そのタイトルからして・・・禍々しい”ヤバさ”を感じさせる「先生を流産させる会」という映画について耳にすることはあっても、一般の劇場で公開というのは、なかなかありませんでした。カナザワ映画祭、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭などで上映されるだけ・・・陽の目をみることはなしにDVDスルーになるのかなと思っていたところ、今年の5月にはレイトショーなど限定的ながら劇場公開されました。結局、ボクが本作を観ることになたのは、先日DVD化されてからのことではあったのですが・・・タイトルの過激さの期待には応えきれていない残念な”オチ”の作品でした。
「先生を流産させる会」は、2009年2月に発覚した愛知県の中学校で実際に起きた事件を元にしています。部活動のことで注意されたり、席替えで一部の生徒を優遇する配慮(不登校気味の生徒の近くに仲の良い生徒が座るようにした)をしたことに不満を持った「男子生徒」(当時、中学1年生)11人が「流産させる会」を発足させて・・・当時、妊娠6ヶ月だった30代の担任女教師を流産させることを目的に、給食に異物を混入させたり、イスの背もたれの部品のネジをゆるめる細工をなどをしたのです。女子生徒からの通報で犯行が発覚して、教師は流産することはなかったということですが・・・実際に犯行に関わった男子生徒5人は刑事告訴もされず、いたずらの範疇として厳重注意だけで済まされたということに、疑問を投げかけた事件ではありました。
本作では、犯行におよぶ生徒たちを「男子生徒」から「女子生徒」へと変更されているのですが・・・これは、かなり大きな変更であります。本作は、元ネタとなった実際の事件とは、まったく別モノといっても良いでしょう。男子であれば「男の性の暴力性」や「女教師へのアコガレや嫉妬」というのが犯行の理由となるのかもしれませんが・・・女子による犯行だとすると「性への嫌悪感」「性的な存在への成長拒否」など内向きな精神的な問題となるからです。
たった62分という”中編”映画作品でありながら・・・「先生を流産させる会」は「告白」などの湊かなえ原作作品に通じる”女の悪意”の連鎖”をジワジワと感じさせます。女子中学校の教師サワコ先生(宮田亜紀)の妊娠が発覚し、多感な女子生徒たちのなかでは不穏な注目を集めます。グループのリーダーのミヅキ(小林香織)は「あいつセックスしたんだよ」と嫌悪感を明らかにし、グループの他の女子生徒たちも「気持ち悪いよ」「キモいね」と同意・・・集合場所となっている廃屋のラブホテルの部屋で「先生を流産させる会」を結成することになるのです。このサワコ先生というのが、理想的な教師として描かれているかというと、そういうわけでなく・・・女子生徒が反抗心を持つのも理解できるような、ちょっと嫌な女として感じられるのが絶妙であります。
まず、ミヅキたちはサワコ先生の給食のスープに異物を混入させます。生徒との談話しながらの給食中に、サワコ先生は嘔吐してします。悪意のいたずらを察したサワコ先生は、手紙で犯人を手紙に書いて密告するように生徒たちに迫ります。その結果、先生を流産させる会のひとりが密告して、すぐさま犯行に関わった女子生徒たちが呼び出されます。「もし、自分が妊娠してお腹の子供を殺されたら、どうするか?」と問い詰めるサワコ先生に対して、生徒たちは「訴える」「分からない」と答える中、リーダー格のミヅキは「生まれたないんだから、いなかったことにすればいい」と開き直ったような返答をします。後に、水泳の授業中に”初潮”を迎えることになるミヅキにとって、胎児という存在は”命の尊さ”よりも”妊娠の汚らわしさ”の象徴でしかないようです。性的な自分を拒絶するということは「自己否定」「自己嫌悪」でしかなく・・・リーダー格として確かな自分をもっているように見えるミヅキという少女が、グループの中で最も危ういということなのかもしれません。
女子生徒たちに向かって「私は先生である前に女なの!あなたたちも生徒である前に女なのよ!」と叱るサワコ先生・・・いくら悪質な生徒に対してであっても、こんな言葉を投げかける先生というのは”アリエナイ”ような気もしますが、何が何でもお腹の子を守ろうとする鬼気迫る強い思いを感じさせます。「お腹の子を殺した奴は殺す!」とまで脅すのですから。しかし、ミヅキたちはサワコ先生の”脅し”にも屈することもなく、流産させるための犯行をやめることはありません。サワコ先生の椅子の部品を取り除いて転ばします。ミヅキは理科室から劇薬を盗んで、毒を盛ることさえ計画を始めるのです。
グループの中で密告していた女子生徒の母親は、絵に描いたようなステレオタイプの”モンスターペアレンツ”で、娘を登校させなくなっていたのですが・・・ミヅキは、その娘を巧みに呼び出し、廃屋のラブホテルの一室で、劇薬の調合をさせます。モンスターペアレンツの母親とサワコ先生が、娘を捜して乗り込んできたことを察したミヅキは、その娘を部屋に閉じ込めて、サワコ先生を返り討ちするのです。スタンドライトを振りかざし、お腹を殴り続けて、ミヅキは当初の目的どおり・・・サワコ先生を流産させてしまいます。
遂に、サワコ先生が逆上して、悪意の化身であるミヅキに襲いかかるのか・・・と思ったら、ミヅキを襲うとするモンスターペアレンツの母親への”盾”となって、ミヅキの身を守ろうとするのです。最後の最後には、生徒に流産させられても、モンスターペアレンツに立ち向かう戦う教育者としての”正義”に目覚めるとでも言うのでしょうか?自分のお腹の子を無惨にも殺した生徒を、自らの身が傷つけられても守るのが、教育者としての使命なのでしょうか?川原に水子を共に弔うサワコ先生とミヅキ・・・なんとも釈然としない”和解”であります。
「教育映画」的な問題提起・・・という”良い子”な逃げ道を選んだエンディングになってしまったことで、サワコ先生の”人間性”の救いが、かなり「ぬるい」作品に貶めてしまっているのは、本当にガッカリでありました。流産させられたサワコ先生が、言葉どおりミヅキを殺す、または、殺そうとするという決着をつけるしかないような話だと思うのです。そしてサワコ先生は流産した上に、世間からは罵倒される・・・という救いのない絶望を描いて欲しかったと、ボクは切に願ってしまったのでした。