2012/12/30

男同士のバディを卒業して一生の伴侶として女性を選ぶことで一人前の男になる・・・”男性向け恋愛映画”による、ある洗脳~「テッド/ted」~



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日本では、それほどポピュラーな映画のジャンルないんだけど、アメリカでは盛んに制作されているのが「男性向け恋愛映画」・・・といっても、ブロンドのおねえちゃんが脱ぐだけのセクシー映画というのではなく、男性目線で楽しめる恋愛映画というのでもなく、恋愛下手な男性に「どのように恋愛したら良いのか」をレクチャーするような映画であります。

いつまでも大人になりきれず男同士でつるんでばかりいる男性が、親友(バディ)たちとの友情から卒業して、女性を伴侶として選択して成熟した大人の男へと成長していくというのが王道のパターンであります。下品なエロ満載なのは、あくまでも男性客相手だから。「無ケーカクの命中男/ノックドアップ」「40歳の童貞男」「40男のバージンロード」や、グレッグ・モットーラ監督作品の「スーパーバッド 童貞ウォーズ」「アドベンチャーランドへようこそ」などが、この手のジャンルの作品としてあてはまるかもしれません。


「テッド/ted」は、ネタバレ気味に”ひと言”で言ってしまうば・・・主人公のジョン(マーク・ウォールバーグ)が、親友のテディベアのテッド(声/セス・マクファーレン)とのバディの関係を卒業して、4年間付き合ってきた恋人ロニー(ミラ・クニス)を人生の伴侶として選んで大人の男に成長するお話。日本では「世界一ダメなテディベア」というコピーで、テッドの可愛らしさを前面に押した宣伝をしていますが・・・うっかりデートで観に行ったりしたら、後悔してしまいそうなほど、実はかなりのブラックジョークと下品な下ネタ満載の一作であります。

いじめられっ子で友達のいなかったジョンが、クリスマスプレゼントに受け取ったテディベアのテッドが、永遠の友達になるように祈ったところ、魂が宿ってしまうというというファンタジーな設定であるのですが・・・27年後(ジョンが35歳)には、テディベアのテッドも同じように年を取って”おっさん”になっているのであります。このテディベアのテッドというキャラクターの立ち位置は「宇宙人ポール」のポールっぽい感じで・・・ボクの観た”アンレーテッド・バージョン”は、その過激さが一線を越えていて頭を抱えてしまいそうになることもしばしばでありました。見た目は”かわいらしいテディベア”でありながら、内面はどうしようもない”エロ親父”と化したテッドは、ある意味、反則的にチャーミングであります。


本作が、あくまでも「男性向け恋愛映画」なのは・・・ジョンの恋人のロニーにしても、スーパーマーケットのアルバイト先で知り合ったレジ係のテッドのガールフレンドのタミ・リン(ジェシカ・バース)にしても、男にとって都合のいい女としてしか描かれていないところであります。まぁ・・・スーパーマーケットの倉庫で下着を足首まで下ろして、テディベアとエッチしてしまうようなタミ・リンに、リアルな女性像を求めることが、所詮、無理なことなのかもしれませんが。また、マーク・ウォールバーグが、元”いじらめられっ子”で、いまだに「フラッシュゴードン」に夢中な”オタク”というのも、正直ハマっていない感じ・・・なにはともあれ、テッドの可愛らしさと下品さが、本作の魅力を担っている作品であることには間違いありません。

それにしても、なんで繰り返し繰り返し、男同士のバディから卒業して、人生の伴侶として女性を選ぶことで、一人前の男になる・・・というアメリカ映画って多いのでしょう?そこには、ウーマンリブの先進国でありながら、レディーファーストの習慣も生き残っている、アメリカ独特の、ある洗脳を感じてしまうのです。

ハイスクールの最後のイベントとなる「プロム」というダンスパーティーは、男子が女子を誘うのが通例でありまして、これは将来のために女性をどのようにエスコートするかを男子に習得させるためと言われております。プロポースは男性が女性の前で跪き、バレンタインズデーには男性から女性へプレゼントをして食事に招待するというのが、いまだに常識・・・どれほど女性が社会的、経済的、肉体的にも強い時代になったとしても、表面上(?)は男性に主導権を与えるような習慣を洗脳している文化なのです。

ただ、そのような洗脳の仕組みの中でも落ちこぼれてしまうのが、近年増えてきた「オタク」っぽい男の存在であります。趣味に没頭したり、男同士でつるんで遊ぶことにしか興味のない・・・大人になりきれていない男性に対して、人生の伴侶となる真のパートナーは男友達ではなくて女性であると、潜在意識に擦り込んでいるような気がしてならないのです・・・。

「テッド」
原題/ted
2012年/アメリカ
監督 : セス・マクファーレン
出演 : マーク・ウォールバーグ、ミラ・クニス、セス・マクファーレン(テッドの声)、ジョバンニ・リピシ、ジェシカ・パース、サム・J・ジョーンズ(本人)、ノラ・ジョーンズ(本人)

2013年1月18日より日本劇場公開


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2012/12/14

”男の子になりたい女の子”と”女の子になりたい男の子”・・・トランスセクシャル=性同一障害も男の子と女の子ではまったく違うのね~「トムボーイ/Tomboy」「ぼくのバラ色の人生/ma vie en Rose」~



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”性同一障害”については、この「めのおかしブログ」で何度か取り上げてきました。「LGBT」というセクシャルマイノリティという分類において、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルと共に並び語られるトランスセクシャルなのですが・・・ボクは違和感を感じてきました。

レズビアン、ゲイ、バイセクシャルというのは、自分の性別の認識は生まれ持った性別で性の対象が異性ではない(だけではない)ということなのですが、トランスセクシャルは自分の性別の認識が生まれ持った性別と違うという”個人”のはなし・・・性同一障害という医学的な「障害」とすることで、あっという間に社会的な理解を得たようなところがあります。日本では、いまだに”同性婚”の是非さえ論議されていませんが、”性同一障害”と認められ条件さえ揃えば、戸籍上の性別を変更することが可能になのですから。

トランスセクシャルという存在を分かりにくくしている原因のひとつが、ゲイやレズビアンもトランスセクシャルとい似たような行動をすること。ひと昔前までなら、ゲイというのは女性っぽい恰好、しぐさ、言葉遣いをするというステレオタイプが主流・・・今でも「おネエ」という男の姿をしながらも中身は女である方が、一般的には理解されやすいのかもしれません。まぁ、実際は男性らしさを求め性的にも男性を求めるゲイというの大半で、過剰に男らしさを求めると、髭、短髪、マッチョになるわけであります。

トランスセクシャル=性同一障害というと、世間的に話題になりがちなのが、男性として生まれながら性別は女性である人・・・逆の女性として生まれながら性別は男性という人は、あまり注目を浴びていないような気がします。その理由として・・・女性として生まれた性同一障害者が男性として生きている場合、違和感が少ないようないからだと、ボクは思うのです。

男性として生まれた性同一障害者が女性になった場合、どうしても男性の痕跡が残っていることが多くて・・・どんなに普通の女性以上にキレイであっても、何かしらの違和感を拭いきれなかったりします。それは声が低いとか、肉体的な特徴からというのではなく、過剰なほど女性らしさを演出してるからかもしれません。ナチュラルにすればするほど、隠したい男性らしさというのが伺えてしまうこともあるので、誰からも元男性でると気付かれない自然な女性となることは、かなり難しいと思います。

元女性が男性ホルモンの治療をすると、髭が生えてきたり、体つきがゴツゴツしてきて、見た目がほぼ男性になってしまことがあります。体格は華奢かもしれませんし、顔つきは優しかったりするかもしれません・・・それでも、男性として「パス」してしまうことが多い気がします。女顔の男性タレントを好むストレートの女性は多いし、レズビアン女性の中にも受け入れる人が多そう・・・全般的に女性からの嫌悪感はないのかもしれません。ストレート男性にとっては男性として権威となる存在でもなく・・・また、ゲイの男性に取っても性の対象にもなりにくいので、ある意味、無関心ということもあるのかもしれません。

またまた前置きが長くなってしまいましたが・・・フランス映画の「トムボーイ/Tomboy」は、10歳の少女の性のアイデンティティの葛藤を描いた作品・・・”トムボーイ”とは男の子っぽい女の子のことで、ひと昔前なら”おてんば娘”と呼ぶようなタイプの女の子のことであります。

ボーイッシュな女の子のロール(ゾエ・エラン)は、家族と夏休みにパリ郊外の団地に引っ越してくるのですが・・・近所で知り合った子供たちにミカエル(男の子の名前)と名乗り、外で遊ぶ時には男の子として振る舞うようになります。上半身裸になってサッカーをしたり、男の子たちと互角に遊び回って夏休みを満喫。おしっこしたくなっても男の子のように立ち小便は出来ず隠れて木々の中で用を足そうとしたり、粘土で作った股間の膨らみを海水パンツに忍ばせて泳ぎに行ったり、グループのちょっとおませな女の子リサと仲良くなってキスしちゃったり・・・それでも家では女の子に戻らなければなりません。ロールと真逆の超ガーリッシュな妹が、ごく自然に「お兄ちゃん」としてミカエルを受け入れているところは、興味深いところでした。

ここからネタバレを含みます。

夏闇も終わりに近づいた頃、グループの男の子ひとりと取っ組み合いのケンカをしてしまいます。男の子の母親が、ミカエルの家を訪ねたことで、母親は娘が男の子のふりをしていたことに知ることになります。普段からタンクトップに半ズボンという服しか着ない娘の本意を理解していなかったわけではないとは思うのですが、母親はあえてワンピースを着せて、男の子の家に謝りに行かせます。そして、淡い恋におちていたリサにもワンピース姿のまま真実を告白させるのです。永遠に男の子と偽り続けるのは不可能なこと・・・母親の行動は残酷にも思えますが、ロール自身が向き合わなければならない現実でもあるのです。最後には、近所の子供たちのグループに、実はミカエルは女の子であった噂が伝わります。服を脱がせて男か女か確認するというガキ大将を制したのはリサ・・・「あなたの名前は?」と訪ねるリサに、優しい微笑みをかえすロールのアップで映画は終わります。

セリーヌ・シアマ監督は、過剰な演出をすることなく自然な子供たちの姿を映していて、台詞や音楽も最低限に抑えられています。ロールが男の子のように振る舞っていたのは一時期のことで、思春期を迎えると女性的になっていくのでしょうか?ロールが将来的に、性同一障害者になるのか、レズビアンになるのか、それとも単に男っぽい女性となるのか、どうであれ彼女自身が受け入れていくしかないのです。子供でさえ当たり前のように区別する「性別」・・・「男」か「女」かハッキリさせたいのは、ある意味、人間の無意識なのかもしれません。初対面の人の人種、年齢、階級などが認識できなくても、性別だけは最低でも認識しているものだったりするのですから。


「トムボーイ」を観て思い出したのが、”女の子になりたい男の子”を描いた「ぼくのバラ色の人生」でした。この作品については「おかしのみみ」で書いたことがあるのですが・・・「トムボーイ」の自然体とは、真逆の世界感によって表現されているところが、大変興味深いところです。女の子が男の子になりたいときは自然のまま、男の子が女の子になりたいときは人工的で過剰な装飾・・・濃い化粧だったり、装飾のあるドレスだったり、現実離れした極彩色の妄想の世界だったりします。

7歳の男の子リドヴィック(ジョルジュ・デュ・フレネ)は、大勢のゲストの集まるホームパーティーに”おめかし”のつもりで、姉のドレスに母親のイヤリングをつけ、真っ赤な口紅で堂々と登場してしまうほど、無邪気。なんとかして”男の子”としての自覚を持たせようと、両親はカウンセリングに通わせたりもするのですが、このことに関してだけはリドヴィックは頑固・・・父親の上司の息子ジェロームに恋をしていて、将来、結婚することを夢見ていたりします。母親から「男同士は結婚できないのよ!」(近い未来には死語になりそうな理屈ですが)嗜められると「大きくなったら女の子になる」からと答えます。しかし、そんなリドヴィックに対して、両親は”男の子”であることを強要して、大事に伸ばしている長髪もバッサリ刈られてしまいます。そんな過酷な状況でも、極彩の人工的な”パム”の世界(テレビ番組のミューズ)を妄想して、リドヴィックはやり過ごしているのです。

「トムボーイ」と「ぼくのバラ色の人生」は、子供の”性同一障害”という似たテーマを扱っています。両親は、時には厳しすぎると思えるほど、生まれもった性別を強要していきます。しかし、それが不快に感じないのは、どちらも子供に対する両親の愛情も描かれているからかもしれません。世間一般的な「男らしさ」や「女らしさ」を求めるのではなく、ありがままの息子や娘を受け入れようとする両親の葛藤こそが、ボクの心を震わせて止まないのです。


「トムボーイ(原題)」
原題/Tomboy
2011年/フランス
監督 : セリーヌ・シアマ
出演 : ゾエ・エラン、マーロン・レヴァナ、マチュー・ドゥミ、ソフィー・カッターニ、ジャンヌ・ディソン

2011年6月26日「フランス映画祭2011」
2011年10月8日「第20回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭」にて上映



「ぼくのバラ色の人生」
原題/ma vie en Rose
1997年/ベルギー、フランス、イギリス
監督 : アラン・ペルリネール
出演 : ジョルジュ・デュ・フレネ、ミシェール・ラロック、ジャン=フィリップ・エコフィ、ピーター・ベイリー

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