2010/01/31

「iPad」の登場はパソコンを不要にしてしまうのかもしれません・・・



1月27日に発表されたアップルの「iPad」の評価は、日本でも賛否両論のようです。
まだ、日本では3Gのキャリアーについては不明(ドコモがiPad用SIM販売という報道もあり)で、実際の販売価格も正式に発表されていません。
おそらくiPod touchの最近の為替変動による価格変更に伴うとすると、16MBのWiFiモデルで49800円からというのが妥当なところでしょう。
これは、ジョブス氏がプレゼンテーションで「単に性能の低いウィンドウズノート」だと皮肉ったネットブックと競合する価格帯です。
僕自身は、ウィンドウズベースのネットブックを持ち歩くことは絶対にないので「iPad」の登場は、ポータブル機としても多いに「買い」の商品ではあります。

「iPad」に対して否定派の意見としては・・・まず、アメリカ市場での目玉である「電子書籍/iBooks」の機能がないことでしょう。
これは、日本の電子書籍市場というのが確立されていないことが原因なので、アップルだけの問題ではありません。
将来的に書籍、雑誌、漫画も電子書籍として購入できるようにはなるのは時間の問題だとは思いますが、日本がコンテンツ産業において前時代的な体質であることを考えると、年内中に導入されるということは難しいかもしれません。
ただ「Kindle for iPhone」というアプリがすでに存在しており、アメリカから書籍をダウンロード購入することはできるようになっているので「Kindle」のサービスの日本進出次第とも考えられます。
また、去年末からPSP向けには「コミックリーダー」という電子漫画をダウンロード購入する仕組みもスタートしているので、アップル以外からiPad用アプリの「コミックリーダー」という形で電子漫画販売が実現するのかもしれません。

アメリカの「iTune Store」では、テレビ番組や映画を購入できるようになっていますが、これも日本では実現されていません。
日本国内からアメリカの「iTune Store」にも、アクセスできないようになっています。
それ故に、アップルには「AppleTV」という商品がありますが、日本では無用の長物になってしまっているのです。
日本のテレビや映画のコンテンツ配信事業というのが、テレビの機能として取り込まれていくような流れになっているようで、将来的に「iPad」で購入/視聴できるようになるのかは分かりません。
ジョブスが先日のプレゼンテーションのように、ソファに座って「iPad」でテレビ鑑賞というのは、日本ではあり得ない情景になりそうです。
ただ、動画を「iPad」で観ることはできるので、テレビ番組も映画も自ら手数をかけてファイル形式をMP4などに変換すれば良いことではあるのですが・・・使い勝手は非常に面倒ではあります。

その他の否定派の意見としては「カメラがない」「USBポートがない」「電話が出来ない」「Flashをサポートしていない」というのがあるようです。
デジカメの替わりとして画像撮影用にはカメラは不要かもしれませんが、ビデオチャット用の画面側に向いている内蔵カメラがあれば「Skype」とかには便利かもしれません。
画像の取り込みを可能にするリーダーを接続できるDockポートは用意されるようですが、iMacやMacBookProに内蔵されているSDカードリーダーがあったら、デジカメから直接画像を取り込めて使い勝手は良さそうです。
「iPad」での音声通話の必要性というのは僕自身は感じませんが、マイク付きヘッドフォンで電話も出来たら便利と思うユーザーもいるのかもしれません。
「Flash」の非サポートは数多くのサイトが使用しているので、iPhoneに続いてサポートしないというのは理解に苦しむところです。
ジョブス氏がアップル独自技術にこだわるのは分かりますが、ユーザーの利益を考えれば「Flash」のサポートは必須ではないでしょうか?

現状では数々の「非」があることは否定できない「iPad」ではありますが、それでも僕はこのアップルの新しいディバイスが将来的にパソコン(iMac,MacBookなどを含むMac全般)に替わるような気がしてならないのです。
もちろん、動画編集とか、ホームページ作成とか、DTP印刷とか、パソコンでなければならない作業はあるでしょう。
ただ、仕事以外でそのようなタスクを行うことは結構少ないものです。
「iPad」用に用意されたアップルのアプリを使うことで、ウェブ観覧、簡単な画像編集、文書作成、表計算、ブログ更新などはパソコンを必要とするわけではありません。
ノートブックパソコンは勿論、デスクトップパソコンの替わりに「iPad」で殆どのタスクを行い、ポータブルにデータを持ち歩るために「iPhone」や携帯電話という時代になってくるのかもしれません。
そう考えると「iPad」というのはジョブス氏が未来像として考えていたコンスーマー向けの究極のディバイスなのかもしれません。
物理的にはキーボードが存在せず、常時ネット接続ができて、すべてのメディア視聴観覧できるミニマルデザインの画面”だけ”があるという・・・。
先日、購入した「iMac」が、もしかすると僕が購入する「最後のパソコン」と呼ばれるような機器になるのかもしれない・・・そんな事さえ「iPad」の登場で考えてしまうのです。

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2010/01/26

流行(トレンド)をテーマとした”ファッションゲーム”の名作~That's QT(ザッツキューティー)~



近年は”女性向け”を謳ったゲームが数多く発売されていますが、これぞ”女の子”向け!という「ファッション/おしゃれ」をテーマにしたゲームというのは、意外なほど数は多くありません。
おそらくゲームボーイ向けに発売された「きせかえ物語」というのが「きせかえ」というファッション要素を組み込んだ、初めての”女の子”向けゲームだと思います。
「きせかえシリーズ」として何作か発売されましたが、ゲーム性の深みというのは乏しく、その後恋愛シュミレーションなどを加えたりして、純粋に”ファッションゲーム”ではなくなっていきました。
「きせかえゲーム」は、ゲーム内で登場するファッションのおしゃれ感が重要な要素であるべきなのですが、実際の流行を取り込んでというのは、なかなか難しいようです。

最近発売された「プーペガール DS」は、アバターできせかえを楽しむAmebaのコミュニケーションサイトのニンテンドーDS版ということもあって”きせかえゲーム”として、アップ・トゥ・デートなセンスでの「きせかえ」が楽しめるゲームです。
ただ、基本的に「きせかえ」が目的なので、アイテムを購入するためのリボン(お金)を集めることが作業的になるのが退屈なのが残念かもしれません。
また、Amebaサイトのような”コミュニケーションゲーム”としての仕組みは「すれちがい通信」程度と殆ど無いに等しいです。

エレクトロニックアーツ社の「チャームガールズクラブ わたしのファッションショー」は、アイテムの色や柄をカスタマイズできる「きせかえゲーム」で、アメリカで制作されたこともありファッション性は日本製のゲームと比較すると「大味」の印象です。
ファッションショーでのポージングには”リズムゲーム”の要素を組み合わせていますが難易度は低いので、フラッシュを浴びてモデル気分を楽しむというのが目的の、薄っぺらい”ファッションゲーム”にしかなっていません。

ゲーム史上、最も売れた”ファッションゲーム”は、任天堂の「わがままファッション ガールズモード」でしょう。
ショップの店員となって、商品を仕入れをして、お客にアイテムやコーディネートを提案しながら販売していくというゲームです。
経営シュミレーション的なゲーム性は低めではありますが、仕入れの数や商品のバリエーションは結構考える必要があります。
しかし、やはりお客にコーディネートを提案を楽しむというゲームシステムは、今までいない”ファッションゲーム”らしいゲームとなっています。
各ブランドごとのイメージを把握して、お客のテイストや色の好みなどを理解することが、需要な攻略ポイントです。
ブランドごとのイメージやアイテムのパラメーターは、プレイを続ければある程度は理解できるようにはなっていますが、お客の中には好みのパラメーターが一筋縄ではいかないこともあって、洞察力が試されるゲーム性があります。
アイテムの種類とカラーバリエーションが多くて、無限のコーディネートが楽しめるのですが、ブランドや色合いを統一して提案すると”あり得ない”コーディネートでもお客さまが気に入ってしまうことがあるのは仕方ないのかもしれません。
それでも、コーディネートの楽しさとショップの仕入れ作業にゲーム性を持たせたことは、アパレル業界を舞台にした”ファッションゲーム”として、現在のことろ最も完成したゲームと言えるでしょう。
また、通信機能を使って、プレイヤーのコーディネートを販売できるネットショップを開くことが出来るので、”コミュニケーションゲーム”としての広がりを持たせているのは、さすがの任天堂ゲームです。

ここまで紹介した”ファッションゲーム”は、既存のゲームの要素を組み込みながらも、基本的に「きせかえ」を楽しむことを目的としています。
しかし、最後に紹介する「That's QT(ザッツキューティー)」は、流行(トレンド)というファッションに欠かせない要素をゲームに取り込んだ画期的な”流行シュミレーションゲーム”です。
元々、2000年にプレイステーション版がコーエーという大きなゲーム会社から発売されていたにも関わらず、長年レアゲーとして入手困難なゲームのひとつになっていましたが、2008年にニンテンドーDS版が発売されました。
「わがままファッション ガールズモード」よりも、ショップの経営シュミレーション色が強い「That's QT(ザッツキューティー)」ですが、もちろん「きせかえ」や「コーディネート」を楽しむ要素もあり、その上「流行(トレンド)をつくる」ことが目的のゲームとなっています。
キーワードとなる「言葉」や「色」を町でキャッチし(集めて)、そのキーワードと色からアイテムをデザインしていきます。
それらのアイテムをお店に陳列し、雑誌やモデルを使って宣伝したりしながら、自分のデザインしたアイテムや色を流行らせていくのです。
自分のデザインしたアイテムが売れて、町中にあふれる様子を眺めているのは達成感を感じさせます。
キャラクターの絵柄は三等身で細かなディテールまでは楽しむことは難しいのですが、キーワードからデザインできるアイテムが多く、色も多いので、その組み合わせで無限に近い流行が生み出せるのです。
流行(トレンド)というファッションの本質をゲーム要素として組み込んだ「That's QT(ザッツキューティー)」は、前にも後にも似たようなゲームが存在しない”奇跡的な名作”だと思います。



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2010/01/15

初心者ドライバーが、スポーツカーのような「デジタル一眼レフカメラ」を購入したわけ


デジタル一眼レフカメラを購入して、ちょうど1年になります。
スナップ感覚で撮りまくるので、累積撮影枚数もゆうに1万枚を越えました。
本体のみで1kg以上のカメラを持ち歩くのは結構大変なことなのですが・・・出来るだけ持ち歩くのが、ここ一年の習慣になっています。

何故、写真にそれほど興味のなかった僕がデジタル一眼レフカメラを購入しようと思ったかというと・・・親友Tが撮影した空気感のある写真を見たからです。
今まで単なる「記録する機械」という意味しか見出さなかったカメラですが、彼女の一眼レフで撮影された画像からは「質感」や「記憶」を感じました。
当初は「進化の激しいデジタルカメラだから、まずは値段の安いのを購入したら?」というカメラに詳しい親友Nのアドバイスに従うつもりでした。
なんせ、僕は「ピント」ぐらいしか理解していなくて「露出「「絞り」「ホワイトバランス」「ISO」とかを意味を理解していないほど、写真には無知だったのですから・・・。
今まで使ってきたフィルムカメラもデジタルカメラは、とりあえずシャッター切れば「記録」は出来るレ”ばかちょん”カメラばかりでした。
まずは、勉強をするための1台目ということで、当時実勢価格の一番安かったオリンパスのフォーサーズ機を、ポイントを使ってビックカメラで購入することにしました。
「最後の二台ですよ」と手渡された在庫を手にレジにむかったのですが・・・何故かビックカメラだけのポイントカード「だけ」が手元に見つからないのです。
これは「今は買うな!」という暗示のような気がして、その日はとりあえず購入をやめました。

それから、しっかりと機種を吟味して購入しようと、ネットや雑誌でリサーチを始めました。
友人の写真から感じた空気感というのは「ボケ」によって生まれていたこと。
光の豊富なアウトドアよりも、暗いインドアでの撮影を多くするであろうこと。
望遠やマクロよりも、広角で撮影をしたいと考えていること。
小さなサイズの機種よりも、身体の大きな僕には大きな機種の方が手に合っていること。
そんなことを考慮して、一般的なデジタル一眼レフで使われている「デジタルフォーマット(APS-C)」よりも、35mmカメラのサイズに近い撮像素子を持つ「フルサイズフォーマット」が、僕の求めている画像を撮影できるのではないかという結論に達しました。
撮像素子の面積が大きい分、光に対する感度が高く暗部での撮影に強く、よりボケが出やすいというのが決め手になりました。
しかし「フルサイズフォーマット」というのは、基本的にプロ向けの機種のみに搭載されていて、当時やっとキャノン、ニコン、ソニーから普及版(といっても・・・本体価格25万円程度)が発売されたばかりという状況でした。
お店に何度も通ってカメラを手にしたり、各機種のガイドブックを購入して操作について研究をしました。
過去に一眼フィルムカメラを所持したこともないので、過去の交換レンズ資産を活用するためにマウントの縛りはありませんでした。
さまざまな考慮の結果、本体の質感の良さ、フルサイズフォーマットの機種の中でも画素を1200万に抑えたことで画素ピッチが広く超高感度のニコンの「D700」という機種に決めました。
ちょうど、ニコンからの3万円キャッシュバックキャンペーンにギリギリで応募できるタイミングだったので、グズグズしている時間はなかったのです。

そんなわけで予算を遥かに超えた金額で、初心者ドライバーが、いきなりスポーツカーを運転するようなプロ仕様のカメラを結果的に購入したことになりました。
カメラに限らず「初心者はエントリーレベルから」という考え方もあるとは思いますが、初心者だからこそプロ仕様の性能の高さが、未熟な技術を補ってくれるのだと僕は思います。
ただ、そうやって購入したプロ仕様の「道具」の数は数知れず・・・なにはともあれ使い倒して元を取るしかないと、今日もカメラをバッグに忍ばせて出掛けるのです。

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2010/01/12

やっぱり出たのね・・・カツマーVS.カヤマーの対談(対決)本!~「勝間さん、努力で幸せになれますか」/勝間和代 香山リカ著



香山リカが「しがみつかない生き方」で「勝間和代を目指さない」と書いて以来、因縁の関係として取り上げられてきたふたりが真っ向から対決した対談本が”やっぱり”出版されました。
この論争のおかげで、勝間和代も、香山リカも、マスコミへの露出も多くなり、著作も次々と出版されています。
昨年12月に勝間和代は「結局、女はキレイが勝ち」という美容本まで出版して、かなりの酷評を受けています・・・というか”笑い者”になっています。
まさか、勝間和代から「結局、女はキレイが勝ち」という言葉を聞くとは誰も想像しなかったと思うのですが、ご本人によると実際の経験から出てきた言葉だということです。
このような勘違いっぷりがアンチ・カツマーには堪えられないし、カツマー信者にとっても「努力の効率性とか言っても結局キレイが勝ちなんかい!」と、そっぽを向かれそう・・・。
「キレイ」な方が「努力の効率性」が良いということなんだけど、これって勝間和代自身のには当てはまらないのでは?と、突っ込みたくなります。
ただ「私はキレイ」という事実(!)を前提に、この本もの対談も行われているので覚悟は必要です・・・(あえて香山リカは「キレイ」の是非については一切触れていませんが)
仮に、勝間和代が「キレイ」だから「勝つ」世界があれば、その世界は僕が接したことのない業界(世界)なんだとしか思えません。

勝間さん、努力で幸せになれますか」は、香山リカが、今度は本人を目の前にして勝間和代に宣戦布告しているような対談本ではあるのですが・・・どちらが”悪役”なのか、というのは、読者の視点次第ということになると思います。
勝間和代の訴える「効率を上げる努力」によって得ることのできる「しあわせ」というのは、成功した側の人間だから語ることの許される「成功体験」にしか、僕には感じられません。
勝間和代の説く成功への方法論というのは、ひと昔前の表現ならば「ポジティブシンキング」と呼ばれたようなコンセプトで、自己啓発の定説の「努力すれば、あなたも出来る!」というシンプルな訴えでしかないということです。
「努力する過程を楽しみ、そのプロセス一段一段刻んでいく」「目的意識を持って努力すれば、必ず目標に達する」・・・・どれも「勝間和代さん、ごもっとも!」と言いたくなるような「正論」ではありますが、今まで語れてきた自己啓発本から、所々ピックアップして編集/再構成しただけという印象を受けます。
努力するということに対して、アメリカ成果主義的「合理主義/効率性」を求めていったというところが「無駄は省いて成功したい!」という人たちに支持されたのかもしれません。
ただ、成功への効率性を求めるカツマー的生き方に見え隠れする貪欲な精神性こそが、アンチ・カツマーの神経を逆なでされるように感じてしまいます。
貪欲でありながら、美徳は輪廻しているというようなキレイごとを訴えられても、基本的な意識が「自分」だけの「しあわせ」に向いているという点に於いて、カツマーの心理は「占い」や「スピリチュアル」に傾倒することと紙一重のように思えてしまうのです。

弱者、負け組、ダメ人間の代表のように勝間和代に噛み付いている香山リカではありますが・・・彼女自身は世間的には成功している側の人間と言えるでしょう。
勝間和代と同年代に思われがちな香山リカですが実は8歳も年上で、未婚の独身女性ではなく既婚者(夫はプロレスライター)だったりします。
・・・にも関わらず、香山リカが勝間和代に吠え続けるのは、彼女がステレオタイプの「成功」や「しあわせの基準」は、人を不幸にすると実感しているからでしょう・・・精神科医としても、彼女個人としても。
香山リカにとって「しあわせ」は個人的なことですが、勝間和代の「しあわせ」は社会的な成功やステレオタイプのイメージに依存して成り立つ「しあわせ」のような気がしてならないのです。
個々の「しあわせ」を追求するカヤマー的な生き方は勝手気ままのようですが、実は揺るがない自分の価値観をしっかりと持つ強さも必要だったりします。
カツマーも努力も大変ではありますが、カヤマーも決して楽ちんではないということです。

最後まで見解のすり合わせずもせずに、お互いの立場を守り抜いくという対談本も珍しいかもしれません。
僕には、時々ふたりの論争は「母=勝間和代、娘=香山リカ」というような食い違いのような気がする瞬間が時々がありました。
ふたりの結びの言葉も対照的で、厭味を含みながら歯の浮くような感謝の言葉を投げかける勝間和代に対して、ハッキリと「やっぱり勝間さんとは合わない」と決別宣言をする香山リカ・・・。
「嫌いだ!」と言われても自我を突き通す勝間和代の受け流し方にウザさを感じ、理性を保ちながらも感情的に「嫌いだ!」と素直に訴える香山リカに共感を感じてしまう僕は、やはりカツマー的な成功者ではなく、カヤマー的な落伍者になるべくしてなっているのだと、今さらながら思うのでした。



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2010/01/09

まるで海老蔵のガチャガチャ!5時間出ずっぱりのワンマンショー!~慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役/新橋演舞場~



伊達騒動を描いた「慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役」というのは、19世紀初頭に七代目団十郎によって初演されたのですが、その後幻の狂言として再演されることはなかったそうです。
恥も外聞もかまわずに紅葉のように顔を真っ赤にして大汗を流して演じたらしい(題名の由来)ので、体力的にも大変厳しい芝居であったことは想像ができます。
今から約30年前に市川猿之助によって蘇えり、その後何度も再演され猿之助の「十八番」となりました。
そして今回、本家の成田屋(海老蔵)によって再び「伊達の十役」が演じられるに至ったというのは、歌舞伎の歴史に刻まれるのではないかと感じずにはいられません。

猿之助が初演した時にも僕は観ているはずなのですが、いつものことながら内容はすっかり忘れてしまっており、見所が出てくると「そうだ、そうだ」と思い出しているという始末でした。
お家騒動を描いているので、いろいろな伏線や因縁などが絡んでくるのではありますが「伊達の十役」というお芝居は、何はともあれ主演役者が主要人物のすべてを早変わりで演じるという事を楽しむというのが醍醐味だと思います。
老若男女善悪の役柄を、入れ替わり立ち替わり海老蔵が若い体力でサクサクと早変わりをしながら、演じ分けていきます。
立役を演じることが多い海老蔵が、殿様の息子を守るために自分の息子を目の前で殺されるても感情を押し殺す難しい母親役に挑戦しているのですが、これが思いの外の熱演でした。
若さと端正な顔立ちということもあって、普段では観ることの少ない綺麗な女形の海老蔵をじっくりと観れるといのも、このお芝居の楽しいところです。
早変わりの圧巻は、花道でのすれ違いざま一瞬にして衣装が入れ替わっているところでしょう。
猿之助の時代から僕は何度も観ている場面ですが、どのようにして入れ替わるのかがいまだに分かりません・・・何か衣装に仕掛けがあるようなのですが。
立役の中でも海老蔵が得意とする荒事の男之助役になると、やはり睨みまくりで生き生きと演じているなぁと感じてしまうのは仕方ないのかもしれません。
仁木弾正役での宙づりでの退場シーンは、猿之助演出のスペクタクルなシーンで、技術の進化とともに仕掛けの機械も小型化して、本当に宙に浮いているようで、ますます幻想的になったような気がします。
しかし、アナログな歌舞伎の様式というのも特殊効果のようなものです。
海老蔵が目の見開いて睨むと、舞台上から客席まで距離があるのに、顔がアップのように感じてしまう迫力でした。
十役の中で、一番海老蔵がのびのびと演じているのは悪役の土手の道哲役で、生意気でありながら憎めない”素の海老蔵”にもかぶるような気がします。

去年の夏の「石川五右衛門」は、海老蔵の「金太郎飴」のようでしたが、今回の「伊達の十役」は例えるならば「ガチャガチャ」のような感じで、次から次へと違う形の海老蔵が出てくるといったお芝居でした。

初春長田歌舞伎「慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役」
市川海老蔵、市川右近、中村獅童、市川春猿、片岡市蔵、市川猿弥
2010年1月2日~26日新橋演舞場

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2010/01/04

2009年公開の映画ベストワン?若手俳優たち怪演の変態純愛映画!〜「愛のむきだし」〜



2009年に劇場公開されたの映画ベスト10が、あちこちで発表され始めましたが・・・僕がまったくのノーマークだった園子温(そのしおん)監督の「愛のむきだし」という2009年1月に劇場公開された邦画が、いくつかのベスト10に入っているのを見かけました。
アメリカ在住の映画評論家の町山智浩氏に至っては、この映画のDVDをベスト10リスト作成の数時間前に観て「グランド・トリノ」を抜いて、ベストワンに挙げたほどです。
クリント・イーストウッド主演監督の「グランド・トリノ」は僕の2009年のベストワンでしたので、それを差しおいてまで、ベストワンに挙げてしまう「愛のむきだし」とは、どんな映画なんでしょう・・・。

愛のむきだし」は、本編が4時間という長尺であるにも関わらず、先の読めない不条理かつ破滅的展開で、退屈を感じることもなく全編をみせてしまいます。
ユウ(西島隆弘)は、カソリック神父となった父の愛を確かめるように、罪を作り懺悔を繰り返すうちに、カリスマ盗撮師という”変態”になってしまう高校生です。
母の面影のある”マリア”を求めているのですが、盗撮しても女性に対して勃起しません。
ある日、女囚さそり(梶芽衣子)のコスプレ女装をして街を歩いている時に、男を嫌悪するヨーコ(満島ひかり)と出会い、恋に落ちます。
ユウは初めて”勃起”を経験します。
ユウはヨーコを”マリア”として愛を貫くのですが、それはヨーコのパンチラを見ると瞬時に”勃起”してしまうという”純愛”なのです。
新興宗教幹部の小池(安藤サクラ)によって、ヨーコは拉致、洗脳されてしまうのですが、その後は予想不可能な節操のない展開をしていきます。
この映画が実話をベースに作られたというのは驚愕です。
この純愛の行く末には、ユウの”勃起”が重要なのですが、これほど感動的(?)な勃起シーンというのは映画史上ないかもしれません。
まついなつき(子育てマンガで知られているが1980年頃はサブカル系の変態マンガ家?)の名言を思い出しました・・・「好きだというかわりにチンチン勃ててね」

ある意味コメディのようでありながら訴えているテーマは妙にシリアスで、”変態”と”宗教”が紙一重の危ない描写は、ひさうちみちお的な不条理の世界に似ているようにも思います。
ただ、この不可思議な映画を成立させているのは、若手俳優たち(西島隆弘、満島ひかり、安藤サクラ)の”熱演”というか”怪演”に尽きると言っても過言ではないでしょう。
ユウ役の西島隆弘は、草食系の美形の若手なのですが、屈折した変態的な役柄になりきって共感できました。
ヨーコ役の満島ひかりは、どこにでもいそうな美少女アイドルのようだけど、小悪魔的で破滅的、狂気に取り憑かれたような根性のある演技で、背筋が凍るような感動を与えてくれました。
小池役の安藤サクラは奥田瑛二の娘だそうですが、狂った新興宗教幹部を独特のテンションで不気味に演じており、将来的には白石加代子系の怖い女優さんになるかもしれません。

プロダクションのスケールも小さくて、インディーズ映画っぽい「愛のむきだし」をハリウッド映画の「グランド・トリノ」と比較するのも酷なことではありますが・・・「愛のむきだし」はバカバカしさの中に、愛の真理と哲学を描く崇高な映画でもあるのでした。

「愛のむきだし」
2009年/日本
監督 : 園子温
脚本 : 園子温
出演 : 西島隆弘、浦島ひかり、安藤サクラ、渡部篤郎、渡辺真起子



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2010/01/01

空想の未来世界ではなく・・・「夢やぶれて」で、現実的に西暦2010年を迎えました



西暦2010年なんて・・・僕が子供の頃(1970年代)には未来の年号でありました。

地上から浮いたタイヤのない車が飛んでいたり、細い支柱の上に建つ円盤型の建物が街には並んで建っていたり、人は全身タイツのようなスペーススーツを着ていたり、バケーションで普通の人が宇宙旅行で月や火星に行ったり、腕時計のようなディバイスで通信したり(これだけは携帯電話とインターネットで現実になったのかも)・・・そんな流線型な世界を僕は空想していたのでした。
その「西暦2010年」を、子供時代と同じ部屋で、僕は迎えています。
「過去」と「今」を点と点で繋ぐような空間にいると、30~40年前の子供の自分にフラッシュバックしたり、ニューヨークでの生活なんてなかったようなデジャブに襲われたり、アンニュイな気分になってしまうことがあるのです。

大晦日の紅白歌合戦に紅組応援歌手として出演したスーザン・ボイルの歌う「夢やぶれて/I DREAM A DREAM」を久々に聞きました。
実際にプロフェッショナルシンガーになるという同世代(!)の彼女の夢を叶えた「今」・・・改めてこの歌の歌詞を聞くと、つい僕は自らの人生を見つめてしまいたくなるのです。
この歳になると、自分のという人間性や人生の方向性が大きく変わることには期待しないけど・・・新年を迎えるという元旦というタイミングは、自分自身と一年間という時間を改めて考え直してしまうのかもしれません。

あけましておめでとうございます。



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