2010/08/30

ザナドゥ信者で、間違った日本カルチャー好き・・・「おまえなんて日本人じゃない!」って、罵られたの!~ビルダーのアメリカ人「F」~


ゲイ白人男30代スリムなビルダー、背の高い恰幅の良い日本人ゲイ男性20代を求む。

(GWM, 30's, Slim Builder seeks tall and husky Japanese GM 20's.)


こんなAD(アド)が、今は亡き「ニューヨークネイティブ/New York Native」というゲイ向けの新聞のパーソナル欄に掲載されていたのは、ボクが28歳頃(1991年)でした。

1980年代から「ビレッジボイス」「ニューヨークマガジン」にはパーソナル欄と呼ばれる、出会い系の掲示板というのが存在していました。

それらは掲載者が広告料を支払って、郵便で返信を募るという仕組みだったのですが・・・1990年頃から”ダイアルQ2”のようなシステムが導入されて、投稿者が事前に高い広告料を支払う必要がなくなり、出会い系の広告が大量に掲載されるようになったのです。

人種的に「日本人」という特徴があるので、なかなか自分から返信をしようという気持ちになることはなかったのですが、これほどまでに自分のタイプに近い相手を求めているAD(アド)を見たことはありませんでした。


掲載者のメッセージはベースの渋い声で素敵な感じ・・・とりあえず、ボクは自分のプロフィールと電話番号を残しました。

すると数時間後に「F」と名乗る男から電話がかかってきたのです。

日本の文化に非常に興味があること、コンテストに出場するためではなけれど真剣にジムでトレーニングをしていること、クィーン(ニューヨークの郊外)に住んでいることなどを知りました。

ボク自身は、ジム通いもしていなかったし、筋トレも自主的にしているような「肉体派」ではなかったのですが、マッチョに対する「アコガレ」は当時はそれなりにあったのです。

それは自分の相手に求めるというよりも、自分自身がマッチョになりたいという夢のようなものでした。

トレーニングでいい体をしている人には、自分が努力していないこともあって、どこか引け目のような感情があって、避けていたところがあったのです。

「F」は、ステレオタイプの小柄の日本人ではなくて、体の大きな日本人と出会いたいと思っていることを繰り返し強調してくるので「ニューヨークに条件の合う相手はボクしかいない!」という妙な確信を持つに至ったのでありました。

次の週末には「F」のクィーンズの一人暮らしをしているアパートメントを訪ねるということに、トントン拍子で決まったのでした。


当時、クィーンズに殆ど行ったことのなかったボクは、途中迷いそうになりながらも、なんとか「F」の住む地下鉄の駅まで到達しました。

まだ、携帯電話など一般的ではなかった時代ですから・・・駅の公衆電話から電話をしました。

ボクは彼が駅まで迎えに来てくれるものだと思い込んでいたのですが、簡単なディレクションを言い渡されて、自力で彼のアパートメントまで行かなければいかないことになったのです。

写真を交換しているわけでもありませんから、初めて顔を合わせるのが彼のアパートメントの部屋ということになります。

実際に会ってみて変な人だったらどうしよう・・・

監禁されて殺されたらどうしよう・・・などと、急に不安になってきました。

ただ、体格的に絶対にボクの方が大きいから、いざとなったら「F」を倒すことぐらいは出来るかもしれない・・・という、根拠のない自信を持って、ボクは彼の部屋の前まで行き、ドアをノックしたのです。

中から現れたのは、黒いヒゲを蓄えたハンサムでムキムキのマッチョの「F」でした。

ベタで典型的なマッチョのヒゲという当時の一番モテそうなタイプだったので、ボクは正直驚きました。

「なんで、これほどモテそうな人がピンポイントでボクのようなタイプをパーソナル欄で求めたんだろう?」と・・・。

「F」の部屋は”完璧”に整理されていましたが、異様だったのは部屋中に飾られていた「ザナドゥ/Xanadu」のポスターやレコートジャケットなどのグッズの数々でした。




「ザナドゥ/Xanadu」は、1980年に制作されたオリビア・ニュートン=ジョン主演のミュージカル映画です。

ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)が音楽を担当し「Magic」「Xanadu」「All Over the World」「I'm Alive」「Suddenly」などのヒット曲も生まれました。

しかし、音楽的な成功の反面、興行的には大コケでだったのです。

80’s(エイティーズ)のちょっと前の70年代末期の雰囲気を残していて、改めて観ると「ダサ懐かしい」感じではありますが・・・よくよく考えてみると、公開当時すでにダサい雰囲気の映画でありました。

古典的なハリウッドミュージカル的な演出とローラースケート(ローラーブレードではなくて四つの車輪が並んだ古いヤツ)でのダンス・・・70年代のゆったりしたドレスシルエットに肩パッ度というジェリル・ホール(ミック・ジャガーの恋人でトップモデルだった女性)っぽいディスコ系のファッション・・・今だったら、逆におしゃれ(?)っていう感じではありますが、1990年代初頭には最も「ダサい」スタイルと思われていました


「F」は、300回以上は観たというほどの「ザナドゥ信者」で、自宅を「ザナドゥ神殿」のようにデコレーションしていたわけです。

ただ、彼が変わっていたのは「ザナドゥ信者」というだけでなく、彼のライフスタイルも特殊でした。

毎日午前4時起きてまずは自宅でトレーニング、午後6時に仕事場近くのジムに行きトレーニング・・・故に就寝時間は毎晩午後9時。

また、食事も鶏のササミと一部の野菜しか食べず、その他はプロティン・・・一緒に外食というのは非常に難しいのでした。

そんな不調和音も感じながら・・・会ったその日に彼とエッチまでしてしまったのは、単にマッチョな人とするのって、どんなんだろうという興味からだったのかもしれません。

ただ「F」は、ベットではドーンと横たわったまんまの「100%まぐろ」で、まだ経験豊富でなかったボクはどうして良いものか困ったものでした。

「体をここまで鍛えている人って、自分から何もしないんだ・・・という、マッチョに対する変なステレオタイプだけがボクに植え込まれました。

「F」の日本好きというのも「武士道」に対する思い込みが入っていて、当時のボクはアメリカナイズされ過ぎていたようです。

彼にとって、日本人というは「不平不満を言わずに自分に合わせてくれる」と、思っていたような節がありました。

「意志を伝えられない」のと「武士道」って関係ないんじゃない・・・という風に、ボクと「F」との溝は、会うたびに深まるという感じでした。

一度だけ「F」と寿司バーで食事をしたことがあるのですが、その時、彼はサバの握りだけをひたすら食べていました。

彼、いわく、サバは生で食べても良い魚だけど、他の魚は食べないってことでしたが・・・一体どこから仕入れた知識だったのでしょう?(酢でしめている、しめていない、が関係している?)

日本好きというわりに、その知識がメチャクチャ・・・ボクが間違いを指摘すると不機嫌になるので、埒があかないのです。

仕舞いには「おまえなんて日本人じゃない!」と彼から罵られ・・・ボクは8週間ほどの短いお付き合いにピリオドを打ったのでした。


彼のような歪んだ日本人のステレオタイプというのは極端ですが・・・このあと、ボクはファッション界で仕事を探しをする上で日本人のステレオタイプ」という壁には何度もぶつかることになるのでした。

そのひとつが「おまえは日本人なのに、ハッキリと自分の意見やアイディアを言う」と、いうことだったのです。

その当時の日本人のニューヨークファッション界に於ける立場というのは、パタンナーというデザイナーの下で仕事をするという技術屋・・・扱いやすい大人しさ、丁寧な仕事ぶりで評価されていたのでした。

仕事の面接に行くたびに、ボクは「F」からの言葉を思い出し「日本人のステレオタイプ」を嫌というほど感じさせられて、不愉快な気持ちになったものです。


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2010/08/26

スイマーズ・ハイで泳ぎまくりの夏!・・・改めて気付かされた”持久力”をどう生かそう?


今年の夏は「暑いですね~」というのが挨拶のようになってしまっています。

「暑い」という言葉を発することで、ますます暑くなりそうな気がするので、ボクは極力「暑い」という言葉を使わないようにしているですが・・・それでも思わず「暑いね」と言ってしまうほど、今年は特別に暑いです。


去年の暮れから、近所にオープンした「アスウェル」といジムに通い始めたのですが・・・当初は週2回程度だったのが、今では週4~6回は足を運ぶほど、すっかりハマっています。

これほど頻繁に通うようになった理由の一つは、充実したスパ施設ということが、まずひとつ。

そして、目的も決めずに適当にやるという、やる気が”ある”ようで”ない”ようなモットーでしょう。

以前だったら、せっかくジムに通っているんだからキチンと効果出さないと・・・という強迫観念で「あれも、これも、しなければいけない!」と考えて、いつの間にかジムに通うこと自体が辛くなっていったのです。

その反省を踏まえて、今回は心がけて厳しくないトレーニングをするようにしました。

だから、有酸素運動をする時間もスピードも辛くないことが優先・・・筋トレのウエイトも恥ずかしくなるぐらい軽い重量なのです。

有酸素運動はお気に入りの「クライマー」のみ・・・ラニングマシーンと違い、速度を設定することなく、その時々の自分のスピードで出来るルーズさが良いのです。

そして、ジムのワークアウト時間は、ボクにとっては「ポッドキャストタイム」ということにして・・・最近は「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」「小島慶子 キラ☆キラ」「大竹紳士交友録」あたりを聞いています。


ただ、今年の夏は暑い・・・ジムでの有酸素運動をやる気がなくなってきたのです。

そこで、スイミングキャップとゴーグルを購入し、10年ぶりにプールで泳ぐことにしました。

有酸素運動で汗だくになるよりも、泳いでいた方が「楽ちん、そう」という魂胆です。

ただ・・・ボクは泳ぎが得意というわけではありません。

泳ぎも”平泳ぎ”だけしか出来ないし、スピードもメチャクチャ遅いのです。

当初は25メートルのプールを2〜3回往復するのがやっとという感じでしたが、今では1時間ぐらいは休憩なしで泳げるようになりました。

平泳ぎという泳ぎ方もあるのでしょうが・・・15分ほど泳いでいると、息継ぎも瞑想の呼吸のようになって”スイマーズ・ハイ”の状態になります。

こうなると、いくらでも泳ぎ続けられるような感覚に陥って、ふと気付くと1時間ぐらい泳いでいたってことが毎回起こります。


筋トレのような重量の付加のかかる運動は苦手速さを競うスポーツに必要な瞬発力もなく・・・体格が大きいくせにスポーツは不得意と思ってきたのですが、どうやら持久力だけはあるのかもしれません。

そう言えば・・・以前、アレルギーの検査で肺活量を計ったところ、大柄の体格を考慮しても平均値より20%程度多く肺活量があると判断されたことがあります。

お医者さんからは「すごい肺活量だから、普段から無理ばかりするでしょ?と、注意されましたが、ボクは体力的に無理をするようなタイプでは全くなく、そのように訴えたのです。

しかし「イヤイヤ、君みたいな人は絶対無理するの!気をつけないとダメだよ〜」と、決めつけられた上に、ダメ出しまでされてしまいました。

ただ、泳ぎが下手なくせに長い時間泳ぎ続けられるのは、肺活量の大きさに関係しているのかもしれません。


これほど、毎日のように泳いでいたら、随分と減量もしたのではないか?と思われるかもしれませんが、実のところ体重の変化は水泳を始めた時と殆ど変化なし・・・逆に腹が出てきたような気さえします。

これは、夏バテ気味と言いながらも大食いしてしまったり昼夜関わらずに「暑い、暑い」と”ガリガリ君”を食べまくっているからに違いありません。

痩せることが目的で泳いでいるわけでもないけれど、水泳を再び始めたことで・・・


改めて気付かされた自分の持久力。


・・・何か日常生活や仕事に、うまく生かせないかと思うのだが。


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2010/08/25

「セルフイメージ」の自己申告って厄介・・・「魂の品性」は、いつかはバレるのです

”セルフイメージ”と、世間がもつその人のイメージに、多かれ少なかれ違いがあっても当然なのですが・・・”セルフイメージ”自己申告「するか」「しないか」の違いというのは、大きいように思います。

プラスの”セルフイメージ”でも、マイナス”セルフイメージ”でも・・・結局のところ「こういう私を受け入れろ」と脅しのようにしか思えないことがあるからです。

ある種の「防御」または「牽制」として、人は”セルフイメージ”の自己申告を無意識にやっていしまうのかもしれませんが・・・申告された側としては”セルフイメージ”を、肯定も、否定もできず、厄介なモノでしかありません。

(カウンセリングなどを受けて自己分析を経験しているというような人だと、その”セルフイメージ”を否定することなど許されないので、さらに厄介になります)


マイナス”セルフイメージ”を訴える人に対して「そのとおり!」と相槌をうったら、不機嫌にさせることもあるでしょう。

「否定」されることを期待している”セルフイメージ”というのは、実際のところ本人の真意としては「マイナス」ではなく、逆に「プラス」のアピールなわけです。

例えば「私って、バカだから」「私って、才能ないから」「私って、センスないから」とか・・・というのは、その見解が正しいか間違っているに関係なく、とりあえず「そんなことはない」という否定のフォローを求めているに過ぎません。

一般的に日本では、マイナスな”セルフイメージ”の方が「謙虚」ということで、好意的に受け取られることが多いとは思います。

しかし、それは能動的に”セルフイメージ”をコントロールをしている「ズルい謙虚さ」かもしれません

本来であれば「マイナスな要因」でも、自己申告したことで許されるべきという、ある種の開き直り・・・自己正当化ということもあります。

その姿勢をどう思うかは、当事者の人間関係や、個人的な感情次第なのだとは思いますが・・・すべてのマイナスの”セルフイメージ”の自己申告というのは、結果的に、周囲への、そして、本人にとって、の”エクスキューズ”(いいわけ)でしかないように思うのです。


ただ、最近の日本人は、以前と比べてプラス”セルフイメージ”をアピールすることも、多くなってきたような印象があります。

それは「謙虚さの欠如」というよりも「自己アピールをするべきだ」という風潮が、厳しい経済状態もあって浸透してきたのかもしれません。

その人のプラスの”セルフイメージ”を肯定する人ばかりであれば良いですが・・・逆に否定する人もでしょう。

面の皮が厚い「鈍感力」も持ち合わせないと、プラスの”セルフイメージ”を貫き通すことは難しそうです・・・ただ、日本には妙な鈍感力を備えた人が増えてきたのかもしれません。

日本では妙な個人尊重の傾向があるようで・・・誰かの自我(エゴ)が暴走していても、それに対して、リアルの世界で”直接”意見する人というのはあまりいないようです。(ネットの世界では無記名やハンドル名なので、攻撃や否定は逆に激しいのかもしれません・・・)

それは個性を尊重しているようで、面倒なことには関わりを持ちたくない、身内以外の他人には無関心、表面上には波風を立てたくないという、実は「昔の村的」な行動に過ぎないようにも思います。

自分自身と世間のズレというのは、自分自身で気付いて、自分自身で修正するしかないということになるのですが・・・”セルフイメージ”を自分でコントロールしようと思うことはやめた方が良いのかもしれません。


「魂の品性」は、自分でコントロールしたり、自己演出したりはできないものです。


「人間としての本質」というのは、世間にも、自分にも、いつかはバレてしまいます。


だからこそ、”セルフイメージ”という厄介で無意味なモノに囚われず、魂を見つめていきたいと思うのです。


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2010/08/23

おじさんは有料席でゆっくりと花火をみるにかぎるのだ・・・ニコンD700で撮影しまくり〜世田谷たまがわ花火大会〜

花火大会が終わると、どこか物悲しくなってしまうものであります・・・。

どんなに美しい花火でも一瞬の光としてしか存在しないという、職人が作り上げる最も命の短い作品なのかもしれません。

だからこそ・・・花火大会というのは「夏の終わり」が似合うような気がするのです。

「あぁ、これで今年の夏が終わるんだなぁ」と・・・ただし今年は残暑が続きそうなのでですが。

多摩川で行われる「世田谷たまがわ

花火大会」は、都内でも時期的に遅く開催されるので、特に「夏の終わり」感があります。

ただ、花火大会につきものの「場所取り」だったり「地べたに座る」などの精神的、かつ肉体的なストレスは”おじさん”には厳しいものです。

数年前には、「一緒に一度ぐらいは」と思って、屋形船から隅田川の花火大会をみましたが、これはこれで船の中での拘束時間が6時間以上にもなってしまい・・・非常に疲れました。

先週末の土曜日、8月21日に開催された「世田谷たまがわ花火大会」では、”おじsなん”として素直に・・・有料のイス席のチケットを購入しました。

一時間のイベントの料金としては、微妙に高い価格設定(1席/4000円)ではありましたが、場所取りの必要がなく、指定席なので入場も慌てることもなく、地べたにしゃがむこともなくイスに座れるというのは、おおいに価値ありという結論に達しました。

打ち上げ場所からもかなり近い場所に有料席はあるので、打ち上げるたびに腹にドーンと振動が伝わってくるほどです。

大玉の花火は目の前に打ち上がっているというよりも、自分の頭上で視界を覆うほどに広がり、火の粉が落ちてくるさまは天から星が降るような感覚でした。

音楽を聴きながら花火大会というのは初体験でしたが、クラシック音楽をBGMに花火をみると、どこか「お上品な花火」をみているような気分になりました。

さすが日本の花火職人の技・・・打ち上げられる花火の種類もさまざま、プログラムも適度にテーマを設けているので飽きることもなく、あっという間の一時間でした。

さて、花火大会に行くなら、やっぱり一眼レフで写真撮るでしょう・・・ということで、NIKON D700シグマの50mm単焦点レンズを装着して、生まれて初めての花火撮影に挑戦することにしました!

花火大会に向かう電車の中で、三脚や望遠レンズなど沢山の装備を持った数人のお父さんカメラマンと遭遇したので、単焦点レンズで三脚なしの手持ち撮影で果たして写るのだろうかと不安になってきたりしたものです。

ただ、D700は暗い場所でも高感度のフルサイズセンサーですし、シグマの50mmはF値1.4という・・・これまた暗さに強いレンズを組み合わせているので、手ぶれさえしなければなんとかなるはずと信じるしかありません。

ISOは「6400」・・・露出優先モードでF値は最大に開いた「1.4」で設定したところ、手ぶれを心配しなければならないようなシャッタースピードにはならず、最低でも「1/400」

に設定されていたので楽々と撮影出来たのです。

さすが、D700・・・素人のボクには、ある意味ぴったりのカメラなのかもしれません。

シグマの50mmはD700の最強レンズだと再認識した次第です。


一瞬で消えてしまう花火を改めて画像でみると、花火というよりは・・・海の生物のようでもあり、宇宙の星雲のようでもあり、肉眼とは違う美しさを発見できたのでした。

何の物質か全然ボクは分かりませんが・・・花火というのは空の上で”美しい化学反応”を起こしていることだけは確かです。



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2010/08/19

最強の11歳 「ヒット・ガール」クロエちゃんが超クール!・・・お子さま向けのスーパーヒーローものではありません~「キック・アス」~

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今年の春、アメリカで公開されて大ヒットした「キック・アス」は「スパイダーマン」や「バットマン」をパロったみたいなマーベルのカルトコミックスが原作のヒーローもの・・・弱気な高校生と11歳の少女がスーパーヒーローとして活躍するという設定は”お子さま向け”っぽい感じなんだけれど、実は内容がハード過ぎてR指定(18歳未満入場不可)というトンデモナイ映画なのであります。

主人公は、ヒーローに憧れる冴えない男子高校生(憧れている女の子にゲイと勘違いされてしまうほど弱々しい男の子)・・・しかし通信販売で購入したコスチュームに身を包み街のチンピラと戦った映像がYOU TUBEにアップされて、スーパーヒーロー「KICK-ASS/キック・アス」として世間に知られることとなるのです。
「KICK-ASS」というのは「すげぇイケてる」というような意味のスラングで・・・「She is a Kick-Ass!」とか言ったりしますが・・・スーパーヒーローの名前としては「どうなの?」って感じです。
ハッキリ言って「キック・アス」くんは、何のパワーもないハッタリだけのスーパーヒーローで、イケてなさは何も変わってはいません。


そこに、頼もしい相棒として登場して、完全に主人公を食ってしまっているのが、クロエ・グレース・モレッツ(Chloe Grace Moretzちゃんが演じる「Hit-Girl/ヒット・ガール」なのです。
彼女は5歳のときから実の父親(ニコラス・ケイジ扮するBig Daddy/ビッグ・ダディー)にスーパーヒーロー(殺戮マシーン?)として英才教育を受けた最強の11歳・・・バタフライナイフを器用に扱って刺しまくり、長刀を振り回し斬りまくり、アクロバットのように宙を舞ってキックしまくり、げんこつで大人達を殴りまくり、銃を乱射して殺しまくります。
血しぶきがドバドバ〜、足は切断されるは、拳銃で顔面を撃つは、タランティーノの「キル・ビル」を上回る痛そうな映像、マシンガンの乱射は、スコセッジの「スカーフェイス」よりもメチャクチャ・・・軽快な可愛い音楽をBGMに大殺戮を子供がやってのけるところが、まさにツボ!・・・ボクにとってっは、クロエちゃんこそ「KICK ASS/すげぇイケてる」なガールなのでありました!


残酷シーン以上に凄いのは「ヒット・ガール」の言葉使い・・・まだティーンエイジャーにもならないガキが映画で言うなんて信じられないほど、ぶっ飛んだ下品な言葉の数々なのですから。
悪者達を「You, Cunts!/お前らマンコ野郎ら!」とか、「I am just fucking with you, Daddy/パパ、ちょっとからかっただけよ」とか、ごく自然に出てきます。
18歳以上向けならば何でもありのハリウッド映画でも、こと子供に関わることには大変保守的なところもあるものです。
おそらく、今どきの子供なら、この程度の汚い言葉は日常的に使っているかもしれません・・・でも、そういう汚い言葉をハリウッド映画のなかで、子供が発することはヒジョーに稀かもしれません。
アクションシーンの残忍さだけでなく、言葉の汚さからも「R指定」になってしまったわけで、出演者のクロエちゃんは6年経たないと映画館では、自分の出演した映画を観ることが出来ないということになります。
You Tubeにアップされている彼女のインタビュー(現在12歳)を観ると、リアルでも超クールな女の子「500日のサマー」で演じていた恋愛のアドバイスをする小生意気なガキそのもの・・・ボクは妙に好感を持ってしまったのでありました。
ボク自身は”子供っぽい幼い子供”だったもんだから・・・余計にクロエちゃんのような大人びて生意気な子供には憧れてしまうのです。


この映画が、ハリウッド映画のビジネスルールを破って、ティーンを主人公にしながら「R指定」映画として完成出来たのには、イギリス人によるハリウッド資本の映画であるということがあるのかもしれません。
原作者を始め、主要スタッフ(主人公を演じる役者もイギリス人)のほとんどがイギリス人で、撮影もイギリスで行われています。
ギリギリ感のあるコメディセンスと、ハリウッドの暗黙の決まり事を無視したぶっ飛んだ内容は、さすがイギリス人というところでしょうか・・・。
ストーリー展開やプロットの辻褄合わせはビミョーなところもありますが・・・「ヒット・ガール」と父親の「ビッグ・ダディー」の切ない関係にホロリときたり、完全に「ヒット・ガール」食われちゃった主人公の「キック・アス」くんも、キチンと映画の中で男として成長しているところが、見終わって気持ちのいい映画です。
エンディングは、続編を期待させるような終わり方ですが・・・どうなるのでしょう?
個人的には「ヒット・ガール」のさらなる活躍を期待したいとことですが、クロエちゃんがガキのうちに制作して欲しいものです。
「キック・アス」の日本での劇場公開予定は、2010年の年末か2011年と言われています。
ぜひご覧あれ!

「キック・アス」
原題/KICK-ASS
2010年/アメリカ、イギリス
監督 : マシュー・ヴォーン
原作 : マーク・ミラー、ジョン・S・ロミタ・ジュニア
出演 : アーロン・ジョンソン、クロエ・グレース・モレッツ、ニコラス・ケイジ


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2010/08/18

頑張っている大半の日本人のために・・・カヤマー的な生き方の麻薬~「今のあなた」で大丈夫!/香山リカ著~


「『今のあなた』で大丈夫!~自分に無理をさせない生き方」は、今、一生懸命生きている女性へのメッセージ(自分を責めない、見つめすぎない、人と比べない)を綴った、香山リカ書き下ろしの新刊です。
「読むカウンセリング本」を銘打った新講社「生き方」シリーズの一冊ということから、比較的ひっそりと心理学コーナーに置かれていました。
去年、勝間和代とのバトルで話題になった「しがみつかない生き方」から訴え続けているカヤマー的な楽な生き方の集大成で、具体的なアドバイス満載の内容です。
香山さん自身の経験から語られるアドバイスや内輪話も多く、数ある著書のなかでも最もパーソナルな印象・・・カヤマーファンにはお奨めの一冊といえるでしょう。

以前から、カヤマーを自負するボクでありますが・・・よく考えてみれば、生粋のカヤマーというかというとよりも、アンチ・カツマーとしての相対的なカヤマーなのかもしれません。
カヤマー的なメッセージは、ボクみたいな「頑張らない人」にとっては、とっくに実践している生き方・・・頑張らない生き方を根底から否定するようなカツマーに反発し、肯定するカヤマーに賛同していたにすぎないとも言えるのです。
「ジブン。頑張っている!」と思い込んでしまっている自己チューなナルシストも最近は結構多く存在しますが・・・確かに、自分を精神的に追い込んでしまう人も世の中にはたくさんいるはずであります。
本当に「一生懸命頑張っている、まじめな人たち」にとって、救われるひと言こそが「今のあなたで大丈夫!」なのかもしれませんが・・・ボクのような人とっては、どんな自分でも「肯定」してしまう危ない「麻薬」のような言葉なのです。

香山さんが読者のターゲットとしている「真面目で大人しい頑張っている人」に、おろらくボクは当てはまらないように思います・・・「元気で目立つ人ばかりが注目される」と、逆に敵対視されているようなタイプの方が、ボク自身に近いのかもしれません。
コツコツと真面目にやっている目立たない自分は損している・・・と思っている人って、世の中には結構いると思うのですが、ボクは「損している」と感じることって皆無です。
まず、第一にコツコツと努力していません。
出来るならば「楽ちんが一番」「無理な努力はしない」・・・好きなことには労力を惜しみませんが、それは努力とはちょっと違います。
あれこれと「こだわり」はあるけれど、その「こだわり」にも、それほど「執着」もありません。
現状の自分が「得」していなくても、それは自分の選択してきた生き方の結果でしかなく、何ら文句も言えないと思っています。
無意識に「頑張りすぎてしまう」人がいるように、意識的に「頑張るという方法論がない」人っていうのもいるものなのです・・・ボクのように。

先日の「エチカの鏡」によると、ボクのような「ひとりっ子/男子」「マイペース」「上昇志向がゼロ」「競争意識がない」ということ・・・ぴったりと当てはまっていました。
生まれつき(?)それほど頑張り屋さんでもなく、いわゆる社会的な上昇を目指さないボクにとって「今のままで良いんだよ」なんて全面的な肯定は、ますます「今の自分」を増長させてしまうだけです。
香山さんの唱える「65点主義」どころか「25点でも1/4は正解!」と楽観的にとらえてしまうようなボクなのだから・・・せめて65点を獲るようになってから「頑張らなくても良いんだよ」と自分に言うようにしたいものであります。
ボクは香山リカを卒業して、そろそろ自分を見つめる必要があるのかもしれません。


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