2015/08/16

”ジョーン・クロフォード”が”ジョーン・クロフォード”になった「おキャンプ映画」・・・”女性”の登場人物だけで描かれた”男性”の本質についての映画~「女たち/The Women」~



1939年はハリウッド映画史の中でも傑作揃いの年とされています。しかし、1941年12月8日の真珠湾奇襲により日本とアメリカは戦争に突入・・・敵国であるアメリカ映画が日本で公開されることは少なくなり(「駅馬車」「スミス都へ行く」などは公開)、戦後になって劇場公開されたのです。ベティ・デイヴィスの「愛の勝利」(1948年)、グレタ・ガルボの「ニノチカ」(1949年)、ローレンス・オリヴィエの「嵐が丘」(1950年)などの後、ようやく「風と共に去りぬ」(1952年)や「オズの魔法使い」(1954年)が劇場公開されたのですが、1939年のアカデミー主演男優賞受賞作品の「チップス先生さよなら」は劇場未公開で、2004年になってやっとDVDリリースされただけ・・・そして「女たち/The Women」に至っては、劇場未公開(アテネフランセで上映されたことがあるらしい)というだけでなく、いまだにビデオもDVDも日本では発売されていません。

ヒット舞台劇を映画化した「女たち/The Women」は、登場人物が女性だけで画面には男性の姿は勿論、男性の台詞さえ一切ありません。出演者が女性だけというのは、舞台劇としてはありそうなギミックですが、映画としては奇抜です。ただ、登場人物である女性たちが話すことは男性(夫のこと)のことばかり・・・女性しか登場しない女性映画でありながら、男性についての映画であることが、本作のミソなのであります。ハリウッド黄金期のオネェ監督の代表格(?)ジョージ・キューカーのMGM看板女優たちの個性を生かした巧みな演出と、F・スコット・フィッツジェラルド(クレジットなし)も関わったといわれている皮肉と厭味に満ちた女同士で交わされるマシンガントークの脚本により、今なお「おキャンプ映画」としてゲイに愛され続けているのです。


本作に登場する女性たちは、社会的に成功した配偶者をもつニューヨーク上流階級に属する夫人たちであります。主人公のメアリー・ヘインズを演じるのは、MGMのプロデューサーであったアーヴィン・タルバーグの妻であり、サイレント映画時代からMGMのスター女優であったノーマ・シアラー・・・本作が制作された時にはタルバーグは亡くなっていましたが、彼女が”貞淑な妻”であり”優しい母親”という観客には受けのいい”主役”を演じたというのは、まだまだMGM社内では大きな力を持っていたからかもしれません。

メアリーから夫を奪う愛人クリスタル・アレンを演じるのはジョーン・クロフォード・・・エキストラ時代にノーマ・シアラーの”ボディダブル”で銀幕デビューをしているという”因縁”のある二大女優が「貞淑な夫人」と「夫を奪う愛人」を演じるているのです。1930年代、ジョーン・クロフォードはノーマ・シアラーを超えるほどのMGMのスター女優と成り上がったのですが・・・1938年には”ボックス・オフィス・ポイズン”(映画館オーナーたちへのアンケートによって知名度やギャラのわりに興行成績の悪いスター)としてリストアップされて、キャリアに暗雲が立ち込み始めていた時期であります。

ちなみに、ジョーン・クロフォードと共に”ボックス・オフィス・ポイズン”として名前が挙げられていたのは、グレタ・ガルボ、マレーネ・デートリッヒ、メイ・ウェスト、キャサリーン・ヘップバーン、フレッド・アステアなど・・・逆にギャラのわりに興行成績の良いスターとしては、シャーリー・テンプル、クラーク・ゲーブル、ゲーリー・クーパー、ベティ・デイヴィス、ウィリアム・パウェル、スペンサー・ロトレイシー、ケリー・グランド、キャロル・ランバート、ジーン・アーサーなどで、いずれにしても蒼々たるハリウッドスターであることには変わりはないので、名前が挙げられた自体、スター俳優である証明だったのかもしれません。


マンハッタンの高級エステサロンには、今日も上流階級の女性たちで混雑しており、当然のように噂話に盛り上がっています。シルビア・フォウワー(ロザリンド・ラッセル)は、ネイリストから従姉でありメアリー(ノーマ・シアラー)の夫であるウィリアム・ヘインズが香水売り場の売り子のクリスタル・アレン(ジョーン・クロフォード)という女性と浮気をしているというゴシップを聞きつけます。噂はあっという間に広がり・・・メアリー自身もネイリストからゴシップを聞かされるという羽目になるのですが、噂が収まるのことを期待して、母親(ルーシー・ワトソン)と共にバミューダへバケーションに出かけるのです。ただ、ゴシップ好きのシルビアやイーディス(フィリス・ポヴァー)が、女性レポーターに話したことによって、一大スキャンダルとなってしまいます。

慌ててニューヨークに戻ってきたメアリーは、引き止める夫を許すことが出来ず、離婚を決意してネバタ州リノ(1920年代後半頃から離婚手続きの簡素化によって観光地となった小さな町)へ旅立ちます。道中、デ・ラヴィ伯爵夫人(メアリー・ポーランド)、ミリアム・アロンズ(ポートレット・ゴダート)、ペギー・デイ(ジョーン・フォンティン)らと合流・・・ルーシーおばさん(マージョリー・メイン)が世話係を務める牧場(離婚手続きを待つ女性の宿泊先)に落ち着きます。

そこでも、伯爵夫人はバック・ウィンストンという若いカウボーイと浮き名を流しているとか、ミリアムはシルビアの夫と浮気していて再婚する予定だとか、交わされる会話は男性のことばかり。妊娠したことを夫に伝えたことにより、離婚を回避できたペギーがいるかと思えば、新たに離婚を宣言されたシルビアが牧場に到着・・・別れたばかりの夫の再婚相手であるミリアムとは、取っ組み合いの喧嘩になってしまいます。喧嘩を仲介してもらったミリアムは、実は離婚したくないメアリーの本心を見抜きます。プライドは捨てるようにアドバイスするのですが、離婚が成立するかいなかの時、メアリーはウィリアム・ヘインズから電話で、彼がクリスタルと再婚することを伝えられるのです。離婚手続きを完了して、すぐに再婚!・・・と思ってしまいますが、今よりも貞操観念が厳しかった時代には、社会的地位の高い男性(金持ち)の責任の取り方としては、一般的だったのかもしれません。


それから2年後・・・伯爵夫人とバック・ウィンストンは結婚2年目を迎えて、メアリーはパーティーを開いてお祝いをします。バック・ウィンストンは有名な”ラジオスター”になっているのですが・・・それは、伯爵夫人の経済的なバックアップ(ラジオ局を買収)があるからこそ。実は、バック・ウィンストンは、今ではウィリアム・ヘインズ夫人となっているクリスタルと浮気をしているのです。浴槽に電話を持ち込んでいるクリスタルの行動から、今ではクリスタルと親友となっているシルビアも気付いている様子・・・ただ、この秘密は、とりあえずはシルビアの胸中にしまっておくことにします。パーティーの後、娘から元夫のウィリアム・ヘインズがクリスタルと再婚してから幸せではないこと、そしてクリスタルがバック・ウィンストンと浮気をしていることを聞いたメアリーは、元夫を取り戻すことを決意してナイトクラブへ乗り込むのです!

ナイトクラブのレディズルームでシルビアからクリスタルとバック・ウィンストンの不倫を確認したメアリーは、ゴシップコラムニストに密告・・・そこに現れたクリスタル本人にもスキャンダルをつきつけますが、そもそも玉の輿願望の強いクリスタルにとっては、ウィリアム・ヘインズからバック・ウィンストンに乗り換えるだけの話・・・ウィリアム.ヘインズ夫人の座なんてメアリーに返してやると、どこ吹く風です。しかし、スキャンダルを知った伯爵夫人は、買収したラジオ局から解雇させており、バック・ウィンストンは今や一文無し・・・それを知ったクリスタルは「また香水売り場に戻るだけ」と強がります。そして、本作で最も有名な台詞を放つのです!性格の悪い女性を表す汚いあの言葉・・・「ビッチ(めす犬)/Bitch」です!

And by the way, there's name for your ladies, but it isn't used in high society--outside of a kennel.

ところで、アナタ達のような女性を指す言葉があるのだけど、上流階級では使われないわね・・・犬小屋の外だから!

メアリーが元夫の姿をナイトクラブで見つけて、両手を広げて近づくところで本作は終わります。その顔には、元夫を取り戻したという勝利の微笑みがあるのです。当然のことながら・・・元夫であるウィリアム・ヘインズの姿は、最後の最後まで一切画面には登場しません。


女性の社会的な立場は弱いといっても・・実際、世の中は女性によって操られているところはあるのかもしれません。男女の社会的な立場やルールがハッキリしていた時代だからこそ、成立した物語なのかもしれませんが・・・男女平等が唱えられる現在でも、女性が影で男性を操っている夫婦の方が幸せそうに見えたりするものです。

本作が多くのゲイから「おキャンプ映画」として愛される理由は・・・本作で描かれている女性同士の”やりとり”が、オネェ同士そのものだからでしょう。オネェに分類されるゲイは、防衛手段のひとつとして「言われる前に言い負かす!」であります。言葉での喧嘩には(男同士のような殴り合いをまったくしないわけではありませんが)ヒジョーに好戦的なのです。オネェタレントが毒舌を売りにするのも、こういう資質に由来するのでしょう。皮肉っぽい比喩や、相手を貶めるようなジョークという”笑い”によって牽制し合うわけですが・・・その根底には虚栄心やコンプレックスが見え隠れするものです。

そんな「オネェ」心理は、金持ち男と結婚することで上流階級に属している女性と、どこか似通っていることを本作の制作者たちは見抜いていたのかもしれません。金持ちの男、社会的地位の高い男、成功している男というのは、おおむね女性蔑視的な考え方を持っていたり、我が儘で傲慢な人物ということが多かったりするわけで・・・そんな男と結婚することで、上流階級の夫人という立場を手に入れた女性が感じる”ストレス”というのは、女性の心で恋愛対象する”オネェ”が感じる”ストレス”と、結構似通っているところがあるのかもしれません。本作は、1930年代の上流階級の女性を描きながら・・・実は(現在でも変わらない)女を”策士”へと変貌させる、男の傲慢さやズルさを間接的に描いているように思えるのです。


本作は1956年にミュージカルとして再映画化、2008年に現代版が再々映画化されているのですが・・・1939年のオリジナルとは、本質的に違う作品になっています。1956年の「ジ・オポジット・セックス(原題)/The Opposite Sex」=(異性の意味)は、男性の登場人物も普通に画面に登場するミュージカル映画。夫を奪われる貞淑な妻をヘチャ顔のジューン・アリソン、夫を奪う愛人が若き日のジョーン・コリンズというステレオタイプのキャスティングで、男女の恋愛ゲームのドタバタ劇は紋切り型から脱することはなく、ハリウッド製の洒落た(?)ミュージカルコメディ映画としてまとめられています。

2008年の「明日の私に着がえたら/The Women」は、ニューヨークの街中でのロケーションもあるにも関わらず、オリジナルへのオマージュとして画面映るのは女性だけということに(不自然なくらい)徹底的にこだわっています。登場人物の設定は1939年の「女たち」を引き継いでいるところも多いのですが・・・時代の変化を反映して「セックス・アンド・ザ・シティ」を意識したような”女性同士の友情を賛美する”バディムービー”となっていていて、オリジナルとは、ある意味・・・真逆(?)のような映画となっています。

何故かエンディングは女友達の出産の場面で、唯一画面に登場する男性が生まれたばかりの赤ん坊というオチになっています。(男の子を授かるまで生み続けるつもりという伏線はあるけど・・・)主演にメグ・ライアン、準主役にアネット・ベニング、脇を固めたのはベット・ミドラー、キャンディス・バーゲン、キャリー・フィッシャーという大御所、芸達者なコメディアンヌのデブラ・メッシング、ジェイダ・ピンケット=スミス、クロリス・リーチマンらを集めたにもかかわらず、興行的にも評価も振るわなかった作品で、1939年のオリジナル版のスゴさを改めて認識させることとなったのです。

ジョーン・クロフォードは、1930年代には基本的に主演しかしないスター女優でしたが・・・あえて脇役の”悪女”を演じた本作「女たち」での演技により”ボックス・オフィス・ポイズン”の汚名を脱して、1940年代以降も”第一線”で活躍する足がかりとします。ジョーン・クロフォードが、その後のトレードマークとなるような”ジョーン・クロフォード”らしい役柄を初めて(?)演じた本作は、すべてのジョーン・クロフォードのファンが観るべき一作なのです!日本語字幕なしだとハードルの高い作品なので、とりあえずはTSUTAYAの「復刻シネマライブラリー」(オンデマンドDVD)あたりでDVDリリースしてもらえたら・・・なんて思ってしまいます。


「女たち」
原題/The Women
1939年/アメリカ
監督 : ジョージ・キューカー
出演 : ノーマ・シアラー、ジョーン・クロフォード、ロザリンド・ラッセル、メアリー・ポーランド、ポートレット・ゴダート、ジョーン・フォンティン、ルーシー・ワトソン、フィリス・ポヴァー、マージョリー・メイン
日本劇場未公開


「ジ・オポジット・セックス(原題)」
原題/The Opposite Sex
1956年/アメリカ
監督 : デヴィット・ミラー
出演 : ジューン・アリソン、ジョーン・コリンズ、ドロレス・グレイ、アン・シャリドン、アン・ミラー、レスリー・ニールセン、アグネス・モアヘッド
日本劇場未公開


「明日の私に着がえたら」
原題/The Women
2008年/アメリカ
監督 : ダイアン・イングリッシュ
出演 : メグ・ライアン、アネット・ベニング、エヴァ・メンデス、デブラ・メッシング、ジェイダ・ピンケット=スミス、ベット・ミドラー、キャンディス・バーゲン、キャリー・フィッシャー、クロリス・リーチマン、デビ・メイザー
日本劇場未公開、2010年DVDリリース



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2015/08/04

ネットでの酷評の嵐にも関わらず炎上営業の甲斐あって大ヒット!?・・・原作ファンだけでなく”いちげんさん”にもツッコミどころ満載の人食い巨人の”コメディ映画”~「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」~



公開日に映画館に足を運ぶということが最近少なくなくなっていたのですが、今年は大きな映画館のスクリーンで観ることが前提の超大作が目白押し・・・そのためIMAXでの上映は公開日から1週間限定ということが多いようです。そこで、何かと話題になっている「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」を観てきました。訪れた二子玉川109シネマズは、最近オープンしたばかりということもあり、”IMAXシアター”の設備は最新のよう。目の前いっぱいにスクリーンや音響システムは大迫力・・・2000円の普通席(さらに広い6000円のエグゼプティブシートもあり)でも十分な広さが確保されていて、IMAXを観るならココと思わせるほどでありました。

さて・・・ボクは「進撃の巨人」については、マンガも読んだことありませんし、アニメも観たことはありません。知っているのは「巨人が人間を襲って食う」「人間は高い壁に囲まれて生活している」という中世ヨーロッパの寓話のような設定ぐらい・・・巨人の存在が何かしらの哲学的な意味がありそうな深いテーマを感じさせるものの、実際にマンガを読んでみようとか、アニメを観てみようという気にはなりませんでした。それなのに何故、実写映画版の公開日に劇場まで足を運んだかというと、映画評論家の町山智浩氏が製作に参加しているからであります。

町山氏はスクリプト・ドクター的な助言をする程度の立場なのかと思いきや、TBSラジオの「アメリカ流れ者」での制作裏話によると・・・共同脚本として、実写版映画化の根幹となるオリジナル要素にも大きく関わっていたというのです。ただ「映画を語ること」と「映画を作ること」は別もの・・・作品の出来次第では、今まで解説者/評論家として語ってきたことの信頼性さえも失いかねません。

ボクと同世代(同じ学年?)である町山氏は・・・アメリカ西海岸を拠点としてアメリカの文化、習慣、ニュースに精通し、映画監督や関係者への直接の取材、膨大な映画知識と驚異的な記憶力で、日本人の映画評論家としては突出している存在ですし、近年、サブカル系(映画秘宝的な?)映画ファンには絶大な影響力を持っています。怪獣特撮などの”男の子映画”に関しては、特に熱弁をふるってきた町山氏・・・「進撃の巨人」は、最も得意とするジャンルと言えるのかもしれません。そんなこともあって、ボクは実写版「進撃の巨人」に期待を膨らませてしまったのです。

町山氏は、登場人物たちの名前を日本人らしい名前に変更するか悩んだ上に、日本人の名前として不自然なキャラクターは登場させないことにしたそうなのですが・・・無国籍(中世ヨーロッパ的?中央アジア的?)で、時代考証も意味をなさない物語なのですから「名前が日本人っぽいか?否か?」という”リアリティ”よりも、もっとこだわるべきことがあったのではないでしょうか?

コスプレ感の強い若手俳優たちによる凡庸な人間ドラマ部分が多い本作・・・エレン(三浦春馬)を中心にアルミン(本郷奏多)、ミカサ(水原希子)の3人を主人公に物語が進んででいきます。原作マンガでは、特別な絆で結ばれていることが描かれているらしいですが、映画ではテレビドラマにありそうな男2人女1人の三角関係(?)のよう・・・壁の外の世界に憧れているエレン、怖がってばかりの気弱なアルミン、悲壮感ばかりが滲み出してるミカサによる、なんとも青臭い”青春ドラマ”のような台詞のやりとりが繰り返されるのです。

主人公を特別なスーパーヒーローではなく、人間としてダメ要素もある”普通の若者”としたところは、原作者である諫山創氏からのリクエストだったと、町山氏は責任逃れ(?)のような言い訳をしていますが・・・「等身大の若者」の主人公に強く共感するというのは、特別に優れた人間には親近感を覚えないというナルシシズムに支えられている世代にありがちの傾向のような気がします。”何も特別でない主人公”が、過酷な運命に投げ込まれ、これでもかと痛めつけられて耐える姿は、社会的な被害者と自己認識しがちな世代と重なるところがあるのかもしれません。

町山氏は「試写会の後、ファンが炎上します!」という炎上確信犯的な発言をしていましたが・・・原作マンガを支持するファンや、登場人物に特別な思い入れのあるファンにすれば、原作からの変更に不満を持つことは当然のこと。ただ、原作マンガやアニメを読んでない観ていないボクのような観客にとって、原作からの変更というのは、たいした問題ではありません。そんなことよりも・・・「巨人の存在感が全然リアルでない」とか、「巨人たちが人間を食らうシーンが、それほど残酷でない」とか、「調査兵団や憲兵団は、役立たずもいいところ」とか、「人類最強の男なのに、全然活躍してない」とか、ボク的にはツッコミどころ満載なのです。


巨人を生身の日本人が演じていて、アンガールズの田中や渡辺直美に似ている巨人がいるところに、思わず笑ってしまったのですが・・・無個性、無国籍、無性別の外見(山海塾のダンサーみたいな?)であった方が、巨人という存在がもっと恐ろしくなった気がします。生身の人間を妙に感じさせるため、人食い巨人のコントを見ているみたいで・・・ホラーコメディ映画に近いノリを感じてしまったのです。巨人の一人一人に個性があることは、後編で明かされる(?)巨人の秘密と関係があるのでしょうか?

巨人と人間が絡むシーンは怪獣映画のような特撮で撮影されているらしいのですが、巨人が”背景”のようになってしまって、そこに存在してるリアリティがとても希薄。人間が巨人に捕まってバタバタ暴れているシーンでも、巨人の手がハリボテのように動かないので、人間の体が握られている感がありません。「コンピューターグラフィックに頼らないぜ!」という意気込みは大変立派なんだけど・・・前時代的な怪獣映画を見せられているようで、逆に特撮技術の限界を見せられた気がします。

巨人が人間を食らうシーンの”残酷描写”は、ひとつの”売り”であるはずなのですが・・・ボクのようなスプラッター映画を観てきた人にとっては、あっさりとし過ぎてて拍子抜け。巨人のふざけた表情と相まって残酷というよりも、コミカルにさえ感じさえします。町山氏曰く・・・映倫と何度も掛け合って、なんとか通過させたというのは、レーティングを「PG 12」まで下げることにこだわったではないでしょうか?巨人は人間を噛み切って食べるので、上半身と下半身はバラバラになってしまうのに、主人公であるアルミンやエレンだけは、食われても噛み切られることもなく、巨人の口の中で生きているのですから・・・「おいおい!嘘だろう」とツッコミたくなります。

巨人と戦うために組織された調査兵団や憲兵団のはずなのに、ただオロオロとして食われるだけ。寝ている巨人を起こしてしまうから、絶対に声を出してはいけないという移動中でさえも、おしゃばりばかりしているし、巨人が近くにいるのにエッチしようとしたり、団員たちの態度から、生きるか死ぬかの緊張感を感じられません。不思議なのは、爆薬がないほど物資が底をついているはずなのに、移動は軍用車というところ(原作では正しく馬だったらしい)・・・壁に囲まれた居住地内に油田でもあって、ガソリンだけは豊富にあるのでしょうか?

おそらく、町山氏が創作したのであろうシキシマ(長谷川博己)は、”人類最強の男”という実写映画版オリジナルの登場人物・・・相変わらず妙なテンションで長谷川博己らしい怪演を見せていますが、たいして活躍しないのです。エリンが片足を食いちぎられて瀕死の状態になっているのに「アンラッキーなこともあるさ」という言葉で片付けるのは、冷静なのか?冷酷なのか?・・・わざわざ、オリジナルで、この人物を創作しなければならなかった理由が、前編を観ただけでは、よく分かりません。

常に奇妙なテンションのハンジ(石原さとみ)や、いつもお腹が減っている設定のサシャ(桜庭ななえ)は、原作から引き継がれたコミカルな役どころらしいのですが・・・(必要以上に?)悲壮感に満ちた登場人物達の中で浮きまくってます。マンガやアニメの中で成立する猿回し的なキャラクターも、実写映画では緊張感を断ち切ることもあるのです。唯一、本作でリアルな存在感を感じさせたのが、ジャン(三浦貴大)・・・グローバルに通用するルックスは父親の三浦友和譲りで、年齢を重ねたことで”戦場”にふさわしい”男臭さ”を発揮しています。


立体起動装置で巨人をバッタバッタ倒すアクションシーンも”みどころ”であるはずなんだけど、位置関係に現実感がなく、背景と人間に違和感があって、爽快感に欠けています。そもそも、ワイヤーが壁にくっついて(スパイダーマンみたいに?)空中移動するという装置の仕組みがイマイチ分かりません。ロケをした軍艦島のような高い建物がある場所であれば、高く飛べるかもしれませんが、野原のような高いモノがないところでは、まるで意味さそうな装置・・・これで人間は巨人と戦えるのでしょうか?

巨人に食われたのにも関わらず、自らを巨人化(?)させて巨人を倒すエレン・・・弱点である”うなじ”を切られると、その中からエレンが胎児のように(?)出てくるというところで、前編は終わります。原作を読んでいれば「なるほどね~」となるのかもしれませんが・・・何も知らないボクにとっては「どういうこと?」となるだけ。ファン激怒の変更をしながらも、結局は作品を知ってるファン向けのつくりなのか・・・という感じ。「気になる続きは、後編を劇場で!」というのは、映画というよりテレビシリーズのファーストシーズンのラストエピソードみたいです。


「前編」「後編」に分けて劇場で公開とするいうのは、最近増えてきた日本映画におけるビジネスシステムのようですが、本作は決して長編映画の上映時間としては、それほど長くはない98分・・・噂によると後半はさらに短い87分ほどらしいので、前後編を1本の映画として上映しても3時間5分。確かに3時間を超える長編は、観客の回転率が悪く映画館には歓迎されないとは思いますが、編集で2時間30分以内におさめることも十分に可能なはず・・・前後編に分けての公開というのは、入場料金の二重取り目的の”あこぎな商法”だと思えてしまいます。

当初、名乗りを上げていた中島哲也監督が実写版映画化を完成させていたら、どんな作品になっていたのでしょう?原作の「巨人が人間を襲う」という設定”だけ”を引き継ぎなら、まったく違う世界観と物語になると噂されていて、巨人が東京を襲うというパイロット版まで製作されていたというのですから、今になってみるとヒジョーに興味が掻き立てられます。

町山氏の炎上を煽るような(?)営業的な発言や、ツイッターのタイムライン(改めて見てみると、町山氏が本作に好意的なツイートをリツリートしていただけ?)に翻弄されて、そそくさと劇場に足を運んでしまったわけですが・・・、後編となる「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド」も、多くの謎を宙ぶらりんにされたままの状態なので、9月19日の公開日に観に行くことになりそうです。


「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN
2015年/日本
監督 : 樋口真嗣
脚本 : 渡辺雄介、町山智浩
原作 : 諫山創
出演 : 三浦春馬、本郷奏多、水原希子、三浦貴大、長谷川博己、石原さとみ、ピエール滝、國村準、桜庭ななえ
2015年8月1日より日本劇場公開



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