2010/12/31

趣味嗜好で選びました・・・2010年日本で劇場公開された映画の「ベスト3」と「ワースト3」


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偉そうに「今年のベスト映画」なんて掲げられるほど、映画を観ているわけではありません。

ただ、今年前半に公開された映画はすでにDVD化されていたりするので、DVDを購入したり、レンタルして自分が観たいと思った映画はそこそこ観ていたりします。
あくまでも、ボクが観たいという意志をもって見ている映画”だけ”から選ぶことになるので、作品の傾向に偏りはあるかと思いますが、あくまでも無責任に、個人的な思いと嗜好の「ベスト10」と「ワースト3」というのをピックアップしてみました。

まず「ベスト3」ですが・・・嗜好的にも、内容的にも、自分にとって特別な映画であったかということが決め手になりました。
ベスト3にまで絞り込んだ映画は、今後も機会があれば繰り返し何度でも観てるだろうし、そのたびに細かな映画的なディテールを楽しんだり、観るたびに新鮮な発見があるほどのお気に入りと言って良いでしょう。

ベスト1「 シングルマン」

アメリカ盤のブルーレイで何度も観ているにも関わらず、わざわざ友人を連れ立って映画館へ観に行くほど、思い入れのあった映画です。
「めのおかしブログ」「けいたいおかし」を両方のブログに取り上げるほど、ボクの思い入れはハンパないのであります。
トム・フォードの初監督作品でありながら、研ぎすまされたスタイリッシュな映像、練り上げられた本と演出、そしてコリン・ファースの見事な演技・・・すべてに於いてボクにとって完璧でした。
また、去年(2009年)に50歳で亡くなった親友と主人公が重なるところがあって・・観るたびに胸を締め付けられるのです。
初めて観たのは北米ブルーレイ版を自宅で観たときだったのですが・・・ラストシーンで号泣を抑えることが出来ませんでした。
今年日本公開に限らず、おそらく永遠にボクにとっては「ベスト映画」としてリストに残るような映画です。
今年公開ということでは、ゲイを扱った映画として、他に「ブルーノ」「フィリップ、きみを愛してる!」の、ふたつの作品も記憶に残っていますが・・・どちらもゲイの扱い方が少々「猿回しの猿」的な扱いで、笑いの取り方も決して肯定的なゲイのイメージではなかったので、100%受け入れることが難しかったような気がします。

ベスト2息もできない」


ポスターの男優(ヤク・イクチュン)の顔が好みだったから、思わず観に行ってしまった映画だったのですが・・・そういうヨコシマな理由を払拭してしまうほど、この映画のパワーには圧倒されました。
「めのおかし」でも劇場で観た時に取り上げたので、そちらの記事もごらんください。
この作品がベスト2になったのは、多かれ少なかれ事前の情報がなかったことが無関係ではありません・・・過剰な宣伝による情報というのは、時には期待ばかり膨らまされがちになります。
主人公を演じたヤク・イクチュンが脚本、監督をした非常に彼の思い入れの強い作品である事も、映画館で待ち時間にロビーの案内を読んで知ったくらいだったので、実際に観たときのインパクトを特別に強く感じたのかもしれません。
これほど「暴力」が痛く感じる映画もありませんでした。
具体的に表現される「暴力」だけでなく、暴力を振るわずにいられない主人公の内面の痛さも尋常でないほど感じさせられるのですから・・・。
この映画以外に「暴力」が印象的だった今年の映画には、北野武監督の「アウトレイジ」井筒和幸監督の「ヒーローショー」がありましたが・・・「息もできない」ほどは、暴力をふるわずにはいられないという必然性を共感することはできませんでした。

ベスト3(500)日のサマー」


「運命の人」と出会ったと感じた男の子と、そんなこと全く思っていない女の子の”出会い”と”別れ”を、時間軸をシャッフルして見せるという、娯楽映画としては斬新な手法の恋愛モノでした。
恋する心境風景をアニメーションを交えて具現化するという演出自体というのは、それほど新しくはないのだけれど、全体的な映画のトーンとマッチしてと思います。
男の視点でみれば・・・主人公の恋するサマー(これは女の子の名前で、ラストのオチの伏線でもある)という女は、男心を弄んだビッチ(BITCHというのは、英語で女性を指す最低な女という意味)としか言いようがないわけでありますが、サマーのような態度をとる女の子なんて実際には腐るほどいるわけで・・・誰もが主人公のような体験をしているという共感を感じさせてしまうのです。
(それはゲイであっても、似たように弄ばれたような経験はあるもの!)
確かに映画に出てくるサマーは、すごい美人ではありません。
ただ、アメリカ人の女で「男好きするタイプ」っていうのは、スーパーモデルみたいなキレイな女ではなくて「オールアメリカンタイプ」の庶民的で笑顔が二カーっとした女だったりして・・・ある意味、めっちゃリアルなキャスティングとも言えるのであります。
どんなに年齢を重ねても、若い時に恋愛で傷ついた”痛み”というのは忘れられないものです・・・そんな切ない感情を生々しく思い出させてくれる「(500)日のサマー」は、何度でも観たくなる映画なのです。

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さて「ベスト」を選ぶよりも難しいのは「ワースト」でありました。
ボクは映画を観ることを職業としているわけでもないし、すべての映画は何らかの料金(映画館の入場料か、レンタル料金)を自分で支払って観ているわけですから、最初から興味のない映画を観るってことは「まず、ない」わけです。
何らかの理由で「観てみたい!」と思ったということは・・・「ワースト」のリストにも入らない観る気もしなかった映画の方が、ボクにとっては本当のワースト映画なのかもしれません。
奇しくも、すべてが邦画という結果になったのは、あまり期待出来ない作品と分かりつつも、宣伝とかで興味を引かれてしまったということはあるのかもしれません。

ワースト1矢島美容室 THE MOVIE~夢のつかまネバダ~」


フジテレビのバラエティ番組「とんねるずのみなさまのおかげでした」から生まれた、とんねるずとDJ OZUMAの冗談なようなユニット「矢島美容室」・・・石橋貴明が12歳の少女キャラというのは鼻っから無理な設定で、所詮はテレビでの”おふざけ”という範疇で受け入れられるギャグでした。
その上・・・石橋隆貴って昔「とんねるずのみなさまのおかげです」で”保毛尾田保毛男”なんてキャラをやっていたけど、どこかホモフォビア的な臭いがしてゲ受けはまったくしません。
木梨憲武とDJ OZUMAにしても、よく見ればコントレベルの女装なわけで・・・そんな女装3人をコントの設定のままで映画化というのは、はっきり言ってキツいでしょう。
IKKOが女装キャラで出てきた時・・・テレビ的にはこのレベルが限界じゃないかと思っていたけど、今やマツコ・デラックスやミッツ・マングローブが堂々と女装キャラで世の中に受け入れられるようになったのも「矢島美容室」が、またまたハードル下げたってこともあるのかもしれないなんて思うほどです。
この映画が最低なのは、別に女装が酷いからだけでなくて、日本映画とテレビとのタイアップという悪しき習慣のなかから生まれた「最低な映画」だということ・・・企画に対する姿勢はもとより、薄っぺらい脚本、ふざけた演技、テレビのギャグレベルの演出、どこをどう取っても良いところが見つかりません。

ワースト2SPACE BATTLESHIP ヤマト」



制作者側の世界に挑んでしまう野望を考慮したら・・・ワースト1ではありますが「矢島美容室」のクソ映画っぷりに負けて、ワースト2ということになりました。
この映画についても、先日たっぷりと「めのおかし」で書いたので、そちらを参照して頂くとして・・・大ヒットとしているという宣伝文句は「真実か?」って話です。
毎日のようにキムタクが番宣のためにテレビ出演をしていましたが、ハッキリ言って以前ほどキムタクの出演というのは、視聴者にとって「ありがたい」ものではなくなってきていることに気付いて欲しいと思ってしまいます。
番組的には「あの、キムタクがスタジオに!」と相変わらず盛り上げているわけですが・・・。
これは映画自体の問題よりも、今「宇宙戦艦ヤマト」を実写で映画化するにあたって、制作側はキムタクというスター(?)が必要だと判断したということを、受け入れるか、受け入れないか、ということなのかもしれません。
来年(2010年)には「あしたのジョー」「GANTZ」の実写版公開があったりするので、これからもアニメやマンガからの実写で映画化というトレンドは、まだまだ続きそうです。

ワースト3「食堂かたつむり」


小川糸原作の、なんとも妙に後味の悪い話(ペットにしていた豚を殺して食ってしまうのだから!)を、どんな風に映画にしたのだろうか・・・という興味を持ってレンタルして観てしまった映画です。
原作からの致命的な問題ではあるんだけど・・・いかにも「今ウケ」するような、田舎暮らし、料理の癒し、まわりの不思議な人々というような陳腐な要素を散りばめて、とにかく描いている人物や世界観というのが、ヒジョーに「浅い」。
もしかすると「バベットの晩餐会」みたいな映画に化けるのかも・・・なんてあり得ない期待を一瞬でも膨らましてしまった自分が嫌になるぐらいでした。
それに、登場する料理も食材的に微妙だったり、別に珍しくも、こだわりのある料理でもなんでもなくて「そんなに、美味しいのか!」とツッコミたくなるし、登場人物たちも無理矢理「おかしな人々」で、それほど良い人たちのようにも思えない・・・演じている役者たちが気の毒に思うぐらいなのであります。
こんな「不思議ちゃん」や「不思議な人」だらけの田舎の村なんて、気持ち悪いです。
今どきの「女子」向けというのが制作者の意図だとしたら・・・今どきの「女子」も随分と舐められたもんだというしかありません。

今年の映画を振り返ってみて、今話題になっている映画を観るということって、会話やブログのネタにはなるけれど・・・絶対に観たい、観なくてはならない、観た方が良い映画というのは、過去にもたくさんあるということを改めて思いました。
2010年11月に開始した「おかしのみみ」というブログでは、昔の映画をひとつピックアップして、その映画にまつわるボクの”思い”などを気ままに書き綴っています。
ボクなりに思い入れのある映画については、殆どをDVDやビデオなどで持っているのですが・・・ボクが生きている間に、それらの全てを観ることは、もう不可能です。
若い頃は、何でも観てやろうという精神で、あらゆるジャンルの映画を観てきました。
ただ、これから観る一本一本の映画というのは、自分の残された時間を費やすだけの意味があるだろうか・・・と、つい考えてしまうのであります。


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2010/12/23

5年サイクルで繰り返される”捨てる”ブームの遍歴・・・「捨てる技術」「そうじ力」「断捨離」


去年、暮れに出版された「断捨離のすすめ」・・・その後、さまざまなメディアに取り上げられ、提唱者(やましたひでこ、川端のぶこ)による”断捨離本”も次々と出版されるほどのブームになっています。
今や、断捨離実践者を「ダンシャリアン」なんて呼ぶそうです。
行き詰まった時代にこそ、無駄をなくして余分なモノを捨てるという考えは繰り返されるようで・・・振り返ってみると、似たような「捨てる」ブームは、ここ最近でも何度かありました。
2000年の「捨てる技術」
2005年には「そうじ力」
そして、2010年の「断捨離」
ほぼ5年周期で「捨てる」ブームというのが流行るらしいのですが・・・これって、前のブームを経験していない新しい世代が「捨てる」ことに初めて興味を持つということと、5年前には「捨てるぞ!」と整理したにも関わらず5年経ったら再びモノが溢れてしまったという出戻り組なのかもしれません。
人が生きている以上、モノを買うことを避けるわけにはいきません。
いくら「捨てる」ブームに触発されたからといって、永遠に「捨てる」生活を続けることはなかなか難しいことのようです。
結局・・・5年ぐらい経つとモノが増えて「また捨てたくなる!」というのが、人の「サイクル」なのかもしれません。
10年前の「捨てる技術」ブームというのは、バブル経済破綻後の失われた10年を終えて、モノに溢れた生活を見直そうというライフスタイルの提案でした。
いわゆる生活の実用書という体(てい)で十か条なるものを上げて、いかに実践していくかを、これでもかと事細かに説明しています。
同じ著者により、その後「捨てる」ことをモノだけでなく”考え方”にも応用した「暮らす技術」や、モノを大切に使うために「メンテナンス」の方法を説いた書籍まで広がりをみせました。
「捨てる技術」というのは、低迷する経済社会を生き抜いていかなければならない庶民のための「生活手段」の提案だったのかもしれません。
5年前の「そうじ力」になると「捨てると、運が良くなる」と・・・「捨てる」行為をすることで、何かしらの「ご利益」があると「捨てる」ためのモチベーションが変化してきます。
個人の純粋な精神性を問うのではなく、いかに自分だけ得するかという「現世利益」を求めるお手軽”スピリチュアル”ブームの時期と重なります。
相変わらずの世の閉塞感からの突破口として、誰もが求めたことは「運頼み」だったのかもしれません。
なんたって「捨てる」だけで「幸せが舞い込む!」・・・というハードルの低さも、受け入れやすかったのでしょう。
雑誌の占いとか風水の”ラッキーアイテム”や”ラッキーカラー”であったり、その場所に行くことで運気が上がったり、さまざまな「ご利益」のある”パワースポット”なども似たようなコンセプトなので、あるタイプの人には「捨てる」=「運気上がる」といのは、圧倒的な説得力を持っているのかもしれません。
ただ「捨てる」という行為にまで、根拠のない「ご利益」を求めてしまうというのは、まさに、お手軽”スピリチュアル”ならではこそ・・・「そうじ力」ブームは、とりあえず「運気を上げる」「夢のかなえる」こそが、目標のようでした。
さて、今年のブームとなった「断捨離」ですが・・・基本的な「捨てる」方法論として「捨てる技術」や「そうじ力」と大きく違いはありません・・・というか、殆ど同じ方法が書かれているのです。
「捨てる」ことが目的ならば、どの本を読んだとしても、それなり活用できます。
「断捨離」は、お手軽”スピリチュアル”のような簡単に手に入る「ご利益」をハングリーには求めません。
目標としているライフスタイルも「気持ちのいい暮らし」と漠然としています。
・・・にも関わらず、とにかく徹底的に無駄なモノを断ち、捨て、離れる「修行的」な厳しさを感じさせます。
これは、ますますの閉塞感から「運気」などに頼るのではなくて、自分自身で選び、自らを律して、新しい生活を構築するという、まさに・・・究極の「自分探し」。
ただ、その「自分探し」の果てにあるのは、本当に「執着のない心地よい暮らし」なのでしょうか?
実は・・・面白くもない無個性な自分と向き合うことになるかもしれません。
「デフレの加速」と「収入の減少」など・・・ますます縮まっていく日本経済のなかで「断捨離」的な生き方は、個人レベルでは理にかなっているのかもしれませんが、もしも全国民レベルで「断捨離」を実行したとしたら、今以上に経済は縮んでいき、自ら選択するのではなく「断捨離」的な生活を強いられる人々が増えるに違いありません。
「断捨離」的な生活って・・・考え方次第で「貧しくて苦しい生活」にも「質素で豊かな生活」にもなり得るような気がしてしまうのです。
ギリギリまで無駄をなくすというのは「事業仕分け」を自分に課すような作業・・・まさに、今年らしいライフスタイルなのかもしれません。
ハッキリ言って、ボクは「捨てる」ことが苦手・・・というか、それほど「捨てる」ことに興味がありません。
(基本的にコレクター気質ということもあるのですが・・・)
何かについて考えたり、何かを創作しようとするときに、物質的に必要となるモノをいうのがありまして・・・それらを、そのたびに探したり、買ったり、借りたりというのは、ボクにとっては逆に非効率的であったりします。
資料という名目で所有している書籍、映像メディアは数知れず・・・しかし、それらがすべて手に届くところにあることで、ボク自身の内面を豊かにしていることもあるのです。
しかし、モノを捨て身の回りを整理するということを、完全に否定するつもりもありません。
ボク自身・・・二度大きな引っ越して、スーツケース一個で新しい生活を始めた経験があります。
その時、殆どのモノを「捨てる」ことによって、本で書かれているような、生まれかわるような爽快感を感じたことは確かです。
しかし、そんなことを実際に経験してみて・・・モノがなく、無駄もなく、効率の良い生活というのは、創造性や自分の個性を豊かにする環境とは限らないという結論に、ボクは達したのであります。



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2010/12/16

怒濤のような酷評の数々!・・・水嶋ヒロだから叩かれてしまうという逆差別の嵐~「KAGEROU」齋藤智裕著~

第5回ポプラ社小説大賞受賞作「KAGEROU」ですが・・・水嶋ヒロが著者だったということで、発売日にいきなりの43万部突破(すでに4刷)で、さらに25万部の増刷もされるということなので、おそらく来年のベストセラーには上位に入ることは確実でしょう。

ボクも報道の盛り上がりに負けて、さっそく購入したわけですが・・・発売日の夜にはアマゾンのレビューは酷評の嵐!という叩かれ方をしています。

発売二日目にして数百件のレビュー(殆どは☆ひとつという酷評)というのは、ある意味スゴイことかもしれません。

もし、この本をこれから購入しようと考えているなら、もう少し我慢することをお奨めします・・・BOOK OFFで100円で山積みで売られるのは、そう遠い日のことじゃないはずだから。


水嶋ヒロという芸能人には、ハッキリ言って、ボクはあまり興味ありませんでした。

ここ1、2年、なんとなくテレビで観るこのある顔ぐらいしか認識していなかったのです。

歌手の綾香との結婚記者会見の報道で、初めて名前と顔が一致したぐらいでした。

水嶋ヒロのソツのない対応というのが、あまりにも芸能人として優等生的ではありましたが・・・バセドー氏病の治療に専念するという綾香を守っていくという覚悟に、物事を斜に構えてみるボクでさえ、チャチャを入れるような気持ちにならないほど良い印象を持ったのでした。

結婚後、水嶋ヒロは、引退する綾香のためにも、俳優としてバリバリ頑張っていくのだろうと思っていたら、秋頃に所属事務所を辞めて執筆活動宣言というのをします。

この時に、まさか数ヶ月後に処女作で賞を獲るというデキすぎた展開になるとは、誰が予測したでしょうか?

このポプラ社小説大賞受賞の経緯が、報道されているとおり、審査員もポプラ社側も水嶋ヒロが著者であったということを全く知らずに、この作品を大賞に選んだとしたら、まるで宝くじを当てるぐらいラッキーな出来事だったと言っても良いと思います・・・ポプラ社にとっても。

もしも、これが広報的に仕組まれていたことだとしたら・・・我々は「上手にやられた~!」と降参するしかありません。

真実はどうであれ、「KAGEROU」に関してのプロモーションは巧みであることには変わりなく、その「上手さ」に対して憤慨するのは、少々お門違いと思うのであります。


さて、この「KAGEROU」を読んでみて、ボクが正直に感じたのは”それほどは酷くはない”ということです・・・2000万円が賞金の小説大賞に値するような作品かと言われれば、確かに疑問を感じるデキではあります。

佳作ぐらいであれば、信じられたとは思いますが・・・。

文学賞に応募された作品なんだから、それほどの長編でないのは当たり前のこと・・・一冊の本としてボリュームがなくても仕方ありません。

確かに行間はヒジョーに広く取っているし、上質の真っ白い分厚い紙に印刷されているので「水増し感」を感じないわけではありません・・・しかし、安っぽい作りで薄っぺらい本をそこそこの価格で出版されるよりは、1400円の本としては”誠実”な商品であるような気もします。

文章に、それほどの技量を感じさせないところが・・・「やっぱり、水嶋ヒロ本人が書いたのではないか」と思わせるという、逆の意味での信憑性が高められているところは、妙なことではあります。

”小説の新たな領域に挑んでいない”文学的な技巧はないということろが、普段、小説を読まない人にとっては読みやすかったりするのかもしれません。


「命の大切さ」をテーマに、改めて特別なメッセージのように伝えられてもねぇ~って気もしますが・・・「哀切かつ峻烈な命の物語」と宣伝するほどの重いトーンの小説ではなく、若者らしい短い人生経験からの薄っぺらい感動に、ボクのような”おじさん”は拍子抜けします。

中盤までは、寒い親父ギャグや、コントのようなやり取りが続きますが・・・物語の導入部と設定のアイディアは、星新一のショートショート、または、テレビの「世にも奇妙な物語」にありそうな、ちょっと良い感じのアイディアだと思いました。

自殺しようとした主人公に近づく黒服の男(藤子不二雄の「黒イせぇるすまん」を思い起こしたりもしましたが、マイケル・ジャクソンのビリー・ジーンのスタイル)・・・実は、この男の正体は自殺者に臓器のドナー提供を求めるコーディネーターであったのです。

「悪魔との契約」モノのジャンルですが、ファンタジーっぽさよりも、妙に現実的な辻褄の合わせがあったりして、それにリアリティーを感じるか、薄っぺらさを感じるかが「好き、嫌い」の分かれ道かもしれません。

臓器を必要とするレシピエントと臓器を提供する側との人間関係という、面白くなりそうな着眼点なのでありますが、いかんせん後半は中途半端に甘ったるい展開・・・おそらくエンディングで「まぁ、びっくり!」という反応を読者に期待しているようだけど、そこまで書き切れていない印象でありました。

水嶋ヒロは「KAGEROU」の映画化をしたいようだけど、変な風に原作者として介入せずに任せて、映画は映画として”ひとり歩き”で製作された方が、まだ観れる作品にはなりそうです。

芥川賞などと違い、あくまでも素人が応募している文学賞ということを考慮する必要はあります。

他の応募作品と比較することはできないので、他の作品を押さえて「KAGEROU」が大賞に選ばれたのかを論じることはできませんが・・・芸能人の水嶋ヒロが著者でなかったら、ここまで酷評されるほどの作品でないような気がするのです。


水嶋ヒロは、親仕事の関係によりスイスからの帰国子女で、高校時代にサッカーの日本全国大会にも出場し、デビュー数年でイケメン俳優として人気を得て、初めて応募した小説が受賞してベストセラーになる・・・と、経歴だけをみれば、デキすぎた人生を歩んできた「ちょっと厭味なヤツ」に思えます。

最近、スイスの子供時代は外国人ということでイジメ体験をしていて、それほど海外生活では恵まれていたわけではないことを告白をしました。

日本で暮らす日本人というのは、海外に生活している日本人に対して、海外生活をしているだけで恵まれていると思われて、過剰に羨望の目で評価するところがあるようです。

海外生活を自慢するようなブログをやっている海外に暮らしている日本人は多くいますが・・・日本人に羨ましがられることで、海外での孤立や、日常生活の厳しさを乗り越えているのではないかな・・.と、ボクは痛々しく感じてしまいます。

ボク自身は20年ほど海外で生活していましたので、ボク自身の体験と周りの日本人をみて感じることがあるのですが・・・最初の数年間(1~3年?)は、とりあえず海外の方が素晴らしくて、日本ってダメだと考え方になりがちです。

しかし、数年(4、5年目あたり?)経って周りで起こっている状況がよく理解出来るようになってくると、徐々に言葉や習慣の壁を感じたり、時には差別的な扱いを意識できるようになります。

自らが意識しないレベルでのストレスを抱えながら、海外での日常生活を送ることになるので・・・この時期になると、いかに自分は海外生活に溶け込んでいるかを、日本人に対してアピールするような行動が目立つようになります。

日本語の会話に、ついつい外国語が混ざってしまうというのは、この時期の典型的な症状かもしれません。

帰国子女というと、それだけで日本人にとって羨望の対象になるがちですが・・・実は内面的には、日本にしか暮らしたことのない日本人に理解されにくい、孤独な苦しみを抱えていることがあるのです。


さて・・・帰国子女の水嶋ヒロは日本帰国後には、彼のルックスによって、芸能人として成功していくという恵まれた人生を歩んでいたかもしれません。

しかし、外見的に恵まれているからといって、他の才能がないとか、実は性格が悪いとか、決めつけるのも「逆差別」になります。

水嶋ヒロの「ツイッター」でのやり取りを閲覧する限り、謙虚で感謝を怠らない「普通にいい人」という印象で、ツッコミようのない好青年なのであります。

ここまで、完璧にソツなくされてしまうと、人間としての面白みというのは、正直あまり感じられません。

ボクの勝手な推測かもしれませんが・・・水嶋ヒロという人は、真面目で謙虚な普通の人なんだろうと思います。

ただ、彼は多くの人が「イケメン」と思うようなルックスの持ち主人であるということが、彼の一番の個性であったということだったのです。

齋藤智裕が水嶋ヒロだからといって、過剰な高評価も不自然だし、頭ごなしに酷評というのも意地が悪すぎます。

水嶋ヒロが、ルックスとは関係のない何かを成し遂げようとする時・・・その一番の障害になるのは、彼のルックスなのかもしれません。



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2010/12/15

「共同購入クーポン」って貧乏ったらしくない?・・・お得感を求める客は決して正規価格の客にはならない

テレビのニュースなどで「共同購入クーポン(GROUPONやボンパレなど)」の特集などを観ていると、ため息をついてしまいます。

「たくさんの人が買うことで安くなる」というギミックのビジネスモデルは、楽天市場とかでも以前から存在していたのと思うんだけど、なんでクーポンという面倒な割引ビジネスが、急に流行っているのか、ボクには理解出来ません。

「お安くなっている」ということだけで、瞬間的な購買意欲が湧くだけであって、本当に欲しい商品かどうかというのは怪しいもの・・・結果的には、いらないもの、不要なものを買っただけということになることも多々ありそうです。

それに、あれやこれや、定価から大幅に値引きされているとなると・・・もともと定価って「どうやって設定しているの?」という疑問さえ湧いてきます。

アパレルメーカーだって、アウトレット店舗向け商品というのを企画生産していて、そこには「定価」からの値引率というは、実際には存在していないんだから・・・。


ボクがアメリカに在住していた1980年代~90年代のことですが・・・アメリカの主婦が大きな労力を費やすことに、クーポンの集めというのがありました。

パソコンもネットもない時代でありますから、クーポンと言えば・・・新聞や雑誌の広告ということになります。

主婦向けの雑誌は、まるでクーポン雑誌のように、ページの4分の1ぐらいはクーポンで占められていたような印象さえありました。

このクーポンというのは、お店側が発行してるのではなくて、メーカーによって発行されており、特定の商品に対して「50セントOFF」とか「3つで3ドル」とかになるのです。

マクドナルドなどのファーストフードのお店のクーポンと同じような仕組みと思って良いでしょう。

クーポンの種類はかなり豊富で、生鮮食品以外であれば、さまざま商品を網羅しています。

ただ、クーポンの発行されている商品が、必ず自分の行くお店やスーパーマーケットで販売されているかどうかは分かりません。

例えば、スパゲティソースのクーポンだとすると、あるメーカーの特定のフレーバーということもあったりするのです。

クーポンを常に利用するためには、とにかく多くのクーポンを持っている必要があるわけで・・・商品別に整理するために工夫された「クーポン専用」のポーチも売られているぐらいんなのです。

日本のスーパーマーケットのように店独自のちらしというのも存在しないわけではありませんが、それよりも何たってクーポンでメーカー割引というのが主流のようでした。

賢い節約主婦は、パンパンに膨らんだクーポンポーチを抱えて、スーパーマーケットの店内をお目当ての商品を探して巡ることになるわけですが・・・それはそれで労力を必要とすることのように思います。

アメリカ人は安く買うための努力というものを惜しみません・・・良く言えば「買い物上手」悪く言えば「ケチ」ですが、「ケチ」という称号だって、決してアメリカ人にとって侮蔑ではないようなのです。



20年間のアメリカ生活で、ボクは一度もクーポンを使ったことはありません。

それは、ボクが「いい格好しい」なのか、「見栄っ張り」なのか・・・値切るとか、安く買おうとする行為に、ある種の”卑しさ”を感じてしまうからなのです。

レストランなどで”常連面”して、特別なサービスや、お勘定を安くしてもらうのも嫌い・・・なんとも「損な性格」だとは思いつつ、どうしても守りたい”一線”なのであります。

そんな考え方ですから、どう間違ってもボクが「共同購入クーポン」を利用することはありません。

テレビ番組で観るかぎり・・・クーポン購入後にウェブブラウザのページを印刷して、それをお店に持参して、クーポンを利用するような仕組みのようです。

入店するやいなや、クーポンを差し出すなんて・・・考えただけでも恥ずかしい。

自ら「私、安っぽい客です」と、店側に宣言しているようなもんじゃありませんか!


有名ブランドに努める友人から聞くのは、ファミリーセールやサンプルセールに来る客は、決して本来の正規の客とはまったく違う客層だということ・・・共同購入クーポンを利用する人が、その後に正規価格を支払う顧客になるとは”稀”だと思います。

お得感を貪欲に求めているクーポン利用者は、クーポンをなしでお店を再び訪れるよりも、他のクーポンを使えるお店に行くってだけではないでしょうか?

たとえ”赤字”でも客が来てくれるクーポンの方が広告より効率がいいという、お店側の貧乏ったらしい発想もあるわけで・・・どっちもどっちなのかもしれません。

お店側も”したたか”に、割引を前提として収益を計算してるわけです。

いつの時代にも「お得感」を売りにさまざまなビジネスのギミックが考案され、少しでも得をしようとする客層には必ず支持されるということです・・・そして、それに便乗しようとする商売も消えることはないのですから。

景気のいい話がない上に・・・貧乏ったらしいクーポンとか流行っているという噂を聞くと、ボクのテンションはさらに下がってしまうのであります。


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2010/12/10

ハードボイルドな男のリピドー・・・”爆笑”北方ワールド全開でズッコケまくり!~「抱影」北方謙三著~


最近、小説とか全然読んでないなぁ・・・と反省して、で、北方謙三というのも、”アレ”でありますが、ちょっと前に読むつもりで購入していた「抱影(ほうえい)」を手に取ってみました。

ハードボイルド系というのは、小説だけでなく、映画とかでも、どちらかと言えば「苦手」・・・独特の”こだわり感”を理解出来ないということもありますが「格好付けてんじゃねぇ~よ」と鼻で笑ってしまうところもあったりするのです。

男の立場でも、女の立場でも、まったく世界観的に共感できないというのは、ボクが男性側にも、女性側にも、自己投影できないかもしれませんが・・・。

「何故、北方謙三?」ということですが・・・以前読んだ人生相談の「試みの地平線~伝説復活編~」という本が、あまりにも面白かったので、ぜひ、一度くらいは北方ワールドというのも味わってみたいなんて思ったのでした。

(過去のめのおかし参照)


北方謙三氏による久しぶりの書き下ろしハードボイルド小説となる本作「抱影」ですが・・・すべてのステレオタイプを裏切らない、爆笑の「北方ワールド」全開でありました!

真剣(?)にハードボイルドの世界に浸れる方からすれば「爆笑」なんて言ったら怒られてしまいそうですが・・・決してバカにしているわけではありません。

ある種の「空想小説」として、ハードボイルド的価値観を感じるところがあって、自分の生きてきた現実の世界とは似ているけど、倫理感や人生の美学の異なる「パラレル世界」のような印象さえ受けるのです。


52歳の主人公の「硲(はざま)」は芸術家・・・凄い(!?)デッサン力を持つ抽象画家(???)で、ニューヨークやヨーロッパでも高い評価を受けているという設定で、彼の絵に魅了される人は後を絶たないようであります。

こういう無茶な設定に、小説というのは便利なものでありまして・・・抽象画、故に、具体的に何が描かれているかを説明する必要もなく、魅了されたという説明で納得するしかないのですから・・・。

また、画家志望の加奈という女の絵をみて硲のいう台詞というのが、なかなかスゴイ!


「おまえは処女か?」

「絵が、服を脱ぐのを恥ずかしがっている」

「捨ててこい。おまえの歳のバージンなんて」


硲は、加奈が処女であることを絵から見抜き・・・その後、勿論、加奈やってしまうわけですが、いきなり自分のモノをくわえさせたりして「おいおい、何やってんだよっ、おっさん!ってな感じです。

腐れ縁のようなバーのママのたき子は自分勝手な都合でやりまくりなくせに、若い頃に硲の絵のモデルをした既婚者の響子とはプラトニックな関係を貫く・・・という、身勝手な純愛も楽しむのであります。

絵画で行き詰まった硲が、わずかな修行で刺青の彫師になってしまうという「天才」ぶりを発揮するのは当たり前・・・すぐさまにマスターピースを響子の体に彫るという突拍子のない展開となります。

そして、作品として完成した響子の刺青の身体をみて、硲が思わず夥しい量の精液を発射してしまうくだりは、まるでSFの世界・・・何が起こったのか、さっぱり分かりません。


水商売の世界に母親に売られた少女を救ったために、硲を慕うヤクザの男は片腕を失ってしまうという、とんでもなく劇的なことが起こるのですが・・・それは「ケジメをつけた」で片付けられちゃうのも、なんとも凄い!

・・・素人の世界じゃ考えられません!!!

大騒ぎの挙げ句に、金で解決する・・・というわりに金額は100万円とか、結構しょぼいのがズッコケます。

結局・・・そのトラブルが元で、硲は(まさに!)消える羽目になるのですが、なんとも唐突であっさりとした幕引きでもありました。

その潔さは、確かに「男らしい?」のかもしれませんが・・・。


「北方ワールド」全開の台詞が散りばめられていて、それらの言葉に心を鷲掴みされれば恍惚のハードボイルドなリピドーの世界が待っています。

どうしても著者を連想させてしまう主人公の硲・・・何故か、ボクの脳裏には、この小説を書きながら股間をギンギンしている北方謙三氏の姿が浮かんでしまいます。

ナルシシズムによって成り立つ小説世界という観点では「ハードボイルド」「ハーレクインロマン」は妄想の対局にあるのかもしれません。

あいにく、ボク、どちらかというと「ハーレクインロマン」のメロドラマのリピドーの方に強く反応してしまうので・・・「抱影」のような男性至上主義的なハードボイルドには、1970年代の東映アクションのような「キッチュな笑い」を見出してしまう皮肉屋になってしまうのです。


ただ「ハードボイル」の世界観や美学に対して、ホモセーシャル的に自我を投影して、精神的に勃起してしまう男どもを想像すると・・・それはそれで「純正の男」という希少な存在だと思うのであります。



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2010/12/02

「宇宙戦艦ヤマト世代」のDNAさえも萎える”キムタクドラマ”・・・間違っても世界には挑まないでね~「SPACE BATTLESHIP ヤマト」~


ボクはズバリ「ヤマト世代」・・・1974年のテレビ放映時(当時11歳)からリアルタイムで観てきました。
一話完結でない”続きもの”の「テレビまんが」(ヤマト以降”アニメ”という言葉が浸透した)で、こんなSFドラマというのは、それまでなかったような気がします。
改めてテレビ版「宇宙戦艦ヤマト」を観てみれば「これの、どこが本格?」とツッコミたくなるよう設定、物語であるのかもしれませんが・・・当時の子供にしてみれば、壮大な物語に思えたのでした。
毎エピソードのエンディングで「地球滅亡まであと残り**日」というのが、重々しくリアルに感じられたものです。
テレビ放映から3年後の1977年、テレビ放映版を「再編集」した「劇場版」が公開され、社会現象となるほど大ヒットしました。
ボクは東急文化会館のなかにあった映画館で、初日に並んで観に行った記憶があります。

「宇宙戦艦ヤマト」がブームとなっていたのは、第二次世界大戦(1945年敗戦)が終わって30数年後という時代・・・最初の「ヤマト」劇場版公開から今回の「ヤマト」実写版公開まで30数年・・・ほぼ同じ期間が流れているのです。
ガンプラ以降の世代にはピンと来ないかもしれませんが・・・1970年代のプラモデルで羨望の的だったのは「軍艦」や「零戦」などでした。
おじさん達が酔っぱらうと飲み屋で「軍歌」なんて歌っていたし、戦争体験のはなしを聞くことも日常的にありました。
「自滅を覚悟で戦う」「国/仲間のために犠牲になる」「男は黙って我慢」などの戦中派の生き方の美学が、まだまだ考え方の基本として、まかり通っていたような気がします。
戦後の混乱からは脱して豊かになり始めていた1970年代であっても、まだまだ軍国文化は世の中の一部を占めていたのです。
「宇宙戦艦ヤマト」のブームの影には、経済大国への道を確実に歩んで豊かになった日本人のなかに、軍国人的な感性への郷愁みたいなものもあったのかもしれません。
また平和だからこそ・・・「核汚染」による人類滅亡というのは、当時よく取りあげられた恐怖だったのです。

♫~さらば地球よ、旅発つ船は、宇宙戦艦ヤマト

・・・で始まる主題歌は「ヤマト世代」にとって、熱き血潮が沸き立つ軍歌のような効果があり、耳にするだけで無意識に気持ちが高揚してしまうのであります。
実写版を観るにあたり、劇場版の「宇宙戦艦ヤマト」をDVDで見直しましたが・・・軍国主義的な価値観の押しつけは感じるものの「戦うことの虚しさ」も表現されているように思えました・・・勿論、かなり”ベタ”ではありますが。

(以下は、ネタバレを含みます)

さて、誰が待望して制作されたのか分からない実写版「SPACE BATTLESHIP ヤマト」ですが・・・予想通り「最低映画」でした!
「ヤマト世代」のDNAを持っている観客にとっては、ポイントを外しまくっているストーリーやキャラ設定の変更がヒジョーに気になりました。
ボク自身、キムタクファンではないのでキムタクの主演したテレビドラマをちゃんと観たことはないのですが・・・「宇宙戦艦ヤマト」を拝借して「キムタクドラマ」作ったとしか思えません。
ボクの思う「キムタクドラマ」とは・・・

キムタクは何か(組織など)に、反抗している。
それにも関わらず、その何かに関わっていく。
そこには、キムタクに”噛み付く女”がいる。
不貞腐れながらも、キムタクは責任のある立場に抜擢される。
そんあキムタクを受け入れて、サポートをする仲間たちがいる。
”噛み付いていた女”が、キムタクと恋に落ちる。
いつの間にかキムタクは、リーダーとなっていく。
キムタクは誰もなし得なかった”スゴイこと”をやってのける。

そして「キムタクドラマ」に欠かせないのは「キムタクマジック」とも言える強引なロジック・・・絶対的に正しいキムタクの「熱意」は、必ず皆の心を揺さぶり、必ず伝わるのであります。
「キムタクドラマ」に「宇宙戦艦ヤマト」の物語をはめ込んでいくわけですから、オリジナルとは大きく違った作品になることは当たり前って言えば、当たり前のことです。

(オリジナルが最高とは思っていないので、良い意味での変更なら大歓迎)

まず「キムタクドラマ」には欠かせない、”噛み付く女”というポジションは、森雪(黒木メイサ)に与えられました。
黒木メイサを、森雪役にキャスティングという時点で、オリジナルとは違うキャラであろうとは推測することはできるでしょう。
最初やたらと対立していた二人が、恋に落ちる顛末は理解に苦しむし、その愛が感動を呼ぶほど描き入れていないのにも関わらず、映画のストーリーの大きな柱にしてしまうところも滅茶苦茶です。
キャスティングは基本的に演じている役者さんのいつもの延長上にあって、無駄に「熱い」演技でメリハリもあったもんじゃありません。
真田志郎(柳葉敏郎)島大介(緒形直人)徳川彦左衛門(西田敏行)あたりは外見的にオリジナルのキャラクターを意識した感じ・・・沖田艦長(山崎努)に至っては、なんか無理矢理ルックスを似させていてコントみたいです。
松本零士っぽさを極力排除したのは、一升瓶を抱えている酒飲みの佐渡先生・・・なんと、実写版で演じるのは高島礼子!
まぁ、オリジナルは殆ど男ばかりしかいなかった艦内だから、女医にして華を添えたかったのかもしれませんが・・・オリジナルにこだわって一升瓶を抱えさせることはないのではないでしょうか?
大事なところをあっさりと変更してしまって、変なところをオリジナルにこだわるって、如何に作り手がオリジナルを愛していないか、理解していないかってことのような気がします。

戦闘シーンのビジュアル・エフェクトについては、CGなので見るに耐えないレベルではありませんが・・・この程度で「世界に挑む」なんて胸張ったら、大間違い。
ハリウッドのB級映画、もしくはテレビ向け程度です。
それに戦闘シーンの演出センスが悪いので、何が起こっているのか殆ど理解不可能・・・何やらドンパチしていてるだけ。
それに、映画の冒頭から敵に襲われると「波動砲」「ワープ」を多用するので、まったくハラハラドキドキしません。
激しい銃撃シーンも、演じている俳優の顔が「熱い」だけで・・・死ぬ役はあっさり死んで、生きる役には当たらないというご都合優先。
サスペンス的に盛り上がるはずのシーンは何故か飛ばしてしまう不思議な演出・・・いつの間にか逃げたり、助かったりしているものだから、感情移入する隙さえ与えてくれないのであります。

さて、オリジナルを観ている人なら実写版で気になるのが、デスラー総統を始め、ガミラス星人たちをどう描いているということでしょう。
まさか・・・青塗り?
あくまでも「リアル」を求めた(?)実写版では、ガミラスもイスカンダルも「ひとつの生命体」として存在する・・・という、どこかで(「惑星ソラリス」?)聞いたことのある設定になっています。
だから、具象化した存在(「ガミラス兵)は、どこかで見たことあるような生命体・・・造形的には「エイリアン」または「スターシップ・トゥルーパーズ」を連想させるのです。
全体的にはざっくりと「ギャラクティカ」という感じですが・・・キムタクが身勝手な行動を罰されて拘束されるくだりは「機動戦士ガンダム」のアムロのエピソードに似ているし、イスカンダルが森雪に乗り移るところなんて「アバター」って感じだし、オリジナル以降に制作された様々な作品のエッセンスを”詰め込みました感”がありました。

その上、何か”基本的な問題”に関して、理にかなった説明が、すっぽりと抜け落ちているようなところがあるのです。
宇宙を飛んでいくのに、海に浮かぶ戦艦という形の乗り物で良いのか?(兵器が基本的に甲板にしかないから、上下のない宇宙空間では下半分は無防備!)とか、世界を放射能汚染から救うのは良いけど・・・なんで日本人しか、この地球にいないの?などなど・・・根源的な矛盾はあるわけです。
実写版にあえて取り組むなら「何故、戦艦大和でなければ、いけなかったのか?」「どうして、地球を救えるのは、日本人だけなのか?」という疑問に関して論理的な説明を出来なかぎり、やってはいけなかった企画ではないでしょうか?

とりあえず・・・宣伝文句にあるように「日本人が初めて世界に挑むSFエンターテーメント」なんて思い上がって、マジで世界に挑まないで欲しいです・・・そうやって世界に挑んだ過去の日本のSF映画「さよならジュピター」「宇宙からのメッセージ」「復活の日」などなど、ことごとく世界的に”無視”されているんだから。


SPACE BATTLESHIP ヤマト」
2010年/日本
監督 山崎貴
脚本 佐藤嗣麻子
出演 木村拓哉、黒木メイサ、柳葉敏郎、緒形直人、高島礼子、西田敏行、山崎努



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