ゲイ白人男30代スリムなビルダー、背の高い恰幅の良い日本人ゲイ男性20代を求む。
(GWM, 30's, Slim Builder seeks tall and husky Japanese GM 20's.)
こんなAD(アド)が、今は亡き「ニューヨークネイティブ/New York Native」というゲイ向けの新聞のパーソナル欄に掲載されていたのは、ボクが28歳頃(1991年)でした。
1980年代から「ビレッジボイス」や「ニューヨークマガジン」にはパーソナル欄と呼ばれる、出会い系の掲示板というのが存在していました。
それらは掲載者が広告料を支払って、郵便で返信を募るという仕組みだったのですが・・・1990年頃から”ダイアルQ2”のようなシステムが導入されて、投稿者が事前に高い広告料を支払う必要がなくなり、出会い系の広告が大量に掲載されるようになったのです。
人種的に「日本人」という特徴があるので、なかなか自分から返信をしようという気持ちになることはなかったのですが、これほどまでに自分のタイプに近い相手を求めているAD(アド)を見たことはありませんでした。
掲載者のメッセージはベースの渋い声で素敵な感じ・・・とりあえず、ボクは自分のプロフィールと電話番号を残しました。
すると数時間後に「F」と名乗る男から電話がかかってきたのです。
日本の文化に非常に興味があること、コンテストに出場するためではなけれど真剣にジムでトレーニングをしていること、クィーン(ニューヨークの郊外)に住んでいることなどを知りました。
ボク自身は、ジム通いもしていなかったし、筋トレも自主的にしているような「肉体派」ではなかったのですが、マッチョに対する「アコガレ」は当時はそれなりにあったのです。
それは自分の相手に求めるというよりも、自分自身がマッチョになりたいという夢のようなものでした。
トレーニングでいい体をしている人には、自分が努力していないこともあって、どこか引け目のような感情があって、避けていたところがあったのです。
「F」は、ステレオタイプの小柄の日本人ではなくて、体の大きな日本人と出会いたいと思っていることを繰り返し強調してくるので「ニューヨークに条件の合う相手はボクしかいない!」という妙な確信を持つに至ったのでありました。
次の週末には「F」のクィーンズの一人暮らしをしているアパートメントを訪ねるということに、トントン拍子で決まったのでした。
当時、クィーンズに殆ど行ったことのなかったボクは、途中迷いそうになりながらも、なんとか「F」の住む地下鉄の駅まで到達しました。
まだ、携帯電話など一般的ではなかった時代ですから・・・駅の公衆電話から電話をしました。
ボクは彼が駅まで迎えに来てくれるものだと思い込んでいたのですが、簡単なディレクションを言い渡されて、自力で彼のアパートメントまで行かなければいかないことになったのです。
写真を交換しているわけでもありませんから、初めて顔を合わせるのが彼のアパートメントの部屋ということになります。
実際に会ってみて変な人だったらどうしよう・・・
監禁されて殺されたらどうしよう・・・などと、急に不安になってきました。
ただ、体格的に絶対にボクの方が大きいから、いざとなったら「F」を倒すことぐらいは出来るかもしれない・・・という、根拠のない自信を持って、ボクは彼の部屋の前まで行き、ドアをノックしたのです。
中から現れたのは、黒いヒゲを蓄えたハンサムでムキムキのマッチョの「F」でした。
ベタで典型的なマッチョのヒゲという当時の一番モテそうなタイプだったので、ボクは正直驚きました。
「なんで、これほどモテそうな人がピンポイントでボクのようなタイプをパーソナル欄で求めたんだろう?」と・・・。
「F」の部屋は”完璧”に整理されていましたが、異様だったのは部屋中に飾られていた「ザナドゥ/Xanadu」のポスターやレコートジャケットなどのグッズの数々でした。
「ザナドゥ/Xanadu」は、1980年に制作されたオリビア・ニュートン=ジョン主演のミュージカル映画です。
ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)が音楽を担当し「Magic」「Xanadu」「All Over the World」「I'm Alive」「Suddenly」などのヒット曲も生まれました。
しかし、音楽的な成功の反面、興行的には大コケでだったのです。
80’s(エイティーズ)のちょっと前の70年代末期の雰囲気を残していて、改めて観ると「ダサ懐かしい」感じではありますが・・・よくよく考えてみると、公開当時すでにダサい雰囲気の映画でありました。
古典的なハリウッドミュージカル的な演出とローラースケート(ローラーブレードではなくて四つの車輪が並んだ古いヤツ)でのダンス・・・70年代のゆったりしたドレスシルエットに肩パッ度というジェリル・ホール(ミック・ジャガーの恋人でトップモデルだった女性)っぽいディスコ系のファッション・・・今だったら、逆におしゃれ(?)っていう感じではありますが、1990年代初頭には最も「ダサい」スタイルと思われていました。
「F」は、300回以上は観たというほどの「ザナドゥ信者」で、自宅を「ザナドゥ神殿」のようにデコレーションしていたわけです。
ただ、彼が変わっていたのは「ザナドゥ信者」というだけでなく、彼のライフスタイルも特殊でした。
毎日午前4時起きてまずは自宅でトレーニング、午後6時に仕事場近くのジムに行きトレーニング・・・故に就寝時間は毎晩午後9時。
また、食事も鶏のササミと一部の野菜しか食べず、その他はプロティン・・・一緒に外食というのは非常に難しいのでした。
そんな不調和音も感じながら・・・会ったその日に彼とエッチまでしてしまったのは、単にマッチョな人とするのって、どんなんだろうという興味からだったのかもしれません。
ただ「F」は、ベットではドーンと横たわったまんまの「100%まぐろ」で、まだ経験豊富でなかったボクはどうして良いものか困ったものでした。
「体をここまで鍛えている人って、自分から何もしないんだ・・・」という、マッチョに対する変なステレオタイプだけがボクに植え込まれました。
「F」の日本好きというのも「武士道」に対する思い込みが入っていて、当時のボクはアメリカナイズされ過ぎていたようです。
彼にとって、日本人というは「不平不満を言わずに自分に合わせてくれる」と、思っていたような節がありました。
「意志を伝えられない」のと「武士道」って関係ないんじゃない・・・という風に、ボクと「F」との溝は、会うたびに深まるという感じでした。
一度だけ「F」と寿司バーで食事をしたことがあるのですが、その時、彼はサバの握りだけをひたすら食べていました。
彼、いわく、サバは生で食べても良い魚だけど、他の魚は食べないってことでしたが・・・一体どこから仕入れた知識だったのでしょう?(酢でしめている、しめていない、が関係している?)
日本好きというわりに、その知識がメチャクチャ・・・ボクが間違いを指摘すると不機嫌になるので、埒があかないのです。
仕舞いには「おまえなんて日本人じゃない!」と彼から罵られ・・・ボクは8週間ほどの短いお付き合いにピリオドを打ったのでした。
彼のような歪んだ日本人のステレオタイプというのは極端ですが・・・このあと、ボクはファッション界で仕事を探しをする上で「日本人のステレオタイプ」という壁には何度もぶつかることになるのでした。
そのひとつが「おまえは日本人なのに、ハッキリと自分の意見やアイディアを言う」と、いうことだったのです。
その当時の日本人のニューヨークファッション界に於ける立場というのは、パタンナーというデザイナーの下で仕事をするという技術屋・・・扱いやすい大人しさ、丁寧な仕事ぶりで評価されていたのでした。
仕事の面接に行くたびに、ボクは「F」からの言葉を思い出し「日本人のステレオタイプ」を嫌というほど感じさせられて、不愉快な気持ちになったものです。