポール、客席にいるポールの母親、その隣に座るジーナ、そして舞台袖のボックス席にひとりで座るヘレン・・・旋律の盛り上がりと共に、カメラはヘレンの顔にアップしていくのですが、その表情は、まるでセックスをしているかのようなエクスタシーの”顔演技”です。ポールとヘレンが交わす視線と表情に、二人の関係を確信してしまったジーナは堪らず会場を後にして、嵐のなか外へ飛び出してしまいます。ポール、ヘレン、ジーナの三角関係は、こうしてジーナが退くことで終わるのです。ヘレンの計らいで、イーストリバー沿いの新しいアパートメントに引っ越すことになったポール・・・部屋に置かれた写真立てには、家族写真と共にヘレンの写真が飾られています。ヘレンとの関係を非難する母親に、ついに楯突くポール・・・ポール、母親、ヘレンの三角関係も、ポールが母親を断ち切ることで終わってしまいます。

それまで見て見ぬ振りをしてきたヘレンの夫・ヴィクターは、ヘレンの気持ちが自分に向くことはないと遂に悟り・・・離婚しても良いと告げます。これでポールと結婚することもできると・・・ヘレンはリハーサル中のポールを訪ねて「大事なニュースがある」とメモを託します。練習中であっても自分を優先してくれると思い込んでいたヘレンだったのですが・・・ポールはメモを一瞬見ただけで練習を中断することはありません。自分の援助のおかげでヴァイオリニストとして成功させてやったという思いと、女性としての美貌と魅力があるという絶大な自信が打ち砕かれてしまいます。ポールが何よりも音楽を愛していることを確認したヘレンは、酒場に逃げ込んで飲んだくれるのです。酒場の歌手ペグ・ラ・セントラが歌う曲がヘレンの心を表しているかのようで・・・ここでも、音楽が物語を語る役割をしています。

ここからネタバレを含みます。


ポールは泥酔しているヘレンを酒場から自分のアパートに連れて帰り、ヘレンがヴィクターと離婚することを知ります。そして、改めてヘレンに愛を誓ってプロポーズをします。不純に思われたヘレンとポールの関係も、”結婚”でハッピーエンドになるのかと思いきや・・・ポールの実家を訪ねてきたヘレンに対して、母親は「酒に溺れるようにポールに溺れているだけ・・・ポールの愛は音楽だけです」と言い切って最後の反撃をするのです。コンサートホールに行くはずだったのですが、ポールの心は音楽が独占していると再度確信したヘレンは、海辺の別荘に留まり、ラジオの生放送でポールの演奏を聞くことにします。「トリスタンとイゾルデ」の演奏を聞きながら、ヘレンは取り憑かれたように浜辺へ向かうのですが・・・黒のシークエンスが輝くイブニングドレス姿で早足気味に波打ち際を歩くヘレンの姿は、なんともシュールです。別荘から離れても、ヘレンの頭の中で音楽は流れているかのようで・・・盛り上がる旋律に、恍惚の表情を浮かべながらヘレンは海の中へ入っていきます。

「トリスタンとイゾルデ」のように、ポールは後追い自殺をするわけではありません。彼はヘレンの援助によって築いたコンサート・ヴァイオリニストという地位にしがみつき、これからの人生をつまらなく過ごしていくことを暗示するかのように、誰の姿も見えないニューヨークの街を一人トボトボと歩くポールの後ろ姿で本作は終わります。利己的な愛し方しかできない”女王様キャラ”のヘレンによる”自死”という選択は、”マゾ的快楽”に満ちたナルシストな選択のように思えますが、本作は、その”快楽”を全面的に肯定しています。そんなヘレンの役柄は、当時40代となって”女優”としての盛りを過ぎたと思われていたジョーン・クロフォードと重なり、味わい深く感じられるのです。

「ユーモレスク」
原題/Humoresque
1946年/アメリカ
監督 : ジーン・ネグレスコ
音楽 : フランツ・ワックスマン
出演 : ジョーン・クロフォード、ジョン・ガーフィールド、オスカー・レバント、J・キャロル・ナイシュ、ジョアン・チャンドラー、ルース・ネルソン、ポール・キャパナー、リチャード・ゲインズ、フリッツ・ライバー、ペグ・ラ・セントラ
1949年日本劇場公開


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2013/10/04

”お蔵入り”していたのにはワケがある・・・天才ファッションデザイナーの内面を暴けなかった密着ドキュメンンタリー~「ファッションを創る男~カール・ラガーフェルド~/Lagerfeld Confidential」~



ファッションに興味がある人なら・・・「カール・ラガーフェルドの名前は知っていて当たり前!」と思うのは、今では古い考え方かもしれません。ボクがファッションに興味を持ち始めた1980年代前半には「フェンディ」と「クロエ」のデザイナーとして、すでに大御所だったカール・ラガーフェルドは、1983年に「シャネル」のデザイナーになり、翌年には自身のブランド「カール・ラガーフェルド」を開始しました。ある時期には4つのメゾンのデザイナー(シャネルのオートクチュールを含め1年に春夏、秋冬10のコレックションを発表)を務めたこともあり、1960年代から半世紀以上、御年80歳となった今でも現役・・・「シャネル」のプレタ・ポルテとオートクチュール、そして「フェンディ」のデザイナーとして活動し続けていることは”超人的”なことであります。

”ファッション・デザイナー”という括りの敷居が低くなった現在・・・流行を取り入れるのが得意なスタイリストだったり、ディテール修正や組み合わせの上手なエディターだったり、生産工場との調整に長けたコントラクターだったり、デザインをまとめるのがうまいディレクターだったり、定番のスタイルに特化したマニアだったり、古き良きを再生するのが好きなクラフターだったりと、ひと言で”ファッション・デザイナー”と言っても、”ファッション”に取り組む方向性は様々です。基本的にスケッチをベースに、実際の服をカタチにするスタッフとコミュニケーションを取っていきながら、デザインをしていくカール・ラガーフェルドは、オーソドックスな意味での”ファッション・デザイナー”と言えるかもしれません。だからこそ、いくつものメゾンを掛け持ちすることもできるわけですが・・・彼ほど器用に各メゾンごとにデザインの引き出しを使い分け、膨大な美術史や過去のファッションを組み入れ、さらに彼自身の個性さえも各メゾンに反映させているところが、まさにカール・ラガーフェルドが”天才”と呼ばれる由縁なのかもしれません。

さて、そんな天才カール・ラガーフェルドに密着したドキュメンタリー映画「ファッションを創る男~カール・ラガーフェルド~」が海外で公開されたのは、今から6年前の2007年のこと。カメラは約3年間ほどカール・ラガーフェルドを追ったということなので、おそらく撮影されているのは2003年から20006年だと思われます。何故、今になって日本で劇場公開という運びになったのでしょうか?

2000年代に入ってから、やたらファッション・デザイナーに関するドキュメンタリー映画が制作されるようになったような気がするのですが、これは1990年代以降、アメリカのケーブルテレビ局で数多くのファッション情報番組が放送されるようになり、所謂”ファッション・デザイナー”の存在が”セレブ”として認知されるようになったからかもしれません。”ファッション・デザイナー”のハイ・ファッションまでもが”情報”として流通するようになれば、ファッション的な商品を求める裾野が広がっていくので、ファスト・ファッションの需要が高まっていったことは無関係とは言えないのかもしれません。ハイ・ファッションとファスト・ファッションとの価格の格差が大きくなっていけばいくほど・・・ハイ・ファッションは服という”実体”よりも”情報”として消費されるようになり、ドキュメンタリーという形でマスマーケットに供給されるようになっていったとも言えるのかもしれません。

アメリカでDVD発売された時(2008年?)に、ボクは本作を観ていたのですが・・・先日、日本公開になることを知るまで、この映画のことをすっかり忘れていました。本作の撮影が行われていたのと、ほぼ同じ時期(もしくは、直後?)、他に2作のドキュメンタリーの撮影も行われていて・・・ひとつは「シャネル」のオートクチュールメゾンの制作模様を追った「サイン・シャネル」で、もうひとつはコレクション発表の直前の様子を追うドキュメンタリーシリーズ「コレクション前夜」の中の「フェンディ」であります。どちらも、カール・ラガーフェルドのデザイン過程を映し出すという意味で、興味深いドキュメンタリーとなっていました。本作は、それら2作とは違い”カール・ラガーフェルド”のプライベートな人間像に迫ろうという試みをしているのですが・・・手持ちカメラでの撮影者であり、本編のインタビュアーでもあるロドルフ・マルコー二監督のドキュメンタリー作家としての才能のなさを露呈してしまった”トホホ”な作品となってしまいました。日本で5年近く”お蔵入り”していたのにはワケがあるのです。

まず、ハンドカメラでの撮影が酷い・・・”盗撮”しているようなカメラアングルが多く、何を映そうとしているのかが分からない事も、しばしばあります。また、画素が荒いイメージ画像がたびたび挿入されるのですが・・・映画の尺を長くするためのような時間稼ぎ(?)をしているかのようにさえ感じられます。しかし本作で最も問題なのは・・・一を質問すれば十を答えるほど饒舌で頭の回転の早いカール・ラガーフェルドを前にして、表面的な質問の数々を投げかけるロドルフ・マルコー二の人間的な未熟さです。薄っぺらい質問に対して、本編の中でも幾度となくカール・ラガーフェルドは苛立ちを隠せずにはいられません。特に、ホモセクシャリティーについての質問のたびに、言葉を濁すロドルフ・マルコー二には、不快感さえ覚えます。カール・ラガーフェルドの度胸の座った率直さ、彼なりに筋道の通った理屈・・・インタビュー部分は100%彼ののペースで、本作の”カール・ラガーフェルド”は、あくまでも”カール・ラガーフェルド”自身が公にオープンすることを認めている”カール・ラガーフェルド”でしかありません。

「ファッションを創る男~カール・ラガーフェルド~」は、ファッションデザイナーとしての”カール・ラガーフェルド”を考察しようという意図のドキュメンタリー映画ではありません。ファッションデザイナーとしての彼の仕事ぶりを知りたい人は「サイン・シャネル」または「コレクション前夜~フェンディ~」を観た方が、彼のデザインプロセスの舞台裏を知ることができます。我々のような一般人が容易く理解できる程度の表層的なインタビューでは、天才”カール・ラガーフェルド”の内面には近づくことは出来ないということなのです。


「ファッションを創る男~カール・ラガーフェルド~」
原題/Lagerfeld Confidential
2007年/フランス
監督 : ロドルフ・マルコー二
出演 : カール・ラガーフェルド
2013年11月16日より日本劇場公開


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